チェ・キョンファ(東京都現代美術館学芸員)
インドのアートシーンにおいて、日本の現代美術が紹介されることがまだそれほど多くないことから、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)では、東京都現代美術館学芸員のチェ・キョンファさんを、コルカタで開催された「キュレーターズ・ハブ」に派遣しました。チェさんは訪印の機会を利用して、ムンバイやシャンティニケタンにも足を運び、若手のアーティストとの交流から感じたことなどを綴ってくださいました。
今回の訪印で面会することができたルストム・バルーチャ氏は、著作『Another Asia: Rabindranath Tagore & Okakura Tenshin(もう一つのアジア:ラビンドラナート・タゴールと岡倉天心)』で、次のような趣旨のことを書いている。
アイデンティティーというものが、自己を取り囲む様々な言説の力によって構築されるなら、現代のインドには、インド人であることが「アジア人」でもあるとする言説は存在せず、また、インドは、グローバル経済のハブとなるべく西洋化したシンガポールが、文化的資本として再構築せざるを得ない「アジア」は必要としない。
多様性の中に国家的アイデンティティーの確立を試みるシンガポールという若い国が、ハイパーリアルな「アジア」を必要とするのに対し、インドが抱く社会と文化の多様さやその複雑な関係性は、その「アジア」の理想が内包する矛盾と排他性を示してくれる。
インドにおけるコンテンポラリー・アートの状況にも、バルーチャ氏の指摘は当てはめて考えることができる。一般的に「アジアのコンテンポラリー・アート」といえばインドという国家/地理的領域がほぼ自動的に組み込まれるが、インドにいる作家が、何かしらの親和性や意味を共有する「アジアのアーティスト」としての意識を持っているとは考えにくく、もっといえば「アジア」を「インド」に置き換えても同じことが言えるかも知れない。
「コンテンポラリー・アート」とは何なのか
今回、私がムンバイ、コルカタとシャンティニケタンを足早に訪問した間に会った若いアーティストたちが見せてくれた作品は、ジェンダーや貧富の差、都市化によるコミュニティーの喪失など、インドの社会問題をまっすぐに批判する平面作品、宗教をテーマにした立体作品、カリグラフィーを取り入れたドローイング、または地域的文化コードの視覚化を避け、ポップカルチャーを引用したビデオ作品など、ありとあらゆるものがあった。それだけ幅広い表現を―ムンバイのアート・スペースのCONAやClerk Houseが親切にアレンジしてくれた―一度に紹介されると、あえて定義や傾向化を拒むインドをキュレーションして見せられているような気がしたし、同時に「コンテンポラリー・アート」とは何なのかと問われているような気もした。
ムンバイ CONAでの講演会
どんな作品が「コンテンポラリー・アート」として国際的に流通し、逆にどのような作品がローカルにとどまるのかには様々な要因があるが、そこでキュレーターの及ぼす影響は少なくない。
インドでは1990年代、他のアジアの国々同様、自国のアートを国際的な場で紹介するキュレーターが登場し、その後、専門的な教育プログラムの欠如にもかかわらず、国外の組織に所属するキュレーターや、研究や執筆活動と共に展覧会企画も行うキュレーター、もしくは非営利で展示や教育の場を作り、国内外で活動するキュレーターなどが増えている。そのように転換期を迎えているインドにおけるキュレーションの問題を議論し、アイディアを共有する場として、「キュレーターズ・ハブ」という企画が2011年に始まり、3回目を迎えた今年、私も参加する機会をいただいた。
キュレーターズ・ハブ
キュレーターが求められる役割
「キュレーターズ・ハブ」の主催は、コルカタのエクスペリメンタ・ギャラリーという民間のギャラリーで、毎回、国内外から10人のキュレーターを招き、各人が自分のキュレトリアルな活動や関心についての発表の後、質疑応答や議論を行うというシンプルな形式をとっている。2日間にわたったイベントには、インド各地からアーティスト、ギャラリスト、学生、そしてこのプロジェクトを支援する文化機関のスタッフたちが駆けつけていた。
発表に先立ち、モデレーターであるアヴィーク・センが幾つかの問いを投げかけた。キュレーターと、アーティストや組織との関係におけるポリティクス、市場との関係性、そして作品を紹介し意味を伝達するキュレーターが用いる言語に関する問いなど。それらがアートの生産や受容において重要なポイントである一方で、キュレーターがどんな場で、どのような展覧会やイベントを立ち上げるかによって、求められる役割や取るべき方法は異なり、そこには一つのクリアな方法論や倫理というものは存在しない。
今回のハブに参加したインド出身のキュレーター4人―グッゲンハイム美術館(米国)のサンディーニ・ポダー、前回(2012年)の光州ビエンナーレ(韓国)の共同キュレーターを務めたナンシー・アダジャニア、そして2012年の台北ビエンナーレ(台湾)の一部を企画したナターシャ・ジンワラ、そしてスコーダ・プライズ(インドの45歳以下のアーティストを対象にした賞)のディレクターでライターでもあるギリッシュ・シャハネ―も、それぞれに興味深い展示へのアプローチをとっていて、議論の場を盛り上げていた。
私はインディペンデント・キュレーターとして、インドネシアのアート・イニシアチブと立ち上げたビデオ・フェスティバルについて発表した。その話をしたのは、 それまでの発表の大部分を占めていた、ヨーロッパやアメリカでの大規模な美術館や国際ビエンナーレとは異なる土壌での展覧会作りの経験を共有したいと思ったからである。もちろんそれは、展示や研究のためのインフラや資金の不足などによって必要を迫られるキュレトリアルな試行や妥協などを含む。しかしそれよりも、システムが確立されておらず、役割分担が曖昧な共同作業の中で、アーティストでもあるスタッフたちと議論を重ねながらテーマを決め、ビデオ・アートを初めて見るかもしれないオーディエンスに向けて展覧会を作り上げてゆくというプロセスが、アヴィーク・センが掲げたいくつかの問いに対して、少し異なる答えを提示できるのではないかと思ったからだ。
キュレーションとは何か
「キュレーターズ・ハブ」のような場を通じて、キュレトリアルな知や方法に関しての議論を重ねてゆくことで、インドのキュレーターシップやアートの生産はどのように変化してゆくのだろうか。キュレーションとは何かという問題を考えるにあたって、欧米のキュレーターを招聘し直接話を聞くというのは貴重な機会で、そこでアーティストや研究者、キュレーターが吸収するものは少なくないはずだ。
しかしながら、キュレーションが美術を通して、社会に流通している意味の検証や、未だ認識されていない観点の現れや伝達を担っている実践であるとすれば、それについて考察する時、アートが生産・受容されるシステムが異なるアジアや他の非欧米圏で何が起こっていて、それをどう共有しうるのか考えるプラットフォームは今後必要になってくるだろう。
新たな「アジア」や「私たち」の枠を作るということではなく、インドと共通する問題や課題をもつ地域との対話が深まれば、これからどのようなキュレーションが必要で、可能であるかに対する具体的な議論が深化できるのではないだろうか。それはきっと、「コンテンポラリー・アート」がどのような表現や意味を排除しているのかについて、もう少し意識的に考えるきっかけにもなるはずだ。
チェ・キョンファ(崔敬華)
東京都現代美術館学芸員
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにて修士号(美術史・美術理論)を取得後、スウェーデンのマルメ・アート・アカデミーにてクリティカル・スタディーズ(Post MA)を修了。インディペンデント・キュレーターを経て現職。
最近の主な展覧会に、「Omnilogue: Journey to the West」(共同企画、ラリット・カラ・アカデミー、ニューデリー、2012年)、「Fog Dossier」(アートソンジェセンター、ソウル、2010年)、「The Demon of Comparisons, Electric Palm Tree」(共同企画、ステデリック・ミュージアム・ビューロー、アムステルダム、2009年)、「OK Video Festival」(共同企画、インドネシア国立美術館、ジャカルタ、2005年)など。