作家 中谷芙二子
キュレイター 難波祐子
<「初めてづくし」の展覧会>
ー:「呼吸する環礁」展はモルディブ初の現代美術展だそうですが、開催までの経緯を教えてください。
難波:モルディブは国土の大半が海抜約1メートルのため、地球温暖化の影響でいつか水没してしまう可能性があります。そうした事情もあって、東京駐在のモルディブ大使が、国際交流基金に「環境保護と、日本との文化交流をテーマにした展覧会を企画できないだろうか」とアプローチされたんです。
最初は海の写真を展示するような内容を大使はお考えだったかもしれないのですが、モルディブで本格的な現代美術の展覧会を開催するのは初めて、日本の美術作家を紹介するのも初めて、という「初めてづくし」だったので、みんなで挑戦しましょうと。それで国際交流基金から、私にキュレーションの依頼が来たわけです。
最初にモルディブに行ったのは去年の9月。会場になるモルディブ国立美術館で、現地キュレーターのマリヤム・ファジーラ・アブドゥル=サマッドさん、地元の作家たち、環境保護団体の皆さんにお会いして、展覧会の方針を決めました。
日本の作家が現地滞在し、それぞれの方法でリサーチして新作を制作する。さらにモルディブの作家にも参加してもらって、二国間の交流を図る。観光のように現地に行って作品を置いていく、というのではなくて、モルディブのいろんな環境を学び、交流しながらつくることを大事にしようと考えました。
ー:田口行弘さんや淀川テクニックなど、現地に行って作品をつくるタイプの作家が多く参加していますね。
難波:日本の美術を紹介するとしたら、平面作品だけではなく、インスタレーションや映像、テーマとして環境に関わるものだったり、なるべくバラエティーに富んだ内容にしたかったんですね。東京で帰国展をすることも決まっていましたから、砂絵アニメーションやパフォーマンスなどを手がけるアフ(本名はアフザル・シャーフュー・ハサン)と、写真家としてモルディブの島々の文化を記録しているミルゼロ(本名はアリ・ニシャン)にも参加していただきました。
それから、モルディブの人たちにとって初めての現代美術展になるので、コンセプト重視の作品ではなく、視覚的に分かりやすく、体験できるものを選ぶことも大切でした。難解さのせいで、現代美術に興味を持ってもらえないのは残念ですから。
もちろん、ある国・地域の文化を他国で紹介する際に、偏りなく選ぶにはどうしたらいいか、というのは90年代からずっと議論されてきたことなので、難しい問題ではありますが。
中谷:作家が現地に行って制作したのは正解でしたね。
キュレーターのファジーラさんに、これまでにも現代美術の展示をやったことはありますかと聞いたんですよ。そうしたら「作家は2人ぐらい紹介したけど、本人が来たことは一度もありません」と言っていました。それが、今度は日本から作家全員がやって来た(笑)。それがいちばんよかったなあと私は思うんですよね。
難波:全員に来ていただけましたからね。中谷さんには今年3月の展示本番の前、12月にも一度来ていただけたのが良かったです。作家同士の連携もうまくできました。
中谷:家族みたいでしたね。
難波:和気あいあいとして現場は楽しかったです。今回はとにかく初挑戦の事ばかりでしたから、国立美術館のスタッフには、例えばインスタレーションをつくる作家にはどんなサポートが必要なのか、などを伝えるところから始めました。毎日作家が現場に来て、あれはどこにあるんだ、どこに行ったら買えるんだ、といった要求をしてくることなんて、モルディブのスタッフにとって初めての体験だったはず。人と人とのコミュニケーションという意味では大変だったと思いますが、皆さんすごく頑張ってくださって。
中谷:ファジーラさんも、キュレーターとして難波さんから学ぶ事は多かった、とおっしゃっていました。
難波:彼女はまだ20代ですからね。私が9月に会ったときは、美術館に赴任して半年経ってなかったはずです。
中谷:でも、おかげで随分自信を持ったみたいです。最初はびっくりして作品に手も出せない感じでしたけれど、最後は「中谷さんの作品のメンテナンスを私がやってもいいですか?」と言われて、私の方が驚きました。
難波:閉会後の撤収作業も、設営の大混乱が嘘だったみたいにスムーズでした。現場に入ったら、撤収道具もしっかり準備されて。中谷さんの作品も木から外そうとしていて。手際が良くて頼もしかった(笑)。
<中谷芙二子作品を支えるものとは?>
中谷:私ね、ファジーラさんに「シャーマン」って呼ばれていたんですよ。
難波:「マスター・シャーマン」って呼んでいましたね(笑)。
中谷:霧の作品にとっては風がいのちなので、風がいちばん表情豊かに振舞ってくれるような環境条件を探してデータを採るんです。
今回の展示場所はサルタン・パークという美術館横の公園だったのですが、空間的にローカルな気象に限定されていたので「これは体感で風を測定するしかない」と思ったのです。それで公園内をぐるぐる回っていたんですね。風を感じながら。ファジーラさんは、それを見て「シャーマンみたいだ」と思ったのでしょう。(笑)
それにモルディブの人たちは霧を見た事がないですから。
難波:赤道直下で、一年の平均気温がだいたい30℃ですからね。
中谷:霧が出る環境じゃないんです。だから、みなさん驚いていました。出品作家の藤森照信さんから聞いた話ですけど、子どもが霧を帽子でつかまえようとしていたって。
ー:持って帰ろうとしたんでしょうか(笑)。
中谷:「雲を掴む話」というのは、こういうことなんだ...と。(笑)。モルディブの人たちは、本当に初めて霧を体験したんですよね。霧を媒介に、そういった行為のひとつひとつにも風土や環境が見えてくる。歴史も分る。それは子どもたちの感性が、新しいものに対して敏感に反応している証拠でもあるんですね。初めて見た霧を、蝶々のように、帽子でつかまえようとしたというのは。
ー:感性がフレッシュなんですね。
子どもたちに大人気の中谷さんの作品
中谷:私はアートをやっているつもりはないんです。アンチ・アート(反芸術)の世代ですから。
だから、人が喜んでくれるのがいちばん嬉しい。霧を体験した人たちの感性が、人それぞれになんらかのかたちで開かれていくような出会いがいちばん好きなんです。そういう意味ではモルディブの人たちに、私のほうが感動しました。
ー:難波さんは、中谷さんの作品をモルディブでぜひ展示したかったそうですね。
難波:はい。今回の展示は「環境」が大きなテーマになっていますが、プロパガンダ的にアートが使われることに抵抗があったんです。「環境」がテーマだったとしても、それをアートを通じて考える必然性がないといけません。ですから、科学的な視点をお持ちであるアーティストの中谷さんにお願いできたのは嬉しかったです。
でも、非常にお忙しいからどうなるだろうかと思ったんですよ。9月に決まって、12月にモルディブに視察に行って、3月が本番、というのがそもそも厳しいスケジュールですから。それで、おそるおそる「参加していただけますか?」って伺ったら......
中谷:もう「喜んで」ですよ!
難波:快諾していただいて(笑)。
中谷:「何を置いてもモルディブには行きたいです!」ってお伝えしました。
ー:モルディブにいらっしゃるのは、もちろん初めてですよね?
中谷:初めてです。陸つづきに広がる海と空。海を信頼して生きる島の生活。潮風も気持ち良かったです。シュノーケリングはしなかったけれど...。自然のあるがままを堪能しました。
さっき難波さんがおっしゃったように、私も環境問題に対する紋切り型の姿勢には疑問をもっています。
電力が足りないからみんなで節電しましょう、と電力会社が盛んに宣伝しているでしょう。電気も水もそうなんですけど、足りないからガマンして小さなパイを分け合おうという考え方は、愚かだと思うんです。それは、自分たちの生そのものを否定していくようなものだから。
自然ともっと創造的に関わる。そうすれば自然はもっと大きなものを返してくれる。足りないのは私たち人間の側のイマジネーションです。
「自然に優しく」とよく言われますが、そうしたアプローチでは、人間の側から、自然との関わりを断ってしまうことになる。野原に行って花も摘めないのでは、子どもたちから自然体験を奪っているようなものです。
難波:子どもたちも萎縮しちゃいますよね。
中谷:社会全般に、自然には触れてはいけない、という風潮がありますよね。私のテーマは、いかにして自然とふれあうかです。そのための作法が私の"アート"と言っても良い。
難波:中谷さんが扱うのは人工的な霧ですけど、水を使ってらっしゃいますよね。一般的なスモークマシーンとは異なる。
中谷:エフェクトとして使う霧には興味がありません。人間は飽きっぽいですから、霧がエフェクトとして使われ始めるとすぐに消費されてしまう。
私は、人がもうちょっと環境について考える、自然と対等に出会えるような状況をつくることに関心があります。ですから1992年に昭和記念公園子供の森に霧の森が完成するまでは、「霧の彫刻」は数えるほどしかつくっていません。
難波:近年、再開された直接のきっかけは何だったんですか?
中谷:2008年にビデオのギャラリー(ビデオギャラリーSCAN/東京)を閉めて、老後の楽しみにアートをやろうかな、と思ったんですよ(笑)。
そのタイミングでシンガポール・ビエンナーレのディレクターだった南條史生さんから出品の依頼があったんです。ちょうど同時期に、横浜トリエンナーレからも総合ディレクターの水沢勉さんが声をかけてくださった。
難波:横浜トリエンナーレの三渓園は素晴らしかったですよね。
中谷芙二子
《雨月物語ー懸崖の滝》2008
Photo:Fujiko Nakaya
中谷:外苑の奥にある東慶寺の辺りです。樹木や地形の影響で緩やかな乱流が起きていて、背後の崖からの下降気流と相俟って、なかなか良い感じに複雑だったので選びました。
やっぱり風が生き生きと振舞ってくれないと、自然のパフォーマンスを際立たせることができないですから。もし単調な風しか吹いていなかったら、私は地表を彫刻したり、木を植えたりして風を捉え、乱流を起こしたりもします。
一般的に中谷さんは「霧の彫刻家」として知られていますが、霧を生み出すために地形を選んだり、造園したり、ということも含めての彫刻行為なんですね。
中谷:そうです。私はそれを「ネガティブ彫刻」と呼んでいます。大気が鋳型になり、刻々に変化する気象条件によって霧はかたちを与えられるわけです。環境に手を加えたりするのは、自然の手助けをしているのです。
難波:光の具合も毎回違いますよね。
中谷:霧が動くので、太陽光線の入射も変化するんです。見えるものが見えなくなったり、半透明に透けて見えたり。霧があることで、光までが非常に雄弁になる。
ー:モルディブの人たちの反応はいかがでしたか?
難波:大人気でしたよ。子どもたちは霧のなかで踊りまくってましたね(笑)。
中谷さんの作品で踊りまくる子どもたち
中谷:私の作品は、子どもと犬にもてるんです(笑)。オーストラリアで展示した時は、犬が霧に出たり入ったりを繰り返しているんですよ。空気が乾いているから犬も気持ちいいのかしら。
難波:今回のサルタン・パークは、非常にオープンな場所だったので、ここをどういう風に料理していただけるかなあ、というのがすごい楽しみでもあって。思ったよりも広範囲に霧が広がるので、驚きました。
中谷:最初は、木から霧が滝のように降りてくる、雲が地上に降りてくるイメージだったんですけど、人が霧に浸り、肌に触れる感触も大事にしたかったので、地上にも霧ノズルを追加しました。
難波:会場の公園が、普段はあまり活用されていないというのをファジーラさんから聞いていたものですから。中谷さんの作品が話題になって、たくさんの人たちが会期中に訪れました。最初はオープニングの夜だけだった霧と光の共演(展示)は、大勢のリクエストを受けて、最終日にも行いました。
霧と光の共演
<人と土地のつながりが作品を生み出す>
ー:初めての現代美術展でいきなり霧が登場したりして、モルディブの皆さんはとても驚かれたのではないですか?
難波:霧は出るわ、館内には生きた鳥が飼われているわで(笑)。
ー:狩野哲郎さんの作品ですね。狩野さんは、鳥だけでなく、日用品や植物などを使って独自の生態系を構築するアーティストです。今回は現地の鳥を用意したのですか?
難波:「マイナ」というモルディブの鳥です。子どもたちに人気でしたね。美術館側が教育普及プログラムを頑張っていて、現地の小学生が見学によく来ていたので、「なんで鳥がいるの!?」なんて驚いていましたよ。普通、美術館で生きた鳥を見るとは思いませんから。
(左)狩野哲郎さんの作品、(右)モルディブの鳥「マイナ」
中谷:淀川テクニックさんの魚の作品は大人が喜んでいましたね。素材が自分たちが捨てたゴミだというのに気づいて。田口行弘さんも地元の人気者になっていました。
(左)淀川テクニックさんの作品、(右)ゴミを収集する淀川テクニックさん
難波:田口さんは参加作家のなかでもっとも長く、トータルで2か月間滞在していました。いろんな通りの看板や門など街中で目にする凹凸のあるものをフロッタージュの技法でこすり出して、作品化するんです。だからみんな「私が行っている小学校の校章だわ」とか「○○通りだわ」とか、気づくんですね。これが作品になるんだ、って見る人にとっても面白かったと思います。
モルディブのマレ本島は小さな島なので、田口さんは滞在中にすべての通りを把握していましたね。あちこちで作品をつくっている姿が目撃されて、町で噂になっていたみたい(笑)。今回ボランティアで助けてくれた現地の方も、じつは田口さんが紹介してくれたんです。
(左)田口行弘さんの作品、(右)フロッタージュの技法でこすり出す田口さん
藤森照信さんには、現地の素材を使って小さな住居をつくっていただいたのですが、ヤシの葉を葺いて屋根をつくるという伝統的な工法がマレ本島でも廃れつつあるので、別の島から職人の方に来ていただいてコラボレーションしました。
地元の人に関わっていただいた作品は非常に多かったです。人と人とのつながりが見えてくるのはモルディブならではですね。
(左)藤森照信さんの作品、(右)現地の職人とコラボレーションする藤森さん
中谷:「ガレージ」の皆さんにもお世話になりましたね。大統領官邸の車両や機械設備のメンテ担当の技術者たち。
難波:官邸が美術館の目と鼻の先なんです。そこで「ガレージ」の皆さんに協力していただいて、機材を貸していただいたりしました。ですから、大統領全面協力の展覧会なんです(笑)。
中谷:みなさんそれぞれがプロフェッショナルな方たちだったので素晴らしかったです。鳶職もいて、霧の設置時には、高い木の上にノズルを取り付けてくれました。凄く手際が良かった。
難波:最初はやっぱり作品の取り扱い方に慣れていないから不安でしたけど、作業が終わる頃には、すごく丁寧に扱ってくださいました。荒神明香さんのレンズの作品も慎重に扱ってくださったし、藤森さんの焼き杉も「誰がこんなにきれいに巻いたの!?」ってくらい美しく梱包されて戻ってきましたね(笑)。
荒神明香さんの作品
ー:お話を伺っていると、仮にアートの要素を取り払ったとしても、本当の意味で環境に息づいた展覧会だったようですね。
難波:生活環境であったり、文化環境であったり......環境という言葉の解釈をどこまで広げるかというのは難しいですが、それぞれの作家のやり方でモルディブの人たちや文化と関係を持った結果が、ひとつの展覧会になったのは成功だったと思います。準備中も会期中も、笑顔が多かったという印象がありますね。
中谷:準備中、毎日霧を見に来ていた子がいてね。10才か12才くらい。すごく一生懸命見ているから「あなたは将来科学者になるの? それともアーティストになるの?」って聞いたら、「科学者になりたい」と言っていました(笑)。
その子は、アートとして私の作品を見てはいなかったかもしれないけれど、不思議な自然現象に触れて別の可能性を発見してくれたのだと思います。「モルディヴの雲樹」から、自然科学者が生まれたら、もう本望です。
難波:そうですね。先日まで開催していた東京での帰国展では「モルディブの風を感じるような展示ですね」と言っている方がいて、良い雰囲気が海を超えて伝わったのかな、と思っています。ファジーラさんとモルディブ作家の2人も来日していただけて、日本での反応も感じてもらえたと思うので、良かったです。
Photo:Kenichi Aikawa
モルディブで初の大規模な現代美術展 3/20から開催
日本・モルディブ現代美術展の帰国展5/24から開催
モルディブで開催された日本・モルディブ現代美術展の記録映像(28分)を7/11に海外向け再放送・配信