今年8月14日から9月26日まで、水戸芸術館現代美術ギャラリー(茨城)で開催された「新次元 マンガ表現の現在」展は、海外で開催するために、国際交流基金と水戸芸術館が企画し、国内でお披露目されたものです。水戸芸術館現代美術センター学芸員の高橋瑞木さんと空間構成を行った豊嶋秀樹さん(ジーエム・プロジェクツ)の手によって、原画の展示やパネルを使った作品解説ではなく、個々の作品世界を象徴するインスタレーションを通じて体感的にマンガ表現の奥深さと可能性に触れる企画となりました。マンガ編集者の鈴木総一郎さん(小学館)を迎え、会期中にインタビューを実施しました。
(司会:国際交流基金文化事業部造形美術チーム 古市保子)
いままでにないマンガ展をつくる
── 展覧会に関わっていただいたそれぞれの立場から、感想をお願いしたいと思います。まず、小学館で長年マンガの編集に携わっていらっしゃる鈴木さんは、特に浅野いにおさんの『ソラニン』、五十嵐大介さんの『海獣の子供』、松本大洋さんの『ナンバーファイブ』の出品交渉と展示プランに関わっていただきましたが、実際にご覧になっていかがでしょうか。
鈴木:私は企画途中から合流したので、話せることは多くないのですが、とても面白い展示になっていると思います。マンガというメディアは読まれることを前提にしているので、現実の空間内での体験を通じて作品に触れる展覧会という形式に落とし込むのは難しい。しかし、高橋さんは初めてお会いしたときに、「マンガの魅力を伝えるのであれば、単行本を並べて読ませるのが一番いい」と仰っていたんです。それを聞いてわかってらっしゃると安心したところもありましたが、しかしあえて展覧会にするというので、大変な挑戦だと思いました。
私自身もこれまでにいくつか展覧会の企画に関わりましたが、基本的には原画の展示が大半です。一般の読者からすると、原画やマンガ家の仕事場はなかなか見る機会のないものですから、面白い体験になるとは思います。ただ、原画の展示だけでマンガならではの世界観を出せているかといったら、ちょっと物足りない。
だから、「井上雄彦 最後のマンガ展」が話題になった時に、描きおろしの直筆ドローイングや空間全体を使った構成になっていると知って、「やられたな」と正直思いました。それ以降、あの展覧会に勝てるような企画をずっと考えていたものですから、今回のインスタレーションを中心とした企画のお誘いはとても興味深かったです。
── では、キュレーターとして企画をご担当された高橋さんはいかがでしょうか。
高橋:鈴木さんからは、準備中に何度もアドバイスをいただきました。2、3回目にお目にかかった時に、「私がこの企画を最初の時点で知っていたら、難しいから絶対無理って言います」というふうに仰っていて、今回はその言葉を何度も噛みしめながら仕事を進めていきました。
やはりマンガの展覧会は難しいです。私も他のマンガの展覧会を見ていますから、鈴木さんが感じる物足りなさがとてもよく分かる。マンガ表現って幅が広いんです。例えば『ガロ』(1964年~2002年、青林堂。水木しげるなど特異な才能のマンガ家を数多く輩出)に連載していたようなオルタナティブなマンガ作品を紹介する展覧会はこれまでにもありましたし、マンガと現代アートを一緒に並べて理論化するような展覧会もありました。でも、それがマンガの魅力を率直に伝えられているかというと、そうでもない。アートの範疇ではとらえきれない魅力がマンガにはたくさんあります。例えばエンターテインメント性ですね。ですから今回は、私たちがマンガを読むときに感じる高揚感を展示に活かしたいと考えていました。
── キュレーターや編集者の意見や要望を受けながら、二次元のものを三次元にしていく空間構成をご担当された豊嶋さんのほうからのご意見、感想をお聞かせいただけますか。
豊嶋:今回、僕の役割はまとめ役だと思っていました。基本的にはいちばん大事なところを拡大して、空間に展開するという作業をしました。ただ、それは立体化するという作業とはまた違う。この企画があくまでもマンガの展覧会だということが重要だと、僕は思っています。 僕は普段美術の世界で仕事をすることが多いのですが、アート以外の表現を「こういうふうに転換すれば、その内部の芸術的な部分を抽出して、アートの舞台に持っていけるよね」という考え方がある。でも、映画化やアニメ化というような形で、美術化するという展覧会にはしたくなかったんです。今回はマンガであることを保ったまま、その新しい可能性を提示することに挑戦したかった。
僕は、マンガってすごくワイルドなものだと思っています。美術館や博物館で展示すると、まるでマンガを剥製にするようなアプローチになりがちじゃないですか。整然と陳列された動物標本を眺めるだけではなく、見る側の意識がマンガの野性的な部分に飛んでいくようなものがいい。だから今回は僕にとって大きなチャレンジなんです。 それから、マンガ家の皆さんは本当にお忙しいということを知りました。ただ、お会いして話すと、非常に具体的なアイディアを持っている方も多かった。作者との関わりが深くなるほど、展示も面白くなると実感しました。
鈴木:確かに、従来のマンガの展覧会が物足りなく感じるのは、美術品のようにマンガを扱うからかもしれませんね。原画を額装したりパネルにして壁に飾ったり、絵画っぽくしてしまう。今回の展示の仕方は、現代美術の表現に近いのでしょうか。空間そのもので作品を体験するインスタレーション作品のようですよね。
豊嶋:美術になぞらえて言うと、井上雄彦さんの展覧会は個展ですが、今回の企画はいわゆるグループ展なので、1つの作品だけで成り立つものではない。つまり来場者にとってはコース料理みたいに、それぞれのポジションでいい料理が出てくるようになるべきで、メイン料理がどんどん出てすぐにお腹がいっぱいになるようだとバランスが悪いと考えていました。それはマンガ雑誌の編集にも通じる考え方なのかもしれません。
高橋:マンガが好きな人の中にアートは敷居が高いと感じる人がいるように、アートは好きだけれどマンガはほとんど読まないという人もいる。でも、未知の分野や異なる文化に触れることができる部分はマンガもアートも似ていると思うんです。私は『ベルサイユのばら』を読んで、フランス革命について勉強したくなったり、『オルフェウスの窓』からクラシック音楽に触れたりしましたが、同様にアートを通じて科学に興味を持ったり、社会へ関心が向かったりする。その意味ではマンガもアートも同じ機能を果たしていると思います。これは難しいからとか、これはエンターテインメントだからというふうに分けて考えなくても、両方を楽しむことで、もっと面白くなりますよね。今回の展覧会では、アートとマンガをうまく架橋したいと考えました。海外へ巡回するときも、マンガが好きな人はもちろん、美術を見たい人も来てくれたらいいなと思っています。
マンガがマンガに帰っていく展覧会
高橋:ガイドマンガをつくったことも今回の大きな挑戦でしたから、どのような反響があるかとても楽しみです。じつは私、一瞬だけマンガの編集者になることを夢見ていたんですけど、ならなくてよかったと思いました(笑)。マンガ本を一冊つくるだけでも、本当に大変でしたから。
豊嶋:ガイドマンガをつくろうと言ったのも、今回の展示が美術展じゃなくて、マンガの展覧会だからなんですよね。最終的にマンガに帰っていくようなかたちがいいなと思ったんです。来場者はガイドマンガを読みながら進むわけですけど、展示室内でみんなが立ち読みしている状況というのは、美術展では絶対ありえないですよね。そこがマンガ展ぽくてじつに良いなと。
高橋:ガイドマンガは、『神のみぞ知るセカイ』の教室の机に座って読まれている方が多いですけど、それがすごく面白いんです。みなさん一生懸命勉強しているように見えて。
鈴木:本を貸し出して観賞してもらうというのは、はじめて見るスタイルで驚きました。展覧会ガイドをマンガで出版するというのは伺っていたので、別売りにするのかな、と思っていたんですけど、無料で見られるんですね。
高橋:ええ、太っ腹なんです(笑)。でも、ミュージアムショップで同じものを買って帰るお客さんも多いみたいです。無料で読んだ本を、わざわざ買いたいというふうに思ってもらえたなら、それは成功だったのかなと思ってます。
豊嶋:なるほど。
高橋:個人的にマンガ制作の仕事の大変さを実感できたのは大きかったですね。雑誌なり単行本なり、1冊の本ができあがるまでの苦労の、ほんの一端をかじらせていただいた程度ですが。
非常に高度な共同作業の産物であるマンガを、たった数百円で買える日本の出版環境はすごいなと、あらためて思います。マンガ家がマンガを描く作業はもちろんですが、編集者がバックアップしたり、印刷所のエンジニアが現場で調整している姿を目の当たりにすると、マンガは総合芸術だということに気づかされます。
2000年以降のマンガ表現と批評
── 今回取り上げている9作品は2000年以降に登場したものです。これらの作品から2000年代ならではの時代性を感じましたか?
高橋:うーん。むしろ見えてこないというところが21世紀的なのかなと思います。
作品の量自体は爆発的に増えていますが、猛烈な社会現象を起こすとか、クラスメイト全員が読んでいるような「誰でも読んでいる国民的マンガ」はなくなって、かわりに個々のマンガファンの多様なニーズに応えるかたちで、ジャンルの細分化が進んでますよね。
さらに2000年に入ってからの情報技術の発展や、iPadやkindleといった電子書籍メディアの登場で、紙メディア以外の流通インフラが整備され始めていることも大きい。色々な方向に対して、マンガがアメーバみたいに適応・増殖していくような状況を感じます。オタク向けのキャラクター性の強いマンガでは、短期的なトレンドとかはあるかもしれないですけど、同時代的な共通項を見いだすのは難しいんじゃないでしょうか。
鈴木:高橋さんがおっしゃったように、読者層の細分化がだんだん進んでいます。「多様化」「たこつぼ化」と私たちは言っていますが、マンガをつくる側として考えないといけない課題は多い。最初にお会いした時、「2000年からのマンガ表現」ということを高橋さんはかなり強調されていましたよね。でも、2000年からの新しいマンガといわれても私にはピンとこない部分が、正直ありました。
高橋:本当に、すべてにおいて把握しづらくなっていますよね。2000年以降のマンガの特徴を強いて挙げるとしたら、表現において少女マンガと少年マンガの垣根がなくなったというのはあるかもしれません。今回展示ではボーイズラブ(*1)作品などは入っていませんが、今後出版予定の展覧会カタログでは少しだけ触れました。
── 2000年以降の若者文化があまりに多様化していて、一筋縄ではいかなくなっているということでしょうか。
ところで、昨日関連企画として行われた評論家の斎藤環さんと伊藤剛さんのトークの中で「アートとマンガの重なっている部分を理論化できないか」というお話がありました。ふだん高橋さんは現代美術の展覧会をつくってらっしゃるわけですけれども、どう思われますか?
高橋:伊藤さんのレクチャーを聞いて思ったことですが、理論についていえば、私が美術史で学んできたような記号の読み取り方、イコノロジー(図像解釈学)みたいなものと、現在のマンガ評論は方法的にとても似ています。マンガの場合は、そこに映画論が入ってきたり、日本社会における若者の生態を反映するものとして社会学的な見方もできる。マンガを通して、色々なパースペクティブが見えてくるということだと思います。
ところが、フランスなどの批評家の本を読んでいると、マンガを語るときに、普通に美術も参照されるんですよね。けれども日本のマンガ評論では難しい。一時期、《鳥獣戯画》(*2)などの絵巻物とマンガを接続していく動きもありましたが、そうすると「マンガは日本発祥のもの」というナショナリズムのイデオロギー要素が入ってきてしまうので危ないんじゃないか、といった揺り戻しの議論が起きたりしてなかなか先に進まない。そういう問題もあって、絵を使って読ませるメディアである美術とマンガを通底して語れる可能性が、切断されているんじゃないかなという気がします。
鈴木:ジャンルと評論が確立しないと文化は育たない、とよく言われますが、その意味ではこれまでマンガ評論は確立してこなかったと思います。最近若い評論家たちが登場して、注目されているのは良い傾向ですが、カリスマ評論家はまだいませんよね。その人が褒めたから本が売れるというような。現在のところは私たち現場と評論はあまり関係ないというのが現実です。ジャンルの成熟の尺度として、学問や評論が活発になる良いことだとは思っているのですが。
高橋:マンガは毎週ものすごい量で発行されますけど、評論が出るには1か月とか半年後というふうにタイムラグがありますよね。だけど、例えば古くは石子順造さんや橋本治さん、米沢嘉博さん、夏目房之介さん、伊藤剛さんもですけど、彼らの評論を読むことで、読んでいなかった過去のマンガや、取りこぼしていたマンガに触れることができる。把握しきれないほど膨大な数のマンガが乱立するなかで、評論家が論じることで優れた作品が再発見されることはとても大事だと思います。
「大量生産品として消費されていくのがマンガでしょ」という割り切り方もできますが、日本マンガのスタイルで描く外国人作家が登場したり、あるいは出版社を通さないでネットで発表する人が増えてきて市場が分散している中で、この作品はすごくいいものなんだ、論じる価値があるものなんだと発見して提示することが評論の仕事だと思います。マンガ文化のためにも、評論はあったほうがいい。
国際化するマンガ
── この展覧会は、現代の日本文化と切っても切れない関係にあるマンガと、マンガを取り巻く環境を、展覧会というかたちで海外に紹介するために企画され、まずは12月から韓国のアートソンジェセンターでの開催が決まっています。韓国のあとは、オーストラリアとフィリピンにも巡回される予定です。 韓国では、今回の9作品のうち7作品は韓国語版がすでに出版されています。また、英語版が出版されているものも多いのですが、北米向けに出版するために翻訳されているので、例えばオーストラリアでは読むことができません。日本のマンガは国際的に人気があると言われていますが、この展覧会は、海外ではどう受け止められるのか興味深いところです。
そこでまず鈴木さんにお伺いしたいのですが、日本のマンガの海外での評価はどのようなものでしょうか?
鈴木:日本のマンガの認知度が昔よりもずっと広がったという感じは間違いなくありますね。どこの国の書店に行っても置いてありますし、実際に海外からの翻訳出版の依頼がも増えています。今回の展覧会は、『ONE PIECE』や『NARUTO-ナルト-』など、世界的にメジャーになっている作品ではないものが多いのですが、五十嵐大介さんや松本大洋さんのように先鋭的な漫画家の作品もすでに英語に翻訳されていますね。ただ、日本のマンガが世界を制覇している、これからも日本のマンガの未来は明るい、と無邪気に言えるかというと、それは違います。たとえば、日本国内では景気の影響もありマンガ雑誌が売れなくなっている。そうするとどうしても誌面で実験的・意欲的なマンガを発表する機会が失われ、新しいマンガが生まれにくくなってしまう。世界的に知名度も上がって、ビジネスとしても成立しているように見えるけれど、その一方で閉塞感も確かにあるという、複雑な状況でもある。ですから、編集者としては危機感を感じています。とはいえ、面白いマンガを作るという基本は、ずっと変わらないんですけども。
── 高橋さんと豊嶋さんは、韓国の巡回に向けて、どういうことを期待されていますか。
豊嶋:今回の展示は、水戸芸術館現代美術ギャラリーの特徴的な構造を活かすことから考えていったので、それぞれの部屋ごとに個々の作品の世界観をつくっていこうと考えました。それが先ほどもお話したコース料理みたいな仕立て方です。
ただ、この次は韓国に巡回するので、水戸と同じコース仕立てのメニューを組めない可能性もあるわけです。だから、実際は中身と味が毎回ちょっとずつ変わっていく鍋料理みたいな感じになるのではないでしょうか。今回は本当のスタート地点だったから楽だったかもしれないけれど、巡回する会場ごとに、作品ごとの自律性をちゃんと持たせながら、全体として「マンガ表現の現在」が体感できるような展示をきちんとつくっていけるかが課題ですね。
高橋:私は、逆に私自身が韓国での評判や感想を楽しみにしています。特別どういった反応をして欲しいと期待しているというよりは、展覧会を作った立場として、それぞれの国の人がどういうふうに反応するのか、どういうふうに見るか、すごく楽しみです。
松本大洋『ナンバーファイブ』(小学館、2000-2005)
来場者を取り囲むように立てられた8枚の巨大なパネルには、作中の登場人物が描かれる。また展示台に平置きされた原画を覆うようにアクリルガラスが設置され、その上にはマンガの吹き出しの文字が一枚一枚貼られている。
高橋:ここはうちのスタッフが、吹き出し部分をインスタントレタリングで全部起こして、この台に貼っているんです。まず原画があって、それに字を乗っけていくという原稿制作のプロセスが見えるのが面白いですね。 今回の展示はマンガ制作の現場を追体験するような要素があります。編集者が作家の方から原画を預かって、その後デザイナーやDTPエンジニアが関わって、本ができるまでのプロセスですね。
若木民喜『神のみぞ知るセカイ』(小学館、2008-)
2000年以降のオタクカルチャーをメタ的視点からとらえる点に大きな特徴のある本作。それゆえに予備知識なしに作品を理解するのはほぼ不可能。本展の展示は、その基礎知識を学ぶための教室として設定されている。
豊嶋:ここは難しかったですね。
高橋:ええ。学校の教室という空間設定が、普段からギャルゲー(*3)で遊んでいる人には、すごくハマるみたいです。当館館長の吉田秀和(音楽評論家)が先日ここに来て、まったく見たことのないものばかりなので、「これは何だ? 」と尋ねられました(笑)。それで、ギャルゲーや恋愛シュミレーションゲームについて説明しました。
鈴木:あの吉田秀和さんがいらっしゃったわけですね(笑)。ちなみに戸棚に飾ってあるマンガの単行本のタイトルには意味はあるんですか?『うる星やつら』の単行本もありますね。
高橋:作者の若木先生は高橋留美子さんが大好きで、彼女の『うる星やつら』からすごく影響を受けているんですよ。授業のナレーションの中でも説明していますが、若木先生の仕事を見るときの参考図書という位置づけですね。
五十嵐大介『海獣の子供』(小学館、2006-)
作者である五十嵐大介の作品は、しばしば自然と人間の関わりをテーマとする。海洋生物や彼らを取り巻く海の世界をイメージした展示は、高い天井を活かし、海の底から水面を仰ぎ見るような設計になっている。
豊嶋:『海獣の子供』は原画を展示することが前提だったので、それをどうやって見せるかでしたね。この空間はギャラリーの中では、いちばん天井高がありますから、海の底に見立てて、底の部分に原画を展示して、波のようにも見える周囲の布には、作品を象徴する海の生物をプリントしました。
鈴木:作品の世界そのままで、いいですね。
高橋:鯨の鳴き声をBGMとして使おうというのは、作家さんからのアイディアだったんです。
豊嶋:もっといろいろなアイディアを五十嵐先生からは提案してもらいました。
高橋:布にプリントした絵をきれいに見せたかったんですが、モアレ(*4)が大変で。原画を縮小、拡大させるとモアレが出できちゃうんです。
鈴木:デジタル化が盛んになってから大きな問題となったことですね。スクリーントーンのドットの密度とデジタル解像度の関係で、どうしてもモアレが出てきてしまうんです。いくつか対策方法はあるんですけど、完璧には消せないみたいです。
高橋:そうなんですか。私たちもどうしても気になってしまって。一時期モアレ恐怖症になっていました(笑)
安野モヨコ『シュガシュガルーン』(講談社、2003-2007)
「ビビアン・ウェストウッド」や「ANNA SUI」など人気のファッション&コスメブランドを彷彿とする装飾的な空間は、80年代の魔女っ子マンガにオマージュをささげつつも、現代的な意匠をふんだんに盛り込んだ本作ならでは。
高橋:ここは安野先生が全面的に協力してくださいました。空間全体の確認だったり、細かい意匠も全部直筆で描いてくださって。壁紙の絵も描き下ろしてくださったんです。
豊嶋:僕もご自宅にうかがって、詳細な打ち合わせをしました。
高橋:キラキラしたちょっと昔の少女マンガって、宝塚の影響を受けていると言われますけど、こう見てみるとたしかに芝居の書き割りっぽいですよね。
鈴木:立体感が良いですね。ロココ調装飾に近いけど、明らかに安野モヨコ調装飾になっている。惑星とか星とか。
高橋:それと、今回は水戸芸術館の他部門のスタッフが協力してくれる機会が多かったですね。普段は、みんな自分のところの事業が忙しいですから「美術は美術でやってね」という感じなんですけど、今回は、演劇とか音楽部門の人が、「松本大洋さんのマンガが好きだからやりたい」、「安野さんの大ファンなので手伝いたい」という人がとても多かった。やっぱりマンガって広く人の心をとらえる魅力があるんだなと思いました。
ハロルド作石『BECK』(講談社、1999-2008)
本作内で頻出するライブハウスを彷彿とさせるインスタレーション。原作同様に音楽を一切使わず、アニメーション化したマンガのコマと照明のみで作品世界を表現している。周囲には各話の扉絵(有名アルバムのジャケットへのオマージュ)を展示。
高橋:最近、実写映画にもなった『BECK』ですね。音楽マンガなんですが、あえて音を出さない展示にしたんですけど、映画のほうでも主人公の歌は流れないそうです。
鈴木:歌声を出さない演出ということですか?
高橋:読者がマンガで読んでいるイメージを壊さないようにと考えた結果でしょうね。今回の展示でも、担当編集者の方が「音は実際に出さないでください」と仰ってました。
マンガですから音を使えないですよね。その制約の中で作中のライブ感をどう盛り上げていくかは、実際にとても苦心されたそうなんです。
本当は、ライブシーンだけで単行本一巻まるまる使うというアイディアも連載時にはあったらしいんです。でも、そうすると売れないですから、紙媒体ではできない。でも展示だったらやれるんじゃないかと提案してくださったんです。
鈴木:この展示の擬音の書き文字をアニメーションで動かすのは大変でしたよね。
高橋:映像技術が発達したからこそできる方法ですよね。複雑な舞台用の照明もコンピュータで制御しています。
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(講談社、2001-2010)
ヨーロッパ風の内装で統一された部屋の中央にはヤマハ製のグランドピアノが展示されている。30分ごとにクラシックの名曲が自動演奏されるほか、週末にはピアニストが生演奏を披露し好評を博した。
高橋:豊嶋さんから本物のピアノ演奏を聞かせるというアイディアを出してもらって、ヤマハにも協力していただきました。これはドラマ版の『のだめカンタービレ』で実際に使ったピアノと同じタイプなんです。
豊嶋:週末だけモーツァルトにコスプレしたピアニストが実際に演奏するんですよね。すごく人気があるとか。
高橋:やっぱり生で聴けるっていうのが、すごくいいみたいですね。
あと、キャンバス地に印刷して額装した絵を買いたいです、っていう方がけっこういらっしゃいます。美術の展覧会で「あの作品が欲しい」とは、あまりお客さんは言わないですよね。マンガファンの心理ならではかもしれません。
鈴木:ケースの中に飾ってあるのはネーム原稿ですね。
高橋:今回、原画を展示するかどうかという点は、最初から争点になっていたところなんですが、私個人は、展覧会に来たときにまったく原画がないというのは、ファンにとって残念だと思うんです。普通は絶対見られないものを見ることで、作者との距離が近づくような気持ちを持てるものがあったほうがいいなと。
『のだめカンタービレ』の空間はコンセプトが明確ですから原画は必要ないかもしれない。室内楽のコンサートルームみたいな設えだけでも良いかもしれない。でも、ちょっとしたきっかけは必要だと思うんです。
浅野いにお『ソラニン』(小学館、2005-2006)
長い通路の両サイドには、作中のセリフが記されている。さらに奥には、主人公が住むワンルームを思わせる若者の部屋が再現されている。バンド活動に打ち込む主人公の、音楽への思いが伝わるような内装に加え、資料として作者が撮影した写真も展示された。
高橋 ― 浅野先生の展示も難しかったです。『神のみぞ知るセカイ』と同じで、原画がありませんでしたから。その時に、豊嶋さんから「小部屋を作ってみたい」というアイディアが出てきて、これだ、と。
それと、浅野先生にお目にかかった時、「黒バックに白抜きのセリフっていうのが自分のマンガの特徴なんです」と仰っていたので、ひとつひとつピックアップして繋げたんです。まとめて見てみると、ひとつの詩みたいですよね。『ソラニン』の主人公と同じ年頃のお客さんが、じっと読んでいたりして「何を思って読んでるのかな」と思ったりします。
── トークにもファンがいっぱい来ていましたね。
高橋:「最近失恋したんですけど、どうすればいいでしょう」という質問があったりとか。
── 浅野先生の返しがまたよかったですね「まあ、そのうちなんとかなります。大丈夫です」とか(笑)。
鈴木:部屋のなかの小物はどこから用意したんですか。
高橋:私が持ってきたものもありますし、水戸芸術館の倉庫で眠っていたものもあります。CDとかDVDは、『ソラニン』のファンの人が見ても疑問に思わないようなものを選びました。浅野先生のインタビューを読んでいると、ご本人が音楽好きなことがわかるので、それをもとに選んだりしています。
今日マチ子『センネン画報』(太田出版、2008-)
インターネット上で発表され、クチコミから火がついた本作がテーマにするのは思春期ならではの瑞々しさ。作中で強い印象を残すカーテンを幾重にも重ね、教室や保健室を思わせる空間を展開した。
高橋:今日マチ子先生はもう5回も水戸芸術館にいらっしゃってるんです。
鈴木:そうなんですか?
高橋:壁の絵のいくつかは、展示のためにご本人が書き下ろしてくださったものを拡大して貼っているんですけど。ご本人がすごく気に入ってくださって、よかったです。
── カーテンが、ほんとにきれいですよね。
豊嶋:プランを本のなかのあのカーテンにしようと提案をしたら、最初はそれは嫌ですといわれてしまいました。他の案も出してみたんですが、ちょっとしっくり来なかったので、「やっぱりカーテンでどうですか」と話をしたら、ご本人が「これから確認しに行きます」と仰って、確認に来てくれました。
高橋:作品のイメージに対してすごくこだわりを持っていらっしゃる方でしたね。
くらもちふさこ『駅から5分』(集英社、2007-)
とある町の数日間を、さまざまな視点から描いた本作。迷宮のような空間にマンガのコマがひとつひとつ配置され、ところどころに象徴的なアイテム(弓矢と的、風船など)が配置され、物語世界が立体的かつリズミカルに展開する。
高橋:ここは10人ぐらいのスタッフが総出で、コマを切って作ったんですよ。豊嶋さんが、どこの角にどのコマが来るのがいいかを決めていきました。
鈴木:ここすごく面白いです。ああ、こういう見せ方もあるのかと思いました。携帯電話でマンガが配信されているんですが、画面に1コマずつ表示されるんですよ。それを嫌がる作家さんも多いのですが、この展示のような形なら1コマずつでも十分効果を出せることがわかりますよね。
高橋:私はこの展示をやってみて、改めてマンガの中にこれだけの情報量が詰まっていることに驚きました。普段マンガを読む時は、ある程度中身を飛ばしながら理解していますけど、1コマ1コマを切り離して見てみると、マンガ表現の濃密さに気づきます。
伊藤剛さんが、「マンガの中ですごく重要なのは、まなざしだ」と仰ってました。例えばなにかを見つめている登場人物が描かれていて、視線の向かう先を次のコマで説明する。それが風景であれば「この人は、こういうことを感じているのかもしれない」という想像を読者に喚起する。つまり「まなざしは、次を読ませる機能を持ったもの」と解説されていました。そのトークが終わったあとにくらもち先生の展示を見て、「ああ、これを先に見ていたら、もっとよかったのに」と仰ってました。研究者から見ても、とても良い展示になっているみたいです。
豊嶋:実はまなざしの方向を変えたところが、1か所(2コマ)だけあるんです。男女が向き合っているコマですが、本来は背中合わせに配置されていたのを、左右入れ替えて、まなざしが交わされるようにしているんです。
鈴木:全体がとてつもない量ですが、単行本で何巻目ぐらいまで使っているんですか。
豊嶋:三巻目までですね。でも部分的に抜いているところもあります。全部使っていると壁がコマで覆い尽くされてしまうので、そこはビジュアル面を考えました。
*1 ボーイズラブ
主に10代の少年同士の恋愛を描くジャンル。BLとも略され、小説、アニメ、ゲームなど必ずしもマンガ作品に限定されない。文芸作品に通じるような純愛モノもあるが、ほとんど成人向けのようなキワドイ内容の作品もあるなど、いまもっとも表現手法を発展させている領域。
*2 《鳥獣戯画》
鳥獣人物戯画(国宝)。京都高山寺に伝わる全四巻の絵巻物。平安末期から鎌倉初期までの世相を、ウサギ、カエルなどの擬人化表現によって描き、日本最古のマンガと呼ばれている。
*3 ギャルゲー
アニメ、マンガ調の美少女キャラクターが登場するテレビゲームのジャンル。90年代以前から美少女を主人公にしたゲームは存在するが、1991年に発表された「プリンセスメーカー」(ガイナックス)が現在のギャルゲーの原点。他の代表的なギャルゲーに「同級生」(エルフ)「ときめきメモリアル」「ラブプラス」(ともにコナミ)など。
*4 モアレ
モアレまたはモワレ。ストライプや波形など、規則的なパターンを複数重ね合わせた時に視覚的に発生する縞模様のこと。デジタル表現が一般化した現在では、画素と周波数のずれによって同様の現象が起きることがある。