若手アーティスト訪米~世界に向けて日本の現代美術を発信する手応えとは

利部志穂
久保ガエタン
後藤靖香
友政麻理子
中村裕太
モデレーター:神谷幸江(広島市現代美術館学芸担当課長)



米国との青少年交流プロジェクト「KAKEHASHI Project - The Bridge for Tomorrow -」の一環として、2014年11月に5名の日本人若手アーティストがニューヨーク(以下NY)とロサンゼルスを訪れました。7日間の日程で、現地の美術館やギャラリー、アートスタジオを訪れ、自らの作品のプレゼンテーションを通じて日本の現代美術や日本文化の「今」を発信してきました。現代美術の若手登竜門であるVOCA展岡本太郎賞に入選するなど、次世代を担うアーティストとして期待を寄せられている彼らは、米国の若手アーティストや関係者との交流や自らの作品をプレゼンテーションし、どんな手応えを感じてきたのでしょうか。帰国後、当事業アドバイザーで広島市現代美術館学芸担当課長の神谷幸江氏をモデレーターにお迎えし、それぞれの気づきや課題などを語っていただきました。


ジャパン・ソサエティでのプレゼンテーションの様子



多様な背景を持つ人が住むNYで発信する難しさと、質の違うディスカッション

神谷:大変に充実した派遣事業だと伺っていますが、印象に残ったシーンやツアーの感想を教えて頂けますか?

中村ジャパン・ソサエティでのプレゼンテーションで、観客の方から率直な意見をいただいた事が印象に残っています。会場は、260名ほど入る劇場のような空間で、リハーサルと本番の2回の発表を行いました。プレゼンテーションでは、日本の工芸文化の魅力を伝えていくにあたり、工芸という領域をこれまでの技術や素材として紹介していくだけではなく、「民俗と建築にまつわる工芸文化」という視点からタイルや陶片などを用いた制作と研究についてお話をしました。本番の質疑応答では、「なぜアーティストなのに博士号をもっているのか」と質問され、「作家が工芸の文化を伝えていくためには、制作だけではなく、研究の観点からも伝えていくことが重要だと思います」と回答しました。そのような質問からも、米国と日本の作家像の違いや、今後、制作と研究をどのように関連づけていくのかを改めて考えさせられました。

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ジャパン・ソサエティでのプレゼンテーションの様子

久保:プレゼン後の交流会で様々な人種の人と話しました。その中で、「マジョリティとマイノリティを交差させるような作品を作りたい」と言ったことに対して、「自分は米国で生まれ育っているのに、両親が移民であることからマイノリティとして排除されてきたので共感できる」という方や、逆に「私はNYで外国人扱いされたことがない」という日系のおばあちゃんなどもいらして、こうした多様な状況を抱えている場所でのマイノリティとは何かを考え、作品をみせる意味を問い直さなければいけないと感じました。また、一般公開時には元々アートに興味がある人というよりも、日本文化に興味がある人が多く来られていた印象がありました。世界中からアートが集まるNYで、アート関係者にどうやったらもっと自分たちに関心を向けてもらえるかを考えると、発信の難しさを感じました。

神谷:アートという文脈とは違うところで関心を持たれたことの難しさですね。

久保:はい、日本文化に対する関心から日本の現代アートへの関心に上手く結びつけられるようにすることの難しさです。

利部:ジャパンソサエティのプレゼンテーションに来場してくださった方の中で、日本のアートというと「アニメ、オタク」という印象があったようで、今回、派遣された5人のプレゼンを聞いて、「オタクカルチャーとは違う日本の表現が面白かったし、興味深かった」という感想を頂いて、それはとても嬉しかったです。アーティストのスタジオ訪問も興味深い体験でしたし、美術館の制度が日本と違っていたことが印象に残っています。展示の内容も充実していて、美術館によってキュレーターの方から受ける印象も違いました。NYの美術館は寄付で成り立っているからか、日本よりも自由に展覧会ができている感じを受けました。

神谷:みなさん圧倒的にジャパンソサエティでのプレゼンテーションが印象に残っているみたいですね。

友政:ジャパンソサエティでのプレゼンで最も厳しい意見を頂いたのが、私だったんです(笑)。プレゼンの仕方や英語の発音まで、隅から隅までコメントを頂きました。そこで感じたのは、米国ではもっとエンターテイメントとして面白いプレゼンを求められているのかなということです。また、日本で自分の活動を説明する場合、相手が美術に関心のある人であっても、少しずつ伝えていく感覚があるのですが、NYの人は話を聞く準備がいつでも出来ていて、「さあこい」「導入部分は分かったから、次の話をしようぜ」「作品は見たことないけれど、僕はこう思うぜ」と、すぐに深い話に入って行く感覚がありました。

後藤:私の場合、私自身の人となりを語るようなプレゼンを来場者の層に合わせて用意していったので、一般のお客さんには良い感想を頂いたのですが、アート関係者には物足りなかったと言われました。NY滞在中には、作品のコンテキストをしっかりしなさいと言われ続け、一週間そのことについて考え続けました。「米国人といっても、バックグラウンドが皆それぞれ違うので、前提として共有できることが違うから、まず前提の共有をしないといけないんだよ」と言われました。私はその前提の共有をせずに、一段すっとばして話をしようとしていたんだと気づかされました。

神谷:みなさん、日本ではNYで経験したような、プレゼンテーションやそれに対する意見交換の機会を持つことはありましたか?

友政:日本でも経験はありますが質が違ったと感じます。NYの人たちは議論に慣れていました。私の場合は説明が必要な作品ということもあり、相手にとってそれが新しい情報だった場合、日本では議論に至るような場面にあまり出会うことは無いのですが、NYでは作品について理解できてもできなくても意見交換の場面を作り出す人が多くいました。

利部:大学の授業や作品発表の際に、作品に対するディスカッションをした経験は多いですが、日本では何年かかっても深い話にいかない人がいるのに、NYのアート関係者はほんの15分で日本では何年かかっても出てこないような深い言葉が出てくる。このスピーディーさは私にとってすごく楽というか、余計なやり取りが必要ないのでいいなと思いました。訪米前には日本人としてのバックボーンをもっと突き詰めなくてはいけないという意識があったのですが、実際に行ってみるとそんなに重要ではなく、もっと個人の話を聞かせてくれと言われた感じがしました。

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ジャパン・ソサエティでのプレゼンテーションの様子

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(左)ジャパン・ソサエティでの作品紹介、(右)ジャパン・ソサエティでの観客との交流



日本というバックグラウンドを、どう世界の文脈に整合させていくか

神谷:みなさんは米国の人たちが日本というものを求める視点にポジティブに応えたいと感じたのでしょうか? それとも、そうしたリクエストにある種の居心地の悪さを感じたりもしましたか?

中村ニューヨーク近代美術館(MoMA)でのローラ・ホプトマンさんのブリーフィングでは、日本の作家を引き合いに出しつつ、コンテキストの重要性についてお話をいただきました。今回の派遣を通して、「工芸」という日本におけるドメスティックなコンテキストが米国をはじめとした世界においてどのように重要であるのかをポジティブに考えるようになりました。また、MoMAが2012年に開催した「Tokyo 1955-1970 : A New Avant-Garde」の展覧会にみられるように、日本の戦後美術のコンテキストが周囲との関係性のなかで再考されていくプロセスにも関心をもっています。

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MoMAのローラ・ホプトマンさんに作品を説明する中村裕太さん

久保:質問とは少しずれてしまいますが、僕は日本とフランスという2つのバックグランドを持っているので、ニュー・ミュージアムで行われていたクリス・オフィリさんの個展と、スタジオ訪問させていただいたラシッド・ジョンソンさんというアフリカからの移民2世のアーティストの作品に考えさせられました。彼らは移民2世でありながらも、アフリカで出会った素材を自らのルーツとして作品に使っていることが印象的でした。僕自身はこれまで住んだことのないフランスに対してバックグランドをあまり意識したことがなかったので、日本で生まれ育ちながらも母から受け継いでいるものをどう捉えていくかをもう一度考え直す必要性を感じました。

利部:私は日本で生まれ育ったということを意識しすぎるのは、自分の作品の発展性を考える上では違うと感じています。重要なのは国外で作品を伝える際、自分の作品制作の中で日本というバックグラウンドがどう重要なのか、どう影響しているのかを深く考えておくこと。どちらかと言うと、いち作家としての関心のあり所のようなものを上手く話せるようにした方がいいと感じました。

友政:日本人としての私の振る舞いや、日本をどう捉えるかというコンテキストを考えなければならないことはよく分かったのですが、これから私は日本に居て、客観的に日本を考えることができるのかを不安に思っています。違うバックグラウンドを持った人達がひとつの国をつくり、一緒に生活している米国と、言わなくても100%伝えてくれるでしょう?という感覚でいる日本を考えると、だいぶ状況は違うのでどうすればいいのかなと考えてしまいます。

神谷:それは難しいことですね。自分が何をしているかというコンセプトは考えられるが、それをどのように位置づけるかというコンテキストの部分は、生まれ育った文化の中にいると客観視しにくいという難しさですね。

後藤:作品についてはなにか細々と説明して理解してもらうのではなく、方程式みたいなものがあればいいなと考えています。まだ上手く言えないのですが、作品の中に人間として共通する方程式のような感覚があればいいなと。自由研究の日にMoMAでアンリ・マティスの展覧会を見たのですが、私達が行った日もとてもお客さんが多くて、あれだけ人気があるということは、マティスの作品には何かそういう方程式のようなものが多く含まれているのではないかなと思いました。

神谷:なるほど。作品の理解に寛容な幅を持たせながらも、芯はしっかりと持ち表現していきたいということですね。

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ラシッド・ジョンソン氏のスタジオ訪問



訪米での発見が、また次の発見に繋がっていく

神谷:米国での体験を経て、なにかチャレンジしたいと思ったことなどはありますか?

後藤:帰ってきてから自分の視点が少しずつ変わっているという感覚があります。日本人としてのコンテキストを意識することで、自分のルーツ探しみたいなものに、だんだん狭くなって閉じていく感じがあるけれども、その向こうで人間としての共通項というか、先ほどお話した方程式のようなものに繋がっていくんじゃないかという視点になってきました。

久保:僕はもっと他の国を見たくなって、米国から帰国後すぐにパリとロンドンに行きました。現地で日本の美術業界ではあまり聞いたことのない日本人作家にも多く出会ったことで、その地域に住んでいる人たちならではの繋がりの強みを感じました。かといって、そこに永住しなければいけない訳ではなくて、今の時代なら繋がりが一度できればそこから離れていても関わっていけるだろうと感じたし、日本にベースを置きながらも世界中に活動拠点を増やせるようにしたいです。

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ニュー・ミュージアムでの作品鑑賞

中村:僕は文化間にある「翻訳」という行為に魅力を感じています。言葉によって翻訳をすると、誤訳が出てくることがありますが、制作においては、そうした伝承ミスを積極的に取り入れた方が面白いと感じています。例えば、江戸後期の陶工たちは、前の世代の陶工の作品を模倣しますが、その行為は「写し」と呼ばれ、ただのコピーではなくその人なりの翻訳が反映されています。今回の派遣においても、メンバーとともに街中を歩きながら、さまざまなタイルを発見しました。タイルはどこの国に行っても同じようなものですが、よく見ると、サイズや張り方、補修の仕方が違っています。つまり、タイルは、グローバルな素材でありつつ、地域ごとにその翻訳の方法が派生しているのです。今後はそうした文化間の翻訳にみる微細な差に目を向けていきたいと思っています。

友政:私はアフリカのブルキナファソから帰ってきてすぐの訪米だったので、ちょっと混乱していました。私がアフリカで滞在していた小さな村では電気がなく、川で洗濯をして外で用を足すという環境でした。作品を展示し作者と鑑賞者がいる「展覧会」をやろうと思って行ったのですが、アートを見る習慣が身近ではない人達に無理矢理アートを見せるのはおかしいと感じました。そこで、いわゆる「展覧会」という形式を変え、アフリカの人たちがより身近に感じられる発表会やお祭りのような場で、パフォーマンスを披露することで自分の作品を見てもらいました。NYではもう準備万端で、アートを見せる環境が整っている。これはなんだろうと感じました。NYではアジア人として、伝統を守りつつ近代化を果たした国の人として見られていますが、私が出会った多くのアフリカの人は日本を知らないし、洋服を着ているから西洋的なものを持ってきた人という見られ方をされる。アフリカでの体験によって、私がやってきたことは西洋的な美術だったのだと分かりました。けれどもNYに行くと、私の美術は実は西洋のまねごとで、日本的でアジア的なことなのかもしれないと感じて、引き裂かれるような気持ちでした。

神谷:居る場所によって自分の見られ方や位置づけが変わっていくのに振り回されるような感覚だったのでしょうか。

友政:そうですね。今のところ、「これはやっておかなければと」と思ったのは、例えば相撲の型を覚えておくことです。アフリカで「なにか踊れ」と言われて、簡単なものまね程度でしたが相撲の型をやったら凄く盛り上がりました(笑)。急に何かをやれと言われて戸惑っている時に出てきたのが、日本の伝統的なものだった訳です。NYでもなかなか理解してもらえないことを伝える際に、日本の伝統文化の話を間に挟んだらやっと分かってもらえました。

神谷:そういう意味では、伝統といわれるものは、全く違う文化の中にでも多くのインパクトを残していくことができることに圧倒的な強さを感じますね。

利部:私は帰国後、自分と切り離した作品を作りたいという気持ちになりました。作品だけが別の国に行くとか、私が死んでも成立するような作品。私は子育てをしているので行動範囲が限定されていますが、それでも作品を制作しています。そうやって家から出ずに制作した作品であっても、遠い国のお母さんや同じ年代の全く違う環境にいる人が見て共感できるものだと思っています。違う国で自分の作品を見せる方法をうまく見つけたいなと思っています。NYでは街にアートが溢れていて、普段は会えない様な人に出会い「もう最高!」「NYに住むしかない!」と思いました。けれど、帰国後に吉祥寺で展示をしたら、吉祥寺にもNYみたいな食べ物はあるし、美術館もギャラリーも洋服もあって、「吉祥寺も一緒じゃん」と思ったのですが、展示されている作品の質がよくないのか、あまり環境として恵まれていると感じたことがありませんでした。でも日本人は世界でも美術館に多く足を運ぶ人種だし、街に美術も溢れている。なぜつまらないと感じるのだろうかと考え、これはもう自分たちが作品の質を上げる努力をするしかないと思いました。

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マンハッタンをバックに記念撮影

神谷:みなさん一週間の訪米で多くの発見がありましたね。みなさんのお話を聞いていて思い出したのが、エドワード・サイードの著作『知識人とは何か』という本に、「ロビンソン・クルーソーではなく、マルコ・ポーロであれ」とあったことです。ネイティブかどうか、土地との帰属関係に囚われるのではなく、ロビンソン・クルーソーのようにたどり着いた土地を征服しようとするのではなく、マルコ・ポーロはいろんな国に行って、みたこともない物事や品々に触れて、いつも驚きの感覚と異文化へのリスペクトを持っていた人なのだと。漂流した土地でなにかを略奪するのではなく、常に旅行者であること。何にも持たないで、行ってその場所を知る、つかの間の客人であること。そういう態度であればこそ、あらゆるところが故郷になると。みなさんもマルコ・ポーロの様に、いろいろなところに向かい発見をしていったら、その場所があなたの故郷になり、そして新たなインスピレーションになり、新しい作品ができてくるんだと思います。だからみなさんはもっと漂流していいのではないでしょうか。今回の訪米で「もっと日本人にならなくちゃいけない」と思ったのではなく、「もっと様々なものをどんどん発見しなくてはいけない」と感じたというのは、とても素敵な一週間だったと思います。この経験を経てみなさんがどんなふうに変化していくのか、どんなマルコ・ポーロになって驚きを忘れず、制作や勉強の新たな場所を故郷にしていくかを楽しみにしたいと思います。

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左から利部志穂さん、中村裕太さん、久保ガエタンさん、神谷幸江さん、友政麻理子さん、後藤靖香さん

(編集:友川綾子)

【参照記事】
Feature Story「世界に繋がるデザインを-若手デザイナー訪米
特別寄稿「次の飛躍へ~若手ファッションクリエーター、NY交流記





contemporary_art_of_japan09.jpg 利部志穂(かがぶ・しほ)
1981年神奈川県川崎市生まれ。2004年文化女子大学立体造形コース卒業。2005年多摩美術大学美術学部彫刻学科研究生、2007年同大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。近年の主な個展に「返る 見る 彼は、川を渡り、仕事へ向かう」(府中市美術館、2010年)、「よき眠りの家」(JIKKA、2013年)、「よき目覚めの家」(NADiffa/p/a/r/t、2013年)、グループ展に「アーティスト・ファイル2013-現代の作家たち」(国立新美術館) white.jpg contemporary_art_of_japan10.jpg 久保ガエタン(くぼ・がえたん)
1988年東京生まれ。2011年東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。2013年同大学大学院美術研究科修士課程先端芸術表現専攻修了。東京、茨城を拠点に活動。近年の主な個展に「Madness, Civilisation and I」「Hysterical Complex」(児玉画廊、2012、2013年)、グループ展に「群馬青年ビエンナーレ」(群馬県立美術館2012、2015年)、「非の無い処に煙を立てる。」(拝借景、2014年) white.jpg contemporary_art_of_japan11.jpg 後藤靖香(ごとう・やすか)
1982年広島県生まれ、広島県在住。2004年京都精華大学芸術学部造形学科洋画コース卒業。近年の主な個展に「後藤靖香 個展」(八千代の丘美術館、2012年)、「暗号模索」(第一生命南ギャラリー、2012年)、「Art Stage Singapore(Marina Bay Sands、シンガポール、2013年)、グループ展に「Voca展2011 -新しい平面の作家たち- 」「コレクションの誘惑」(国立国際美術館、2012年)、「みなとの物語」(名村造船所跡地、2013年)。国立国際美術館と第一生命保険相互会社に作品がコレクションされている。 white.jpg contemporary_art_of_japan12.jpg 友政麻理子(ともまさ・まりこ)
1981年埼玉県生まれ。2004年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。2007年同大学大学院美術研究科修士課程油画専攻修了、2012年同大学院同研究科博士後期課程修了。近年の主な個展に「近づきすぎてはいけない-Have a meal with Father-」(TALION GALLERY、2015年)、「クリテリオム85 友政麻理子展 "waodori"」(水戸芸術館、2012年)、「與父親共餐」(寶藏巖國際藝術村、台北、2013年)、グループ展に「Between art and science 2014」(IRFAK OASIS、ブルキナファソ/ナポリ科学博物館、イタリア、2014年)、「VOCA展2013現代美術の展望-新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、2013年)、「トーキョー・ストーリー 2014」(トーキョーワンダーサイト)。2013年にVOCA賞入選。 white.jpg contemporary_art_of_japan13.jpg 中村裕太(なかむら・ゆうた)
1983年東京都生まれ。2005年京都精華大学芸術学部造形学科陶芸分野卒業、2007年同大学芸術研究科博士前期課程修了、2011年同大学同研究科博士後期課程修了、博士(芸術)取得。現在、京都精華大学非常勤講師、都造形芸術大学非常勤講師を務める。近年の主な展覧会に「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト ―来たるべき風景のために」(森美術館、2013年)、「タイルとホコラとツーリズム」(ギャラリーPARC、2014年) white.jpg contemporary_art_of_japan14.jpg モデレーター:神谷幸江(かみや・ゆきえ)
広島市現代美術館学芸担当課長 神奈川県生まれ。早稲田大学大一文学部卒業。ニューミュージアム(ニューヨーク)アソシエイト・キュレータを経て2007年より現職。主な展覧会企画に蔡國強、小沢剛、マーティン・クリード、高嶺格、ス・ドホ、サイモン・スターリングらの個展(いずれも広島市現代美術館)、『Re-Quest−1970年代以降の日本現代美術』(ソウル大学美術館、2013)などの共同展がある。2011年西洋美術振興財団学術賞を受賞。「ヨコハマトリエンナーレ2014」「PARASOHIA京都国際芸術祭2015」「Asia Art Archive」(香港)のアドバイザリーを務める。共著に『Creamier-Contemporary Art in Culture』(Phaidon、2010)などがある。




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