田中功起
蔵屋美香
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、今年6月から11月にイタリアで開催される第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館展示を主催します。
日本代表作家には田中功起氏を、また日本館キュレーターには蔵屋美香氏(東京国立近代美術館美術課長)をそれぞれ起用し、開幕に向け進められている、日本館の展示準備と新作制作過程の進捗をお伝えするトークイベントを、昨年11月に開催しました。
ダイジェストでその模様をお伝えします。
蔵屋:東京国立近代美術館研究員の蔵屋美香です。このたび、田中功起さんと一緒に第55回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館展示を担当させていただくことになりました。
日本館の展示内容を決める選考過程は面白いシステムで、アーティストではなくキュレーターが指名を受けてコンペを行います。ですから、コンペでは私が田中さんのアイデアを代弁するかたちでプレゼンテーションを行いました。
当然ながらコンペで選ばれた後の主役は作家の田中さんですから、2012年5月に実施された国際展事業委員会での最初のプレゼンテーションで私が提示した案と、その後に田中さんが考えられていることは変わっていっていますし、私自身の考えも当時とは違ってきています。そこで、今日は、全体のコンセプトが5月の発表時点からどういうふうに変わってきたのか。そして、実際の作品制作がどういうふうに進行しているのかをお知らせできればと思っています。
■ コンペで提示した当初案
蔵屋:最初に、コンペ時の案についてお話したいと思います。
ヴェネチア・ビエンナーレのメイン会場であるジャルディーニ(カステッロ公園)内にある日本館は真四角に近い構造で、一階がピロティー、二階が会場になっています。空中に箱が浮いているような構造ですね。当初の案の大枠は、その二階に映像と写真、あるいはプロジェクトのアイディアメモなどを展示するというものでした。
それらの映像や写真の軸になっているのが、以前から田中さんの作品に見られた「タスク」という要素です。加えて、2011年3月11日に発生した東日本震災を経験したことについて、やはり日本館では何かしらの発言をしなければならないだろうという意識があります。3月11日は、田中さんはロサンジェルスにいらっしゃって、私もたまたまシンガポールにいて、直接的に震災の被害に遭いませんでした。では、直接震災を経験していない人間が、震災について考えていくにはどういうことが可能か、というのが今展の大枠のテーマになっています。
田中:ヴェネチアでは新しい映像作品も見せるのですが、起点になっている作品があります。2012年の《5人のピアニストがひとつのピアノを弾く》、2010年の《9人の美容師でひとりの髪を切る》です。この2つがもとになって、今回の日本館のアイデア全体がかたちづくられています。ここで目指しているのは、ある種の協働性です。人々がどのようにして協力して作業を行うことできるか。あるいは、その過程でどういうことが起きるのか。その難しさも美しさも含めて呈示したい、というのは最近僕が考えている問題でもあります。
そして現在制作中の新作が、5人の詩人の方たちに1つの詩を書いてもらうという《ひとつの詩を5名の詩人が書き上げる(最初の試み)》と、2つのグループが高層ビルの非常階段をできるかぎり音をたてずに同時に上り下りするというものです(タイトル未定)。これらはすべて同じ軸線上にあります。
先ほど、蔵屋さんが「タスク」とおっしゃいましたが、今回僕は「不安定なタスク」という枠組みを設定して、いくつかのプロジェクトを進めています。例えば《懐中電灯を振りながら夜の街を歩く》。夜の街を大勢が懐中電灯を持って歩いて、公園に行ったり、記念撮影をしたりするという内容です。
「これが作品なの?」と思われるかもしれないんですが、これも先に述べた作品と共通の枠組みのなかで制作しています。ですが、大枠は決めつつも、それを迂回するということも大切にしています。なんと言えばいいかな......作品未満のものがいくつも積み重なったようなアイデアの集まり。それを「不安定なタスク」としてとらえています。
これらの映像は、出来上がり次第どんどんWebサイトにアップして、ビエンナーレの前にほとんどの作品を見られるようにする予定です。
title: a poem written by 5 poets at once (first attempt)
year: 2013
material: HD video
credit: commissioned by japan foundation
equipment support: ARTISTS' GUILD
title: a behavioral statement (or an unconscious protest)
year: 2013
material: HD video
photo credit: Takashi Fujikawa
credit: commissioned by japan foundation
Filming in cooperation with Korean Cultural Center, Korean Embassy in Japan
equipment support: ARTISTS' GUILD
title: #1 swinging a flash light while we walk at night
year: 2012
form: collective act
material: photograph and text
size: 730X1100mm
credit: created with blanClass, yokohama
■ 展示の起点になる2つの作品
蔵屋:起点になった2作品について、詳しく説明していただけますか?
田中:そうですね。では、まず《9人の美容師でひとりの髪を切る》。これは2010年にサンフランシスコでつくった作品で、9人の美容師さんに、1人のモデルさんの髪の毛を切ってもらうというプロジェクトです。
美容師の皆さんは、一緒に協働作業するということがまずないので、どのように仕事を進めていくか話し合うところから始まります。自分がどれだけ髪の毛について知っているか、あるいは私だったらこういうふうに切る、みたいなことを話し合って、そこから、じゃあ実際にカットしてみましょうと。
でも、もちろんうまくいかないんですね。だんだんと、他の人の作業にもう1人が介入しだしたり、何も言わずに切ってしまう人が現れたりして、最初のプランが壊れていきます。しまいには3、4人同時にカットしはじめたり。
蔵屋:モデルさんは、どんな気持ちで切られているんでしょう?
田中:相当な緊張状態ですよね。ちなみにこの美容師の人たちのほとんどが、カット1回当たりの料金が約200米ドルで仕事をする皆さんなので、実際にお金を支払ったとすると相当高かったはずですね。
蔵屋:日本円にすると総額18万円ぐらいしますよね(笑)。
田中:この作品は、動画共有サイトのVimeoで全部見られるようにしているので、よろしければご覧ください。
title: a haircut by 9 hairdressers at once( second attempt)
year: 2010
material: HD video
time: 28 min
photo credit: Tomo Saito
credit: created with yerba buena center for the arts, san francisco
a haircut by 9 hairdressers at once (second attempt) from Koki Tanaka on Vimeo.
田中:次が《5人のピアニストがひとつのピアノを弾く》。2012年はじめに撮った作品です。
こちらはカリフォルニア大学アーバイン校のアートギャラリーのためにつくりました。大学の学生や機材を使って、作品をつくってほしいという依頼でした。そこで、学内の音楽学科でピアノを学んでいる5人の学生に参加してもらって、ひとつの曲をつくってもらおうとしたわけです。
2人はジャズを専攻していて、他の2人がクラシック専攻。もう1人は作曲家兼即興演奏をする人です。最初は、椅子に無理矢理5人で座ってもらって、なんとか演奏する方法を探っていくという状態。演奏の仕方、音楽に対する考え方もバラバラで、なかなかうまくいかない。うまくいかないところを、ピアノを通すことによって最終的にはひとつの曲として昇華していく。その過程を撮影しました。
ここで面白かったのは、彼らは自分たちが置かれている状況について、その場で話し合うわけですね。自分たちの目的はなんなのか。どうやったら一緒に演奏することになるんだろう、ということを常に問う。ちなみに撮影チームも学生です。だから、ちょっと下手だったりするところもあるのですが、それも含めて、その場にいる全員がコラボレーションするということに対して意識的にならざるをえない環境でした。もちろん、これは自分の作品ではあるのですが、結局のところ僕は状況をつくっただけなんです。
これは僕にとってとても大切な作品です。いつ見ても、ずっと見つづけてしまう。ここから学ぶことはとても大きいです。
title: a piano played by 5 pianist at once(first attempt)
year: 2012
material: HD video
time: 57min
credit: created with University Art Galleries, University of California, Irvine
A Piano Played by Five Pianists at Once (First Attempt) from Koki Tanaka on Vimeo.
蔵屋:田中さんは、日本ではものが自分ひとりで動いているように見えたり、反復運動が強調されるようなビデオをつくったりしていましたよね。その後、ロサンジェルスに移られて、協働的な要素のある作品を手がけるようになられた。この変化にはどんな理由があるのでしょう。
田中:2004年くらいまでは、自分自身が出ないように撮影していたんです。それがだんだん窮屈になってきて、手ぐらいは映そうと。それでつくったのが東京藝大の修了制作《バケツとボール》(2005年)。そのうちに、じゃあ自分が出てしまってもいいかな、と思ってつくったのが台北ビエンナーレに出品した《everything is everything》(2006年)。このあたりから少しずつ僕以外の人も出てくるようになりました。
ものの探究みたいなことが一段落して、次にある種の「コントロールのできなささ」みたいなものを記録したいなと思ったんです。そこで考えたのが、人間そのもの。もっともコントロールできないのが人間ですからね。
ある特殊な場所や状況を設定し、特定のルールを参加者に強いることにはなるのですが、それ以外については僕は一切ディレクションをしない。参加者は途中でやめてしまっても、拒否してもいい。すべて参加者にお任せしたうえで撮影するということを、特に2010年以降やっているという感じですね。
蔵屋:《9人の美容師〜》も《5人のピアニスト〜》も、複数の人たちがひとつのタスク(課題)に取り組むという映像ですね。さらに共通しているのが、そこに参加する人たちがみんなプロである、という点です。音楽教育を専門的に受けた学生、あるいはプロとして訓練を積んでいる美容師たち。彼らには、ある共通の知、職業知みたいなものがあります。
実際に《9人の美容師〜》を見ていると、彼らの思考が分かります。頭部を、前パーツ、脇パーツみたいに区分してとらえている。職業的に頭というものを把握している。そして、どうもそれに基づいて作業を分割したり、協働しようとしている形跡が見えてくる。そういうかたちで、だんだんと共通の基盤が見えてくる。
しかし、それを踏まえたうえでなお、映像のなかではうまくいかない。最終的にはなんとかかたちになるけれど、釈然としない感じが残ったまま作品は終わる。「ひとつのものができた、これでお互い仲良くなれたね」という風には全然なっていない。ある複雑なプロセスが可視化されているんです。
もうひとつ、この2作に共通しているのが造形的要素です。例えば《9人の美容師〜》であれば、頭=丸い物体をどう造形していくかという彫刻の問題にも読み換えられる。《5人のピアニスト〜》もじつは複雑です。大人5人がピアノの前に座るというのは、本当にぎりぎりで、これ以上増えるともう座りきれなくなる。かといって、これより少ないと1人が使える鍵盤の数が多くなって、作業がスムーズになり過ぎてしまう。ギリギリの判断のところで5人という数が決められている。そこで、途中から学生たちが場所を交替しはじめるんですね。俺ばっかり低音をやっているのはよくない、みたいに。そういったルールのつくられ方も空間を彫刻していくような性質があります。単にタスクを与えられて協働して、それがうまくいったりいかなかったりというだけではなく、造形のレイヤーみたいなものがある。
■ 現在の日本を反映した展示構成
蔵屋:次に、当初のプランと現在のプランの具体的な違いについて話していきましょう。もっとも大きく変わった点というと会場プランです。
田中:そうですね。最初は、毛布、アルミシート、木材、段ボールを使ってさまざまな建築関係者に会場構成をつくってもらうという案でした。例えばアトリエ系の建築家や工務店系の人とか。同じ建築と言っても、ジャンルの違う建物を建てる人たちを集めて、会場をつくってもらうというプランを考えていたんですけど、これはやめにしました。
いま考えているプランは、2012年の建築展の日本館展示の一部を引き継ぐというものです。建築の展示で出た廃材をリサイクルするかたちで、僕の展示に流用する。建築展でつくられた空間に僕の作品が介入するという案を考えています。
no title for the installation
year: 2012-2013
form: recycle
duration: two years
cooperation: japan pavilion, architecture biennale, 2012
蔵屋:これは個人的な印象なのですが、最近の田中さんの作品は、大きな予算でインスタレーションをつくり、終わったらまたそれを捨てる、という制作手法から「降りよう」としているのでは、と思います。
例えば2011年の横浜トリエンナーレでは、美術館の使っていない展示用の台座やソファを使ってインスタレーションをつくっていましたし、東京国立近代美術館の2Fエレベーターホールで現在(注:講演会実施の2012年11月当時)見せている作品は、会場で使いきれなくて余ってしまった椅子類を積み上げてインスタレーションするというものです。
田中:ヴェネチア・ビエンナーレって、建築展/美術展と毎年交互に入れ替わっていくんですよね。言ってみれば消費のサイクルみたいなものある。それがイヤだなという気持ちがあって、別の道を示せないだろうかと思ったんです。だから建築関係者に新たにブースをつくってもらうよりは、日本館で実施した建築展の廃材を受け継いで、それをもとに何かをするっていうほうが問題提起になるんじゃないかと。
震災の問題を扱うと言っておきつつ、出てきた作品はこういうものか、と思っている人もいると思います。でも、僕自身がどのようにしてこの問題を扱えられるのかと考えたときに、ある種の抽象化、距離の取り方が鍵になると思ったんです。僕たち2人は震災が起きた当日に、ある隔たりを持って震災を経験していますが、そのことがもしかすると僕らなりのアプローチの仕方になるかもしれない。
蔵屋:震災や原発の問題をもっと直接的に扱った方が良いのではないか、という考え方は当然あると思います。でも、私や田中さんはその方法を取れないだろう、というのがひとつの出発点でした。
ただ先ほども申し上げたように、日本がビエンナーレで展示するにあたって震災についての発言がまったくないというのはありえない、というのも共通の理解です。
私たちのコンペ案が発表されたとき、当事者性が薄いのではないか、当事者ではないのに震災を語る権利があるのか、といったことが指摘されました。その意見は妥当なものだと思います。ただ、直接的に震災を経験していなくても、距離があったとしても、まぎれもなくそれが自分たちの問題であると受け止めるためにはどうすればよいのか、ということはきちんと考えてなければいけない。すべての人たちが、震災を巡る問題から排除されない論理を考えなければいけない。
せんだいメディアテークの企画・活動支援室長である甲斐賢治さんが、「である当事者」と「なる当事者」という表現があるとおっしゃっています。「なる当事者」とは、事後的に獲得する当事者性を指しています。震災後だとしても、自分の立場から状況に関わろうとすることで得られる当事者性があるはずだ、というのが甲斐さんの意見です。
おそらく、私たちがやりたいのはそういうことなのだと思います。田中さんが震災前からやってきたことを通して、つながっていけるだろうという確信を育てていきたいと思っています。
■ 協働から見えてくるものは?
田中:《ひとつの詩を5名の詩人が書き上げる(最初の試み)》に参加してくださった詩人の方が客席にいらっしゃっているので、話を聞いてみましょう。柏木麻里さん、何を感じたのかとか、お話くださいますか?
柏木:実際の体験と、田中さんに見せていただいた映像を比べると本当にたくさん思うところがありますね。素朴な言い方をすると、すごく動揺するというか。
普段は一緒に仕事をすることのない詩人という存在が、協働作業することの難しさと美しさっていう、田中さんがお考えになった輪が、まずありますよね。それに交差するように、言葉の問題という輪が一緒に回っているという感じがしたんです。
言葉とは、必ずモラルと責任が伴われるものです。べつに重たいことを書いていなくても、本当にこの言葉を言っていいのか、という判断を詩人は迫られる......もちろん、これは詩人に限ったことではないと思いますけれど。
ところが、1人で書いているときに背負う責任感とは、まったく違う背負い方をあの場、時間だけはできたという、不思議さがあります。自分ひとりであれば、ここまでは言えなかっただろう、とか。
これは私の個人的な考え方ですけれども、できあがった5人の詩を後から読んでみると、震災のことに関係ない詩にはなっていないように読めてしまう気がします。震災についての詩をつくるつもりはなかったのに、意識のなかにあるものが現れてしまっているような。
蔵屋:《5人のピアニスト〜》も《9人の美容師〜》も、職業上の共通基盤がありますよね。詩人の場合も「詩をつくる」という共通の基盤がある。でもいま私たちには、見えない共通の基盤がもうひとつあるような気がしています。やはり震災と原発のことです。
ここには可能性と同時に危うさもあると思います。可能性というのは、あるひとつの大きな状況に投げ込まれ、大勢が同じ問題に直面させられること。そこでは、普段はかかわりのない人たちとも、接触できる可能性が生まれます。
一方で危うさというと、「国家」とか「家」とか、ある集団性にすべて回収されてしまうかもしれないこと。その両方の側面が浮上してきて、だんだんと目に見えるようになっているのが現在だと思います。
■日本の美術とアートマーケット
会場からの質問者:震災直後と現在で、社会が共有していた空気感はだいぶ変わってしまいました。このような時間の経過のなかで、どのように田中さんの作品の構想が変わったのか、というのをもう少しお聞きしたいです。
田中:実は今日、放射線を測る線量計を買ったんです。ヨドバシカメラに行ったんですが、店員さんがどこに線量計を置いてあるかわかっていなかった。2011年の夏に帰国したときは、まだ計画停電が続いていた頃で、コンビニエンスストアが照明を消していたり、線量計が売られていたりして、あ、日本ではこういうものが電機量販店で売られるようになったんだ、ってビックリしたんです。僕は普段日本にいないので、細かい経過はわからないけれど、1年ぐらい経って状況は変わってきている。言ってみれば、僕も含めたそれぞれの人たちのなかに原発、震災に対する距離の違いが生まれている。
先日、水戸芸術館で「3・11とアーティスト: 進行形の記録」という展覧会(2012年10月13日〜12月9日)を見ました。震災から現在までのアーティストの作品を時系列に見せるという内容で、アーティストがどのような活動してきたのかを知ることができます。
最初の部屋には、震災があって原発が爆発した直後に発表された作品が展示されています。そこでは比較的「作品らしい」ものが並んでいるのですが、その後になるとボランティアに参加する作家たちが増えて、作品的なものが少し減るんです。そして後半に行くと、また作品ぽいものが増えてくるという。
ちょっと恐ろしい展示だと思いました。作家のエゴや良心も含めて、アーティストであるということが剥き出しにされちゃうというか。
蔵屋:第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展が始まる2013年6月は、さらに時間が経っています。私が田中さんの作品に期待しているのは、時間の経過に容易には影響されないことなのかもしれません。震災に対して直接言及していないことによってある抽象化が生まれ、作品が持つメッセージが長く伝わっていくのではないかと思うんです。
田中:それは必ずしもこの震災についてだけではない、と言っておいたほうがいいでしょう。災害や戦争......戦争もいつ起きるかわかりませんし、そういう特殊な状況というのは、今後も必ず起きるはずです。あらゆる出来事に対して、どういうふうに向き合っていくのかというのが、そもそもの自分のテーマでもあるんです。
逃げているように思われるかもしれないけれど、ある抽象性や迂回の方法によって、自分にも何かできるだろうと思います。
会場からの質問:ヴェネチア・ビエンナーレの消費のサイクルから距離を起きたいという話をされていましたが、もう少し詳しく伺えますか。
田中:ヴェネチア・ビエンナーレというのは、どちらかというとマーケットサイドで重視されるアーティストが多く取り上げられる可能性がある場所です。もちろん、ビエンナーレ内で開催されるさまざまな展示では異なる視座も用意されているのですが、やはり「アートのオリンピック」という言葉に象徴されるように、国の威信をかけた国際展という側面が強い。
言ってしまえば、審査員へプレゼンテーションする10分間で勝利を掴むアーティストが選ばれなきゃいけない場所です。ある種のインパクトがあり、一瞬で心を掴むような作品が評価されやすい。でも、僕はたった10分間のために自分の1年間を使いたくない。それとはまったく違うことをしようという意図を持って、いま臨んでいるという感じですね。
蔵屋:この巨匠が出れば、これは金獅子賞を獲るだろうみたいな予想や期待はもちろんあります。2009年のアメリカ館がブルース・ナウマンを選んで実際に金獅子賞を受賞していたりする。そういう動きは世界的に強くあるのですが日本館というのはちょっと異色で、商業主義の波に飲まれず、がんばって若手作家を出してきた歴史がある、と私は思っています。
60〜70年代の学生による社会運動が盛んな時期に開催した1968年のビエンナーレではボイコット騒ぎが相次ぎました。それは賞獲りレースや国別対抗という制度があまりに不透明すぎるだろう、という反乱の姿勢だったんですね。そのビエンナーレで、日本は高松次郎をはじめとした若い作家を選んだりしています。
現在、世界的に70年代の作家ブームが世界中で起きているので、例えばここで河原温さんが出たら、ひょっとすると......みたい期待がアート関係者にあると思うんですね。でも、あえてここで田中さんを選んでくださったことに、私は敬意を表しています。
田中さんは、消費から降りるために廃材を流用することを考えたりだとか、あるいは30分から1時間、場合によっては丸1日かけないと見切れない、そのなかで細かいニュアンスを伝えるような映像作品を出品する。それは、とても意義のあることだと思います。
田中:実際、2003年のスイス館でフィッシュリ&ヴァイスが展示をしたときには、1週間かかっても見きれないような作品を出していますよね。僕はどちらかと言えばそういう作品を引き継いでいきたいです。
(2012年11月1日(木)国際交流基金JFICホール〔さくら〕での講演を収録/編集:島貫 泰介、写真:相川 健一)
田中 功起(たなか・こおき)
1975年生まれ。現在ロサンゼルス在住。日常のシンプルな行為に潜む複数のコンテクストを視覚化/分節化するため、主に映像や写真、パフォーマンスなどの制作活動を行う。近作では、特殊な状況に直面する人びとが見せる無意識の振る舞いや反応を記録し、私たちが見過ごしている物事の、オルタナティブな側面を示そうとしている。主な展覧会に森美術館、パレ・ド・トーキョー(パリ)、台北ビエンナーレ2006、光州ビエンナーレ2008、アジア・ソサイエティ(ニューヨーク)、横浜トリエンナーレ2011、ヴィッテ・デ・ヴィズ(ロッテルダム)、イエルバ・ブエナ・センターフォー・ジ・アーツ(サンフランシスコ)などがある。2012年6月には「Made in L.A.」(ハマー美術館、ロサンゼルス)への参加が予定されている。
http://www.kktnk.com/alter/
蔵屋 美香(くらや・みか)
東京国立近代美術館美術課長。千葉大学大学院修了。主な企画に、「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」(2009年、東京国立近代美術館、三輪健仁と共同キュレーション)、「寝るひと・立つひと・もたれるひと」(2009年、同)、「いみありげなしみ」(2010年、同)、「路上」(2011年、同)、「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」(2011-12年、同)。主な論考に「麗子はどこにいる?―岸田劉生 1914-1918の肖像画」(『東京国立近代美術館 研究紀要』第14号、2010年)。