日本研究・知的交流部
小松諄悦
自然を克服しようとしてきた西洋と異なり、日本とメキシコは、自然を畏敬し、自然と共生しようとしてきました。
日本とメキシコが協力して、欧米に発信できる、日墨共通の価値観を模索する試みが、2006年7月20、21日に金沢で開催されました。「日墨文化サミット」と名付けたシンポジウムです。
日本、メキシコ双方から8名ずつ文化人・知識人(建築家、科学者、ビジネスマン、美術専門家、映画監督、学者など)が集った会議は、金沢の伝統(旧中村邸)と現代(21世紀美術館)を舞台に開かれました。会議では、自然観、グローバリゼーション、アイデンティティ、伝統と現代、文化交流のあり方、などのテーマについて、活発な意見がかわされました。
ともに自然と共生しているとはいえ、メキシコをはじめとするラテン・アメリカでは、手を加えない自然そのものの中にいきることであり、日本では、作られた自然とともにいきることです。
アイデンティティを際だたせるためには他者が必要です。日本もメキシコも、対象とする他者はヨーロッパではありますが、ヨーロッパは、メキシコにとっては内なる他者であり、日本にとっては外なる他者です。
一見共通しているようにみえることでも、精査すると、異質であることが多いことも認識されました。
2回目の日墨文化サミットでしたが、今回はじめて参加した一人に、映画監督の吉田喜重さんがいました。吉田さんは、メキシコを通ってローマにわたった支倉常長使節を映画化するためにかつて5年ほどメキシコに生活したことがあるため、メキシコに対する思い入れも理解も深いものがあります。
グローバリゼーションの恩恵を受けていると言われる、100年の歴史の映画は、太古の昔に自然に発生し、発展してきたほかの芸術とは異なり、人工的に発明されたものであり、それ故に遠からず消滅していく運命にあります。
小津安二郎監督の映画は、ローアングルで、畳に座った目線で映画をとっているので、日本的であるという評価を受けていますが、実は映画そのものの特性をとことん追求してきたと言えます。ローアングルも、よく見ると畳に座った目線よりもはるかに低いことがわかります。当時の技術を最大限活用しようとしたために考えだされた撮影手法で、きわめてグローバルであったということでしょう。
一流の文化人、知識人の慧眼(けいがん)に接する。知的交流を企画、実施する職員の役得です。