震災のあとに「書く」こと ー 江國香織、平野啓一郎、堀江敏幸、綿矢りさ

パリ日本文化会館
牧瀬 浩一



shinsai_paris02.jpg 2011年3月11日東日本で起こった大震災のあと、作家にとっての「書く」行為とはどのようなものだったのでしょうか? そこにどのような感覚や意識が生まれたのでしょうか?
 国際交流基金パリ日本文化会館では、震災特別復興事業「震災を乗り越えて~日本から世界へ」と題した文化事業の一環として、2012年3月17日に、日本人作家を交えて、ラウンドテーブル「ポスト3.11の日本文学」を開催いたしました。
 ラウンドテーブルに出席いただいたのは、3月16日~19日に開催されたフランス最大の書籍見本市、「サロン・デュ・リーブル」に招待された江國香織氏、平野啓一郎氏、堀江敏幸氏、綿矢りさ氏の4名。モデレーターは、翻訳家・作家のコリーヌ・アトラン氏でした。
 ここでは2時間に渡って行なわれたこのラウンドテーブルを、「震災」そして「ことば」という観点から、印象的な作家のことばを引用しながら一部を紹介します。

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左から、綿矢りさ氏、平野啓一郎氏、コリーヌ・アトラン氏、江國香織氏、堀江敏幸氏


書く行為と震災
震災が起きたときに、4名の作家の方々はそれぞれ違う場所で、それぞれ違う活動をしていました。最初の質問は、震災に対峙して、震災そのものを「書くこと」もしくは「書かないこと」でした。

shinsai_paris03.jpg 「原稿に『大震災で被害に遭われた方へお見舞い申し上げます』という一文を入れるかどうかでひどくもめました。そういうメッセージは要らないと考える人もいる、と編集者に言われましたが、それでも、私はやはりつけたほうがいいと思いました。今になってはよかったかどうかわかりませんが、その時は避けては通れないことだという意識があって、小説の末尾にメッセージが入っています」(綿矢氏) white.jpg

「震災後かなりいろんなところに文章を書きました。というのは、地震直後、電話が一切通じなくなったとき、ツイッターだけがなぜかつながったんですね。[...]何でもいいから、(ツイッターで)とにかくもうその時々に思うこと、考えることを言おう、小説で書かなければいけない言葉のレベルとそれを分けて考えようと思いました。使い捨てられるような言葉でもいいから語り続けようと」(平野氏)


震災と文学への影響
今回の震災が日本文学に与える影響について、作家の方々はどのように考えるでしょうか。アトラン氏は戦争や原爆が戦後日本文学に与えた影響を類比しながら、それぞれに問いかけました。堀江氏は影響やテーマという言葉の意味の多義性に言及しつつ、次のように語っています。

「[...]具体的にそれについて書かなくても、何かを言えば必ず言葉の軸が外の世界に触れて、揺れるということです。その空気の振れ方が、今日と明日でどのように違うのかを自分で見極めるために、僕は書いています。空襲の現場、あるいは震災や津波の現場、あるいは原発事故の現場で闘わなければならないことがある。しかし現場を体験していない人のいる周縁にも、よりはっきりと、より恐ろしい形で歪みは生じてくるのではないか。そう思うこともあるんです。「直接である/直接ではない」という言い方は、本来、成り立たないと思うのです。何を書いても、直接にならざるをえないということです」(堀江氏)

shinsai_paris04.jpg 「戦争とこの震災を文学という場で比較ができるかという問いについては、時間が経てば可能だと思います。時間が経って震災をもし文学にできた作家がいたら――平野さんがおっしゃったみたいに、まだ災害自体が続いていることですから、本当に時間がかかるだろうと思うんですが、そうなれば比較は可能ですが、比較することに意味はないと思います。そして、もしいつか誰かがこの震災を文学にするなら、戦争のときと違って、物語に加工することが戦争よりもう少し自由だったら、それが物語である以上、題材としては戦争でも病気でも恋愛でも家族でも同じくらい自由に扱えるようであればいいのにと思っています。そうしない限り文学にならないと思うからです」(江國氏) white.jpg


日本語のことばと翻訳の問題について
日本語や日本文学の特殊性。そうした概念を含め、作家の皆さんは自分の作品が翻訳されることにどのような考えをお持ちなのでしょうか。そして海外の読者に対してどのようにメッセージを伝えようと考えているのでしょうか。

shinsai_paris06.jpg 「日本に住んでいて小説を書いている以上は、日本の読者にまず読んでもらうことを考えます。しかし同時に、表現者としては世界中のもっと多くの人に読んでもらいたいとも考えます。しかし翻訳を介すると、マニエリスティックに凝った日本語で文章を書いたとしても、その技巧の効果のほとんどは失われてしまいます。[...]日本語で書く作家としては、これからも自分の日本語をしっかり作っていきたいという感情と、その特性の多くが翻訳されるときに失われてしまうだろうことを、矛盾し解決のつかぬまま抱えて、これからも小説を書き続けることになりそうです」 (平野氏) white.jpg

「私にも多くの国の人に自分の書いたものを読んでほしいという気持ちはありますし、さらに言うと、日本で日本語で書いているときでも、日本に限らず、特定の読者をイメージせずに書いています。でも、日本語で書いていますから、そして私は、自分の小説は、そこで何が起こるかはあまり重要ではなくて、それをどう書くかのほうがずっと重要だというふうに、仕事をしているので、自分の日本語を抜きに私の小説は成立しないと思っています」(江國氏)

「日本人同士でも理解できるかどうか際どいようなものを書きたいと思っていると、外国語に訳してもらったとき、もっと伝わらなくなってしまうかもしれません。そこは真剣に悩むというか[...]でも、ドストエフスキーとかで、新訳と旧訳を読み比べたりすると、どちらも全然違う言葉を使っているのにそれぞれやっぱり面白い。伝わる。誤訳がいくつかあっても、それが問題にならないぐらいに話が面白いんですよね。そういう世界的に共通する感情があるというのにもすごく憧れてはいるんです」(綿矢氏)

shinsai_paris05.jpg 「日本語で書く以上は日本語で読まれることをまず考えています。外の言語への転換を最初から意識して書くことは、まったく考えていません。自分が少しずつフランス文学に近づいていったように、どこかから日本文学に近づいていてくれる人がいて、そこで自分の言葉を拾ってくれたらそれでいい。語学には、母国語も含まれます。僕はまだ日本語の勉強中です。もっと学ぶこと、できることはあるという気がする。[...]日本語をもう少し外から見て、前に進めることも必要です。翻訳者として時々は、それをやっていきたい」(堀江氏) white.jpg


時には和やかに、時には緊張した雰囲気で展開したラウンドテーブルですが、震災や原発事故など残酷な現実をつきつけられた日本で、どのように文学は変容していくのか、動いていくのか、示唆に富む2時間でした。




なお、このラウンドテーブル「ポスト3.11の日本文学」全体は、雑誌『文學界』(文藝春秋発行)の2012年6月号に掲載されました。



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