世界は揺らぎ、現実と幻想の境目も揺らいでいる ~日本文学の翻訳家たちと小説『風花』を語る

川上弘美(作家)
沼野充義(東京大学)



第2回Japanese Book Newsサロン

 海外の出版社、編集者、翻訳者に向けて日本の出版状況や出版物に関する情報を発信する英文ニュースレター、Japanese Book News(JBN) (国際交流基金発行)で紹介した作家と、翻訳者や将来翻訳をしたいと考えている方々とが作品について語り合う場、「Japanese Book News サロン 現代日本作家と語る」。 国際交流基金本部2階のJFICホールさくらにて開催されたその第2回では、作家の川上弘美さんと東京大学教授の沼野充義さんをお迎えし、JBN No.58 (2008年12月1日発行)で紹介した『風花』(集英社刊、2008年4月)を中心に、JFICに集った様々な国の翻訳者とともにお話をいただきました。

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◎原発事故後にデビュー作の
 『神様』を書き直した


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左:『神様2011』川上弘美著(出版社:講談社)
右:『神様』川上弘美著(出版社:中央公論新社)


沼野:まず最初に、川上さんの最近のお仕事、『神様2011』について触れたいと思います。福島第一原子力発電所事故のあとの日本の状況をふまえて、1994年のデビュー作『神様』に少し修正を加えたわけですが、その結果、世界ががらっと変わって見えるようになったという驚くべき作品です。デビューから『神様2011』が書かれた去年までの作家としてのキャリアが詰まっているといえます。そういう意味でも象徴的な作品だと思いました。

jbn2_02.jpg 川上:私は『神様』でデビューしました。400字詰め原稿用紙で10枚ほどのものすごく短い短編です。ご存知ない方のために簡単に説明すると、ある日、礼儀正しいくまが近所に越してきて、そのくまに川に行こうと誘われ、お弁当を食べて帰ってくるという、ただそれだけの話です。くまはマイノリティの象徴でもあるので、その悲しみはあるけれど、日常のすごく平和な話です。
 こうして私は小説を発表するようになったのですが、去年3月11日の震災があり、小説を書く手が止まってしまいました。私は特に日常のことを書く作家です。ところが、ここまで具体的にある世界が壊れてしまった。それも単に地震で壊れただけではなく、原子力発電所の事故によって、今までの日常とがらっと変わってしまったわけです。
 そのうえ、その日常の壊れかたは、同じ日本でも場所によって違う。東京では普通の生活が続いていて、福島、および東北地方ではまだまだ復興が進まない。
 自分はこれをどう捉えたらよいのだろうと思ったとき、一番最初の小説に書いた、ごくふつうに散歩に行く話に心が戻りました。今、もしこの小説を書くとしたら、どんな小説になるだろうかと考えました。
 まだ3月15日ごろで、福島1号機、3号機、4号機の建屋が爆発したり、冷却できなくなって、実際にはメルトダウンも起きていたわけです。
 普通に散歩に行く、普通に外に出ることが制限されてしまった。それも「出てはいけない」ではなくて、「注意しなさい」ということで、自分で選択しなければならない。
 文章は最初の『神様』とそんなに変わりません。例えば、くまは川で魚をとって、干して、「私」という主人公に「干し魚です」と言って、くれるのです。でも、その魚もセシウムによって汚染されているので、干した魚は食べないでくださいと言って、渡さざるをえない。

沼野:確かにテキストそのものは大きくかわっていません。多少、言葉が付けくわえられたり、変えられたり。それはまさに現実の世界と同じだなと思います。つまり、原発事故以後の我々は東京で暮らしていて、実際にはたいしてかわっていないわけです。18年前のデビュー作と2011年バージョンは、文章の量でいったら90%は同じですよね。

川上:はい、95%以上かもしれません。

沼野:だから、新しいバージョンはマイナーな改編にみえるのですが、がらっと変わった世界が非常に鮮やかに出ています。そこがすごくおもしろい。
『神様』はあまり外国語訳されていないとか。最近では、英訳がグランタ(注:God Bless You, 2011 Granta Magazine 所収)に出ましたね。

川上:ええ。

沼野:『神様』はロシア語訳があります。とても好きな作品なので、私が監修したアンソロジー(注:国際交流基金の出版による『「彼」と「彼女」』[イノストランカ社] 所収)の中に入れました。
 やはり神様というと、ヨーロッパではキリスト教の大文字で書く唯一神だから、読者はびっくりするところはあるかもしれないですね。くまの神様なんて少し日本的で、想像もつかないということかもしれません。ただ、この世界にはいろんな神様がいて、自然のなかで人間と共存して、恵みをあたえてくれる、そういう世界が感じられます。

川上:日本では竈の神様もいるし、お日様も「様」というくらいです。身の回りとか天候とかすべてに神様がいて、「言霊」のように言葉にも神様が宿っている。何か悪い言葉を言うとその通りになると考える。古来のアニミズムです。小さいころから悪いことをするとお天道様がみていますよとおばあさんに言われた。そのことをそのまま信じているわけではないのですが、それは体のなかのどこかにあるのですね。

沼野:自然と共存しながら、ある意味ではメルヘン的なのどかな世界だったところに原子力というあきらかに異質な別のこわい神さまが侵入してきた、そんな感じを受けます。ちょうど中沢新一さんもまさに原子力発電は一神教の原理だと別の文脈でおっしゃっていて、おもしろいなと思いました。



◎曖昧で揺らいでいる
 世界の中の「私」を描く


jbn2_03.jpg 沼野:ところで川上さんはもともと理科系のご出身なんですね。人気作家・川上弘美の愛読者のなかには、理科系のイメージと川上さんが結びつかない人もいると思うのですが、作家としての根っこに理科系の教養があるのかな、と思います。

川上:大学では生物学を学びました。ほんとは文系に行きたかったのですが、卒業論文が100枚だと聞き、そんなにかけないなあと(笑)。
 小説を書くときに思うのは、人間ってなんだろうということ。自分も含めた人間がたくさんいるとき、何が起こるんだろう。関係はどうなっているんだろうと、いつも考えながら書いています。それは文学的なアプローチで考えることもできるけれど、生物学は自然界の中で人間という生物、それからほかの動植物がどう関係しているのか、どんなシステムでつくられ、動いているのかというのを考えてみようという学問なので、ある意味では小説を書いている時のものの見方にも通じるものはありました。

沼野:有名になられる前はSFを書いたり、『NW-SF』という前衛的な雑誌にもかかわっていましたね。そういう出発点は、その後の川上さんとも関係があるのではないかと思います。
 作風の上で、例えば『風花』のように普通の人が登場する恋愛小説を書かれても、あまり幻想的な要素はありません。でもかなりの作品、特に初期のころは、現実と幻想の境界複雑にからみあって、あるいはとけてしまうような。それは単に科学というのではなく、初期の思弁的なSFといったものへの興味とつながってくるのかなと。

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『風花』川上弘美著(出版社:集英社)

川上:世界の見え方かなと思うのです。たくさんの人がいて、今、ここ、日本のこういう時間がある。それは安定した現実のように思えるけれども、ちょっと見方を変えると全然違う世界なんじゃないか。そういうようなことはいつも考えています。そのため、「私」というものの捉え方が、自分と日本の伝統的な文学観とでは違っているのかもしれないなと思います。  日本文学では、「私」をどうとらえるかが小説のテーマだったような気がするんです。でも、「私」はたいしたものじゃない、「私」は自然界のちっぽけな点であって、そこに自我があってもなくても世界は動いていくと、私は考えているんです。ただし、点だからどうでもいいものではなくて、点は点なりの何か視点をもっている。

沼野:その通りだと思います。日本のいわゆる純文学的な伝統は、「私」が最後の牙城になって、何も書けなくても、おもしろいアイデアがわかなくても、「私」に沈潜すれば文学的なものになる。川上さんは、そこは最初からふっ切れているかと思います。

川上:ええ。「私」はすごく曖昧というか、確固としたものではなく、揺らいでいます。だから、世界も「私」にとっては揺らいでいて、現実と幻想の境目も揺らいでいる。最初からそういう気持ちで書いてきたと思います。

沼野:そう言われてみると、『風花』の登場人物たちも揺らいでいて、どうも関係がはっきりしない。恋愛関係なのかどうか、よくわからない。でも、これは川上さんのかなり多くの作品に共通していますね。
 より多くの人が川上さんの名前を知るようになったのは『センセイの鞄』です。この小説も実は複雑なものが入っています。初老の先生と若い女性の淡い恋という次元で読んでしまうとずいぶん抜け落ちてしまう。先生がかなりの年配であることから、死の気配が漂っている。生と死の境がすごく曖昧で、その微妙な領域に踏み込んでいくような感覚がありますね。
 また、私が一番好きな作品のひとつに『真鶴』があります。あの作品は特に現実と幻想の境界がよくわからない。何か呼吸とか、微妙なものがいろいろ充満している作品なんですが、どうも主語がわからないとか、幽霊なのか本物なのかわからない。そういう雰囲気に満ちています。そういう意味では、川上さんの持ち味が最もよく出ている作品ではないでしょうか。

川上:ありがとうございます。

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左:『センセイの鞄』川上弘美著(出版社:文藝春秋)
右:『真鶴』川上弘美著(出版社:文藝春秋)




◎『風花』という題名を
 どう外国語に訳すか


jbn2_04.jpg 沼野:さて、今日はおもしろい試みとして、『風花』の一部を若い翻訳者たちに、英訳、韓国語訳、ロシア語訳を準備していただきました。訳してくださった方にコメントをお願いしたいのですが、まず一番大きな問題はタイトルでもある『風花』ですね。

川上:風花というのは、雪というほどは量のない、どこからか吹き飛ばされてきたような雪片がパラパラと降っている状態です。それが冬の最初の雪であることが多いのですね。

英語翻訳者:英語には一応、windflowersという言葉がありますが、ある珍しい毒のある花のことですから(アネモネ・ネモローサ、和名ヤブイチゲ)、この作品には当てはまりません。でも、実際にはこの花を知っている人はほとんどいないと思いますので、ここでは造語にしてsnow windflowersにしました。これをsnow does not fall、つまり落ちない雪と訳したら、風花の雰囲気が伝わらないと思います。

沼野:国際交流基金が発行している季刊誌『Japanese Book News』58号の紹介記事では、Whirling Snowflakesという訳になっていて、花という言葉はあえて避けています。

ロシア語翻訳者:いつも日本語の詩的なところをうらやましく思います。私は適切な訳ではないかもしれないですが、花と雪というイメージを結びつけて「花粉と雪」にしました。

沼野:「花粉」はロシア語では詩的なイメージがありますね。でも本当は花粉は小さすぎるかもしれません。

韓国語翻訳者:風花の漢字を韓国語でそのまま表記して「プンファ」とすると、風化の意味になってしまいます。「風の花」と訳すと今度は花の名前になってしまいます。文中のセリフで出てくるところに、「こういうふうに降り注ぐ雪を」といった表現を加えて雪をイメージさせる工夫をしました。

沼野:作品の中には、例えば「マコちゃん」という主人公の女性のおじさんが出てきますが、日本語では呼びかけで「ちゃん」とつける場合と呼び捨ての場合ではニュアンスが微妙に変わってきますね。これは訳せないのでしょうか。

英語翻訳者:訳注などをつければ大丈夫だろうとは思うのですが、繰り返し出てきたら、やはり自然ではありません。

沼野:主人公が「ゆりちゃん、離婚、したいの」と問いかけられるところがありますが、英訳では"Do you want it? A divorce?"としていて、「ゆりちゃん」という呼びかけはしません。普通は英語などでは、呼びかけを人の名前で行うことが多くて、逆に日本語の会話では少ないのですが、この場合は逆になっているところがおもしろい。

ロシア語翻訳者:私も「ちゃん」については迷ったのですが、一応つけてみました。「ちゃん」がついた形で、理解する人は少ないと思いますが、私は翻訳する際、日本語に負けてしまう方なので、ついロシア語訳にもつけてしまいます。

沼野:でも、いまロシア語の翻訳で「ちゃん」をつけるものが結構ありますね。

ポーランド語翻訳者:ポーランド語の翻訳では「さん」は割合多く出てきますが、「ちゃん」はそんなに出てこないので、読者はわからないと思います。ロシア語にもポーランド語にも指小形があり、それを選ぶこともできますが、「マコちゃん」のニュアンスは指小形では訳せないかなと思います。

沼野:指小形とは英語でdiminutiveといいますが、ヨーロッパ語では可愛らしいもの、小さいものを表現するときに語尾を変えて使います。秋田弁でいうと、「べこ」を「べこっこ」という、その類ですね。ロシア語やスラブ語は指小形をつくる文法的な形が発達しているので、名前で指小形がすぐできてしまいます。エカチェリーナという名前がカーチャや、カチューシャになって、カーチェンカになるという例ですね。

英語翻訳者B:英語の場合には、darling、dear、honeyなど、呼びかけの言葉は多いですね。日本語に訳すのは、どれも大変で困ってしまう言葉ですが、逆に英語に訳すときは名前の代わりにこうした呼びかけの言葉を使う手はあります。『風花』の主人公ののゆりとおじさんのマコという二人の仲は、ダーリンとは言えないでしょうが(笑)。

沼野:そこが問題で、川上さんの作品の特徴のひとつですね。ある意味では日本的な人間関係でもあるのですが、マコとのゆりは互いに惹かれているけれど、恋人なのかと言えばそうは言えない。

川上:おじさんとめいの関係ですので、恋人ではありえないけれど、曖昧な関係です。

韓国語翻訳者:韓国ではおじさんを名前で呼ぶのはまったくありえないです。人間関係として想像もできません。小説の中で揺れ動く関係を表すためには名前で呼ぶしかないかなと考え、私の訳ではそのままにしました。

川上:日本でもあまりないと思います。目上の人ですから。この二人は異常な関係というのもあって、「マコちゃん」としました。ちょっと異常なのですよ、この人たちは(笑)。

沼野:川上さんの作品の中で出てくると、それがある意味で親しい者になってくるので、あまり異常とも思えなくなってきます。そこが作品の力だと思います。



◎日本の小説としてではなく、
 一つの作品として読まれる時代へ


中国語翻訳者:中国の出版社はいつも私に「あなたは男性なので女性作家の作品には向いていない」と言います。それでお聞きしたいのですが、作者として訳者が男性、女性のこだわりはありますか。

川上:そうね。私、女ですけど男性性がすごくあるし。男性小説家の中にも女性性が多い人もいますので、両方みんなもっているかと思うので、どちらでも。『真鶴』の英訳はマイケル・エメリックさんですし、私の小説を好いてくれる方なら男性でも女性でもどちらでもいいと思います(笑)。

沼野:訳者と原作者の関係は人によってさまざまです。細かく筆者に質問する翻訳者もいて、著者のほうも細かく熱心に答える人もいれば、勝手に考えてくださいというタイプもいます。

川上:私は自分で書いたことも忘れちゃうので、「考えてください」の方ですね。

沼野:訳者と著者のやりとりが頻繁になると、そこで人間的に合わないと、うまくいかなくなることもあります。男性か女性かというよりも、人間的に近しいものがあるという人がよいのではないでしょうか。

川上:その通りです。それは作家と編集者との関係も一緒ですね。私の作品を訳したいとか、私と仕事したいという方は、たいてい私と心が近い人なのだと思います。
 日本語の作品の場合、英語とフランス語などの近い言語の間で訳すより、よほど手間もかかり、大変だと聞いています。それほど手間をかけて、訳したいという人にならいつでもお願いしたいという気持ちです。

沼野:例えばフランスでは、読者が川上さんの作品を読んだときに、どううけとめているんでしょうか。エキゾティックな東洋の作家、それとも、単に現代の作家の一人という感じでしょうか?

フランス語翻訳者:難しい質問ですね。批評や書評はありますが、読者層をつかんでいるかはわかりません。ひとつ言えることは、この前、『真鶴』はフランスで文庫本になりました。『センセイの鞄』は随分前に文庫本になっています。ベストセラーで100万部、200万部というのは夢見る数字ですが、私たちは何千部、1万部でもうれしい。

沼野:それはヨーロッパではすごい数ですね。

フランス語翻訳者:この作品の翻訳が出たら、次の作品とつながっていますし、それなりに読まれているということです。一部の読者層の間では、「最近の川上、読んだ?」という会話はあります。

沼野:今、日本文学は世界で広く読まれ始めていて、特にフランスでは現代日本文学の翻訳が進んでいると思います。川上さん以外にも、村上春樹さんはもちろん、小川洋子さんらの作品もたくさん出ています。それは日本のエキゾティックな文学、東洋の文学というジャンルではないのですね。

フランス語翻訳者:もはやそうではありません。現代文学の一部というか、文学の一部です。

川上:私の作品で訳されるのは『センセイの鞄』が一番多く、次は『真鶴』でしょうか。今度初めてタイから訳したいというオファーが来ました。若い女の人向けの雑誌に短編を2か月に1回書いた『ざらざら』という作品です。恋愛の話といった、リーダブルな作品が多いのですが、それを最初に訳したいと言うのですね。  エージェントの人とびっくりして「めずらしいですね」と言ったら、「我が国の読者が求めているのはこういう内容である」と聞いて、日本だからというのではなくて、恋愛の話を読みたいという人がそれを読み物として求めているのかなと思いました。
 日本的、エキゾティックというものではなくても、翻訳したいというのは、新鮮でした。もちろん、同じアジアだからということはきっとあるんでしょうけど。

沼野:翻訳は、大きな出版社がお金をかけて宣伝すれば売れることもあるかもしれないけれど、やはり一番の根本は、いい翻訳者がいて、その人が原作を本当に愛して、一生懸命翻訳することだと思います。今日は翻訳者や日本の専門家にも加わっていただき、話をするよい機会だった思います。長時間どうもありがとうございました。

(2012年1月24日、国際交流基金JFICホールさくらにて収録)





jbn2_11.jpg 川上弘美(かわかみ ひろみ)
作家。1958 年生まれ 1996 年『蛇を踏む』で芥川賞受賞。2001 年には『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞受賞。2007 年には、『真鶴』で、文部科学大臣賞受賞。2007 年夏から芥川賞選考委員を務める。

wihte.jpg treehouse11.jpg 沼野充義(ぬまのみつよし)
東京大学現代文芸論研究室教授。専門は、ポーランド、ロシア文学、翻訳者。現代日本文学にも関心が深く、文芸時評にも携わる。現在Japanese Book News 編集委員を務める。

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■『風 花』について
主人公ののゆりは 33 歳。結婚して 7 年目。ある日、匿名の電話によって夫(卓哉)の浮気 を知らされる・・・・。彼女自身も、優柔不断な夫も、共に離婚を考えながら、なかなか結論 が出せない・・・。何気ない日常の中で、色あせてゆく愛を描く長編恋愛小説。

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『風花』川上弘美著(出版社:集英社)
単行本: 288ページ
出版社:集英社(2008/4/4)
ISBN-978-4-08-771207-0
価格: 1,470円(税込)

文庫本: 312ページ
ISBN 978-4-08-746684-3
価格: 600円(税込)




■ 川上弘美さんの作品の外国語訳書籍については、国際交流基金本部のJFICライブラリーで 以下を所蔵しています。ぜひご利用ください。http://lib-opac.jpf.go.jp/mylimedio/search/search.do?mode=comp&keyword=kawakamiHiromi

■ 外国語に翻訳されている日本文学についての情報は、国際交流基金のウェブサイトから
ご覧いただけます。川上弘美さんの作品については、ロシア語、ドイツ語、フランス語、
英語、イタリア語、ポーランド語、オランダ語、スペイン語、カタロニア語、ポルトガル語の計40件が登録されています。ぜひ日本文学がどのように外国語に翻訳されているか
このデータベースから探してみてください。


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