ジャカルタ日本文化センター
プルウォコ・アディ・ヌグロホ
国際交流基金ジャカルタ日本文化センターは、上川あやさんをインドネシアに招き、トランスジェンダーをテーマに、ディスカッション・フォーラム「新たなアイデンティティーと生きる―ジェンダーという問題」を2013年4月30日に開催した。
このフォーラムは、インドネシア社会が現在直面する課題について刺激的な問題を提起し、そのテーマについて自らの経験を分かち合いたい、あるいは建設的な意見交換を行いたいという人々に議論の場を提供することを目的として、ロンタール財団との共催で5回シリーズで開催しているインドネシア文学を題材にしたディスカッション・フォーラム「アイデンティティーを探して」の第3回目にあたるものである。
今回、私たちはなぜジェンダーを取り上げたのか。その理由は、ジェンダーはその人を特徴づけ、その人と社会とのかかわり合いを決めるアイデンティティーの根幹部分と考えられるからである。第三の性、あるいは社会の隅に追いやられたジェンダーと言われるLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)も、例外ではない。
私たちはフォーラムの冒頭で次のような質問をした。「自分の性別に居心地の悪さを感じたことがありますか?」、「絵を描くときに、なぜ女の子は長い髪とスカート、男の子は短髪と半ズボンの姿で描くのか、疑問に思ったことはありますか?」、「そうした絵に自分がそぐわない居心地の悪さを感じた場合、どうなりましたか?」。私たちはこうした質問を糸口にしてフォーラムを開始し、有意義で示唆に富む議論が行われた。
今回、日本からパネリストとして参加した上川さんは、東京で最も人口が多い世田谷区の区議会議員を務める有名な政治家で、トランスジェンダーとして日本で初めて公職選挙に立候補し当選した人物である。
インドネシアからは3人のパネリストが参加した。1人目は、自伝的小説『Don't Look at (Only) My Genitalia』(私の性器<だけ>を見ないで)や『A Woman without V』(Vのない女)の著者、メルリン・ソフヤンさんである。メルリンさんは「2006年ミス・トランスセクシュアル・インドネシア」に選ばれ、インドネシアの女性の地位向上に貢献した人物に贈られるサパリナ・サドリ賞の2012年第3位を受賞した。2人目は、国連開発計画(UNDP)インドネシア事務所でLGBTと人権問題を担当するルルック・スラフマンさん、3人目は、新進気鋭の多才な歌手ミズ・アジェンの母親、ハリマさんである。ミズ・アジェンは男性として生まれ、幼児時代の名前はラデン・マウラナだった。
2013年4月30日、ジャカルタで開催された、インドネシア文学を題材にしたディスカッション・フォーラム・シリーズの第3回「新たなアイデンティティーで生きる-ジェンダーという問題」の参加パネリスト。左3番目から順に右へ、ミズ・アジェン、上川あや、メルリン、ルルック、ハリマの各氏。
温かく受け入れて、支えてくれた家族
フォーラムで上川さんは、「普通の男性のふりをするのはもうやめて、本当の自分でいるようにしようと決めました。私は男性から女性に性転換しましたが、それは、自分が皆と違うと思っていた、心と体が一致していないと感じていたからです。でも簡単なことではありませんでした。自分が正しいと思うことをやりなさいと言って励ましてくれた父のおかげです。」と語った。
上川さんは政治家として、女性や子ども、高齢者、障害者、LGBTの人たちの権利の向上に尽力している。上川さんの経験から学べるのは、私たち市民ひとりひとりが勇気を出して立ち上がり、少数派の声を代弁する必要があるということだ。そうすれば、上川さんや支援者のように、私たちもやがては社会をよい方向に変革できるだろう。
2013年4月30日、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターで自らについて語る上川あやさん。
また、メルリンさんによると、彼女の人生で最も大切な瞬間は、「ミス・トランスセクシュアル・インドネシア」に選ばれたときでもなければ、本を出版してもらったときでもない。父親から電話で、メルリンさんを娘に持って(もう息子ではない)誇りに思っていると言われた時である。
フォーラムが充実したものになったのは、愛する子どもの性の問題を、社会規範にとらわれず、社会からの批判にもめげずに受け入れた、一人の誠実な母親が語ってくれたおかげでもある。その母親、ハリマさんは、慎み深いイスラム教徒の家庭に生まれた伝統的で保守的な母親であるが、イスラム教原理主義とは正反対の立場をとっている。ハリマさんは「どの子どもにも生まれながらに長所と短所があります。それは、全能なる神が定められたことなのです。自分の子どもがどのような状態であれ、たとえ最初は悲しみと怒りがこみ上げようとも、その子を温かく受け入れて、支えてやるのが母親の務めです。」と話した。
称賛された上川さんの勇気
上川さんのインドネシア訪問について興味深く感じたのは、インドネシア国民が彼女の訪問を受け入れたことである。私たちは当初、インドネシアの人々が上川さんの来訪と今回のフォーラムに対してどのような反応を示すのか、心配していた。驚いたことに、上川さんはインドネシアの人々に温かく受け入れられだけではない。フォーラムでは、いろいろ考えさせられるだけでなく建設的な議論が展開された。
参加者同士の議論が続いていたとき、一人が立ち上がり、上川さんの勇気を称賛した。彼女がありのままの自分を受けいれているだけでなく、性的マイノリティーに限らず社会の少数派の声を聴き、その声を政府に届けるという政治家としての役割を担っていると称えたのである。
翌日、上川さんはインドネシア大学大学院日本地域研究科の学生向けに実施された公開講座で話をしたが、そのときも、同じように上川さんは称賛を受けた。学生の一人は、「少数派の平等な権利を求めて闘う上川さんの話を聞くうちに、行政や政治の場にマイノリティーの人々がいることが重要だと思うようになりました。やがてはインドネシアでも、民主主義を推し進め、よりよい国をつくるために、政府内にマイノリティーを代表する人がでてくることを願っています。」と述べた。
2013年5月1日、ジャカルタのインドネシア大学大学院日本地域研究科で公開講座を行う上川あやさん
2013年5月1日、ジャカルタにて。LGBTへの支援を行うインドネシアのNGO「アルス・プランギ(虹の流れ)」の事務所でNGOメンバーと話し合う上川あやさん
こうしたフォーラムや対話から私たちが学んだのは、まず、ありのままの自分自身を知って受け入れることが非常に大切だということである。自分を受け入れてもらいたいと他人に望むのは、その後のことだ。自分も相手も、どちらが間違っているということではない。ただ違うだけである。そして、少数派の声にもっと耳を傾けることで、社会をよりよくより明るい方向へ変革する可能性が見えてくるということを教えられた。
万全を期した治安対策
今回のフォーラムの開催に先立ち、私たちは安全面で不安を感じていた。数年前、性的マイノリティーを主題にした映画祭を開催した際に、イスラム原理主義者のグループが私たちの事務所に押し掛けて、イベントの中止を余儀なくされたことがあった。そのため、今回のイベント開催にあたり、再び同じようなことが起こる可能性があるかもしれないと心配したのである。したがって、広報活動においては、フォーラムをどのようなイメージで伝えるのか慎重に計画するとともに、治安対策の問題にも細心の対応をしなければならなかった。フォーラム開催の告知にあたっては、「挑発的な」イベントだというイメージを与えないように努めた。より正確に言えば、もともと「挑発はしない」が「思考を刺激して考えさせる」イベントを目指していたのである。
保安面では、事務所が入居するビルの警備担当者とよく協力し、緊急事態に備えて最寄りの警察署に連絡をとれるよう手筈を整えた。
開催当日の朝まで、ビルの警備担当者からも警察当局からも、危険な事態が起こりそうだという報告は受けなかった。結果的にも、幸い、危険を感じるようなことは何も起こらず、ディスカッション・フォーラムは順調に開催されて、私たちは安堵した。
フォーラムでは、ジェンダーの問題をたまたま抱える勇気ある人々が社会とどう向き合っているか、非常に珍しく興味深い話を聞くことができた。パネリストが語ったユニークな話には、悲しみと絶望だけでなく希望と喜びも混ざっていた。話を聞くと、さまざまな社会における人間の理解がジェンダーに基づくものであるということ、女性らしさや男らしさを基準にして社会が人を判断しているということが、よく見えてきたのであった。
プロジェクトの背景
イスラム教は世界第2の宗教として、その信者数は約16億2000万人、世界人口の23%以上を占めている。このなかで、インドネシアはイスラム教徒の人口が世界で最も多く、全世界のイスラム教徒の12.7%が居住している(下表を参照)。
イスラム教徒の多い国
出典:マップス・オブ・ワールド『イスラム教徒人口が多い国ベスト10』、 http://www.mapsofworld.com/world-top-ten/world-top-ten-countries-with-largest-muslim-populations-map.html
インドネシアのイスラム教徒人口は世界最大であるが、イスラム教はインドネシアの国教ではない。インドネシア国家のイデオロギーとなっている建国五原則「パンチャシラ」の第1の理念には、「唯一神への信仰」と書かれている。これは、各人にとっての唯一の神と信仰方法を国民それぞれが選択できるという意味である。また、インドネシア共和国憲法も国民に信仰の自由を保障している。しかし、政府が公認している宗教はイスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンズー教、仏教、儒教の6つだけである。このほかに、「信仰」(kepercayaan:英語のfaithにあたる)と呼ばれるものがあり、複数の土着信仰もこれに含まれる。
インドネシアは世俗主義国家でもなければ宗教国家でもない、中間的な国に分類される。世俗主義国家とは「信仰、無信仰のどちらも支持しない国」と定義され、これに対して宗教国家は、一つの宗教を国教と定める国と定義される。インドネシアの場合、いずれの宗教も信仰しない無宗教は、訴えられることはないが認められていないため、世俗主義国家とはいえない。また、政府は特定の宗教を国教と定めていないので、宗教国家というわけでもない。
2010年の国勢調査によると、イスラム教は人口約2億4,000万のインドネシアの8割以上を占める、インドネシア最大の宗教である(詳細は下図を参照)。これだけの数のイスラム教徒を管理するために、宗教関連の政府業務は、宗教大臣が監督管理の責任を負っている。また、イスラム教以外の政府公認の宗教も、宗教省内にそれぞれ担当局がある。
出典:インドネシア統計局『地域別・宗教別人口』、 http://sp2010.bps.go.id/index.php/site/tabel?tid=321&wid=0
インドネシアはイスラム教徒が大半を占め、世界最大のイスラム教徒人口を抱えているという事実を考えると、イスラム教の価値観は多くの分野で多大な影響を及ぼしている。社会がLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の問題をどう捉えているかということも、その例に漏れない。現在まで、LGBTはインドネシアでは少数派と位置付けられてきた。一部には、LGBTを社会の隅に追いやられたジェンダーという向きもあるかもしれない。LGBTはしばしば異常、奇形などに分類され、病気というレッテルを貼られることもある。
LGBTにまつわる問題には、LGBTの独自性、LGBTはどこから来たのか、人の心や身体の性は生まれた時点ですでに決定しているのか、あるいは、LGBTの存在は社会や文化の変化がもたらした「産物」だと認識されているのかなど、さまざまなものがあるが、インドネシアではこうした観点でLGBTの問題に取り組んでいるわけではない。インドネシアにおけるLGBTの最大の問題は、社会がLGBTをどのように捉えているかということである。インドネシア国民の大半は、LGBTが、人間の自然の摂理や規範を犯していると考えている。LGBTは同性同士で性交渉したり、(トランスジェンダーの場合は)手術で性転換したりするが、それは、信仰や神の意志に背く行為だと考えられているのである。
このような背景を理解すると、インドネシアにおいて、性的マイノリティーを主題として扱うディスカッション・フォーラムの開催が、いかに刺激的で挑戦的なものであり、それゆえ、価値あるものであったかについて、読者の皆様により深くご理解いただけるのではなだろうか。