等身大でイスラーム世界を理解するために

見市建 × 師岡カリーマ・エルサムニー



イスラームから考える』を上梓され、イスラーム世界をありのままにかつ鋭い洞察を込めて伝えてくれる人として注目を集める師岡カリーマ・エルサムニーさん。インドネシアのイスラーム運動を中心に東南アジア政治研究をされている見市建さん。お二人の対談は、日本におけるムスリムの受容の実際や、中東だけでは語ることのできない多様なイスラーム世界を知る、示唆に富んだものとなりました。


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師岡カリーマ・エルサムニーさん(左)、見市建さん(右)

■イスラームと日本をつなぐ

Islamic_World04.jpg 見市:師岡さんのエッセイ集『恋するアラブ人』と『イスラームから考える』を大学の授業で使わせていただいています。
 「海外地域研究」という授業で主に東南アジアの話をするのですが、イスラームに馴染みのない学生にはどうしてもイスラームの教義や義務についての話から始めざるを得ないんです。でも、礼拝を1日5回するとか、断食月があるなどと、一通り話をすると、「ああ、日本人でよかった」なんて反応があったりして、説明することでむしろ固定化されたイメージを取り払えないことがあるんです。そういう面で、師岡さんは日本とエジプトの両方をよくご存知で、さらに外から見る目もお持ちなので、いい教材として使っています。 white.jpg

Islamic_World05.jpg 師岡:ありがとうございます。私も大学で「アラブの芸術と文化」という授業を持っていて、やっぱりアラブの文化を学ぶためには、ある程度のイスラームの基礎知識が必要だということで、イスラームについて授業を3、4回してから、アラブの芸術の講義に入っていきます。イスラームの教義や戒律の話ももちろんするんですけど、私がこういう服装で話すと、「ああ、そんなもんか。日本と、大して違わないな」という印象を持ってもらえている気がしますね。
私が『イスラームから考える』という本を書いたきっかけは、風刺漫画事件(2005年9月にデンマークの日刊紙に掲載されたムハンマドの風刺漫画を巡り、イスラーム諸国の政府および国民の間で非難の声が上がり外交問題などに発展した事件)でした。もともと、イスラームに関する本を書くつもりはなかったのですが、結果として、イスラームに関する講演依頼が多くなり、「イスラームはこういう宗教です」、「こういう宗教ではありません」という、人々が持っているイスラームに関する偏見みたいなものを直そうとする、あるいはイスラームを弁護する、というような話をすることが多くなってしまいました。ムスリムという「当事者の視点」で話すことを期待されることがほとんどなのですが、私は、当事者でも他者でもなくて、その中間的あるいは別の特殊な立ち位置にいると考えています。でも、そういった視点を丁寧に伝えるのは本当に微妙で難しいです。
よく「日本人はイスラームを知らない」というふうに言われるけど、地理的・歴史的な距離を考えると、知らなくても仕方がないとも思います。現在においても、日本人がイスラームに対して間違ったイメージを持っているのであれば-西欧経由のバイアスのかかった情報に多く接してきたからと説明されることが多いですが-、イスラーム側にも説明努力が足りないという点で責任があると思うんです。


■広域、多様なイスラーム世界を複眼的に考えるために

Islamic_World06.jpg 見市:同じムスリム同士でも、違う国のムスリムに対して、勝手なイメージを持っていることもありますよね。例えば、インドネシアで『アヤット・アヤット・チンタ』(「愛の章句」の意)という、エジプトに留学したインドネシア人の男性主人公が女性にもてるがゆえに数々の困難に見舞われるという、はたからみると喜劇ですが大真面目な恋愛小説がベストセラーになり、2008年には映画化されてこちらも大ヒットしました。話の筋としては、主人公のインドネシア人留学生は、トルコ系ドイツ人女性と結婚したり、第2夫人としてコプト教徒からムスリムに改宗したエジプト人を迎えたりと荒唐無稽なのですが、インドネシアの大統領も涙したと報道されたり、マレーシアやシンガポールでも上映されるほどの人気でした。オシャレなイスラーム・ファッションがこの映画のウリだったのですが、私はアラブの美しさに対して東南アジアが持つ一種のオリエンタリズムを感じました。中東の女性と「対等に」恋愛をする一方で、エジプト人男性は家父長的で暴力的で反米という描かれ方をしていました。

師岡:エジプトで、コプト教徒がムスリムと結婚するために改宗するなんて、まずないですから、大騒ぎになっちゃいます。しかもエジプト男性がそんな描かれ方をしているなんて、エジプト人が観たら何て言うかしら・・・。

見市:中東の人々は普段ほとんど東南アジアのムスリムの存在を意識していないでしょうから、非常に奇異に映るでしょうね。ムスリムの世界が多様であることを知ることと同時に、ムスリム社会で起こることを、何でもかんでもすぐイスラームのせいだと決めつけたり、イスラームに結びつけて説明できると思い込まない姿勢も大事かと思います。イスラーム的だと思われている規範や伝統は、実は地域を超えてどの社会にもあるものだったり、日本社会の中にも共通点を見いだせることがあります。 

Islamic_World07.jpg 師岡:そうですね。よく見られるのは、イスラーム世界で起きた事象について、その原因をイスラームで説明しようとする人の大半は、ある1人のムスリムが何かをしたときに、それをイスラームで説明してしまう。もし10人のムスリムを集めたら、たとえ国籍が同じでも、この場合違う行動をするだろう、そういうケースなのに、1人の行動をイスラームで説明されたりすると、その乱暴な説明には、一般のムスリムはちょっと待ってくださいというふうに思ってしまうのです。
 例えば、大学で日本人学生に、アラブの小説を読ませるとき、ある登場人物がすごく意外な行動をすると、これはイスラームだからなのだろうというふうに考えるわけですよね。そこで教師としては、それを「そうではないと考えてみよう」、「なんでこの人はこういう行動をしたんだろう」と考えることを促すような授業を心掛けています。
 つまり、これは確かにイスラーム社会で起こった話なんだけれども、この主人公というのは実はすごくエキセントリックなのかもしれない。ムスリムだからやるんじゃなくて、ムスリムなのにこういう行動をするかもしれない、そういうふうに考えてみようというふうに授業を進めています。
分析することを職業にしている研究者やジャーナリストのような人でも、やっぱり自分が初めて見るような行動を目の当たりにすると、たとえ、事例が一つしかなくても、イスラーム的なんだと回収してしまうことがある。メディアの影響力は大きいですから、丁寧さを欠いた見方が拡大再生産されていく、それが問題なんだと思うんですよね。

見市:また、ムスリムの側でも、これがイスラームだというような説明の仕方をすることも結構ありますしね。

師岡:ありますよね。だから、ムスリムの責任ってすごく重大だと思うんですよ。例えば、ドストエフスキーの『悪霊』という小説の中で、「偉大な国家というのは、他の国家とは違う神を持たなければいけない」というふうに演説をぶっている場面がありますが、ムスリムの中にもそういうふうに考える人って多かれ少なかれいると思うんです。ウンマという言葉を使いますが、イスラームのウンマ(コミュニティ)のすごさを見せるとしたら、それは自分たちがいかに他と違うかということを強調しなければというような傾向は見られると思います。
 そのように違いを強調するムスリムがいる一方で、一般的に日本で暮らしているムスリムは、ここでの生活に満足していると思うんですよね。彼らに対する日本人の態度に対する文句もないと思います。


■日本におけるイスラーム世界、イスラーム世界における日本

見市:確かに、日本在住のインドネシア人のムスリムから、ムスリムとしての自分に対する日本人の態度とか考え方について、何か苦情を聞くことってあまりありませんね。

Islamic_World09.jpg 師岡:ですよね。アラブ人もすごく満足していますよ。例えば、日本人が食事に呼んでくれたら、「あなたはムスリムだから豚肉は使っていません」とか言ってくれるし、お酒を飲まないのも当然として受け止めてくれる。日本人一般にイスラームに対する偏見があるにしろ、ないにしろ、個々で付き合うときに、やっぱりムスリムにすごく気を遣ってくれているし、寛容であるというふうに、ムスリムは感じていると思いますね。
 だから、少し前まで、日本でイスラームに対する寛容を説く必要はない、日本人はもう十分寛容であるというふうに、私は言っていたのですが、最近、いくつかのケースを聞いて、そうではないかもしれないなと思うようになったんです。
 友人の日本人で、イスラームに改宗して、ベールを被っている女性がいます。彼女はインドネシア人の友人と一緒に上野のアメ横に買い物に行った時、二人ともベールを被っていたけれど、昔ながらの商店のおじさんがすごく親切に接してくれたそうです。最初、二人は英語で話していたんですが、買うものが決まったので、日本人の友人がおじさんに日本語で話しかけたら、「あんた、日本人なのか?」、「はい、そうです」って。「日本人なのに、なんでそんな格好をしているんだ?」ってすごく叱られたって言うんですね。
 イスラーム全体で考えたときに、やっぱり私が「いや、日本人はイスラームに対して寛容ですよ」と言うときは、日本人は私に外国人として接しているから寛容なのであって、実際にムスリムの日本人に聞くと、実はそうでもないということを言います。
 だから、これからはイスラーム世界と日本をつなぐというよりは、イスラームと日本をつなぐというか、そういう次元になってくるのかなと思いました。ムスリムが大多数を占める国を「イスラーム世界」とどうしても括ってしまいがちですけれども、イスラーム世界とそうじゃない世界があるわけじゃなくて、例えばインドはいわゆる「イスラーム世界」じゃないけれども、日本の人口よりも多いムスリムがいるわけですよね。だから、イスラームというのは、地理的に国境がある世界じゃないと思います。日本にもムスリムが暮らしていて、日本人のムスリムだっているわけですから。

Islamic_World08.jpg 見市:外国人のムスリムが日本で暮らしやすいと感じるとしたら、歴史的あるいは宗教的背景から、ムスリムだからという点でことさら脅威を感じる存在だと思われていないからかもしれません。西洋人がムスリムの存在によって自文化が荒らされるというような恐怖感は日本人は持っていなけれど、むしろ、最近で言えば、中国という国に対する苛立ちとか、中国人が日本国内に増えてくることに対しての感情的な反発が、それにあたるのかもしれません。2世、3世の人も結構増えてきているとは言え、よくも悪くも、やはり日本にいるムスリムは数として少ないから。もしかしたら、ムスリムがもっと増えたら違うようになってくるのかもしれませんけどね。
 とはいえ、日本においてイスラームの様々な面について知りたいという需要は結構増えているように思います。東南アジアの場合は、距離的に近いこともあって日本への関心や好感度は高いと思いますが、アラブの日本に対する視線はどうでしょうか。

師岡:アラブでは、今まで日本というと、経済大国、テクノロジー大国、あるいはすごく礼儀正しい勤勉な人々、見習わなきゃいけない日本人というイメージがありました。
 それはそれで表面的な見方でしたが、私はNHK WORLDのラジオ放送でアラブ人向けのアラビア語放送を担当していて、新しい見方が出てきていると感じます。
日本としてポップカルチャーの海外普及に力を入れているので、NHKのアラビア語放送でも日本のポップカルチャーの特集番組を作っています。例えば、キティちゃんを特集する回には、20分間ずっとキティちゃんの話をするわけですよ。あるいは、初音ミクとかね。私は自分の趣味で考えちゃって、最初、「こんなのやって、アラブ人に面白いかな」って懐疑的でした。けど、結果はすごく反響が大きかったんです。
 新世代のアラブ人、サウジアラビアとかアラビア湾岸地域の若者たちはすごく日本のポップカルチャーに興味を持っています。例えばゴスとかを聴いているだけじゃなく、自分にゴシックな名前もつけて、それでサインしてeメールを番組宛に送ってくるとか、日本のアニメに自分で吹き替えをつけてYouTubeに載せるとか。
 私は日本のポップカルチャーはアラブ人向けじゃないと思っていたんだけど、大きな間違いで、文化面でアラブの若者、特に湾岸地域の若者の目が日本に向いているんですよね。
社会においてマジョリティではないんだけど、アニメに代表されるような日本のポップカルチャーが本当に肌に合う人というのが、国を超えてどこにでもいるんだなというのが最近分かってきました。そういう意味では、ちゃんと日本に向いている目はあると思います。

見市:東南アジアでは日本のポップカルチャーがより浸透しているせいでしょうか、フェイスブックを見ていても、われわれの基準ではかなり宗教的に厳格だったり、欧米に強い反発心を表明する人のアイコンがドラえもんだったりする。師岡さんもエッセイのなかで「イスラーム vs. 西洋」といった単純な対立構造を否定して、「さまざまな文化から気に入ったものだけを取り入れて楽しんでいる若者たちの自分勝手なしなやかさを頼もしく思う」と書かれていますね。

師岡:本当ですよね。イスラームを何か特別な存在として考えて、ムスリムだから特別の気遣いが必要と考えるのではなく、同じ国の人間同士でも、付き合うにあたっては相手個人の性格や特性を考えて気遣いをみせる、そういう延長線上に、ムスリムとの付き合いが日本人にも自然なレベルになればいいなと思っています。


(2012年5月31日、国際交流基金で収録)

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撮影:相川健一






Islamic_World01.jpg 見市建
岩手県立大学総合政策学部准教授。神戸大学大学院国際協力研究科博士課程修了(博士論文は、2002年井植記念アジア太平洋研究奨励賞受賞)。著書に『インドネシア イスラーム主義のゆくえ』など。
ツイッター:https://twitter.com/#!/kenken31

wihte.jpg Islamic_World02.jpg 師岡カリーマ・エルサムニー
東京生まれ、カイロ育ち。カイロ大学およびロンドン大学卒業。獨協大学、慶應義塾大学で教鞭を執るほか、NHKワールド・ラジオ日本アラビア語放送キャスター。NHKテレビ「テレビでアラビア語」にも文化コーナーのゲストとして出演中。
著書に『アラビア語のかたち』、『恋するアラブ人』、『イスラームから考える』がある。




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