渡辺真理(建築家、法政大学教授)
ペドロ・ガダーニョ(ニューヨーク近代美術館、現代建築キュレーター)
クリスティアン・テカート(建築家、キュレーター)
謝宗哲(台湾亜州大学助教授)
五十嵐太郎(あいちトリエンナーレ2013芸術監督、東北大学大学院教授)
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、「あいちトリエンナーレ2013」と共催にて、国際シンポジウム「現代ケンチクの日本」を2013年8月11日に愛知芸術文化センター開催しました。
今、日本の建築家たちの仕事は海外からも高い関心を集めています。ただそれは、日本のスタイルを声高に主張するものではなく、身近で親しい生活空間を再発見させてくれるものであったり、新しい文化の交流が感じられるものであり、ごく自然に受け止められているように思われます。日本語の「建築」は例えばアニメやオタクのように、「ケンチク」として世界用語に果たしてなっていくのか、現代ケンチクの可能性や課題について、活発な議論が行なわれました。
アートと建築の関係
渡辺:本日のモデレーターを務める渡辺真理です。私は、かつて磯崎新の下でロサンゼルス現代美術館などの美術館設計に関わった経験があり、「あいちトリエンナーレ」のテーマでもある"アートと建築の関係"に興味を持ってきました。というのも、日本の大学において建築は工学系の学部に属し、エンジニアリングとして考えられることが多いのですが、欧米の大学では芸術系の学部に属しています。このような、エンジニアリングを重視する日本の特異性は、これまでにも議論の対象になってきました。
その一方、日本建築は国際的に高い評価を受けてもいます。妹島和世、西沢立衛の「SANAA」は、ルーヴル美術館のランスの設計を担当し、ごく最近完成させたばかりですし、坂茂はポンピドゥー美術館のメスを担当しています。エンジニアリングに属するとされる日本の建築が、世界からはアート的な分野から評価を受けていることは間違いありません。
このような日本建築の現状を前提に、本日はヨーロッパ、アメリカ、アジアから3名の建築家、キュレーター、研究者をお招きし、各国で日本建築がどのように評価されているか伺いたいと思います。さらに、あいちトリエンナーレの総合ディレクターの五十嵐太郎さんも加わっていただき、日本建築のこれから、アート分野における建築の可能性・課題を議論する予定です。
"Kenchiku"と呼ぶことがしっくりくる日本独自の建築の動き
渡辺:皆さんのプレゼンテーションを伺う前に、私からシンポジウムのテーマである「現代ケンチクの日本」について、お話しいたします。
丹下健三が生まれて100年を迎えた今年、その業績を振り返る回顧展「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」展が、香川県立ミュージアムで行われています(現在は終了)。丹下健三という建築家が、世界的に評価されるようになった先駆者であるとすると、次の世代である磯崎新、続く安藤忠雄、伊東豊雄という流れで、日本が国際的な建築動向のある一角を占めるようになってきたというの一般的な理解でしょう。しかし、その一方で現在の日本建築に対する理解は徐々に変化しているのではないか、というのが今日のテーマの一つになります。
おそらくみなさんが違和感を覚えている、今回のシンポジウムのテーマにある「ケンチク」はその推測の一つで、例えば、日本文化において「マンガ」「アニメ」「オタク」という分野・概念が着目されている現実と、建築はパラレルな現象にあるのではないか。ちょっと皮肉っぽく言うと、アニメに没頭するオタク的身体の居場所としてのカタカナの「ケンチク」がありうるのではないか。あくまでこれは仮説の一つですが、"Architecture"と訳せる建築に対して、"Kenchiku"と呼ぶことがしっくりくる日本独自の建築の動きが生まれつつあるのではないでしょうか。
戦後の日本建築の特徴として、狭小住宅という非常に小さな住宅があります。1952年に増沢洵(ますざわ・まこと)が発表した最小限住居と、2004年に阿部仁史が発表した9坪ハウス。1950年に池辺陽が発表した立体最小限住宅と、2011年のアトリエ・ワンのコアハウス。こういった小さなスケールの建築に興味を持ち、取り組んできた日本人建築家の相違点あるいは共通点を比較してみることも、大文字の「建築」に帰結しない日本建築の潮流を考える上での一つの手がかりになるように思っています。では、最初のスピーカーにバトンタッチいたしましょう。
黒澤・小津から始まった日本建築への関心
ガダーニョ:ペドロ・ガダーニョです。最初に、私個人の見解からお話したいと思います。私の日本建築に対する関心は映画から始まりました。黒澤明監督の『乱』はそのきっかけになった作品で、日本における内部と外部と空間の取り方、関係性に関心を持ちました。『乱』は戦国時代を舞台にした映画ですが、内側と外側が視点的に地続きになっているような日本の城の空間が印象的に描かれています。このような内部と外部を明確に区別せず、建物の内部もランドスケープの一部であるような関連性が、日本建築の特徴であると思ったわけです。
もう一人、名前を挙げたいのが小津安二郎監督です。小津の『東京物語』は、日本の戦後復興の様子と、日本の社会の関係性の側面を取り上げています。また撮影の視点も非常に特徴的です。小津は家の内部を撮影する場合、きわめて低い位置にカメラを置きます。これによって、内部を撮っていても外部との関連性が特徴づけられたものになり、どんどん変化していく都市の姿というものが画面に収まります。この関係性は谷崎潤一郎の文学作品『陰翳礼讃』にも関わるでしょう。
今挙げた中と外の関係は、安藤忠雄の『住吉の長屋』に見出せます。小津が描いた時代からは30年も経っていますが、空間の印象は非常に近い。欧米の人間にとってはちょっと奇妙に映るのですが、建物内部のプライベートな空間にもかかわらず、天候などに左右される外部の要素が入っているというのが特徴的です。
伝統を踏まえて試みられたイノベーション
ガダーニョ:私が、日本の建築運動で重要だと思っているのが"メタボリズム"です。これは生物的な世界へのつながりを、建築のイノベーションを通して見ていくという運動ですが、本当に真の意味での最後のアバンギャルドな運動だったと言えるでしょう。
メタボリズムに関わっていた建築家たちは、伝統的なバックグラウンドを持っていた人たちです。残念ながら、実現に至らなかったプランも多くありますが、伝統を踏まえて試みられたイノベーションは非常に重要です。それは、固定化された建築のあり方を再考する、禅の考え方や思想にもつながるでしょう。
黒川紀章が設計した『中銀カプセルタワービル』が取り壊されてしまうことは、自己的な敗北と言えるかもしれませんが、ユニット単位で交換・刷新していくという設計思想は資本主義的な破壊や取り壊しに対する抵抗でもあります。これは、(日本の神社が)まったく同じかたちで、建て直し、再生していくことを想起させます。都市の発展に対する願望が今よりも大きかった時代において、一時的なもの、一過性の建築像を提示したことは、現在においてもさまざまな問題を考えさせます。
国際的な影響力を持つ日本の建築
ガダーニョ:それでは、私が現在の日本の建築に対して何を見出しているのかについて、少しお話いたします。昨年より、私はニューヨーク近代美術館(MoMA)に勤務し、海外の建築動向のリサーチを続けていますが、特に取り上げる必要があるのは、日本の個人住宅だと考えています。
五十嵐淳の『House M』、林敬一の『大阪の家』など、非常に多様な建築がありますが、現代的な実験性と、日本の伝統的な空間の考え方ともつながっていると思っています。外見自体はきわだった特徴もないような、住宅が密集した地域における無名の家とも言えます。ですが、ミニマルなオブジェのようにも見える外見のシンプルさに対して、内部は非常に密度が高く、複雑なものになっています。これらは、中と外の新しい関係性をつくり上げていると同時に、より広い世界への関連性において新しい意味を持たせていると思っています。住宅の密集度の高い都市空間において、建築により広い空間性を持たせるためには何をすべきか、というのは国際的な建築の関心です。私が挙げた例は、それに対する日本独自の再解釈であると言えるでしょう。
このような日本の建築の動きは、伊東豊雄と妹島和世を取り上げた雑誌『El Croquis』など、主に出版物を通して各国の建築家たちにも影響を及ぼしています。例えば、ポルトガルの建築ユニット"fala atelier"は、西沢立衛の作品からイメージを膨らませ、作品をつくっているようです。
ポルトガルの建築ユニットfala atelierのプロジェクト
©Alvenarida Modular Social Housing, Lisbon. fala atelier
欧米を見渡してみますと、日本の建築を特集する雑誌や扱う書籍は、突出して多く出版されている印象を受けます。このような急速に広がるメディア環境によっても、日本の建築は国際的な影響力を持っていくことでしょう。
東洋と西洋、現代と過去がハイブリッドに関わり合う
テカート:クリスティアン・テカートです。私は今年、ウィーン応用美術館(MAK)で"Eastern Promises"という展覧会をキュレーションしました。これは、韓国、中国、台湾など東アジア諸国の建築プロジェクトを紹介し、そこにはいかなる新しい社会的な美学(ソーシャル・エステティック)が登場しているのかを検証するものです。この中で日本の建築はかなりのパートを占めています。というのも、日本建築を対象とした言説や理論を紹介する出版物は非常に多く、東アジアにおいて主導的な位置にあるからです。その中には、モダニズム建築を巡る議論も含まれていますが、日本の建築を巡る対話は、既に100年近く継続していると言っていいかもしれません。そういった対話を通して、東西文化、現代と過去がハイブリッドに関わり合う日本の建築はきわめてユニークなものと言えるでしょう。
"Eastern Promises"(ウィーン応用美術館[MAK]、2013)展示風景。SANAA、坂本一成、山本理顕ら日本勢に加え、上海で活動するKUU(佐伯聡子+Kok-Meng Tanによる建築チーム)なども紹介。人種、国境をまたいで広がるハイブリッドな日本建築の可能性を示している。
展覧会の内容に話を移しましょう。この企画を進める中で、まず考えたのは現代東アジア建築、特に日本の建築に焦点を当てるためには、どのようなディスプレイ方法を採用すべきなのかということです。そこで、屏風のようなフリー・スタンディングのディスプレイを採用しました。また、そこに京都の街並を描いた《洛中洛外図》を思わせるようなアクソノメトリック(傾斜させた状態の立体を描く投影図法)な描写法を採用しました。アクソノメトリックな視点では、明確な中心点がありません。ドローイング内に描かれた建築、自然、人間、そのすべてが中心点であり、等しい重要性を持っています。ヨーロッパ的な発想とは真逆とも言えるこの日本的と言える空間の捉え方は、東アジア共通のものでしょう。発祥を辿れば2000年前の中国に遡ることができるからです。
現代的なアクソノメトリックな表現は、アトリエ・ワンのドローイングにも見られますが、これは我々キュレーションチームにとって非常に重要でした。都市空間の密度が高いアジアの大都市へのリサーチでもあるこのユニークなドローイングによって、アトリエ・ワンは複雑性、ハイブリッド性を表現しているからです。
このような観点からリサーチを進めていく中で発見したのが、先ほどペドロさんも指摘していた、内と外、プライバシーと公共性の関係です。この二元性は、日本ではそれほど単純ではありません。個人住宅であれば、外の世界の表象であると同時に、ソフトな境界線としても機能する移ろうものであるということ。そして、時にはビジネスの場と生活の場が隣り合う中間的な空間であるということ。また、例えば伝統的な畳の部屋と縁側の関係。オープンなプラットホームとも呼べるこの空間は、解釈に対してだけでなく、実用的な使われ方についてもオープンである。この多義性は、日本だけではなく、東アジアの他の国々においても見ることができます。
建築は社会と強くつながっている
展覧会では、全部で70のプロジェクトを紹介しましたが、その半数以上が日本のものです。簡単に見ていきたいと思います。
妹島和世の『SHIBAURA HOUSE』は、キーになるプロジェクトです。西洋において、妹島と西沢立衛が結成する"SANAA"は、ハイパー美学、ミニマリズムなど、非常に強い美学的な言説で見られます。しかし、このSHIBAURA HOUSEが面白いのは、空間を共有するラディカルな実験の場であるということです。元は出版社のビルだったものを改装し、食事をしたり、ヨガを楽しんだりできる、多様な用途や人々に開かれたオープンな公的な空間として設計されています。
そしてSHIBAURA HOUSEと同じ方向性にあると思われるのが、安部良が豊島に設計した『島キッチン』です。これは既存の古い家屋を低予算で改装したもので、スロープ状になった天蓋状の屋根が取り付けられています。食事や会話を交わすことのできる、開かれたプラットホームですね。建築の厳密性から距離を置き、経済性、社会的問題、コミュニティーづくりを取り入れることで、建築が対話を生み出す手段として利用されています。建築設計のプロセスもプラットホームの一部で、安部は村の人たちと協力してこの建物をつくりました。この他にも坂本一成、山本理顕らのプロジェクトも紹介しています。
このように日本やアジアの建築をリサーチすることで見えてくるのは、新たな社会的ストラクチャーの実験と、新たなコミュニティーを形成しようとする意識でしょう。東アジアというコンテキストにおいて、建築は社会と強くつながっている。オープンで水平的な場であり、関係性の場であり、可能性の場であるのが、アジアの建築なのだと思います。
日本人建築家が台湾に与えたインパクト
謝:謝宗哲と申します。今日、皆さんにお伝えしたいのは、台湾での日本人建築家の活躍です。現在、台北と台中エリアでは、日本人建築家の新しい建築が多く進行中ですが、台湾と日本の関係は、台湾が日本の植民地であった時代に長野宇平治(ながの・うへいじ)が設計した総督府庁舎、およそ100年前の建築まで遡ることができます。1990年代には、丹下事務所が誠品書店のビルを設計しています。
21世紀に入ってから、台湾でもっとも存在感を示しているのは伊東豊雄でしょう。2009年には高雄市にワールドゲームのスタジアムをつくっています。また、現在は『台中オペラハウス』を建設中です。これは代表作である『せんだいメディアテーク』の発展型とも言えるもので、ホリゾンタルとバーティカルな二重のチューブの空間を構え、有機生物の骨のような大変複雑な構造になっています。これは、先ほどペドロさんがおっしゃっていた、内部と外部をつなげる日本伝統的な考えから生まれた概念ではないかと思っています。また、同作は台湾の建築会社に対してかなり大きなインパクトを与えていて、我々に勉強するたくさんのチャンスを与えてくれました。
伊東豊雄設計の「台中オペラハウス」建設現場
伊東豊雄は本当に台湾に縁があって、台湾大学の社会科学院の院棟も彼の設計です。特に図書館部分は、あるアルゴリズムを使いとても流動的なスペースになっています。屋根の開口部のガラスの施工など、かなり難易度が高かったそうですが、できあがったものは誰もが納得できるような美しさがあります。
じつは昨晩、登壇者の皆さんとディスカッションをしていて、"かわいい建築"というキーワードが登場したのですが、この建築は明らかにかわいい建築ですね。ここで勉強すれば、世界に対する見方ももっとかわいく感じられるかもしれません(笑)。
次に紹介するのは團紀彦が設計した『台北桃園空港』です。これはゼロからつくったのではなく、日本の伝統建築の増築の知恵・技術を用い、新しくリノベーションしたものです。ちょうど先月グランドオープンしたばかりです。この他に、日月潭の『向山ビジターセンター』も手がけています。印象的な曲線が特徴のランドスケープと建築が一体になるような空間で、環境との共生を感じさせます。
それからこれは、私も関わっている建築なのですが台湾と中国の間にあるポンフーという島に建築予定のデザインホテルです。前田紀貞の"前田紀貞アトリエ"と、私が主宰する"Atelier SHARE"の共同作業で進むこの建築の重要なポイントは、脳波の研究を応用して設計している点です。床の形状を脳波のかたちにシミュレートして、有機的なインテリア・ランドスケープをつくりたいと考えています。この他に、安藤忠雄が設計した『安藤ミュージアム』も台湾亜洲大学内に建設中で、今年10月にグランドオープンします。
現在進行中の前田貞和アトリエとAtelier SHAREの共同プロジェクト模型。
最後に紹介したいのが、藤本壮介が一昨年のコンペで採用された『台湾タワー』です。20世紀における世界の首都はパリだと思いますが、その時代の技術を代表するオブジェクトはエッフェル塔でしょう。『台湾タワー』を設計するにあたり、藤本はオブジェクトではなく環境としてのタワーというテーマを掲げました。何本ものシャフトによって支えられた地上300メートルの高さにある空中庭園とも言えるもので、マンガ『ONE PIECE』の伝説の島を思わせますね(笑)。実際に建設されるまで、どのくらいの時間がかかるか今はまだ分かりませんが、今までにないタワーになることでしょう。
謝宗哲がキュレーションした"自然派建築"(府都 KIANTIOK、2012)展示風景。台南市で開催された同展では、あいちトリエンナーレ2013に出品中の打開連合設計事務所も取り上げられた。
モダニズムの先にあるもの
渡辺:皆さんありがとうございました。3人のプレゼンターの発表が終わったところで、五十嵐太郎さんからもコメントをいただきたいと思います。
五十嵐:最初に渡辺さんから出た"Kenchiku"の問題提起から、話を続けたいと思います。そもそも"建築"という言葉は、明治時代に歴史家でもあり建築家でもある伊東忠太が"Architecture"を翻訳したところから始まっています。もっとも、日本は近代以前からずっと建築文化の流入を経験しており、中国大陸や朝鮮半島の木造建築の最新技術などを吸収し、日本的に洗練させ、変容させていくということを歴史的に続けてきたわけです。
その一方、渡辺さんが"Kenchiku"と指摘されたような現代建築が、海外に対する発信力を高めている状況が今まさにあります。ニューヨーク近代美術館の増改築は谷口吉生が手掛けました。同じくニューヨークでは、今回「あいちトリエンナーレ」に出展している青木淳や石上純也が設計した建築がありますし、ニュー・ミュージアムの設計をSANAAが担当したのは皆さんご存じのことでしょう。今度は逆に世界各地で日本人建築家が多くのプロジェクトを抱えているわけです。
一つ僕から質問なのですが、今日のプレゼンターの皆さんは日本の空間の特徴として内部と外部や境界線の曖昧さを挙げていました。そこに付け加えるならば、地震が非常に多い国である日本にも関わらず、細くて薄い建築を極限にまで追究する傾向もあると思います。
しかし、よく考えてみると、西洋から出てきたモダニズム建築が理想としていたことも、近代以前の重厚な組積造(石やレンガを積み立てる構造)の建築から離れ、壁に頼らない、薄くて軽い開放的な空間をつくることであったはずです。すでに伝統的な日本建築とモダニズムの類似性というのは議論されてきたことですが、その蓄積を経て、現在の日本建築はモダニズムが本来指向していたものをエクストリームに実現しているように思います。このような傾向も、海外からは日本的に見えるものでしょうか?
ガダーニョ:日本建築のエクストリームな透明性や軽さは、欧米の建築にも影響を与えていますから、もちろん日本的なものとして受け入れられていると思います。
この過剰性は、経済的なニーズによるものか、あるいは実験的な芸術性から生まれたものなのか、という2つの見方があるわけです。これは世界中どこでも起きていることだと思いますが、社会経済に対する問い掛けと、美学に対する問い掛けがパラレルに併存している。
私は「アメリカで、もっとも興味深い現代建築の例は何ですか?」と尋ねられることがよくあります。しかし、私にとって興味深い建築とは一体なんなのでしょう。経済的な観点での建築として興味深いものか、それとも実験的でイノベーションのある建築か。おそらくその両方なんですね。経済性と実験性が鏡のような関係になって反射し合いながら互いに影響を与えていく。そのような環境でこそ、イノベーティブな変化が起こりうる。
テカート:ペドロさんがおっしゃったように、実験的なアートと企業的な建築の間に分裂があります。そして、日本において興味深いのはその中間の部分です。ラディカルでタイポロジーの実験をしているようなもの、非常に過激なミニマルな空間に対するアプローチがある一方、より日常的なアプローチをする傾向もある。この最も顕著な例が藤本壮介でしょう。
謝:台湾で日本の建築家が受け入れられている背景には歴史的経緯もあるのですが、同時にメイド・イン・ジャパンが保証するクオリティーの高さも一因です。そして自然環境に対する感性の高さですね。とてもエレガントな曲線や、先ほど言った中間領域の意識が台湾の人々に共感を与えるのだと思います。日本建築家はファンタジー・メーカーと言えるでしょう。
「揺れる大地」の建築
渡辺:最後に一言ずつコメントをいただきたいのですが、あいちトリエンナーレは、「揺れる大地」という自然災害をテーマにしています。先ほど五十嵐さんが指摘された、自然災害の多い日本建築に、皆さんどのような印象を持っているでしょうか。
ガダーニョ:禅の哲学、一過性、移ろうもの。こういった考え方が含まれているんじゃないかと思います。西洋のような建築=恒久的に残るもの、という考え方ではない。
私たちは資本主義の社会に生きていますが、さまざまな事物が一過性のものになっているとも思います。日本の建築のテンポラリーな要素が、より存在感を持ってくるように感じます。
テカート:私たちのリサーチの中で震災後の日本の状況について何人もの建築家、アーティストと対話をしまして、特に印象に残ったのが、彼らのほぼ全員が、何らかのかたちで震災復興や東北におけるプロジェクトに関わっていたことです。地元の人たちと協力して、新しいコラボレーションを行ったり、既存の共同体、地域社会をもう一度つくり直す。
これは建築の再興だと思います。震災という危機的状況において大きな機会があり、その中で建築がもう一度自らをつくり直すことができる。ここでは、時に新しいアイデアや、新しいクリエイティビティが生み出されるでしょう。
謝:「揺れる大地」というテーマは、1999年に台湾で起きた921大地震を喚起します。語弊のある表現かもしれませんが、地震には自然環境のメタボリズム、新陳代謝を感じさせます。そこから新しい建築的思考をスタートするのは大切ですし、とても勇気のいることだと思います。
渡辺:ありがとうございます。今のコメントを受けて、五十嵐さんいかがでしょうか。
五十嵐:日本の建築の特徴の一つとして、一般的に工学部に建築が含まれるというところから議論はスタートしましたが、皆さんからエンジニアリングとデザインの関係について指摘があったのは興味深いところでした。
もう少し時間があればやりたかったのは、おそらく"Kenchiku"とも関係がある"かわいい"というキーワードです。数年前に日本の建築界でも、"かわいい"を建築の評価軸や言葉に使われるようになったことで議論が起きました。次の議論の機会があれば、ヨーロッパやアメリカから見た率直な意見も伺いたいと思います。
僕なりの理解ですが、ポストモダンになってから、モダニズムの人間に寄り添わない傾向に対する反省の上に、"かわいい"に通じる感性が生まれたように思っています。もっと人に受け入れられる、愛される建築であろう、という発想です。その日本的な方向性を突き詰めたものが、"かわいい"なのかもしれません。
※本記事は、シンポジウムの内容を抜粋して構成しています。
(シンポジウム会場写真:林育正、編集:島貫 泰介)
渡辺 真理(わたなべまこと)
建築家、法政大学デザイン工学部教授、設計組織ADH代表
1987年には木下庸子と共に設計組織ADHを設立。1981年から1995年、磯崎新アトリエに勤務、ロサンゼルス現代美術館、ブルックリン美術館などを担当。2012年真壁伝承館で建築学会賞(作品)を受賞
ペドロ・ガダーニョ Pedro Gadanho
ニューヨーク近代美術館、現代建築キュレーター
2012年現職に就任後、「9+1 Ways of Being Political」を企画、若手建築家プログラムを担当。著書に『Arquitetura em Público』。
2012年にFAD賞(Thought and Criticism)受賞
クリスティアン・テカート Christian Teckert
ウィーンを拠点とする建築家、キュレーター、講師、作家。
専門は建築、都市計画、空間論理。
1999年Office for Cognitive Urbanism設立。2001年as-if berlin wien設立。2006年からドイツ Muthesius Academy of Fine Arts and Design教授。『Negotiating Spaces』(2010年)共編。『Eastern Promises』(2013年)共編
謝宗哲 Hsieh Tsungche
台湾亜州大学創意設計学院助教授
2010年LPA(Little People Architects)建築創作連盟を結成。Atelier SHARE主宰。2012年「台日建築新鋭建築交流展 : 自然系建築」キュレーター。著書に『Pioneer Forever建築家伊東豊雄』 (2010年)
五十嵐 太郎(いがらし たろう)
あいちトリエンナーレ2013芸術監督、東北大学大学院工学研究科教授
2007年から2009年まで文化庁芸術選奨(美術部門)推薦委員。2008年ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展、日本館コミッショナー