情報センター オレリアン・ハンクー
国際交流基金では、東日本大震災復興に向けた様々な取り組みを行っている。その中、2011年度の国際交流基金地球市民賞においては、国際文化交流を通じた復興支援を行っている被災県の団体に対して「理事長特別賞」を贈ることとなった。
例年、受賞団体の選定に当たっては、事務局スタッフが候補団体の所在地を訪れ、ヒアリング調査を行っているが、今回の特別賞の選定については、私が岩手県への調査出張を担当することになった。候補に挙がった団体と連絡を取り、出張の旅程を調整してみると、電車の線路がまだ復旧しておらず、移動に時間がかかることが分かったので、候補団体へ直行することはあきらめ、まず盛岡に一泊し、翌日に候補団体を訪れ、ヒアリングを行うことにした。盛岡へと向かったのは、2012年2月15日のことだった。
岩手県国際交流協会への訪問
盛岡駅の近くの予約したホテルにチェックインを済ませたあと、岩手県国際交流協会を表敬訪問し、震災の影響と震災後の国際交流について伺った。県内の死者・行方不明者あわせた約6,000人のうち外国人は5人だった。(その一人が陸前高田市のJETプログラム英語指導助手(ALT)モンゴメリー・ディクソンさん(1)である。) 2011年12月末の時点で、岩手県内の外国人登録者が約5,300人と震災前より約700人の減少しており、県外または海外に避難した方が多かったが、日本人の配偶者である在住外国人の場合、岩手県に戻った人も多いという。国際交流については、各地の組織が弱体化したことで、外国人ボランティアの受入体制が弱くなり、被災した在住外国人の孤立や精神的不安といった心のケアなどの課題が山積しているなか、各地で連絡会議を開催し、対応を急ぐなど奮闘しているという。
(1)国際交流基金では、JETプログラムにより来日し、外国語指導助手として活躍中に東日本大震災によりお亡くなりになった米国出身のテイラー・アンダーソンさん(バージニア州ランドルフ・メーコン・カレッジ卒業、宮城県石巻市にて勤務)とモンゴメリー・ディクソンさん(アラスカ州立大学アンカレジ校卒業、岩手県陸前高田市にて勤務)の業績を称え、両氏が日米交流に託した遺志を継ぐことを目的にした記念プロジェクト2011米国JET記念高校生招へい事業などを実施しています。
岩手県国際交流協会内に展示されている応援メッセージやチャリティーグッズ。今回の東日本大震災が世界中の人々に与えた影響の大きさを改めて実感した。
いざ、陸前高田市へ
翌朝、バスに乗り込み、盛岡から陸前高田市を目指した。沿岸部に近づくにつれ、仮設住宅があちこちに現れ、雪はほとんど溶けていたが、吹く風がとても寒くて、被災者に強いられている避難生活の厳しさに唖然としながら、出発から約3時間、バスは陸前高田市国際交流協会の事務局が入っているという市役所の前に止まった。
高台に三つ並んでいる2階建ての仮設庁舎に殺風景な印象を受けたが、建物の中へ入ってみると、職員の作業着やスリッパを履いている姿は、私がJETプログラムの国際交流員として3年間勤めた町役場の雰囲気にとても似ていることから、すぐに親近感が湧いてきた。総合受付で国際交流協会の事務局を尋ねると、係が一番奥の3号棟の2階にある教育委員会へ案内してくれた。
見た目は殺風景だが、復興に向けて市職員が一丸となって働いている陸前高田市役所
地球市民賞のための調査ヒアリング
陸前高田市国際交流協会は、フィリピン出身の女性が日本人の配偶者として在住することになった1995年に、市が率先して設立した。日本語教室と国際交流イベントを主な事業としており、教育委員会が今もその事務局を担当している。
まず、今回の調査に協力してくれた学校教育課の熊谷さんに挨拶し、国際交流基金と地球市民賞の概要を紹介、震災後における協会の状況について尋ねた。協会の運営に携わっていた市職員が津波に飲み込まれ全員死亡し、資料や日本語教材も全部流失したため、何もかもゼロから再スタートせざるを得なかったが、少しずつ活動を再開していると語ってくれた。
在住外国人に対する支援について聞いてみると、熊谷さんは、最前線でそれを行っているという日本語教室講師の大和田さんを紹介してくれた。大和田さんは、震災直後に生徒たちの安否確認をするために避難所を片端から巡った自身の体験から、幼い子どもを抱えて夫の親戚や避難所での生活を強いられてストレスや不安を感じているフィリピン出身の母親のこと、親戚を求めて避難所や遺体安置所を巡って夜が不安で眠れなくなった中国出身の女性のこと、支援物資として子どもの用品しか必要としない母親のことなど、どれも胸にしみる話を聞かせてくれた。今も、在住外国人が孤立しないよう、被災体験について話し合える機会を設けたり、地域の祭りや行事に積極的に参加したりして、コミュニティの再生に取り組んでいる。被災しながらも自分自身のことを二の次にして、在住外国人の支援をひたすら続けている大和田さんに強く感銘を受けた。
壊滅的な街を目の当たりにして
熊谷さんと大和田さんに別れを告げ、次の目的地へ向かったが、高台を降り切ったその時だった。仮設市役所からまったく見えなかったが、流失された街の壊滅的な状態とあちこちに高くそびえるがれきの山を目の当たりにしてゾッとした。私の乗った車は、かつて道路だった場所を走ったり、平地を横切ったりしながら国道を目指してほとんど直進していった。東北が完全に復興するまでの道のりはとても厳しく、そしてとても長いと痛感しながら、市のシンボルとなった一本松が見えなくなるまで後ろを振り返り、陸前高田市を後にした。
(左)何もかもが流失した街(右)高くそびえるがれきの山
シンボルの一本松を見送って
地球市民賞授賞式での決意と感謝
理事長特別賞の受賞団体は、岩手県の陸前高田市国際交流協会、宮城県の国際交流協会ともだちin名取と福島県の特定非営利活動法人ザ・ピープルの3団体に決定し、授賞式は、2012年3月7日に国際交流基金本部で行われた。陸前高田市国際交流協会からは、大和田さんが会長の代理として出席し、受賞挨拶では、協会の起点である日本語教室を在住外国人の支援へ導くレールに例え、「陸前高田市を襲った災害で協会は何もかも失ったが、これまでの17年間の活動で築いてきたネットワークのおかげで2011年10月に日本語教室を再開させることができ、生徒の笑顔を見ることができた。地道ながらも今後ともそのレールに乗って活動を続けていく」と決意とともに感謝を述べた。大和田さんの言葉は、会場に集まっていた150人の心に深く響いたに違いない。
2011年度の地球市民賞は、このように一生忘れられない体験になった。2012年度はどうなるか、すでに楽しみにしている。(原文:日本語)
2011年度国際交流基金地球市民賞で感謝の言葉を述べる受賞団体代表者(写真:相川健一)
陸前高田市国際交流協会(岩手県陸前高田市)
代表者 熊谷 睦男(むつお)(会長)、設立年1995年
1990年代半ばに設立され、日本語教室や国際文化交流イベントを通じて、地域の国際化を支えてきた。東日本大震災に際しては、協会の関係者は自ら被災しながらも、行政と連携し、安否確認を初めとして、生活相談、物資調達を通じて被災した在住外国人支援を行い、現在も、厳しい状況下、日本語教室の再開や国際交流会の実施を通じて、地域コミュニティの再生に向けて、街の復興に取り組んでいる。
国際交流基金地球市民賞
日本各地において、その地域の特性を活かして他のモデルとなるような優れた先導的な国際文化交流活動を行っている団体に対して、1985年度より「国際交流基金地球市民賞」の授賞を行なっている。2011年度は、東日本大震災を受け、国際文化交流を通じた復興支援を行っている国際交流団体に対し「理事長特別賞」を贈呈した。