宮台真司(社会学者)x五十嵐太郎(建築批評家)x津田大介(メディアジャーナリスト)
■前半はこちら - 3.11後の若者の行動から社会・文化を考える【前半】
街の過去やアイデンティティを活かした復興へ
五十嵐:元々東北地方は、震災が起きなくても、長期的にはどんどん人口が減っていたところです。うちの研究室で調べた女川町も、1965年に1万8千人だった人口は今1万人くらいです。要は他の地域と合併してないので、数字がカモフラージュされていないんですね。原発マネーがあるから合併しなくていいという選択をしたために人口が減っているという側面もある。だから若者は減っているし、今回は基幹施設がやられて産業もやられてしまった。その中で希望としての存在の若者が入る可能性があるのか。そして、ソーシャルメディアやITのコミュニケーションがそういったことにどう関わりうるのか。
宮台:そこはある理性の働きが重要になってくる。たとえば、福島に第一原発が導入されたのは今から40年以上前になるのですが、この時に福島では「福島を仙台にする」、というスローガンが真顔で語られた。でも、これは論理的に絶対ありえないんですね。原発を僻地に立地するのは、人命が大切だからというよりも、1961年に成立した原子力損害賠償法のスキームで、まず電力会社が無限責任を負い、負いきれない場合には政府が残りをすべて負うというスキームがあるからです。でも、国家予算に限りがある以上、被害総額が大きすぎた場合は大混乱になります。そこで、賠償総額をおさえることを目的として僻地に立地するんです。だから、福島が仙台になる、つまり、福島第一原発を中心に色々な箱モノができて人がそこに集まって賑わう、というようなことは永久にあり得ないんです。 でもそれを地元の人間たちがどれだけ本気で考えたのか。これについてマスコミも適切な情報を発信しなかったし、原子力損害賠償法や1974年に成立した電源三法についての反省も実はきちんとなされていない。 電源三法は、原発を誘致した地域にはまとまった国家予算を注ぐことを定めたもので、日本から原発の技術的合理性についての議論を消し去った最大の原因です。今後も原発誘致の見返りに与えられる大規模な予算を使った復興という選択肢が残るように見えますが、いま述べたように「福島を仙台に」は50年以上前から論理的にあり得ないことが決まっているんです。
復興会議で、原発の話を切り離して復興しましょうという話が五百旗頭真議長から出たようなのですが、今の話でお分かりのように、それはあり得ないんです。以前に比べて人々の危険意識はさらに強くなったでしょうから、原発が立地する限りは今後永久ににぎわいの場所にはなり得ないエリアがさらに広がった。にぎわいの場所にしたいなら、原発を廃炉する以外の選択肢はありません。そうしたことまで含めて考えないと本当の復興は実現しにくいですね。
津田:僕も相馬や南相馬といった原発から30キロから50キロ圏内の地域を取材して印象的だったのは、海岸地域以外は普通に戻ってきてようやく物流も回復して、これから復興したいという気運はあるけれど、どうにも気が乗らない部分がある。なぜかというと、もし原発の状況がさらに悪化して、50キロ退避になったら、それまでの努力が全部無に帰してしまう。そういったことを抱えながら、曖昧な状態で復興しないといけない。 目の前に起きてる現状よりもそこが辛いという人が多かった。そんな中で、そこに進んで行って旗振って復興していこうっていう若者がいるのか。例えば、福島でしたら、福島自体に対して、もっと特区行政を導入する、新しいスキームをつくって若者が何かを担う、そういったアイデアは可能なのでしょうか。
宮台:復興計画をこれから実行に移す時に、人々のニーズに応じて民主的な決定をした場合に、本当にそこに生きる人々の、つまり民主的な決定に関わる地元住民の、ためになるような復興ができるのかという問題があります。僕はたまたま沖縄に縁があって、沖縄の米軍基地が返還されたらどうなるのか、ということを考えてきました。沖縄では、いつまで米軍に依存できるかもわからないという条件のなかで「とにかく現金がほしい」という地権者の方々と、不便なので夜でも開いてるようなショッピングモールがほしいという地元のニーズに従って、北谷のアメリカ村にしても天久の通信施設にしても、返還後に巨大ショッピングモール化したわけです。その結果、地元にとっても愛着の場ではなくなってしまった。 つまり、単にコンビニエンス(便利さ)や、アメニティ(快適さ)だけが街の魅力であれば、人はより便利な場所に、快適な場所に移動するだけなんです。復興計画が、地元住民のニーズに基づいて、便利と快適を優先した場合、そこは入れ替え可能な場所になり、愛着を持つ人がいなくなり、もっと快適で便利な場所に人が流出し、最終的にはぺんぺん草も生えないような場所になる可能性がある。僕は沖縄の一部が現にそうなりつつあるのを見ているので、被災地の復興がそれを繰り返すのを見るのはすごく辛いんですね。
実際には、これは世界中どこででも起こりうる事なのです。「人々のニーズに直接には応えない再開発や町づくりをすることで、むしろ人々の尊厳を守ることができる」という図式として、僕はJ. ベアード・キャリコットという環境倫理学者を引き合いに出しますけれども、「人を主体に考えないで、街を主体にして考える」のが良いのです。人々の営みと建築物や自然物の配置の複合体からなる街の歴史をつぶさに検討してみて、たとえば陸前高田という「生き物」が、過去どう生きてきたのか、であれば今後どんな生き方が自然なのか、を考えて復興する。人という主体ではなく、町という主体を考える。それは直接人々のニーズに応えないことで、逆に、人々の尊厳、つまり人と場所の入替え不可能な絆が保たれるという図式があります。実はそのへんも結構、復興においては重要になるとおもいますね。
津田:街の歴史や街としてのアイデンティティを知っている人はどういう人になるんでしょうか。やはり年寄りという話になるでしょうか。
五十嵐:たとえば、ちょうど最近邦訳がでたロバート・モーゼスとジェイン・ジェイコブズという都市計画における二極の方法論を面白くまとめた本があります(『ジェイコブズ対モーゼス ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』)。モーゼスは上からグランドデザインをやって行く立場から、ジェイコブズは街を観察して、そこからある種近所のコミュニティから考えていくという立場から考えています。ただ、今宮台さんがおっしゃった話から、東京やどこにでもあるような郊外を求めているのが「人々」だと設定すると、結局、石巻だろうとどこだろうと、堤防でブロックさえすれば、その内側の住宅なんてどこにでもあるような便利な物を建てればいい、という話になってしまう。
宮台:僕の関係している沖縄の若手建築家集団がいるのですが、その人たちは、僕のアイディアもあって、とりわけ集合住宅を建てるときに、ワークショップを何回も開催し、もともとそこがどういう場所で、人々がどういう暮らしをしてきたかということに基づいて、集合住宅のあるべき姿を提案し、人々が元々持っているニーズをある程度変えてから、集合住宅や個人住宅を建てる、ということをやっているんですね。「人々の直接的ニーズに応えた建築や町づくりが人々から尊厳を奪う」という事実があるとして、しかし、直接的ニーズに応えないなどということができるのか。実績をみる限り、できるんです。「便利も快適もいいが、それだけじゃどこにでもある町と同じになって、孤独な快適生活が蔓延するだけだ」と説得するアドボケート(価値を訴える人)がいると、住民たちも「あぁなるほど」と直接的なニーズを一度カッコにいれて前に進むことができるようになる。そういうアドボケートが出てくるかどうか、というのが今回のポイントですね。
五十嵐:今回、建築家は災害直後にはすることがあまりないし、やっぱり社会から信用されてないんだなと思いつつ、でも信用を回復できるとしたら、ポイントはそこだと思うんです。さきほどの記憶という話に繋がりますが、今の欲望を叶えるのではなくて、もっと昔から繋がっている地形や環境を含めて、別の長いスパンで空間的な提案をする。
津田:そういう形で地理の記憶からコミュニティを作って行くときに、若者がどう関わっていくのかには興味があります。実際、東北は若者がどんどん減っていて、震災が起きてその傾向がさらに進むかもしれない。これから復興していく中で、東北では小さいコミュニティになればなるほど、よそ者を受け入れるようになるのか、また受け入れるようになった時に若者が入って行ってそこで主体的に関われるのかが問題ですね。
宮台:2年くらい前から拡張現実(Augmented Reality)が若い人たちの間で話題になってますね。例えばiPhoneアプリで有名な「セカイカメラ」を使えば、街をディスプレーやファインダーを通じて眺めると、コンピュータが膨大なデータベースを背景にそれぞれのストリートに情報を付加してくれる。それを活かせば、その土地がもともとどういう場所だったか、ということについて、それこそ中沢新ーがいうところの「アースダイビング」が可能になるかもしれない。たとえば、実は自分たちがいる場所は、目に見えないものまで含めると、そこはこういう場所なんだ、ということをシェアするためには、若い人たちが使っている情報通信技術が一番強力だと思うんですよね。(技術を)そのように使ったり、建築家の人達もそういう使い方を奨励することで、目に見えない部分も含めてシェアしていく、ということはあり得るかなという気がしています。
五十嵐:今回、埼玉や千葉でも液状化しているのが、かつて池だったり沼だった場所だったという理由で、また古地図をみようという動きもありますけど、東京を古地図と重ね合わせるようなアプリも登場しました。そういう方面では、過去の地理に対してかなり意識が強くなったと思いますね。
津田氏がこの鼎談当日まで取材していた被災地の写真記録Flickrより
若者たちは被災地を訪れるべきか
津田:今、ボランティアなどで現地に入っていく若い大学生なども相当増えていると思うんですが、若者は現場を見るべきだと思いますか?
宮台:僕は見るべきだと思います。それは、他の地域でもあり得る震災だから、というだけではなく、僕たちが前提としている自明性が崩れた状態を目にすることは、自分たちの生活を反省するいい機会になると思うからです。
あえて価値観を表明させていただくと、日本は10年前まで一人あたりのGDPが世界第2位で、それが今は世界で第23位ですが、世界第2位だった時期でも、幸福度調査をした場合には75位よりも上に来たことはないんですね。私の師匠である見田宗介は新聞等で繰り返し、どうしてこんなに豊かなのにこれほど不幸な国民などというものがありうるのか、ということをずっと問うていたのですね。もしわれわれの人生に目的とすべきものがあるならば、それは幸せであるはずです。どんなに便利で快適でも、幸せでなければ話にならないわけです。宗教的なバックグラウンドがある社会の方々は、幸せに加えて尊厳を意識するはずです。たとえばアングロサクソン社会のイギリスなら、ハピネス(Happiness)とウェルビーイング(Well-Being)が意識される。ウェルビーイングというのは、ある種の入れ替え不可能性、つまり尊厳ある生活のことです。アメニティ(快適さ)があって、その上にハピネスがあって、その上にウェルビーイングがあるんです。でも、われわれの思考は、ハピネス以前の、アメニティとコンビニエンス(便利さ)の段階で止まってますよね。ソレが幸せに貢献するのか、そしてその幸せは尊厳に貢献するのか、ということをほとんど考えてこなかった。今回の震災は、われわれ日本人がウェルビーイングについて考える初めてのチャンスかもしれませんね。
津田:ボランティアに行って、現地をみて、多分色々な衝撃があって、各自が経験を持ち帰ってきた後、また日常に戻ったときに、どうそこから意識を変えて、どう生活していくのか、そのときの心持ちというのはなにかポイントはあるのでしょうか。
宮台:簡単にいえば、なにもかもガラガラ崩れるという場面を目撃したという経験は、がらくたやガジェットに自分は時間やリソースを使いすぎてきたのかのではないか、あるいは、それなりに価値のあるものにちゃんと時間とお金を使ってきたのか、という問いを突きつけてくるように思います。僕も3.11の地震後、一ヶ月くらいかなり鬱っぽい状態でした。それは僕自身も本当につまらないことに時間と金とを使い、家中がガジェットだらけで、日々のスケジュール表を見ても「こんな糞みたいなことのために生きているのか」という思いを深くしたからです。そういうふうな嫌になり方って、こういう機会がないと正当化されない。普段こういうこと言ったって、「おまえ、なめてんのかコラ」って言われるけど、こういう時期だからこそ反省できますよね。大事ではないでしょうか。
五十嵐:この震災をいくつで経験するかという問題は大きい気がします。ある程度大人になって経験すると、それまでの生き方を変えることは難しいけれど、若い段階でこれを経験すると、まだ変えることができる。
宮台:僕は52歳の年寄りだけれども、意識して家族や親しい友人と過ごす時間を大幅に増やしました。そのぶん睡眠時間が大幅に減りました。なにがガジェットでなにが宝物なのか、優先順位をちゃんと付け直さないといけないと思いました。それなりの反省に基づき、新しい生活を仕切り直したつもりなんです、これでもね。
五十嵐:宮台さんは大きく変わったんですね。
津田:宮台さんは、震災が起きてから、たぶん2日か3日は黙ってたと思います。で、Twitterはじめたと思ったら、一気に原発モードになって。その葛藤みたいなものというのはご自身の中であったのですか?
宮台:葛藤があったとすれば、デマ扱いされるということについてですね。同じようなことを誰かがやるので僕がやる必要もないと思いました。そうであれば、デマの発信源という扱いを受ける危険のある振る舞いには乗り出さない方がいいとも一瞬考えたのですね。ところが、神保哲生さんという国際ジャーナリストともう10年くらい原発政策の非合理性と非妥当性について議論してきた責任があると感じて、政府や東電の言うことは全く信用出来ないという情報だけを繰り返し流そうと思った。でも「じゃあいったい何が真実なのか」というのはわからない、自分たちで情報収集して分析するしかないんだ、というスタンスでやりました。特に海外メディアには日本の政府からはでてこない情報が出ていますよね。今でも世田谷の僕の近所の人たちはブックマークにドイツ気象庁のウェブサイトを登録していて、僕も夜になると放射性物質の飛散予報をチェックしています。でも、なんでドイツの気象庁にアクセスしないと見られないのか。ドイツの原発事故で被災したドイツ国民が日本の気象庁を頼りにすることを考えてみれば、あまりに変でしょう。「原発をどうするか」もさることながら、「原発を思考停止的に許容する日本社会をどうするか」に、人々の注意を向けたいと思ったんですね。
津田:それは宮台さんのいうグリーン政策ですね。本当にみなさん考えないといけないというのはそうなんですが、とにかくこれをどう良いきっかけにするのか。起きた事をくよくよしていても仕方がないので、何を考えればいんでしょう。
五十嵐:津波自体だけみると、過去にも来ているし、海外でもっとひどい津波が起きてる所もありますよね。でも今回の原発事故というのは、世界史的にみてもかなりの大事なんです。実際、世界からすると、日本全体が福島だと思われているところもありますけれど、実際にかなり大きな意味をもつかもしれない。ただ、最終的にこれが大きな意味を持つか持たないかはこれからにかかっている、下手をすると、議論が元に戻ってしまいます。
シェア(共有)感覚を持つ若い人が増えている
津田:最初の方に宮台さんがおっしゃってましたが、義援金が集まったけれど、まったくばらまかれない、ほとんど役に立ってない。日本赤十字に一千億円以上集まったけど、それをどうするのかがわからないときに、僕がびっくりしたのは、南相馬にはまだ水が残ってるんですよね。水を出してから瓦礫を撤去しないといけないのに、原発から30キロ圏内だから、重機を貸してもらえない。だから水がそのままで放置されているようなところもたくさんある。一ヶ月ほど前に訪れた時、南相馬市役所への義援金はたった3億しかきていなかった。その分配からしてまず間違っていますよね。僕はこれからのテーマとして、じゃあ若者がなにをできるのだろうかと考えています。メディアを自分たちでつくるという気概がある子たちにもでてきてほしいし、コミュニティに入っていってリーダーになり、地元の強い人たちとやりあえる子たちにもでてきてほしいけれども、そこまでできなくても、自分の中で当事者性を作ることはできると思うんですね。親戚や友達がいる、という理由でもいいですが、どこかの地域に自分の当事者性をつくって、それに基づいて投資する、ということをそれぞれがやるこということが重要なんじゃないかなと。ここの行政の長は信頼できる、この人に任せれば復興できそうだという場所をみつける。合理性がなくてもいい。当事者性を自分でつくって、そこに対してお金が回る。お金がないのなら、その状態をネットを通じて知ってもらう、知ってもらうことによって、ここにお金を送ろう、という動きを作れると思う。それが僕は若者がそういうものを自発的にやりだしてくると情報の血流が良くなってくるのかなと思います。
宮台:賛成です。そうした方向での良い材料もありますよ。若い人たちの間でここ3年間ほど「シェアハウス」と呼ばれるムーブメントが急速に広がっていて、シェア(共有)という習慣を持つ若い人が増えているんです。今回の震災を受けての対応でも、シェアの習慣を持つ若い人がどう行動するのかが、ヒントになると思います。
冒頭に申し上げたけれど、義援金や配給物資が末端でうまく分配されないのは、なにかをシェアしているという感覚のない人同士がコンフリクト(衝突)を起こすからです。逆に寺とか宗教関係の避難所がなぜ平和だったのかというと、やはりシェアをしているという感覚があるので「お先にどうぞ」と言えたということがあります。「お先にどうぞ」の感覚はどこの国でもあるのだけれど、特に日本の場合は、なにかをシェアしているということがないと、なかなか言えない。前提を共有しない人々への貢献を命じるキリスト教的なカリタス(隣人愛)つまりチャリティの習慣がないので、前提を共有していないと「After you」とはいえないんです。だから、なにをよすがにしてもかまわないのだけれど、自分たちは何かをシェアしている、だから「われわれ」なんだ、と言える関係を作っておくことがものすごく大事です。それは義援金や配給物資のレベルでもそうだけれども、一般には、市場や行政などのシステムを頼れなくなった時に、ソーシャルキャピタルを頼るしかなくなるので、シェアされたものの広さと深さが大切になります。
五十嵐:震災の時、うちの学生のシェアハウスはたまたまインフラがすぐに復旧したので、他の人にどんどん使ってくださいと活躍したりとか、震災後、学生の中でシェアハウスが増えたりということがありました。
津田:宮台さんに伺いたいのですが、TwitterとかFacebookとかでソーシャルメディアがこれだけ注目されて、フォロワー数がその人の影響力だったり、ソーシャルキャピタルとリンクする時代に、ある意味、内向きな傾向のある若い子たちにとっては、どんどん生き辛い時代になってきていると思うんです。コミュニケーション能力が高い人だけがソーシャルキャピタルをも独り占めする傾向がより加速しているような現状がある。コミュニケーション能力がそんなにないような人たちでも、新しいネットやメディアを使って、今までとは違う形でソーシャルキャピタルなり、サバイバル能力の技術を身につけていく手段というのはないのでしょうか。
宮台:それはあると思います。僕のゼミにはシブハウスというシェアハウスに関わっている人が大勢いるのだけれど、シブハウスを含めてシェアハウスって一般的にはTwitterとかFacebookのようなソーシャルメディア、ソーシャルネットワークサービスとは切っても切れない。たとえばフェイスブックでイベントやパーティの告知をやって、それをネタにフェイスブックで人を紹介して、イベントやパーティにその人がきたりするという形で、広がってきたんです。
このシェアハウスで実際に空間を共有している人たちのやり方を見ると、1980年代からめずらしくなくなったルームシェアとは全然違っていて、例えばパソコンも私物じゃなく、みんなの共有物で、私物は携帯電話だけ、というような、プライバシーが著しく限定されたすごい状況で生活しているのもまず驚きです。しかもいわゆる社交的な人が集まっているというわけでもなくて、ヘンな人もたくさんいるというのも驚きです。ノイズ耐性が低いと言われてきた若い人たちですが、それでもこれだけカオス的でノイジーなシェアハウスが成り立っていることが、明るい材料だとおもうんですね。
これは、オンライン・コミュニケーションがなければありえなかった、新しいオフライン・コミュニケーションです。ソーシャルネットワークサービスとシェアハウスの切っても切れない関係が、いつ、どのように立ち上がり、どんな要素がそれを加速しつつあるのか、ということを研究して、世間に告知してくれる、若い研究者の登場を望みます。
津田:今都会で起こっている現象が、東北とか地方に輸出可能かどうかもポイントですよね。確かにそれは面白いですね。僕の知り合いでもシェアハウスから、ブログを作り、そのブログが結構有名になったりということが起きていて、新しいコミュニティがまた生まれています。だからミニマムなコミュニティがどんどん最大化していくというようなところに可能性があるのかもしれない。
宮台:ちなみにシェアハウスについては、今後5年くらいの間にひとつ試練がでてくる。ここで誕生したカップルが子供を生んだ場合に、従来、日本と国外の間にあったある種の格差が埋められるのかどうかです。シングルマザーを中心とした多様な家族形態を許容するしないかについての格差です。例えば、1970年代には日本もイタリアも、いわゆるシングルマザーから生まれた子供は2%弱くらいしかいなかった。しかしイタリアは今では25%くらいで、しかし日本は割合まだ変わらないんです。このように変わったところは、少子化を完全に克服して、例えばフランスやスウェーデンでは生まれる子の半分がシングルマザー。ただし、シングルマザーといっても母親と子供だけの家族というわけではなくて、多様な家族形態の中に生きてるっていう意味です。要は、多様にありうる「家族のような関係」の中で子供が育つという素晴らしい見本を、シェアハウスが提供することになるのかどうか。
津田:あとは法律が変わって、それを後押しすればね。
宮台:そうなんです。これは実は、親権や、親の扶養義務や教育義務や、税金の控除や子育て支援費など、法律の問題が直接かかわってくるので、人々がそこでシェアハウスを本格的に認知するようになり、シェアハウスでの子育てを許容するような法制度ができるのかどうか、とても注目しているところなんです。
津田:シェアハウスが本格的に認知されたら、もしかしたら、かつて元禄時代にあった「講」を思わせる、新しいオープンな「講」の形に発展していく可能性もありますからね。
震災後、海外へどう発信していくか
創作と記録への期待
五十嵐:最後に、今の話の続きで、海外に向けてなにを発信したらいいか。または日本と海外との関係について、何か述べておきたいことをいただければと思うんですが。
宮台:僕はたまたま映画批評の仕事をしているのですが、映画作家やモノ書きにとって、今回の震災のビフォーとアフターで同じやり方ができなくなったという問題があります。たとえば恋愛ドラマでも、震災についてまったく言及しない話はあり得なくなってしまいました。震災に言及せずには、価値や規範を語れなくなりました。あるいは価値や規範をひとつの道具立てとしないようなドラマや映画が作れなくなりました。作っても淘汰されてしまうでしょう。そのことが、情報発信の新しいステージだと思います。
森川嘉一郎さんがおっしゃるように、オタク的なものがこれで壊滅するのかもしれません。それはまだわからないけれども、例えば95年のはじめに阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が立て続けに起きて、その約半年後にエヴァンゲリオンのテレビシリーズが始まった。企画はもちろん震災やオウムの前に立てられましたが、多くの人はエヴァンゲリオンが、95年の大災害と大事件を組み込んだ表現だと感じた。だからこそエヴァンゲリオンはとても重要な表現として語り継がれるようになったわけです。そういう表現が東日本大震災後に出てくるのかどうかに、海外は注目していますし、僕自身も注目をしています。実際、僕の周りにいるアニメ作家や映画作家はどうやって震災を取り込もうかと、悪戦苦闘していますが、それが実ればいいなというふうに本当に祈っています。
津田:僕は金髪なんですけど、恥ずかしながら全然英語ができなくて、海外への情報発信については自分の中でもしたいなと思いつつも、自分の限界を感じてきました。ただ今回色々取材で回っていったなかで、話を聞くだけじゃなくて、写真などを記録として残しておくことが多分重要だろうと思いました。東北の人たちが今の状況を写真に全部撮って、それをみんなでシェアして、こういう記録として残して自由に使えるようにする、つまり著作権を必要としないクリエイティブ・コモンズ・ライセンスをやろうっていう動きが被災者の人たちから上がっていたのを見ていたんですね。だったら僕も協力しようと、自分が現場でとった写真をFlickrという英語の写真共有サイトにあげています。Flickrでは一括アップロードができて、ジオタグ(位置情報)を付けて、あげた写真に自動的にクリエイティブ・コモンズを付加できるんですね。写真だけ自由に利用できるということが、システマチックによく出来ていて、かつ英語圏ではシェアが高い。この前、Flickrのメッセージ機能で、ハンガリーあたりのアーティストから英語で「写真ですごい状況を見たのだが、これを展覧会で使っていいか?」というメッセージが来た。翻訳機能を使って返事したんですけど、これからいろいろなところに使われるらしく、自分の写真が全く予期しなかった形で使われてるという状況が起きている。今回、東日本全体が被害に遭って、マスメディアは間違いなく全部を伝えきれていない、ソーシャルメディアも全然伝えれらていないけど、ネットに(情報を)上げていくことはできる。僕がこれからやりたいと思っているのは、とにかく人々に動画のカメラとマックを与えて動画編集をみんなでやれるような、なんかそういうワークショップをどんどんやっていきたいなと、思っています。とにかく撮ってYouTubeやUstreamに上げて、どんどん英語圏まで広げる。多様な情報を置いておけば、誰かが見つけてくれるのが、ネットの良いところなので、それを広めていくことは重要だろうし、これから若者が出来ることは沢山ある。それだけ情報が出て、またわからなくなったら、それを整理する。若者のなかから、情報を整理するハブのような存在が出てきて、それが政治にも広がれば、ちょっとは変わって行くんじゃないかという期待を持っています。
宮台:五十嵐さんが記憶についておっしゃったことと、今の津田さんのお話をつなげると、今の文明社会が以前と決定的に違うのは、とても生々しいスチール映像や動画映像が残っているので、われわれはこれをベースにしてあの時こんなことがあったんだ、と思い出せるということなんです。ところが、残念なことに、もうすでに「津波の動画映像は子供たちにトラウマを与えるから控えるべきである」という話になってきています。その背景には、日本が1980年ごろから、ノイジーなものや、カオス的なものや、リスキーなものを、できるだけ除去して、フラットでクリーンな生活空間をひたすら実現してきた、社会意識論的な事実があります。
津田:NYTimesのサイトでは死体の写真は出るけども、日本のメディアでは出てこない。
宮台:そう。これもわれわれの〈悪い心の習慣〉だと思うんだけど、「そういう映像は出すなよ」という声が出てくるんです。「そういうのはもう見たくない」という空気が支配して、そうした映像資料を語り継ぎのリソースとして使えなくなるという可能性が出てきています。それに抗って、これらの生々しい映像資料を、いつまでも記憶の糧としていくという覚悟が、とても重要だろうと思います。
五十嵐:最後に、僕から建築の立場から2点だけ。ひとつは、日本の建築家は世界的には大変高く評価されているのですが、今回震災がおきた場所についてはまだ今後の動きは未知数で、それについてどう貢献ができるかどうかが注目されているだろうし、貢献できたらいいなあということ。もう一つは今の記憶に関することで、たとえば、陸前高田などは何もなくなってしまっている。木造家屋が流出したところは10年も経てば本当になにが起きたか分からなくなるんですよね。だからさっきもちょっと触れた女川のコンクリートの塊なら100年くらいは絶対残るだろうと思います。仮に情報のシステムが完全にシャットダウンされても、こんなことが起きたんだということが、具体的なモノや空間的な想像力を通じた方法で、後の人たちにわかるように残しておいてほしい、それも一つの記憶の残し方だと思います。
宮台真司(みやだいしんじ) 社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。1959年仙台市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。著書「日本の難点」、共著「原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治にむけて」他
五十嵐 太郎(いがらし たろう)建築史・建築批評家。東北大学大学院工学研究科 教授 1967年 フランス・パリ生まれ。著書「見えない震災」他 国際交流基金主催ヴェネチア・ビエンナーレ建築展第11回コミッショナー
津田 大介(つだ だいすけ)メディアジャーナリスト。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師1973年東京都生まれ。著書「Twitter社会論」
■2011年7月7日(木)ドイツ・ベルリンで開催「東日本大震災と、新旧メディアの役割」シンポジウム開催のゲスト。他今井義典 (立命館大学客員教授、元NHK副会長)、沢村亙(朝日新聞ヨーロッパ総局長)参加。
Photo by Kenichi Aikawa