高須 奈緒美
国際交流基金日本語試験センター
事務局長事務代理
「いやぁ、参りました。大雪で公共交通機関が全面ストップです」
「突然のパレードで、道路が封鎖されちゃってます」
「学生デモで大学が占拠されています」
「あまりの暑さに、受験生がひとりぶったおれました」
「しょ、消防車のサイレンが・・・」
「うわああぁ、と、となりの動物園で、が、楽団がっ」(絶句)
試験実施の前日あたりから、世界各地で悲鳴があがり始める。開始時間の繰下げや、聴解試験の騒音問題などの相談が大半だが、世界中から時差お構いなしにかかってくるので、日本で待機するスタッフは携帯電話を片時も手放せない。トイレにも風呂場にも持っていく、枕元にも置いて寝る。それでも夢の中でバッテリーが切れ、踏んづけて壊し、うなされて目を覚ます。イタリアで大規模学生デモが起こったときは学生が大学に立てこもり、試験会場となる教室の占拠が続いていた。困り果てたローマ日本文化会館職員が蛮勇を奮って単身現場に乗りこみ、必死の説得。「そうか分かった、確かに我々の闘う相手は当局であって、日本ではない。明け渡す」。かくして試験は無事実施された。名付けて「どきなハーレ上陸作戦」は、いまも私たちの語り草だ。
当日受付にできた長い列(マニラ)
うなぎのぼりの受験生、
ねじり鉢巻のスタッフたち
日本語能力試験(JLPT:Japanese Language Proficiency Test)は、「日本語を母語としない人」の日本語能力を測定し、認定するため、国際交流基金と日本国際教育支援協会の共同事業として、1984年にその産声を上げた。開始当初は15の国・地域21都市で受験者は約7千人であったが、90年代後半から実施地も受験者もうなぎのぼり。四半世紀を経た2009年には、世界中の54の国・地域206都市で約77万人が受験する、他に類を見ない大規模な試験に成長した。本来は「落とすため」でなく「受かってもらうため」の試験なのであるが、合否も得点も通知されるし、最上級の認定率は約3割と決して高くない、結果は大学入試や就職・昇進、日本への留学などの参考情報としても活用される、とあって受験生も必死の形相となる次第。*1
試験会場に向かう受験者たち(バンコク)
試験が終わってほっと息つく間もなく、今度は続々と到着するマークシートのエラーチェックが始まる。若手職員が打ち揃って出陣し、世界中から送られてくる試験監督員の報告書とエラー内容を照合し、機械だけでは対応できなかった問題を解決していく。その数しめて数百件、受験番号の塗り間違いや監督員の欠席者記載漏れを個別に現地実施機関に確認し、すべてのエラーをつぶした頃にはもうヘトヘト。なにせその間も、「私の生徒、泣きました。じゅけんばんごう間違えました。どうしていいか、さまよいます」みたいなメールが現地の先生たちから連日のように舞い込んで来るのだ。「大丈夫、すでに間違いが見つかって訂正ずみですよ」、と回答すれば、「私の生徒、また泣きました。今度はうれしくて、泣きました」・・・・ 一方で、この時期すでに、次の試験の受験願書やポスターの準備は佳境に入っている。新しい実施地も決めなくてはいけない。日本語試験センターの「終わりのない旅」はまだまだ続く。
実施の年2回化と試験の改定
-新JLPTの「売り」
四半世紀にわたって毎年12月に繰り返されたこの儀式が、2009年からは7月と12月の2回になった。そして2010年、「課題遂行のための言語コミュニケーション能力の測定」を表看板に掲げた新しい日本語能力試験が誕生。丸暗記では対応できない新しい課題(「統合理解」「即時応答」「情報検索」など)の遂行能力を測る問題形式を導入、レベルも4段階から5段階となった。各レベルで「言語知識(文字・語彙・文法)」「読解」「聴解」の能力を測定し、合否を決定、得点とともに通知する。N1が最もむずかしく、N5が最もやさしいレベル。すべてマークシート択一方式で、点数(0点~180点)は、素点(いくつ正答したか)ではなく、「等化による尺度得点」*2で表示される。これを年2回毎回5レベル、作って‐実施して‐採点して‐認定して‐通知するのである。終わりのない旅は、さながら「24時間耐久レース」の様相を呈してきた。
ロゴとポスターは2010年『日本タイポグラフィ年鑑』シンボルマーク部門・グラフィック部門ダブル入選
新JLPTの現場
‐文化の精密機械工業
日本語試験センターは、新JLPTというクルマの生産現場である。車の両輪は、言語教育測定の理論と日本語教育の実践。目指すは、ひとりでも多くの「よきユーザー」の獲得。そのためには市場調査と商品開発、デザイン・設計、良質な資材や部品の調達、その部品の精緻な組み立てが欠かせない。まさに文化の「ものづくり」であり、精密機械工業といえよう。工程管理と品質管理をゆめゆめ怠るな。納期の遅れは断じて許さん。1台たりとも不良品は出すな。新車発表会は7月と12月の毎年2回、常に同じ品質・同じ性能を保証すべし。こんな過酷な業界、ほかにどこにもない、といつも思う。
良い車の製造には、項目応答理論(IRT)や認知言語学、言語コーパス・データベースなどの最新テクノロジーと、日本語教育の現場で培われた勘というか匙加減というか、ネジを締める「指先感覚」が欠かせない。ユーザーは、全世界のあらゆる学習環境の中で、日本語を「学ぶ」-「教える」-「使う」人たちである。それぞれが、実力判定、進学・就職・昇進、学習目標設定、教育制度への組入れなど、JLPTを活用する目的を持っており、そのニーズと要求水準は、留まるところを知らない。JLPTは、日本語のさらなる可能性を引き出し、未来へとつなげる乗り物なのである。
プロフィシェンシーを測る
‐日本語の未来へ向かって
JLPTのPは、「プロフィシェンシー」のP。「熟達度」、「堪能さ」などと訳されるが、日本語を使って実際の場面でやりたいこと‐アニメを見たい、マンガが読みたい、ニュースを理解したい、ビジネスの交渉をしたい、村上春樹を読みたい、日本の歴史を研究したい等‐が、どこまでできるかの度合いを示す。プロフィシェンシーは、日本語が「わかる」だけでなく、学習した言語知識を、未来に出会うであろう現実場面で「使える」能力、つまり「未来志向」の能力だといえよう。新JLPTが掲げる「言語コミュニケーション能力」は、その獲得に向けた手段である。プロフィシェンシーとは、日本語の構造と規則を知り、その知識を「読む」「聴く」「書く」「話す」ために駆使し、「日本語による課題遂行という知的複合作業の階段を上り続ける」エネルギーではないかと思う。課題をひとつ遂行すれば、次の課題と上るべき階段が見えてくる。「やりたいこと」はますます増え、内容も深まり、遂行に新たな複合的能力が求められる。マンガが読めれば十分、と思っていた若者が、村上春樹を読んでみたくもなろう。アニメが見たかった学習者が、ニュースを聞いたり新聞を読んだり、アニメの背後にある日本の文化や社会の諸相を研究し出すかもしれない。
JLPTはこれまでもずっと、国別認定率を公表してこなかった。合格者の順位も発表しない。国どうし、学習者どうしの競争でなく、学習者ひとりひとりが、JLPTの「よきユーザー」として、日本語で「できること」の花束を将来に向けてますます大きくしていくことが、この試験の本来の目的だからである。もっと多くの人と、もっと深くつながり、異なる文化背景や考えや新しい価値に目を開き、将来に向けたきずなを強める。旧試験を発展的に継承しつつ、未来志向の試験へと新JLPTは大きくハンドルを切った。ひとりの学習者が自らの知的関心に気づき、自発的な学習動機を発展させ、知的好奇心の持続可能な連鎖を生み出していくとき、プロフィシェンシーは育まれていく。新しいJLPTというクルマは、日本語と学習者の未来を載せて、ゆっくりと走り始めたばかりである。
*1 日本語能力試験公式ウェブサイト「図で見る日本語能力試験」 http://www.jlpt.jp/statistics/index.html
*2 尺度得点とは、同じレベルのいつの試験を受けても、同一の基準で能力を測定できるように「等化」し、ひとりひとりの受験者の得点をその「共通の尺度(ものさし)」の目盛り上にひとつひとつ位置づけ、各試験の難易度から独立して能力を絶対評価として数値化したもの。例えばTOEFLがいつの試験を受けたかに関わらず、108点取れば「TOEFLの108点」として独立した価値を持つのと同じと思えばよい。但しTOEFLはJLPTと異なり、レベルはひとつだけで、合否もない。JLPTはさしずめ「合否認定がある、5本立てのTOEFL」とでもいえようか。 <詳細説明 http://www.jlpt.jp/about/pdf/scaledscore_j.pdf >
※新しい日本語能力試験の概要や尺度得点については、雑誌『日本語学』2011年1月号・2月号でも以下のとおり紹介されています。
李在鎬(2011)「日本語能力試験の挑戦~新しい日本語能力試験を例に」『日本語学』第30巻1号, pp.95-107
川端一光(2011)「新しい日本語能力試験の挑戦 ~新試験を支えるテスト理論~」『日本語学』第30巻2号, pp80-92バングラデシュでの初めての新試験でN1レベルに見事合格したアラムさんから日本語でのメッセージ。
「試験は言葉の意味だけではなく、実際にどんな場面でどう使うか、つまり、コミュニケーションの力を測ると思います。 N1に出た問題は、自分が実際の生活で使った記憶があるものが多かったです。新JLPTを目指す学習者は、実際の日本語を使う練習をしなければなりません。色々なコミュニケーション活動に触れて、日本語を理解していく必要があります。私のクラスは40人ぐらい学生がいて、教師と学生いちいちのやり取りはとても難しいですが、それでも学生中心の活動をさせ、学生も教師や他のクラスメートの発話を真面目に聞く必要があります。世界中の日本語学習者が、日本語の意味だけではなく実際の使い方を分かった上で、楽しんで日本語の勉強を続けて欲しいです。」
(大学2年から日本語を学び、2010年N1レベル合格。日本語国際センター教師研修にも参加。現在はダッカ大学で教鞭を執る。)