ミャンマー、カンボジア、ラオスで見た美術の現在形

アンドリュー・マークル(アートライター)
毛利悠子(アーティスト)+橋本梓(国立国際美術館研究員)
下道基行(アーティスト)+チェ・キョンファ(東京都現代美術館学芸員)



southeast_asia_art01.jpg  国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、日本とミャンマー、ラオス、カンボジアとの美術分野における交流と協力を目指して、2014年2月から3月にかけて、3組の日本のアーティストとキュレーターを各国へ派遣し、美術調査を行いました。
 複雑な歴史的背景を抱えながらも、勢いを増す社会変化の中で生きるアーティストたちは、今どのような表現に取り組み、歴史や社会状況と向き合っているのでしょうか。また、今日の「現代美術」は欧米の文化・歴史にルーツを持ち、その延長や相対的な関係において定義されているとも言えますが、今回のリサーチ対象となった国々では、それぞれの国の文化状況やローカリティーを反映させた固有の表現が、まさに「現在の美術」として根付いています。現地のアーティストたちの実践は、西洋的な言説やシステムによって限定されがちな「現代美術」によって定義することができるのでしょうか。
 帰国後、アーティストとキュレーターが各地の美術の現在についてのレポートを報告するとともに、これらの国々との今後の美術交流の可能性を考える「ミャンマー・ラオス・カンボジア美術調査報告『現在の美術・現代美術』」が行われました。

(2014年5月27日 国際交流基金 JFICホール「さくら」での報告会を抜粋収録)



ミャンマー:押しつけにならない文化交流のあり方とは
アンドリュー・マークル(アートライター)
※調査には田中功起(アーティスト)が同行

southeast_asia_art02.jpg  多民族・多信仰社会であるミャンマーでは、それに起因する衝突や社会問題を数多く抱えています。軍事政権によるアウンサン・スーチー氏の軟禁は日本でもよく知られていますが、2008年に新憲法案を巡る国民投票が行われてから、政権は民主化傾向を示し 、海外企業の誘致にも力を入れ始めています。田中功起氏と私は、ミャンマーの作家たちが歴史的な背景を自分の作品を通じていかに反映しているか、また、ミャンマーの美術史と国際的なコンテンポラリー・アート(現代美術)の美術史をどのようにとらえているかをリサーチの主要な目的としました。

 私は、現在のミャンマーのアートシーンは、約30年前の中国に似ているという第一印象を抱きました。20世紀初期には遠近法や写実主義といった西洋美術の技法・方法論が取り入れられたものの、その後のモダニズムの美術概念は輸入されず、ここ数年間で一気にそれをもとにした現代美術的な表現が流入しつつあるのが今日のミャンマー、ヤンゴンの状況です。その急激な変化のなかで、作家たちは新しい制作アプローチやアイデアに実践的に取り組んでいます。
 しかしながら「国立文化芸術大学」が美術、演劇、伝統舞踊、伝統音楽などのミャンマー伝統芸術を外来の文化の影響から保護することをミッションとしていることからもわかるように、国全体で現代美術の紹介や促進に力を入れているとは言い難い状況があります。それに代わって、同国における現代美術に手を差し伸べているのが、フランス文化を紹介する「アンスティチュ・フランセ」や、2014年2月にオープンしたばかりのドイツの文化団体「ゲーテ・インスティトゥート」などです。
 しかし、ここにも問題はあります。これらの施設は、ミャンマー人たちよりも同地に住む外国人のためのコミュニティー、そしてフランスやドイツにおける現代美術のためのショーケースという側面を強く持っています。ヨーロッパ型の既存の美術概念を押し付けるだけにしかならず、ミャンマーの作家たちが自らの力でアートシーンを立ち上げていく力を損なってしまうかもしれない可能性は、注意深く検討されるべき事柄でしょう。

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(左)国立文化芸術大学絵画科教室
   撮影:田中功起
(右)アウン・コ《In Transit》ゲーテ・インスティトゥート・ミャンマーでの展示風景
   撮影:田中功起


 リサーチのなかで私たちは、約10の文化施設・団体を訪れ、約30名の作家たちと面会しました。そのなかで同時代の動向として関心を持ったのは、作家自らが組織する自主グループでした。例えば、国立文化芸術大学出身の7名が結成した「Another 7 Artists」。1981年生まれのムラット・ルン・トワーンと同世代のアメリカ人研究者ナタリー・ジョンストンが仮設的に開いた展示スペース「7000 Padauk」では、知り合いの作家たちが集まり、展示、パフォーマンス、上映会、トークイベントなど多種多彩な催しを行っていました。このような、既存の組織や文化施設に頼るのではない、柔軟で非物質的な組織方法が現在のヤンゴンの現状に向いているのではないでしょうか。
 私たちは、ミャンマーの作家たちとともに現代美術に関する理論書などを翻訳するというプロジェクトを提示します。協働的な翻訳作業を通して世界の美術史の多様性を学ぼうとするこの計画は、異なる文化的背景を持つアーティストやキュレーターたちが対等に交流する場をつくるためのプランとして有効でしょう。

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(左)ロカナ・ギャラリーズ「43周年記念展覧会」展示風景
   撮影:田中功起
(右)フョー・チー「On the Other Side」 TS 1ギャラリーでの展示風景
   Courtesy the artist and TS 1 Gallery, Yangon


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「7000 Padauk」の展示風景
Courtesy Nathalie Johnston




ラオス:美術が技術として機能する国
毛利悠子(アーティスト)
橋本梓(国立国際美術館研究員)

southeast_asia_art06.jpg  最初の個展を「エヴリデイ・ラオス」と名付けた私(毛利悠子氏)は、未知の国であるラオスにユートピア的な空想を持ちながら、展覧会当時、作品を制作していました。今回、実際に現地を訪れる機会を得た私たちは、渡航前からリサーチに取り組みましたが、ラオスのアートシーン、とりわけ現代美術は活況とは言い難い状況であることがわかりました。そこで、音楽、映画、雑誌など日本人もシェアできるポップカルチャーやサブカルチャーとラオスの人々の関わりを現地でリサーチすることを、リサーチの主要な目的としました。
 タイとベトナムに挟まれたラオスは人口650万人。GDPや識字率も低く、けっして豊かな国ではありませんが、国民の8割が農業に従事し、食料自給率の高い、のんびりとした住みやすい環境が魅力の国です。現在はラオス人民革命党による一党独裁体制ですが、タイやベトナムの文化が流入し、市場などでは両国のファッション雑誌が売られ、テレビや音楽も自由に見ることができるようです。

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ビエンチャンの街の風景(仏像の開眼式のためのお供え物)
撮影: 毛利悠子


 私たちが最初に訪ねた「国立美術学校」は、いわゆる専門学校と呼ばれる教育機関で、日本の美術大学に相当するものがラオスにはありません。同校では絵画、グラフィックアーツ、彫刻、デザイン、伝統美術と修復の5つのコースがあります。
 在校生の多くは卒業後、美術教師や民間企業への就職以外に文化観光省や警察といった政府機関に公務員として就職します。ラオスでは、美術学校の卒業生がアーティストとして活動するというキャリア設計はほぼありません。かわりに「国立人民軍歴史博物館」に掲示するための歴史画・風俗画の制作や、公共彫刻の制作、字の読めない少数民族に向けた公共事業パンフレット制作などに卒業生たちは従事します。
 非常に稀な例として、シンガポールなどで発表するアーティストや、アーティストが運営するギャラリーも存在しますが、社会全体が美術=職業的技能という考えを共有しており、個性の表出やアカデミックな思想を背景とするアート、という観念自体がほとんど根付いてはいません。

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国立美術学校
撮影: 毛利悠子


 数少ないギャラリーやNPO団体の多くも、現代美術を専門に扱うための組織とは言い難く、地方における教育普及や社会運動と関わる活動に力を注いでいます。例えば「Cubic Gallery」は作品販売も手がける例外的なスペースですが、ラオスで広告会社やコンサルタント業を営むディレクターが運営するギャラリーで、カナダに留学経験のあるアーティストやフランス人映画監督と協力して、ラオスにおける美術教育の底上げを目的としたワークショップなどを手がけています。また、ラオスにおけるNPOの草分け的存在である「PADETC」は7つのNPO団体を有し、そのうちの一つ「Dok Lao」ではドキュメンタリー映像の制作、技術指導に力を入れています。

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(左)Dok LaoがあるPADETC (Participatory Development Training Centre)外観
   撮影: 毛利悠子
(右)Dok Lao
   撮影: 毛利悠子


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(左)M Gallery
(右)ラオス人民軍歴史博物館


 おだやかな国民性、住みやすい風土、欧米型のアートマーケットに過度に影響を受けていない美術環境など、一見すると平穏にも思えるラオスですが、その一方で多くの矛盾や課題もあります。
 リサーチのなかで出会った美術関係者から、教育の普及、ラオスがどのような国・社会であるかを知ることの必要性を訴える声を多く聞きました。「オープンアイズ(目を見開け)」とは、そのうちの1人が述べた言葉ですが、そこにラオスの人々が直面するさまざまな壁の存在が反映しているように思います。





カンボジア:失われた記憶を探して
下道基行(アーティスト)
チェ・キョンファ(東京都現代美術館学芸員)

southeast_asia_art11.jpg  今回の海外調査の計画が持ち上がった当初、じつは私たちには「遺跡」という共通テーマが示されました。カンボジアには世界遺産であるアンコールワットがありますが、このような具体的な歴史遺構に留まらず、過去に起きた歴史といかに対峙し、付き合っていくかという課題も、遺跡というテーマには含まれています。
 そこで私たちは、かつてカンボジアで起きた大虐殺を手がかりに、その歴史に対してアーティストたちがどのような取り組みをしているかを、リサーチの主要な目的に設定しました。

 カンボジアの現代史を振り返ってみましょう。日本に占領された第二次世界大戦期を経て、フランス領に再編入されたカンボジアは(同国は19~20世紀にかけてフランス領インドシナに編入)、1953年に独立を果たします。しかし、60年に始まったベトナム戦争をきっかけに内戦状態へと突入。75年にはポル・ポト率いるカンボジア共産党(クメール・ルージュ)によって約4年間のあいだに100万~300万人の国民が殺されたと言われています。
 この歴史の災禍は、カンボジアのアートシーンにも暗い影を落としています。虐殺によって多くの芸術家が殺害され、口承で伝わってきた多くの文化が消滅しました。さまざまな国からやって来た芸術家たちが美術大学の講師を務めていた豊かな教育環境も、クメール・ルージュの台頭とともに失われてしまいました。
 現在のカンボジアでは、70年代に難民キャンプでの生活や国外避難を経験したアーティストと、80年代以降のベビーブーム世代である若い作家たちの2つの流れがあり、彼/彼女らは現在のカンボジア社会の急激な変化に、アーティストとしての緊急性を感じているようでした。

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(左)プノンペンの街の風景
   撮影:下道基行
(右)カンボジア日本友好橋〈左〉と中国が建設中の橋〈右〉
   撮影:下道基行


 ミャンマーやラオスと比較して、首都であるプノンペンは急激に発達しており、現代美術と呼べる表現動向と出会うことも難しくありません。しかし、現代美術を専門に教育する機関はないため、80年代以降に海外から戻ってきたアーティストたちが海外とカンボジアをつなぐメンター(指導者)的な役割を果たしています。また、ミャンマー同様に「アンスティチュ・フランセ」などの海外機関が、ヨーロッパ圏との文化交流のハブとして機能しています。
 「SA SA BASSAC」は海外で活躍するアーティストを多く扱う有名ギャラリーで、私たちが訪れた際には、パフォーミング・アーツをテーマとするシンポジウムが開催されていました。カンボジアで活発になりつつあるコンテンポラリーダンスの動向と、同国の伝統舞踊がどのような関係を結べるか、身体表現はアートにどんな影響を与えるかなど、活発な議論が交わされる様子は、社会の変化にアートがいかなる応答をしていくかという切実性の伴うものでした。

 今回のリサーチ中に出会ったアーティストから、何人かご紹介しましょう。
 写真家のキム・ハック氏は、フランス植民地時代に王室の別荘があった港町を訪ね、かつて別荘で働いていたおばあさんをストーリーテラーに設定した作品を制作しています。また、映像作品を手がけるヴァンディ・ラッタナ氏は、内戦時代の爆発でできた池をテーマにした「爆弾の池」というシリーズを制作し、国内外から注目を集めています。現在、ヴァンディは幼い頃に亡くなった姉にまつわる記憶を主題としたシリーズ作品を制作中だそうです。
 2名の作家活動からも感じられるように、カンボジアのアートシーンにおいて「記憶」、特にクメール・ルージュの虐殺や内戦に関わる記憶をいかに継承し、歴史を告発していくかが、いかに重要なテーマであるかを窺わせます。それは、アジアに点在する日本統治時代の歴史遺構の現在の姿を追い続けてきた下道の作品とも照応するものでしょう。

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Kim Hak(写真家)スタジオ訪問
撮影:下道基行


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(左)王立芸術大学
   撮影:下道基行
(右)Khvay Samnang(アーティスト)自宅/スタジオ訪問
   撮影:下道基行


(編集:島貫 泰介) 



アンドリュー・マークル
アートライター/編集者
元Art Asia Pacific誌副編集長。現在はART iTインターナショナル版副編集長を務めるほか、海外のアートマガジン「frieze」などにも寄稿している。日本を中心としたアジア現代アートイベント関連の記事を主に書いている。



毛利悠子(もうり・ゆうこ)
アーティスト
日用品やジャンクと機械部品を再構成した立体物を展示環境に寄り添わせることで、磁力や重力、光、温度など、目に見えない力をセンシングする�

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