私と日本語、そして文学翻訳について

北京日本学研究センター博士課程 岳 遠坤



 大学院二年生の時、たまたま翻訳者募集の記事を見て応募してみたら合格し、文学翻訳の道を歩み始めた。最初に翻訳したのが『徳川家康』であり、そして昨年この作品で野間文芸翻訳賞を受賞させていただいた。重なる偶然が幸運をもたらしたとしか言いようがない。受賞してから、「日本語を勉強することにしたきっかけは」とよく聞かれる。余程日本のことに精通し、少なくとも興味を持っていただろうと思われたからにちがいない。そのたびに「日本語科にまわされたから」と苦笑いしながら答えせざるを得ない。中国の大学受験制度は日本とは違い、それを説明すればながくなるのでしないことにするが、一言で言えば、私が日本語科を選んだのではなく、日本語科に拉致されたのだといえば正確なところであろう。

bungakuhonyaku01.jpg 左:山岡荘八著『徳川家康』25・26巻
右:野間文芸翻訳賞 授賞式の様子


 小さいころから文学がすきで、将来魯迅先生みたいに小説を書くのが夢だった。『阿Q正伝』を読んでは笑い、『平凡な世界』(路遥著 茅盾文学賞受賞)や『The Gadfly』(Ethel Lilian Voynich)の中国語版などを読んでは涙がこぼれる。数学の時間に小説を読んで先生に蹴飛ばされた経験もある。90年代の中国では、まだ今のように日本文学作品の翻訳が盛んに行われていなかった。そして、翻訳されても、閉塞的な田舎の本屋には届くことはなかった。況してや戦争の歴史もあって、日本語を勉強しようなど到底思いもよらず、大学に入って、国文学か英文学をやろうとひたすらに思っていた。日本文学については、歴史教科書に載せられている『吾輩は猫である』、プロレタリア文学の代表作である『蟹工船』しか知らなかった。

 大学受験の直前に読んだ『ムスリムの葬式』(霍達著、茅盾文学賞受賞作)の中に、高校でロシア語を勉強して大学に入って英語科にまわされた、脇役として登場していた女子学生がある。純粋でかわいくてかわいそうだった。主人公と同じように大学に入って愛読していた欧米文学作品を英語で読もうと思っていた私が、あたかもその脇役女子学生の人生をたどるように、日本語科にまわされた。専攻を変えることが不可能だとわかったときに、その脇役女子学生が困難に勝ち抜き、何とかほかの学生についていけたという小説のプロットが心の支えとなり、日本語を勉強しようと決心した。

 そして当然、日本文学を読み始めた。はじめて日本語をやってよかったと思いはじめたのは『坊ちゃん』を読んで思わず笑い出し、『伊豆の踊り子』を読んで心をうたれたころであろう。

 感動が興味に導かせる。そもそも外国文学が翻訳され、人々に読まれるのは、言語と文化が違うにもかかわらず、読者がその中から共感と共鳴を覚える共通性があるからであろう。言語が違い、文化も異なるという「異」が翻訳の原点だと思われがちだが、私にはむしろ「同」があるからこそ文学翻訳が発生するのだと思える。

 自国にいながら外国の作品を読んで理解できるのは現代にいながら古典作品を読んで理解できるのと同じことである。なぜかと言えば、文学は結局人間の心を描くものである。人間の心を描くものである限り、古代も現代も国外も海外もなく、通じ合える部分がある。例えば、『百人一首』に「君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな」という歌がある。その心境が恋に落ちてそして結ばれる今日の私たちと何のかわりもないので、今でも読まれているゆえんである。これは中国語に翻訳されても、きっと受け入れられるだろうと考える。そして、文学作品ではないが、『となりのトトロ』が中国でも人気があるのも観客がその中から共通的な感動を覚えるからである。時代と空間を越える文学作品の普遍性が文学が翻訳されて読まれるもっとも重要な理由だと考えられる。

 そして感動と共鳴が読者の興味を引き出し、必然的に対象国のことへの関心に導かせる。先の百人一首の恋歌が翻訳されるならば、そこに共感を覚えた読者は作者とその生きた時代と環境が気になり、調べる。だから、文学翻訳の結果として交流を深めることになる。

 もちろん、文学翻訳の意味はこれだけにとどまらない。日本文学史を眺めてみればわかることだが、文学翻訳は文化交流を促すだけではなく、常に自国の文学に新しい刺激を与え、文学の繁栄をもたらす。平安時代、中国の詩歌が訓読によって翻訳され、やがて和歌に新風をもたらす。江戸時代も同じである。先行する翻訳と翻案文学がなければ、読本の白眉だといわれる『雨月物語』の誕生もなかったに違いない。日本は古来中国文学の翻訳を通じて新たな文学の展開を花開かせたといえよう。そして近代になると、欧米文学の翻訳によって華やかな近代文学作品を生み出した。これはまた中国語に翻訳され、中国文学に影響を与えたのは周知のとおりである。

 文学作品は常に同じ原型の敷衍と反復である。そして、敷衍と反復は新しく優れた作品を生み出す。『源氏物語』の若紫巻に光源氏の目に映った幼少の紫の様子が千年語り継がれてやがてアニメ『となりのトトロ』に登場してメイになった。もちろん、内向きの単純の反復では優れた作品を生み出すことはできない。優れた作品の誕生には新しい要素と思考が要求される。新しく敷衍と反復の材料を提供するだけではなく、新しい思考様式を提供する上でも、文学翻訳の意義は大きい。

 私はいま上田秋成文学をテーマに博士論文を執筆している。大学院に入って翻案文学というジャンルに心を惹かれ、中国文学との関連に注目し、その創作方法を究明したかったというのが、上田秋成研究の道に進んだきっかけである。これから自分も上田秋成と同じように、文学研究をしながら、それを基盤に翻訳、翻案さらに日本文学の要素を取り入れた文学創作ができれば、文学を志す初心に帰することになろう。
(原文:日本語)



bungakuhonyaku03.jpg 岳 遠坤(ガクエンコン)
1981年12月山東省に生まれる。2004年、山東大学威海分校日本語科を卒業し、2007年北京外国語大学・北京日本学研究センターにて文学修士号取得。その後、天津商業大学外国語学部日本語科に二年ほど勤務し、主に日本語と日本文学を教える。2009年北京日本学研究センター博士課程に入学し、日本近世文学を専攻。2011年、国際交流基金の北京日本学研究センター博士フェローとして来日し、首都大学東京で博士論文執筆中。主な翻訳書に山岡荘八『徳川家康』(中国語版第一巻、第十巻、第十三巻)、東野圭吾『名探偵の掟』、『名探偵の呪縛』、『新参者』、夢枕獏『神々の山嶺』(上、下)、島田洋七『俺の彼』、森村誠一『地果て海尽きるまで』(上、下)、(東野圭吾)、司馬遼太郎『竜馬がゆく』(第一巻、第二巻)などがある。張龍妹著『日本文学』(上)(北京 高等教育出版社)に歌謡と近世小説の部分を執筆。




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