社会・経済・文化、あらゆる面において「3.11」は時代の大きな転換点になりつつあります。この大震災が日本社会にどのような影響を与えていくのでしょうか。特に若者たちの動きや、クリエイティブな分野で活躍する人たちのアクションを通して、3.11後の社会・文化の変化とその背景について探ります。被災地仙台の出身で震災直後から積極的に発言している社会学者の宮台氏、東北大学大学院教授で直接震災を経験した建築批評家の五十嵐氏、そして被災地を何度も取材し、ソーシャルメディアとその中の若者の動きについて知見のあるメディアジャーナリストの津田氏に、それぞれの視点から震災から現在までの動きを分析していただき、これらの動きが将来的に日本の社会をどのように変える可能性があるのか語っていただきました。 震災後の状況を言語化することは誰にとっても容易ではありませんが、様々な視点から敢えて分析を試みることは今必要なことだと思い、議論をオープンなものとするため今回は公開収録という形を取りライブで中継いたしました。参加者からはこのような対話を半年後、1年後と定点観測的に行ってほしい、とのご意見も頂戴したので、「をちこち」は今後もこのような場を提供していこうと思います。 ※この鼎談は2011年5月26日に行われました。
五十嵐:今日は僕、五十嵐がモデレーターとして、「3.11後の若者の行動から社会、文化を考える」を議論したいと思います。まずは今回の東日本大震災を受けて、それぞれがどういう風に経験したのか、現場の大学などで若者に触れていらっしゃる経験から、若者は変わったのかについてお話いただければと思います。
大災害が起きると、その後の未来は二つに分岐する
宮台:僕は世田谷に住んでいて、八王子市の大学に通っています。今回の震災については大きな揺れはありましたけれども、その後の一番の懸念はやはり、原子力発電所から出る放射線を含んだ物質が、我々にどういった影響を与えるかということになりました。 それとは別に僕のゼミは「オープン・トゥー・オール」ということで、いろんな大学の学生が在籍しています。学生たちは、ボランティアとしてすぐに現地に飛んで、いろんな情報を僕にくれました。特に、物資の配給をめぐるトラブル、特に寺やその他の宗教系の避難所と、それ以外の避難所などの違いなどに注目し、かなり有用なデータが集まりました。
僕の最大の関心のひとつめは、日本社会特有の脆弱さが今回の震災で、どのように現れたのかということ。たとえば、今にいたっても、義援金はほとんど配られていないし、多くの避難所では配給物資の分配をめぐってトラブルが起こるために、全員分の配給物資が揃わないと配れないというケースが数多くあったようです。このような問題について、行政が批判されていますが、行政は平時や日常性を前提にしたシステムですから、こうした災害があった場合、どこの国であっても、行政ではない社会、たとえば共同体や宗教的な団体が、末端の分配を担当するのは当たり前なんです。行政を批判する場合ではないのに、われわれは行政を批判してしまう。そこにひとつの社会の弱点が現れていますね。一口で言えば、市場や行政といったシステムに依存しすぎて、システムがうまく機能しなくなったときに、共同体的な自治を貫徹できないという弱点が、非常に気になるポイントです。
もう一つは、今後おそらく十代の間で、今までのようにチャラチャラとした流行を追いかけるような時期ではない、これからは価値や規範、共同性が大切だといったようなアドヴォカシー(提唱)が展開すると思いますが、小林秀雄の言うところの「様々なる意匠」の一環として、これからは、チャラチャラとした流行を追わないのが流行だ、というように、「モード」または「ムード」の枠の中で、いろんな問題が処理されていくだろうと予想できます。これには良い面も悪い面もありますが、今後の復興、また震災後のサブカルチャーやポップカルチャーを見るうえで、「モード」や「ムード」の流れの中で何が起こるのかということにも興味があります。
もうひとつは、大震災のような大災害が起きると、その後の未来は二つに分岐する。いずれの方向でも、時計の回転が早まりますが、もともと衰退する可能性があった場所については、その傾向が早まって一挙に衰退していき、長期的な未来に希望のある場所については、一挙に古いものをスクラップして、新しいステージにどんどん進んでいくという二つの道に分かれます。 日本の場合、原発について言えば、再生可能エネルギーの導入など、おそらく何十年もかかるプロセスを、数年でやり遂げるチャンスが訪れている。街レベルで言っても、一挙に発展する場所もあるかもしれません。一方、限界集落化した場所においては、復旧を諦めなければいけない場所もいくつか出てくるだろうと思います。この三番目の関心については、我々が災害の後、衰退に向かうのか、災害を飛躍のための糧にできるのかという分岐が、ここしばらくの間、地域ごとの格差や日本全体の問題として現れるかと思います。
津田:僕は3.11には中野でのシンポジウムにいたところに地震が起きて、これは大変なことになると思いました。その後、2週間くらい、予定されていた仕事がほとんどなくなってしまった。東京にいて、現地に入りたいけど、行ってもできることはない。自分に出来ることを考えたとき、Twitterに流れてくる情報をみて、こういった非常事態にソーシャルメディアが本当に役に立つのか、試されていると思いました。僕ができることは情報と徹底的に向き合うことしかない。1週間、2週間、少なくとも原発が落ち着くまでは続けようと、1日2~3時間の睡眠で、ずっと情報と向き合ってみました。それだけネットを見ていて、若者の行動が変わったのかというと、正直、僕もよくわからないんですよね。ただ、若者は不安感のようなものを共有している。たとえばこんな状況でも、就職活動はまだ大学生にとって非常に大きな関心事で、悩んでいる大学生が増えている。たとえば東京に就職をしたい関西の学生が親に強く反対されたり、東京で働いてる若い人に対して、西日本の人が帰省を勧めるようなことが起きています。特に東京の金町浄水場から(放射性物質の)高い値が出たときに空気が変わった。「戻ってきたら?疎開したら?」ということを親から言われたり、自分は東京で働きたいが親が許してくれないというように、板挟みになっているという悩みを聞きます。これは主体的に決められる問題でもないし、「東京で働きたいけど、原発が怖い。どうしましょう?」と言われても、安易に結論を出せる問題でもないので、難しいなと思いながら聞いています。
現象面で個々に見ていくと、若者の文化で以前なら起きなかったことが起きている。たとえば今ようやく全国各地で反原発運動、脱原発運動のデモが起き始めましたよね。今までのデモというと、シュプレヒコールが起きるような昔ながらのイメージだったのが、この前の高円寺のデモでは1万4千人くらいが集まって、ロックフェスみたいな形で若者が騒ぐという現象が起きました。もちろん騒ぐことについて、また方法論についての是非の議論はあると思います。ただデモを主催していた松本哉さんという方は、高円寺でいろいろなことを企画してきた人ですが、震災以前には1万4千人を集めるような大衆性はもたなかった。ミュージシャンの斉藤和義が「ずっと好きだった」という自分のシングルの替え歌にしてYouTubeで歌った「ずっと嘘だった」という、ストレートな反原発ソングがあります。リリースされずにYouTubeだけにアップされ、ソーシャルメディアで広まった曲が、現実のデモの場で、自然に歌われるという現象を見て、以前だったら考えられなかったことが起きてると思いました。
あと明確に変わっているのが若い女性です。子供をもつ若い女性たちがネットで原発周りの情報を集めるようになった。東京でもそうですし、福島に近づくほどその傾向がある。たとえば上杉隆さんや岩上安身さんのように、これまで若い女性とは一番接点がなかった硬派なジャーナリストたちの知名度が、今、子供を持つ女性の間で急速に上がっている。岩上さんがネットで配信している東電の会見などにリアリティがあるのでしょう。たとえば大手マスコミに勤める夫を持つ女性が、夫が所属するメディアの報道を信用しないで、岩上安身さんのUstreamを見るというように、かつてだったら考えられないようなことが起きている。それだけ今、自分の身は自分で守るしかない、自分の身を守る情報はネットにはあるようだ、と感じる若いお母さんが増えているということは、これまでなかった現象として注目しています。
もう少し身近なところだと、この前、東京の統一地方選挙がありましたが、僕が住んでいる杉並区でも原発がテーマになって、以前なら勝たなかっただろう若い候補者が、反原発を提唱して当選した。もうひとつ象徴的なのは世田谷区長選です。宮台さんが推薦人になっていましたが、まさか保坂展人さんが区長になるとは僕も思わなかった。健闘するとは思っていましたが。世田谷区という民度が高い、ある種特殊な地域で、保坂さんが選ばれるということからも、静かに、かつて起きなかったことが進行していることがわかると思います。
そういうなかで、今興味を持ち、きちんと調べなければと思っているのが、ニュージーランドの事例です。ニュージーランドでも今回の東日本大震災の前に大きな地震が起きて、甚大な被害を受けたのですが、若者たちが自発的にネットを中心にまとまる動きがあった。ニュージーランドにあるカンタベリー大学の学生がUC・スチューデント・アーミーという名前で、Facebookでボランティアを組織し、学生を数千人単位で集めて、マップ作りや復興支援や物資の配給をまとめたんですね。学生の組織が立ち上がったことに対して、大学OBが、活動の場所やコンピュータ、運営資金を提供するというようなことも起きて、復興や救援活動に役に立ったらしいのです。そして落ち着いたときに、ボランティア組織の若いリーダーが、選挙に立候補して当選した。日本でも若者がらみの現象面で、かつてだったら起きなかったことが徐々に起きるなかで、このようなミニマムの成功例がどう最大化するかに興味があります。また、原発問題を機にして、以前だったら友達同士の間でもできなかった、政治や原発の話ができるようになってきた。そういう意味で、これからどこまで政治の話題をオープンにして、興味を広げ、そこにネットがどれだけ介在していけるのか。震災以降、徐々に落ち着きが見え始めて、次の段階を見たときに、考えているポイントです。
五十嵐:僕の話も簡単にすると、震災があったときは、関東にいて、やはりトークイベントが中断になりました。しかし、むしろ僕にとって忘れがたいのは、職場がなくなる経験をしたこと。東北大学の、僕の属する建築棟の建物が、倒壊の恐れありという判定を受け、立ち入り禁止になった。それで教室も研究室も失って、人生にこういうことが起こりうるのだと感じる体験をしました。とはいえ家が流されたわけではないのである意味、微妙な立場といえます。と考えると、仙台は、同じように、被害の度合いでいうと、微妙な位置付けなのかもしれません。東京と仙台を往復していると、温度差を感じます。たとえば原発の話は東京ではホットだけれども、仙台や東北の他の地域では、それどころではないので、原発の話題は出てこない。そういう意味で、僕は中途半端な立場にいます。
一方で、学生たちは、3.11で自明だと思っていたことが自明じゃないという経験をしたと思います。仙台でも中心部は被害は比較的小さかったけれども、最初の一週間くらいはサバイバルが求められた。東京のコンビニの物が少ないという状態とは比べものにならないような状態でした。当たり前だと思ってきたインフラが、自明じゃなかったときにどうサバイブするのか、ということを経験したことは、おそらく今後、何らかの形で現れてくると思います。
実際うちの大学でも、当たり前のようにあった教育の箱がなくなったときに、教育の場をどう維持するのかといったら、空いている部屋を借りたり、街の中でゼミをやったり、あるいは疎開プログラムを組んで、それぞれの実家の近くの大学に学生を預かってもらったり、普段やらないようなことをやって急場を凌ぐわけです。そういったことを、考えざるをえないという状況なんです。 お二人は人間を観察していらっしゃると思うんですが、僕自身はもともと建築の歴史の出身なので、被災地でも、どちらかというと建物の壊れ方ばかりを見ています。今、まだ震災が起きて2ヶ月強なので、日本中が同じことを考え、多くの人が同じ課題を共有できるという状態です。しかし2年、3年、5年、10年、30年経ったときに、どう忘れ去られるか、そして50年、100年でどう記憶として定着することができるのか、ということに興味があります。今回の被災地の中には、去年うちのゼミ合宿で回った場所があったんですね。石巻や大船渡の現代建築を見に行ったのですが、かつてそこに津波が起きたいうことを、なんとなく心の片隅では知っていても、それについてなんの危機意識もなかった。そもそも街の中に津波そのものの痕跡、記憶がないんです。前の津波からすでに半世紀経ってることもありますが、それなら50年、100年経っても、記憶が消えない文化のあり方が可能なのか。そして建築に関して言うと、女川を見たときは、正直、建築や土木では防御不可能な場所があるんだ、と思いました。どんなに頑張っても防御できない。堤防を高くしたり、建築物というハード面で勝つというレベルの話ではないと思いました。
津田:女川は本当にすごいですよね。被災地はどこもひどくて、言葉を失う光景ばかりですが、女川は廃墟感が半端じゃない。人が生活している匂いが全く感じられない。なぜ女川だけあれほど独特な風景になったのでしょう?
五十嵐:普通、木造の家屋が流されて、コンクリートの建物は残るという被災地の風景は、概ね共有する部分があるのですが、女川はコンクリートや鉄骨の建物が多いんです。しかもそれが、根こそぎ基礎から持ち上げられて、たとえば4階建てのコンクリートの建物が流されて移動するというようなことが、現実に起きた。今回の報道で津波の怖い風景として定着している、木造の家屋が流される風景を超越しました。
津田氏がこの鼎談当日まで取材していた被災地の写真記録Flickrより
ハードとソフトとの関係性が明暗を分けた
宮台:今、五十嵐さんがハードとソフトの話を出しましたが、片田敏孝さんという災害アドバイザーの方がいます。釜石では片田さんが関わった小学校や中学校の生徒は、母親が連れ帰った一人を除いてほぼ全員助かったんですね。今五十嵐さんがおっしゃったように、ハードは、一定の枠の中で想定をして作るもの。自然災害は多くの場合、想定を超える。ハードに依存して、ソフトをないがしろにしたところは、例えば宮古市田老地区のように全滅に近い状態になった。田老地区では、10メートル級の堤防を2重に作ったかわりに、避難訓練が十分でなかった。堤防というハードに依存したからです。一方、釜石には5メートル以下の堤防しかなかったので、どう避難するかが常に議題になってきて、だから片田さんが関わることができた。ハードに依存しない分、想定外のことが起きた場合には、行政の想定に従わず、「津波てんでんこ」に、つまり独自の判断でバラバラに逃げろということ、つまりソフト面を繰り返し教えてきて、それが成功した。ここにひとつ、ハードに依存することの問題が現れている。 津田さんがニュージーランドの例を出して、日本にも新しい動きが生じているように見えるとおっしゃいましたが、あえてネガティブに言うと、これはせいぜいレベッカ・ソルニットの言うところの「災害ユートピア」、つまりシステムに依存できないから、仕方なく何かで埋め合わせするという新しい動きが生じただけであって、結局これは、本質的には新しいことではないという可能性があると思う。たとえば日本で生じた特殊な出来事をいくつか見てみればわかります。政府のガバナンスの問題点が露呈しました。同じように先ほど津田さんが指摘したように、日本のメディアも政府や東電の言うことをそのまま流すタイプの「思考停止安全メディア」になった。実際、僕の住んでる世田谷や、隣接の目黒では、小学校や幼稚園のレベルだと約半数は疎開をしていていました。僕も震災直後は津田さんと同じように2週間ぐらいtweetを集中的にしたけれど、津田さんや僕のTweetを見ている人が実は沢山いて、この人たちの多くは子供たちを疎開させました。この人たちは、当然のことながら、マスコミの言うことを信じていなかったということで、そういう意味でいえば、佐々木俊尚さんの言う「2011年マスコミ崩壊」が、今回の震災のおかげで現実化したわけですね。
五十嵐:色々な事の前倒しというか、現実化が早まりましたよね。
宮台:しかしインターネットはパラダイスかと言うと、そうではなかった。たとえば安全と安心は違います。安全は危険という概念と対だけれども、安全か危険かってのは相対的なもの。つまり安全と危険は、ダイコトミー(二項対立)にはならない。何事にも、そこそこ危険でそこそこ安全という共通項があります。
ところが、安心というのは五十嵐さんもおっしゃったとおり、自明性なんです。日本の場合、原発についてのコミュニケーションが典型例で、安心か安心じゃないかを軸に、安全厨か危険厨かの分割が生じて、結局津田さんや僕のように、政府や東電の言うことを信じているととんでもないことになる、自分で情報を精査して、是々非々で問題を判断せよ、との意見に対して、「煽るのか!」と、つまり「枝野官房長官の言うことを信じろ」というようなtweetが、初期の少なくとも10日間くらいの間溢れたわけです。
2週間くらい経って、僕らがずっと言っていた「最悪のシナリオ」が現実化しつつある、現実化したということをNHKが報じた段階で、その手のtweetはほとんど消えたけれども、そこにも僕たちが自明性に完全に依存しているという、悪い心の習慣が非常に明るみになったと思います。この人たちにとっては、とにかく安心か安心じゃないかっていう二項図式しかないので、危険率をそこそこ下げるための合理的かつ妥当な政策についての議論が、ほとんどできない。
実際、例えば新しい安全に関するテクノロジーが登場しても導入できない、非常用電源の位置を変えることすらできない、という事態が起きています。なぜなら、原発絶対安心神話のもとで、絶対安心と言ってきたから。こういう馬鹿げたことが生じているわけですね。
こういう悪しき心の習慣を、今回の震災で変えることが出来るかどうか、結論的には、否定的にならざるを得ないんですね。しかし、こういう悪い心の習慣を持ったまま、被害やネガティブな影響を少なくするために、どうマネジメントしていけるかということだと思うんですね。
津田:今日、某研究会で東北の地区のメディア接触調査の結果を見たのですが、60代が触れるメディアは新聞とテレビが圧倒的なんですね。メディア接触に圧倒的に変化があったのが20代の若者で、NHKを見る層が圧倒的に増えたり、新聞も増加傾向にあります。逆に一番意外だった点は、その東北の地区の20代の若者のネット動画視聴が減っていること。僕もメディアでいうと、ニコニコ動画、Ustreamも含めて、マスメディアとは違う、新しいオルタナティブな報道もやっていた。僕が価値のあると思うのは会見の中継です。今、東電の統合会見は3時間とか4時間にわたりますから、たとえばNHKがそれをすべて生中継することはできない。けれどネットのアーカイブであれば最初から最後までを好きなときに見ることができる。すべてを継続的に見ることで、政府の言ってることでもここは妥当性がありそうだ、ここは怪しいということがわかるようになっていくと思う。しかし東北の人たちや若者の間で、新聞やテレビの接触率が上がったっていうのが・・・
五十嵐:やはり地方紙の存在感や意味はありますね。たとえば地震の前はあまり読んでなかった河北新報ですが、こういうことがあると、地元メディアは現場の情報に強く、意味を持ちます。
津田:現実感がありますよね。福島でも地元紙は、一面のトップに細かいモニタリングポイントの放射線量を全部出しますから。本来だったらそれが一番知りたい情報なのに、朝日ドットコムのトップをみても、それは常に表示されていない。欲しい情報を、うまく提供するローカルメディアが新しく再定義されたのかなと思いますね。
五十嵐:テレビの画面ひとつとっても東京は今もう常時に戻ってますけども、東北では救援関連の情報が欄外にずっと出ている。みんながネットで情報を集めているわけではないので、いまだにそれはひとつの重要なソースです。 またよりローカルなメディアとしては、震災直後の避難所では、壁に手書きの紙を張った壁新聞のようなものが、大量に溢れていた。
宮台:福島、あるいは東北の多くの地域では、安心などと言ってはいられない状況があるからこそ、リアルタイムで放射線のモニタリングをすることができるわけです。ところが、東京では、まだ絶対安心というイメージにすがることができる。そしてそういう場所から情報を発信するマスコミが、政府の「直ちに健康に影響のあるものではない」という発表をただ繰り返す。これは、枝野官房長官の発言の履歴をたどらずとも、そもそも論理的にでたらめですよね。今すぐに健康に障害が出るものを「毒」といいますが、「有毒物質」と呼ばれるものはすべて晩発性です。たとえばアスベストで肺に障害が出るのは30年後です。放射線を浴びてガンになるのも何十年か経ってからです。広島原爆のあとの白血病の増加も、60年経っていまだに話題になっている。すべて晩発性ですよね。今すぐ健康に影響がなければいいというメッセージを流すことに意味はまったくない。有毒物質であるかどうかは、晩発性、つまり、直ちに影響がなくとも、どんな悪い影響が将来ありうるのか、という問題なのです。
津田:今はようやく知れ渡るようになりましたが、南相馬のような地域では、原発が水素爆発を起こした15日、16日あたりから、大手のメディア、テレビ、新聞の社員に退避命令がでた。局や新聞社によって違うのですが、おおむね40~50キロ以内に入るなというお達しがでたようです。もちろん、休暇をとった記者が入ったりもありましたが、常駐取材ができなくなった。民放の報道部にいる人は、退避命令がでているので、奥さんや子供は早々と関西に疎開させていたり。僕はそれ自体は問題ないと思うんですよ。でも40キロなり50キロなりの退避命令を出しながらの報道であることをなぜ明らかにしないのかを疑問に思いましたね。
宮台:論理的に矛盾があるんですよね。どこを避難地域にするか、これはすべて、リアルタイムな放射線のモニタリングの結果決めることであって、同心円には意味がないんです。軍事的な観点では、爆発的な事件が起こった時に、大混乱をきたさずに避難できる最低限の距離を測って、同心円を引きます。ですから、政府が同心円情報を出しているということは、爆発的な事態がありうるという想定をアナウンスしているのと同じなんですね。ところが枝野さんは、「事態は沈静化しつつある。とはいえ子細のことはよくわからない」といいながら、爆発的な事態を想定した同心円的避難勧告を出す。同心円情報を出している段階でおかしいんですよ。なぜ放射線の被害を同心円で想定するのか?放射線の被害は、雲で運ばれたものが雨で運ばれるなどして、どこが高い放射線量になっているのか、というリアルタイムのモニタリングによって決定するしかないんです。
津田:若者の行動という今回のテーマから原発にずれてしまいましたが、南相馬の市役所の人によると、記者クラブが早々にいなくなって、最初に戻ってきたのはやはり地元紙だったようです。また地元紙は常駐して報道するようになったようですが、大手は来ない。大手メディアの人に話をきくと、特にテレビの人には「絵にならないから入らない」というようなことを言うような人もいて、ショックを受けました。そんなとき、南相馬のように、今、ある意味メディアから見捨てられ、原発の50キロ圏内にまだ生活があるという場所で、ネットを使って、オルタナティブなメディアを立ち上げ、マスメディアが報じない情報を地元紙とは違う形で発信するメディアをやろうという若者たちが出てこないことが、とても気になるんです。Twitterなどを使う個人はいるのだろうけれど、大きなメディアにはなってない。
五十嵐:原発のエリアで、市町村の長が発信したケースがありましたよね?
津田:南相馬の市長ですね。世界的に話題になって、Time誌の選ぶ「今年の100人」にも選ばれた。でもよくよく話を聞いてみると、南相馬市長がYoutube で世界に呼びかける、という形でインタビューを受けたのではなく、ネット系の人がインタビューに出向き、南相馬の人達もITリテラシーがそれほど高くなかったために、テレビのインタビューに応えたと思ったものがYoutubeに流されていた。あまりの反響に、それ以来ネット・メディアのインタビューには慎重になっているようです。でもそれはもったいないことだと思います。あのインタビューがあって、Time誌の100人に選ばれたということの意味や文脈を正確に行政が理解していれば、それをきっかけとして新しいネットメディアなどを立ち上げることも可能だった。やはりネットの爆発的なアクセスがあって怖がってしまっているのが象徴的です。
日常概念を変える必要性。「依存」から「自立」へ
五十嵐:宮台さんがさっき言ったように、同心円はきわめて観念的なモデルだけれど、実際には、津波でやられた被災地が地形や環境によってすべて違うように、実際には風向きや地形などによって微差があります。一方で東京でも、最初は疎開していた人が、新学期がはじまって戻ってくる。最初は一生懸命ネットをみて何が本当か調べていても、だんだん疲れてくるわけです。疲れて頭が麻痺すると思考停止に戻る人もいると思うんですよ。例えば宮台さんがかつて言っていた「終わりなき日常」というものが、いったん3.11で切れたかもしれないけれど、また別の意味でキリキリと精神を追いつめる日常と非日常との間をさまようような終わりなき状態に耐えていかないといけないのでしょうか。
宮台:日常概念を変える必要があります。依存から自立へ。とりわけ日本では宗教的なアソシエーションに頼ることが難しい。そのため共同体の自治が大切になる。共同体のつながり、絆、糊となるボンデージが何なのか、という疑問に対する答えは色々あり得ます。血縁でもありうるし、職場における縁、ネット縁でもありうる。日本の場合、実は地震とは関係なくこれまでほとんどの縁がズタズタになってきた。これさえあれば共同体自治を完結できるという決定的な絆の原理がないのです。ですから、ありとあらゆるものを試行錯誤的に利用していくしかないと思うのですが、五十嵐さんのおっしゃるように、今までの日常というのは「依存」なんです。つまり「安心」の上に成り立ってきたので、安心できないとわかった瞬間に、思考停止に陥ってしまう。「安心」の上ではなく、相対的な安全と危険の上で、いざとなったらシステムが断ち切られた状態で自治を行う準備をすることが重要です。世田谷、目黒の人達が大勢子供を疎開させた、その背後には、彼らにはソーシャルキャピタル(社会関係資本)がある人が多いということがある。それがとても印象的で、実際、「宮台や津田のTweetはデマだ!」といっている若い人達の多くはもしかしたら、社会関係資本を持たずに、僕らのTweetの一部が本当だと思っても、疎開をしたりさせたりが出来ないから、認知的整合性理論でいうように、結局、自分自身の変えられない属性によって自分の認知の枠組みを変えた、という可能性もあるわけです。自明性の上に乗って生きている人は、基本的に何ごともそのように認知しがちだと昔から知られていることですから。その自明性と日常性を同一視してしまうような、つまり日常を自明性で覆いつくしてしまうようなそういう態度はやめた方がいいということですね。
津田:ソーシャルキャピタルといえば、東北の避難所などでは特に目立った混乱もなく、それなりにうまくやっていけているのは、元々ローカルのコミュニティの結びつきが強いから。僕が今回5日間取材してきた地域でも、元禄時代から続いていて、そこの子孫以外には入れないというコミュニティが中心になって復興プランを立てているというような、驚くべき話も結構あったのですが、そういう東北ならではのローカルコミュニティというのは、今宮台さんがおっしゃったようなソーシャルコミュニティみたいなものとはイコールなのでしょうか?
宮台:それはソーシャルキャピタルの一種なのですが、「講」ですよね。たとえば「頼母子講」は全国にあるわけだけれども、この手の古いネットワークは多くの場合非常に閉鎖的です。僕はよく「消防団ネットワーク」という言葉を使いますが、「講」のネットワークとだいたい同じで、つまり中学生OBネットワークと同じです。とすると、地元の繋がりだけれども、新住民は入れないので、新しくバイパスが開発されたり工業団地ができたりすると、新住民と旧住民との完全な分離(ディビジョン)が起きて、それがたとえば学校でのいじめを引き起こしたり、災害が起きた時に、誰が誰を助けるのかということをめぐって差別が生じたりする。「講」のネットワークをどれだけ開放的なものにしていくのかが大事で、例えば、僕らの住んでいる世田谷は、23区の中でも旧住民のネットワークが非常に強いところなんですよね。
宮台:しかし、世田谷区のごく一部では旧住民の中の有力者が非常に意識的に包摂的で開放的なやり方をしようとするので非常に地域性が高い。世田谷の代沢地区、目黒区では大岡山地区は、旧住民の包摂性が非常に高い地区として知られています。そういう意味でいうと、旧住民の有力者がいつまでも閉鎖的であったら、将来を見渡したときに地域の沈下を招く。新しい活力を導入して、今までになかった知恵を利用していくためにも、新住民にもネットワークに入ってきてもらい、新しい絆をつくっていこうという風に呼びかけることが必要だと思います。
津田:3.11でひとつ期待をするのであれば、今、宮台さんがおっしゃったような、地域のリーダー格になるような人、これからの復興を担っていく若者が登場して、世代交代ができることですね。ニュージーランドのようなことが起こると面白いのかなとおもいますけれども。
■続きはこちら - 3.11後の若者の行動から社会・文化を考える【後半】
宮台真司(みやだいしんじ) 社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。1959年仙台市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。著書「日本の難点」、共著「原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治にむけて」他
五十嵐 太郎(いがらし たろう)建築史・建築批評家。東北大学大学院工学研究科 教授 1967年 フランス・パリ生まれ。著書「見えない震災」他 国際交流基金主催ヴェネチア・ビエンナーレ建築展第11回コミッショナー
津田 大介(つだ だいすけ)メディアジャーナリスト。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師1973年東京都生まれ。著書「Twitter社会論」
■2011年7月7日(木)ドイツ・ベルリンで開催「東日本大震災と、新旧メディアの役割」シンポジウム開催のゲスト。他今井義典 (立命館大学客員教授、元NHK副会長)、沢村亙(朝日新聞ヨーロッパ総局長)参加。
Photo by Kenichi Aikawa