人と人が末永くつながるということ~日米関係の礎~

アイリーン・ヒラノ・イノウエ
(米日カウンシル プレジデント)



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2012年10月11日に国際文化会館(東京)で開催されたアイリーン・ヒラノ・イノウエ氏の国際交流基金賞受賞記念講演会「人と人が末永くつながるということ~日米関係の礎~」

日系アメリカ人の取り組み
 1992年設立当時の全米日系人博物館は、1925年に日系一世たちがロサンゼルス地域に入植し建てた元仏教寺院でした。設立から2年後の1994年には、天皇皇后両陛下が「日系アメリカ人一世・パイオニアたち」という展示をご覧になり、日系一世たちの永年におよぶ業績を高く評価して頂きました。そして、この「旧博物館」に隣接して、新しい博物館が1999年に開設されました。
 2007年には、「全米民主主義保全センター」が設立され、アフリカ・ユダヤ・フィリピン・その他の民族的な背景を持つアメリカ人7名の第二次世界大戦中の従軍経験など、日系人を含む民族社会に関する展示が行われています。

 1992年の全米日系人博物館開設時には、全米50州から65,000人ものサポーターが集まり、世界16カ国からご支援を頂いたことで、日系アメリカ人のコミュニティが結束できました。今では世界最大規模の日系人コレクションとして、写真、美術品、書類、動画、置物など50,000以上のアイテムが集積され保存されています。こうした保存活動のほかに、スミソニアン博物館を始め、ワシントンDCやニューヨークのエリス島移民博物館など、全米で巡回展示をしています。それ以外に日本や南米の博物館でも展覧会を開催しました。

 全米日系人博物館の設立は、地域のコミュニティからの資金調達と援助により実現しました。1992年の歴史的な第一期建設当時は1,350万ドルが、第二期建設時は、4,500万ドルが調達されました。そのうち1,000万ドルは日本企業からの支援です。さらに追加的な支援や個別事業のための活動資金も寄せられ、合計1億ドル相当の資金が調達されて、この博物館建設と関連の活動が可能になったのです。



日本や祖先との断絶を修復する
 同博物館が最初に手をつけたのは、日本との関係を深めることでした。それは第二次世界大戦によってもたらされた、日系三世・四世と日本や祖先との断絶を修復する作業でした。

 1865年、最初の米国への移民は東海岸が中心でした。1888年になると契約労働者がハワイ州の農場に送られ、続く1900年代初頭には日本人が米国本土に移民します。私の祖父母は福岡出身でその頃ロサンゼルスに移住しましたが、当時は九州地方からの移民が多かったようです。ところが1924年米国は日本からの移民受入を取り止め、外国人法を設けて外国人による土地の保有を禁止した結果、日系一世たちは土地を失いました。反日感情や過酷な状況の中で、日系一世たちは米国にコミュニティを形成しながら家族を築き子供たちを育てました。
 第二次世界大戦が始まり、日系アメリカ人は敵性外国人と位置づけられます。西海岸地方では12万人以上の日本人や日系アメリカ人が家を失くし収容所に収監されたのです。財産はすべて捨て、スーツケース2つだけの荷物を持って、日系二世たちは有刺鉄線に囲まれた内陸地の収容所で暮らしました。
 ハワイでは若い日系人らが従軍を申し出て、ハワイ生まれの私の夫も含め、何千人という二世志願兵たちの活躍により、日系人部隊は全米中で最多の勲章を受けました。その愛国心と忠誠心は日系人の大きな支えとなりました。

 終戦後、日系アメリカ人は収容所から解放されましたが、戦争中の出来事をあまり語りませんでした。自分たちが味わった困難や屈辱感を二世、三世の子供たちには伝えなかったのです。その結果子供たちは親や祖父母たちの経験をほとんど知らずに育ちました。1960年代にようやく日系三世たちは日系アメリカ人の戦争中の困難な状況や公民権を奪われた経緯などを知ったのです。1988年レーガン大統領時代に公民自由法が制定されてから、日系アメリカ人に対して正式な謝罪が行われ、生存する日系アメリカ人たちへの補償金が支払われました。



祖先との縁が薄い日系三世・四世
 日系三世・四世の成長過程で、アメリカ人としての社会的な機会や希望を子供たちには持たせたいと、親たちが強く願った結果、日系アメリカ人と日本の間に断絶が生まれました。その後60年間で日系人社会は大きく変わりました。アジア系アメリカ人において、日系人以外は6人のうち1人が混血ですが、日系人の場合は3人に1人です。日系アメリカ人のコミュニティは相当混血化が進み、そのことが若い世代に大きな変化をもたらしています。

 日系アメリカ人の若い世代に新たな変化がみられ、コミュニティに大きな転機が訪れています。若い世代が自己の民族性やアイデンティティについて考え、歴史上の断絶という重要テーマに向き合う機運が生まれました。
 そうした中、日本の外務省のサポートを得て「日系アメリカ人リーダー訪日招へいプログラム」というプログラムが2000年に始まりました。2003年からは国際交流基金からもご支援を頂いております。これにより祖国への理解が進み、日系人の若いリーダーたちが手を取り合って日米関係に携わる機会となっています。毎年選抜される10~15人位のメンバーが積み重なり、これまでに150人のOB・OGを輩出、同窓生のネットワークも生まれています。
 同プログラムでは国際交流基金の助成を得て毎年シンポジウムを開催しますが、去年の仙台に続き、リーダーたちは今年も被災地を訪問しました。来年は福島で経済界や政府など、様々なレベルの要人と面談予定です。



「米日カウンシル」の設立
 多くの同窓生たちや日米関係者よりご支援を頂き、日米関係強化の活動拠点として2009年「米日カウンシル」を立ち上げました。
 2011年3月11日の震災以降、米日カウンシルは復興支援に注力しました。震災救援基金の設立のため、直ちに義援金集めに奔走し、有力な基金や個人、そして日系アメリカ人を中心に全米から260万ドルの義援金が集まりました。理事会では単なるNPOやNGOのサポートに留まらず、長期的で安定した関係を構築し、日本の市民社会と繋がっていこうと決議しました。震災救援基金がサポートした組織は、ジャパン・プラットホームピースボートなどで、その後も米日カウンシルの重要なパートナーになっています。義援金以外にもアメリカのジャーナリストらが米国の子供たちからのHOPE(希望)メッセージを被災地へ直接届ける「元気メール」プロジェクトや人々の感動の物語を集めた復興支援ブログサイトの立ち上げなど数多くの支援をしました。震災わずか3ヵ月後には米日カウンシルの理事会メンバーが東北地域を訪れ、現地のNPOやNGOと様々な協力活動を展開しました。

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米日カウンシルの2011年年次総会で
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(左)米日カウンシルの2011年年次総会では、ヒラリー・クリントン国務長官が基調講演を行った。
(右)2012年2月、藤崎一郎・駐米日本大使(当時)とジョン・ルース駐日米大使と、「トモダチ・イニシアティブ」教育交流プログラム創設について発表。次世代を担う日米の若者の交流により、被災地を長期的に復興支援するのが目的

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2012年3月、玄葉光一郎外務大臣を表敬訪問した日系アメリカ人リーダーら。仙台で開催した日系アメリカ人リーダーシップ・シンポジウム「震災復興から日本再生へ:明日を拓く市民社会」での議論についても報告した。
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震災から2ヵ月後の2011年5月に東北を訪問。アメリカ軍24,000人、自衛隊10万人が参加した災害救助・救援および復興支援「オペレーション・トモダチ」について説明を受ける筆者


トモダチ・イニシアティブ-次世代を担う日本とアメリカの若者への投資
 米日カウンシルは、次世代を担う日米の若い方々の交流により、被災地を長期的に復興支援する目的でトモダチ・イニシアティブという活動を始めました。これは米国政府、ジョン・ルース大使や在日アメリカ大使館、米日カウンシル、日本政府の支援のもと、主要な日米大手企業も参画する非常にユニークな官民のパートナーシップです。

 日米合同の災害救助・救援および復興支援としてアメリカ軍24,000人、自衛隊10万人が参加した「オペレーション・トモダチ」は読者の皆さんも耳にされたことがあるでしょう。同作戦に見られた友情の精神から生まれたのが、トモダチ・イニシアティブです。
 2011年に開催された米日カウンシルの年次会合の席上、クリントン国務長官が「将来の日米関係にしっかりと取り組んでゆくともだち世代を育成していきましょう」とコメントするなど、日米間の友情をはぐくみ、リーダーシップを育て、東北地方やそれ以外の地域に希望をもたらす、価値ある取り組みです。

 トモダチ・イニシアティブでは、今年から、3つの領域で20以上のプログラムを展開、参加者は800人以上となりました。450人の日本人が交換プログラムで渡米し、そのうち92%が東北地域の学生です。また東北地方でのイベントには1,000人もの若者が参加しました。プログラム初年度は、多くの事業で若者を対象とし、7割の参加者が高校生か、それより若い世代になっています。

 1つ目の領域である、教育・学術分野に関するプログラムの事例を紹介しましょう。例えば、この夏実施された「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」。300人の学生が北カリフォルニア地域で、個人がコミュニティの発展に貢献している実例、地域の活性化や帰国後の貢献方法などを米国UCバークレー校で学びました。二つ目の事例は、「TOMODACHI サマー 2012 コカ・コーラ ホームステイ研修プログラム」で、60人の学生がケンタッキー州レキシントン、オレゴン州サーデム、ペンシルバニア州エリー、バーモント州バーリントンなど、色々な場所でホームステイしました。参加者には津波で被災し家族を失った学生がいましたが、ホームステイで新しい家族ができたと言っています。三つ目の事例は、「TOMODACHI・MUFG国際交流プログラム」です。南カリフォルニア地域でホームステイし、日系アメリカ人の歴史を学びました。
 2つ目の領域ですが、これは文化面、すなわちスポーツ、音楽、芸術でのプログラムです。実際にメジャーリーグの野球選手たちが東北で野球クリニックを行い、全米プロバスケットボール協会アメリカン・バスケットボール・アソシエーション、そして全米女子サッカーチームも東北地方の学生たちにサッカーやバスケットボールを直接指導しました。若者たちが言葉の壁を乗り越えて、スポーツ、音楽、芸術によって結びついたのです。
 3つ目の領域は、起業家・リーダーシップ育成プログラムです。様々なビジネスプランのコンテストを行い、NPOのリーダーたちも参加しました。これは将来に向けての重要な投資であり、今後はこのカテゴリーでプログラムを拡張していく予定です。クリントン国務長官も、この夏に学生と面会するなどサポートして下さっています。

 米国ではこの10年で日本人留学生の数が半減しましたが、トモダチ・イニシアティブによって、日本の若者の米国への関心は未だに強く、留学希望者が数多くいることが分かりました。投資やサポートに恵まれ、チャンスさえあれば、日米の若者たちは日米文化を相互に学ぶ準備が出来ているということです。



最重要課題は持続性の確保
 今後の最重要課題は、若者たちの繋がりを継続的に維持していくことです。来春に「BEYOND Tomorrow」(一般財団法人 教育支援グローバル基金)が、今夏のプログラム参加者100人を対象にリーダーシップセミナーを行う予定です。リーダーシップ育成には、ソーシャルメディアによる連絡や直接会うことなど、個人的なレベルの努力も必要です。この記事をお読みの皆様にも引き続きパートナーとして関わっていただけますようお願い申し上げます。

 国際交流基金賞の受賞にあたって、日米両国の信頼関係がいかに重要であるかを改めて認識しました。2011年3月11日の震災は不幸な出来事でしたが、米国からの義援金により少なからず支援ができました。これはアメリカ国民の単なる同情ではありません。多くのアメリカ人が日本の震災を自分自身のこととして捉え、心から義援金を寄せたのです。アメリカ人の多くが第二次世界大戦後に築き上げてきた信頼関係が両国に根付いたのだと思い起こしました。
 今後アジア太平洋地域で様々なことが起こるでしょうが、そのような出来事を乗り越え、日米両国の関係がより一層深まり、同盟国として、友好国として存続できますように心から願っています。

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講演会を終え、夫君のダニエル・イノウエ米国上院議員とともに、聴衆と語り合う筆者
(編集部注:ダニエル・イノウエ氏におかれましては、2012年12月17日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。)




講演での写真 撮影:高木あつ子
それ以外は筆者提供




us_japan_relationship01.jpg アイリーン・ヒラノ・イノウエ
米日カウンシル プレジデント
日系アメリカ人の歴史と体験を、アメリカ史の一部として伝えることを目的とした全米日系人博物館(カリフォルニア州ロサンゼルス市)の初代館長として20年間にわたり活躍。その後、アジア太平洋の両岸のリーダーたちを結ぶ非営利団体である米日カウンシルを創設し、さらに強固な日米関係を築くことを目的として各種人物交流プログラムを実施。また、東日本大震災の継続的な復興支援として、日米間の友好を深め次世代を担う若者たちの育成と交流を促進する「トモダチ・イニシアティブ」を日米両政府と立ち上げ、精力的に活動しています。長年にわたり日本と米国との架け橋となり、両国の人と人をつなぐ上で大きく貢献されています。


♦ 受賞者と国際交流基金のかかわり
同氏が代表を務める米日カウンシル、および初代館長を務められた全米日系人博物館は、さまざまな事業で支援や協力関係にあります。
全米日系人博物館は1999年の国際交流奨励賞の受賞団体であるほか、全米日系人博物館が実施した日系アメリカ人の歴史や文化への理解を促進するための教材開発やワークショップを行うプロジェクトに対し、当基金より助成を行っています。
また、米国日系人社会と日本をつなぐ交流事業として、同氏が中心となり、外務省との共催により2000年度から実施されている「日系アメリカ人リーダー訪日招聘プログラム」では、同プログラムの一環として当基金日米センターが米日カウンシルと共催する公開シンポジウムにコーディネーターとしてもご協力いただいています。(「震災復興から日本再生へ:明日を拓く市民社会」(2011年度)など)




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