新しいMuseology(美術館・博物館学)

2010913日に「新しいMuseology(美術館・博物館学) New Museology:―文化遺産と現代文化の融合を求めて」と題したシンポジウムを、東京のアキバホールにて、国際交流基金とセインズベリー日本藝術研究所の主催で開催しました。このシンポジウムを受けて、文化遺産と現代文化を結合させる「新しいMuseology」という考え方について、シンポジウムの司会を務めたセインズベリー日本藝術研究所所長のニコル・クーリッジ・ルーマニエールさんとプレゼンターをされた青森県立美術館・美術統括監の塩田純一さんに対談をしていただきました。(司会:日本研究・知的交流部 欧州・中東・アフリカチーム長 原秀樹)

 

大英博物館の土偶展では

漫画による展示が話題になった

 

──ルーマニエールさんは、2009年に大英博物館で開かれたThe Power of Dogu」(土偶展)という展覧会に携わり、大成功を収めました。しかも、その成功の理由の一つは星野之宣先生の漫画を使ったことだそうですね。大英博物館の哲学にも関わる英断があったとも思いますが、まず、そもそものきっかけをお聞かせください。

 

_DSC1793.jpgルーマニエール:大英博物館が土偶の展覧会を開催した理由は、日本の古代を多くの人に親しみのある形で紹介しようと考えたからです。マクレガー館長には、文化のおもしろさ、刺激になりそうなポイントを人々に伝えたいという思いが常にあります。最近まで、BBCラジオ4で博物館所蔵の作品を100点選び、1点ずつ紹介しながら世界の歴史を考えるプログラム「A History of the World in 100 Objects」を10ヶ月にわたり放送しました。(BBCウェブサイトで聴ける)ラジオでは作品を映すことができないので、こうした番組は珍しいのですが、それがかえって人々に刺激を与え、博物館に足を運ばせるだろうという考えに基づく企画でした。

 

 この100点のうち、日本の作品は4点。1点目は縄文早期の筒型の土器で、19世紀前半にシーボルトによって蒐集され、大英博物館に収められたものです。さすが館長が選んだだけあり、古代のものですが近代と結びついており、この土器を江戸後期に東北の人が掘り出し、茶人が漆を塗り中に金箔を施して水差しにしたという後日談があるのです。ある意味で作品に歴史、物語があり、生きている。その物語が大事なんですね。 

 

 4年前に、私は日本の人間国宝の技を紹介する展覧会Crafting Beauty in Modern Japan(わざの美)」を行ったのですが、同時期に別の階で「始皇帝と兵馬_DSC1881.jpg俑(へいばよう)」展が開かれていました。それを見ていて日本の古代の造形はどうだったのだろうと考えるようになり、それがきっかけになって、縄文時代の造形を取り上げる時に、土器ではなく土偶に絞り、その姿を通して日本の古代の想像空間を展示し、人々に刺激を与えてはどうかと考えたわけです。

 

 また同時に、土偶は現代の日本人にとってどんな意味があるのだろうかと考えました。青森県の木造(きづくり)駅の建物の正面には大きな土偶が取り付けられており、その足の部分から駅に入るようになっています。それを写真を撮って展示しました。これはおもしろがってふざけているのではなく、近くに住んでいる人々にとっては、土偶は守り神であり交通安全の意味があるということを示したかったのです。

 

Munakata+and+Sutton+Hoo+helmet.jpg外国人からすると、土偶現代社会とつながりがあるとはとても想像できない。でも、漫画を読むと、土偶がよく出てくる。じゃあ漫画を使って土偶に対する理解を深めることを試してみようということになり、古代をテーマによく描いている漫画家の星野之宣先生の作品の展示を土偶展と同時期にお願いし、大成功を納めました。アーティストとしての星野先生の見解を尊重し、私たちは資料を渡しただけで、何を描くかは星野先生自身に決めて頂きました。星野先生は大英博物館に関する連載物を書かれ、これは単行本になって最初は日本語で出版され、来年4月には英語版も出ます。

星野之宣『宗像教授異考録』

 

三内丸山遺跡の隣にできた

刺激的な迷宮空間

 

──塩田さんが美術統括監をされている青森県立美術館は、三内丸山遺跡の隣にありますね。最初から、それを一つのコンセプトとしてつくられたものでしょうか。

 

塩田:三内丸山遺跡の隣にはもともと総合運動公園があって、1992年に新たに野球場を建設しようとしたら、工事の過程で膨大な量のいろいろな出土品が出てきた。そして本格的な発掘調査の結果、5000年近く前の縄文中期にはここに巨大な集落が形成されていたことが明らかになってきたわけです。その一方で、青森県ではこの一角に美術館や劇場などの文化施設を集合した総合芸術パークを建設するという壮大な構想を持っていました。この構想は最終的には財政的な問題もあって大幅に縮小し、三内丸山遺跡の隣に美術館だけが建設されることになったわけです。青森市内の中心部からは少し離れたところですが、それだけ一層先史時代にまでつながる特殊な「場の力」を持っている地点なわけです。そこを建設地に選んだことが、いろんな形で美術館のあり方に好影響を及ぼしていると思います。_DSC1795.jpg

 

 一つは、建築のあり方ですが、遺跡を発掘するとき、トレンチ(溝)を作って、徐々に地層を掘っていきますね。建築家の青木淳さんは、三内丸山遺跡のトレンチから発想を得て、大地をえぐった溝状の部分に白い立方体をかぶせた展示空間をつくるという案をコンペに出してきました。これまで世界中のどの美術館にもなかった独創的なもので、三内丸山遺跡がなければ構想しえなかったプランです。

 

 結局このプランが選ばれ、できあがった美術館は、まさしく土の壁と土の床の空間とホワイトキューブが連続する不思議な建築で、展示室はすべて地下にあるため、一種の迷路か迷宮のようで、自分がいったいどこにいるのかわからなくなりますが、それだけ想像力を刺激してくれる空間です。

 

 1500平方メートルほどの広い常設展示のスペースの最初に置いたのは、板状土偶と呼ばれる重要文化財にも指定されている有名な十字型の土偶や土器、石器などで、三内丸山で出土したもので、現在は隣のミュージアム「縄文時遊館」所蔵となっているものです。その縄文のコーナーに続いて、ローカリティ(地域性)を意識して、図1.jpg例えば、棟方志功、寺山修司、ネオダダの工藤哲巳、それから若い人では奈良美智ら、青森が生み出した芸術家たちの常設展示をほぼ1室1作家という構成で展示しています。本州の最北端の、ある意味で辺境の地の風土から養分を吸収して、非常にとんがった前衛的な仕事をしている作家たちです。そんな形で、美術館の活動の原点には、三内丸山遺跡があるといえます。

 

_DSC1763.jpgルーマニエール:私は青森県立美術館が大好きなんです。ホワイトキューブとおっしゃいましたが、初めて行った時、1月で大雪だったために、緑のクリスマスツリーのような印は見えるけど、それ以外は真っ白。美術館が消えて、風景の中に入るというか、風景から出てくるというか、これこそ本当にローカリティーだなと、すごく刺激を受けました。

 

 大英博物館の作りはまったく違います。建物を見るとホテルか銀行みたいで、イギリスの伝統的建築とも違う。古典というイメージ、ギリシャ、ローマという西洋の出発点というイメージが感じられます。

 

 大英博物館は1753年に作られたもので、ハンス・スローン卿のコレクションをもとにしています。設立当初から日本はもちろん世界中の作品が入っていて、世界がイギリスにあり、大英博物館を通して世界が理解できるという存在でした。逆に、イギリスのものはあまりなかったのですが、100年ほど前から変わりつつあって、地元の考古学史料もかなり入れています。

 

 来場者は海外からの人が多く、英語が第一言語の人は4割ぐらい。そうした来場者に、どう解説してアピールするかを考えなければいけません。見る人に共通しているのは、現代に生きていることですね。ですから、現代を通して、さまざまな文化を理解しようというのが最近の考え方なのです。

 

 そこで、現代のもので、いい例となるものをピックアップして所蔵しようとしています。加賀象嵌の人間国宝の中川衛先生の作品も入ったばかりですが、現代の作品を通して、鎧など昔の工芸が理解できるわけですね。

 

 そういう意味では、共通言語というか新しいアプローチとして、漫画はすごくよかった。実際、英国でも話題になってエコノミスト誌やタイムズ紙にも取り上げられました。ローマ時代の彫刻を見て本当に理解できるかどうかわからないけれど、理解できる媒体を通して、少しずつ歴史に親しみを感じるようになることが大事です。だからローカルから世界、グローバルへと言うより、逆に「グローカル」即ち、世界、グローバルからローカルへという方向に進むことが重要になっています。

 

美術館に縄文土器があることで

広いパースペクティブが生まれる

 

──青森県立美術館からの発信は、青森生まれのアーティストが都会に出て、世界で認められて戻ってきて、それを青森県立美術館からもう一度発信しているという形ですね。

 

ルーマニエール:外国では、考古学資料に触れても、はたして自分がその地域と本当に関係があるかどうか分からない場合が多いと思います。イギリス人をとっても自分のルーツが現在の国境を越えてあちこちに散らばっている場合が多い。だから、発掘すること自体は面白いと思っても、出てきたものが自分に直接繋がっているものであるとは必ずしも思っていないんですね。

 

 けれども、日本では考古学資料は日本人のアイデンティティと密接に関係がある。本当にそうかどうかは別として、自分は縄文時代とつながっているという風に感じる。これはすごく日本の国民性と関係していると思います。

 

 青森に行くと縄文の遺跡はとても大事で、深い専門的理解がなくても親しみが感じられています。庭を掘ると、たまに縄文の破片が出ることがある。つまり、本当に歴史と一緒に住んでいるんですね。だから、青森では美術館と博物館が分かれていない。そこが独特な部分だと思います。歴史的遺物を美術品として展示することにより、新しい定義付けをしようとしているのではないかとも思います。

 

図6.jpg

 

塩田:そうですね。当初、三内丸山遺跡にできた縄文時遊館には、例えば板状土偶のような重要文化財を展示するのに十分な環境がなかったこともあります。2010年に縄文時遊館内に環境条件の整った「さんまるミュージアム」という新しい展示施設ができて、重要文化財の作品はそちらに移っています。しかし、我々の美術館では今も縄文の土器や石器、骨格器、土偶などを引き続き、展示しています。今後も常設展示の核として、出発点に置いていきたい。そのことによって、長い時間と空間のパースペクティブの中で美術とは何か、造形表現とは何かを考えることができる。それは青森にとってとても大切なことだし、日本の他の美術館にはない、重要なアドバンテージになると思います。

 

ルーマニエール:これがある意味で、ニュー・ミュージオロジー(新しい美術館・博物館学)だと思います。従来の定義の中での考古学、美術、博物館、美術館の枠を破って、新しい展示や空間のあり方を示していますね。

 

異質なもの同士を

美術館の中で出会わせる

 

──10月のシンポジウムの際には、「パースペクティブ」という言葉の前に「ストーリー(物語)」という話もありました。見に来た人に空間の広がりと時間の広がりの両方を見せて、できるだけいろんなきっかけを与えるのが、博物館、美術館本来の役割のような気がします。

 

_DSC1825.jpgルーマニエール:おっしゃる通りです。大英博物館の日本ギャラリーは19904月にオープンし、常設展示になったのは2006年の10月からです。現在では「三菱商事日本ギャラリー」と命名されていますが、名前だけではなく中身も変わりました。というのは、大英博物館に「解釈部」という部門が作られ、常設展示となった日本ギャラリーでも「解釈」を全面に出して展示をするようになったからです。

 

 インタープリテーション(解釈)とエデュケーション(教育)は違います。「教育」が展示されている作品を多くの人に見せることだとすれば、「解釈」はどのように作品を説明するかを考えることです。だから、常設展の展示内容を変えるたびに、作品についての解説を書かなければならない。常設展示の担当者は、どのような言葉を使って解説を書き、どのような順番で展示するのかを考える。これを全部、解釈部の人が見て、最終的に認めます。なぜこのような手間ひまをかけるかというと、大英博物館がアンケートをとった結果、人々はお金を払って作品を観る場合には解説を読むけれど、無料の常設展では解説を読まないということが分かり、それならば常設展の解説にもっと力を入れようと言うことになったからです。

 

 そこで解釈部を作り、作品を中心として、ストーリーを作って見せていくことにしました。単に古代から現代までを見せるのではなく、常設展示となった日本ギャラリーには43のストーリーがあります。ストーリーごとに1点、柱となるキー・オブジェクトを選び、その前にpebbleと呼ばれる小石をおく。そこに短い言葉で、その作品の歴史、ストーリー、重要性などを色分けして書く。まず作品を観てもらい、興味があれば解説を読む。解説にあるストーリーを通して作品がおもしろくなるという仕組みです。キー・オブジェクトは年に4回ぐらい変えます。テーマはだいた同一ですが、ストーリーは違ってくる。これが成功しているようです。

 

_DSC1799.jpg塩田:ニュー・ミュージオロジーは要するに、異質なもの同士を出会わせるということですね。こういった展示の手法がいつごろから出てきたのか考えると、1984年にニューヨークのMoMAであった「20世紀美術におけるプリミティミズム」という展覧会が思い浮かびます。これは20世紀アートの巨匠たち、ピカソをはじめとする多くのアーティストがアフリカやオセアニアなど、非ヨーロッパのプリミティブ美術に大きな影響を受けていたことをテーマにした展覧会で、それまでヨーロッパでは人類学の資料、民族資料としてみなされていたものがファインアートと一緒に展示された大きな出来事だったと思います。

 

 そういった先例も参考にしながら、1986年に東京で世田谷美術館がオープンしたとき、私はスタッフのひとりとして「芸術と素朴」という展覧会を企画したんですね。世田谷美術館ではフランスの素朴派のアンリ・ルソー、アンドレ・ボーシャン、カミーユ・ボンボワらの作品をコレクションしていましたが、それだけではなくて、素朴性をもっと広く考えてみようということで、フランスだけではなくヨーロッパやアメリカのナイーブ・アート、現代美術では80年代の新表現主義、原始美術、古代美術の作品として土偶や埴輪、オリエントの美術など、それからアフリカとかオセアニアの仮面や彫像などの民族美術も借りてきた。さらに、子どもたちの絵、知的障がい者の造形作品なども含めた、かなり規模の大きな展覧会でした。

 

 そういう試みをやっていたこともあって、私の中では時代やスタイルを越えて、異なるもの同士を出会わせることで何か生まれてくるものを美術館の空間の中で見せていくことが大切だという意識がありました。青森は三内丸山というバックグラウンドがあるので、まさしくそういうことが相応しい場ですね。

 

日本のローカリティには

アイデンティティが生きている

 

ルーマニエール:ローカリティとともに大事になってくるのはアイデンティティですね。

 

塩田:そうです。特にアートの領域で、青森のアイデンティティは何かと考えたときに、インパクトがあって、しかも一般の人にも分かりやすいのは「縄文」というキーワードです。それをもっと掘り下げ、広げていけたらと思っています。

 

ルーマニエール:そもそも日本では国家の概念が確立するのは19世紀以降ですね。江戸時代における「国」というのは、今の県レベルだと言ってもいい。南部と津軽の間でも法律も少し異なるなど、ローカリティの中にアイデンティティがあった。日本では今でもローカルなアイデンティティが生きていると思います。

 

──展覧会に行って物を見て、自分の中のローカリティを再発見する。それはどこかでニュー・ミュージオロジーと関係しているのかもしれませんね。

 

ルーマニエール:ネットで検索したり、授業で学んだりしても、座って情報を受け取るだけで自分で発見していかないと自分のものになりません。自分を無理強いしてでも美術館に、あるいは遺跡に出かけて行って、自分の目で本物を見て、触って、受け止めることにより、自分のものになる。再発見ができます。

 

塩田:今は、非常に専門化が進んでいて、自分の専門のことはよく分かるけれども、隣の人が何をやっているかよく分からない。美術館や博物館は元々、物を分類して、集積していく場でしたが、もう一度、改めて総合してみることが求められている気がします。

 

ルーマニエール:おっしゃるとおりですね。そのためにも、日本は今までどおりではなくて、もう少しリスクを冒したほうがいい。そういう意味では、青森県立美術館はよい意味でのリスクをとっている気がします(笑)。

 

塩田:開館して2番目の企画展は「縄文と現代」というテーマで、縄文と現代のつながりを考えるために、考古遺物と日本の現代美術を併置し対比させる試みをやってみました。

 大英博物館でも、現代作家のインスタレーションをエジプトの展示の中へ持ち込んだりしていますね。例えば、アントニー・ゴームリーのインスタレーションと縄文の土器を一緒に並べてみるとか、そういうことが必要かもしれませんね。

 

ルーマニエール:それはすごくかっこいいですね。

 

塩田:縄文は、青森にとって造形表現の原点だと思います。創造の原点に返ることを意識して制作しているアーティストは、日本にも世界中にもたくさんいる。そういう人たちに青森に来てもらって、作品を作ってもらうといったことができたらいい。「縄文と現代」は1つのトライアルでしたが、一回限りということではなくて、それを継続してやっていくことが必要かなと思っています。

 

_DSC1863.jpgニコル・クーリッジ・ルーマニエール 

セインズベリー日本藝術研究所所長

 

1999年に英国ノリッチ市に設立されたセインズベリー日本藝術研究所は、日本列島の物質文化・視覚的な文化の研究を促進することにより、同分野の国際的な研究の橋渡しとなることを目的とする様々な活動を展開。同氏は、最近数年間東京大学でも客員教授として教鞭をとっており、過去、大英博物館で日本芸術を紹介する展示(2007年の「Crafting Beauty in Modern Japan」展、2009年の「The Power of Dogu」展などを複数、企画実現している。

 

 

_DSC1801.jpg塩田純一

青森県立美術館、美術統括監

 

栃木県立美術館、世田谷美術館の学芸員、東京都現代美術館学芸部長、東京都庭園美術館副館長を経て、現職。専門は現代美術、美術館運営論。1999年にはヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務める。「デイヴィッド・ナッシュ」(1984)、「セント・アイヴス」(1989)、「イギリス美術は、いま」(1990)、「リアル/ライフ イギリスの新しい美術」(1998)、「アルフレッド・ウォリス」(2007)など、イギリス美術の展覧会を多数手がける。著書に『イギリス美術の風景』。

 

 

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