日本研究・知的交流部
小松諄悦
春樹ブームである。30をこえる言語に翻訳されている。
このブームを解明するため、世界中から春樹文学の翻訳者・評論家・出版社にあつまってもらった。2006年3月25日シンポジウム、26日2つのワークショップを東大駒場キャンパスで開催した。
(参考情報:「春樹をめぐる冒険―世界は村上文学をどう読むか」)
基調講演で、13歳以来30年ぶりに訪日したアメリカの作家リチャード・パワーズ氏は、そのタイトル「ハルキ・ムラカミ-世界共有-自己鏡像化-地下活用-ニューロサイエンス流-魂シェアリング計画 」のとおりに春樹文学を分析した。その知的で緻密な分析は満席の聴衆にも春樹文学の翻訳者たちにも説得力にとむものであった。
コメンテーター、香港の作家梁秉鈞氏は、一方で春樹の日本的側面にふれた。企画者としては、基調講演で春樹文学の日本性、普遍性の両面が言及されたので、やや安堵するところがあった。
日本理解を一つの重要な使命とする基金としては、春樹文学を日本文化への入り口にとも期待していたので、海外での読まれ方に大いに関心があった。
2日目のワークショップの一つのテーマは、表象であった。
「春樹文学に日本をみるか?」議論が、ポーランドのジョゼフ・コンラッド(英国に帰化)などのコスモポリタン作家との比較になったとき、ポーランドの翻訳者アンナ・ジェリンスカ-エリオット氏は、言下に、使用言語の違い(コンラッドは英語で発表している)を指摘し、春樹文学をコスモポリタン文学に分類することを否定した。日本語で執筆されている春樹文学の紛れもない日本性の認識は共有されていた。
ワークショップの夜は、山中湖での合宿であった。要望に応えてギターを用意した。参加者が持参したものとあわせ、4本のギターはフル稼働であった。演目は、もちろんビートルズ。見回すと、日本人コーディネーターや海外からの翻訳者の大半は、村上春樹と時代を共有していた。シンポジウムや時差の疲れをものともせず、熟年の歌声は途切れることがなかった。
あくる朝、快晴の青空に富士山がくっきりと浮かんでいた。