第50回(2023年度)国際交流基金賞
 ~越境する文化~<2>
宮城聰氏×宮城嶋遥加氏 対談(前編)

2024.3.15
【特集080】

特集「第50回(2023年度)国際交流基金賞 ~越境する文化~」(特集概要はこちら)

SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督を務める宮城聰氏は、身体と言葉と音楽が一体となった独自の手法で祝祭的な舞台空間を創り出し、世界的に評価の高い舞台芸術の演出家です。
本記事では宮城聰氏に「演劇が国境を超えるとはどういうことか」について語っていただいた講演の内容をお届けします。


miyagi_00.jpg 宮城聰氏 ©Ryota Atarashi

「演劇が国境を超えるとはどういうことか」(前編)

宮城嶋: 私は静岡県の静岡市出身なのですが、私の名字の宮城嶋というのは、そこのある地方のローカル苗字で、自分としては宮城嶋という名字がすごくしっくりきています。宮城さんとは苗字がとても似ておりまして、東京の方から「宮城さんは親戚なの?」とか「親子なの?」はたまた「結婚してるの?」なんて言われることもあるのですが、全くそういった関係はなく、演出家と俳優、それから研究対象と研究をしていた者という関係です。

先ほど少しご紹介いただきましたが、血縁関係、親戚関係はないのですが、宮城さんは芸術上の父と言いますか、本当に深い関係があるなと自分自身思っております。
2007年に宮城さんがSPAC*¹の芸術総監督に就任されたときに、ご自身の作品を創るのと並行して「世界を見る窓」としての劇場づくりということで、静岡県内の中高生を対象にした人材育成事業などに力を入れていらっしゃいました。そのとき私はちょうど中学1年生で、宮城さんがプロデュースするそういった人材育成事業に全て参加し、2007年以降は宮城さんが創られる作品はほぼ全て観て、その後紆余曲折を経て2017年のアヴィニョン演劇祭で上演された『アンティゴネ』で初めて宮城さんの作品に出演しました。
ちょうど同じぐらいのタイミングに東京大学の大学院に在籍しまして、最初の研究テーマは宮城さんの演劇論ではなかったのですが、宮城作品に関わる中で創作プロセスと言いますか、宮城さんの作品の現場で起こっていることがとても面白いなと思い、それをもっと自分で考えて発信していくことができたらと、宮城聰の演劇実践に関して論文を書きました。

ちょうど今、(2024年)1月に開幕する『ばらの騎士』という作品で宮城さんと一緒の現場にいて、稽古があるときはほぼ毎日顔を合わせているのですが、すごく身近な存在でありながら研究対象でもあり、自分にとってとても大きな存在である宮城さんのお話を、今日このような形で聞かせていただけるということで、とても楽しみなのと同時にすごく緊張しております。本日は皆様からいただく質問等にもお答えしながら、数々の作品を生み出してきた宮城さんの創作背景にある思想や演劇的テクニックについて、じっくり伺いたいと思っています。よろしくお願いいたします。
  • *¹ 静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)
宮城: よろしくお願いします。

miyagi_01.jpg 国際交流基金賞受賞記念対談の様子
宮城嶋: 聞きたいことは、一俳優としても、修士論文を書いた者としてもたくさんあるのですが、早速本題に入っていきたいと思います。本日の講演会のタイトルになっている 「演劇が国境を超える」とは、ずばりどういうことなのでしょうか。
宮城: このタイトルですが、最近になってわかってきたことがありまして。かつては自分がどんなジャンルのどういう仕事に就こうが、世界を舞台に活動したいと、もうアプリオリというか、あらかじめ設定されていることのように思っていました。それは僕の世代の一種の刻印みたいなものなのかなと思っていたんです。ただ、じゃあなぜ演劇を選んでいるんだと。世界を舞台に活動したいという欲望があるとき、欲望というか、目標があるときに、なぜ演劇なのかという理由はあまり考えたことがありませんでした。一番不便じゃないですか、世界を舞台に活動するのに演劇というジャンルを選んでしまったら。音楽やほかの芸術ジャンルに比べてはるかに言葉の壁が高いですよね。なぜ一番世界で活動しにくいジャンルを選んで、その上で世界で活動したいと思ったか。それが最近になってやっとわかってきました。それは、今やっと言葉にできる言い方をするならば、人間が共感しあえる存在だということを、何とか証明したかったのだなと。

僕は本職として演劇に進もうと思ったのは20代になってからなのですが、高校時代ぐらいから社会運動のようなことに少し参加していたんですね。日本全国にいろいろなグループがあって、共通の目的で運動している人たちがいて、それは具体的に言うと政治犯の救援運動だったのですが、例えば政治犯が死刑判決を受けると、なんとか減刑してもらおうと、その政治犯の知り合いがグループを作って活動します。日本のいろいろな場所にそういう人がいました。死刑判決が出た以上なんとか減刑させようと、署名を集めたりチラシを配ったり集会があったりと、最初のうちはそういうことでみんな一致しているのですが、運動の期間が長くなってくると、ちょっとした考え方の違いでだんだんと集団が四分五裂していくんですよね。本当にちょっとしたことで、なんか一緒にやれねえ、みたいな感じになっていく。僕は大学時代にそういうことを経験して、非常に暗い気持ちになったわけです。

連帯なんて言うけど、人間に連帯なんて本当にありえるのだろうか、なんて思うようになって。連帯ということがもしないとしたら、この世の中が今よりよくなっていくような気がしないわけです。何か今よくないことがあってそれを変えたいと思っても、連帯が成り立たないのであれば、世の中はただ流れるに任せるしかなくなってしまうのではないか。そうすると世の中が今よりよくなる可能性自体を諦めなくてはいけないのかな、なんていう気もしていました。
僕は高校時代演劇部でしたが、その時点ではさすがに演劇を仕事にしようとは思っていませんでした。けれどもそんなことを思っているうちに、なぜか再び演劇が浮上してきたんです。演劇というのは、どうやら考え方の違う人間同士が一緒にやれるひとつのお皿のようなものなのではないかという気がして。考え方というのは絶対違うんですよね、100人いれば100通りなんです。だからその十人十色の集団が、演劇という一種のシャーレというか、実験用のお皿の中で一緒に活動ができるならば、連帯あるいは共感ということも不可能ではないということになるのではないか、なんて思って演劇が僕の中で浮上したのだろうと、後から考えると思うんです。

miyagi_02.jpg 演劇を志した理由について語る宮城氏
そして、そうだとすると、地球上にさまざまなバックグラウンドを背負った人間たちがいて、例えば宗教が違うということは、一番大事にしているものが異なるということですよね。一番大事にしているものが違う人同士は、果たして共に働くことができるのか。決してわかり合えないのではないかと思ったりもしますよね、何しろ一番大事なものが違うのだから。わかり合えるわけがないじゃないかと。でも、わかり合えないのだと諦めてしまうと、結局世界のさまざまな争い、分断というものは、決して解決しないのだという結論になってしまいますよね。分断が解決しないのであれば、世界の争いはどうやって治めるんだ、それは力だ、ということになるわけですね。力をもって黙らせればいいと。現に今そういうことが起こっているのだろうと思うのですが、そんな世界にこの先僕が生きていたいとは思えないのです。分断は諦める、紛争は力によって封じ込める。そんな地球にこの先長く生きていきたいという気があまりしない。どれだけバックグラウンドが異なっていてもわかり合える瞬間がある、ということを信じたいわけです。その信じる一筋の光みたいなものを求めて、演劇によって世界で活動するということにたどり着いたのではないかなと。

先ほど申し上げたように、演劇というのは一番その差が激しい。例えば僕らが日本語で演劇をするのを、言語が異なる人、例えばサウジアラビアの人に見せるわけですよね。ものすごく異なっているじゃないですか。それでもね、驚くことに客席の空気と舞台の空気がなぜか一つになるような瞬間があったりするんですね。必ずいつもあるわけじゃないですよ、つまりろくでもない芝居だとそんなことは起こらないと思うのですが、そういうことが本当に稀だけど起こるわけです。そういうときに、バカな言い方だけど、今地球上のあちこちにバラバラにいる人類も、20万年くらい前まではみんなアフリカのとある地域にいたのだから、わかり合えてもおかしくはないよなと。世界のいろいろな所にいてバックグラウンドが違う人間も、笑い声は一緒じゃないかと。笑い声は一緒ですよね、面白いことに。
そういうことからも、人間というのはもしかしたらわかり合えるのかもしれない、なんて思ったりもして。そういうことを求めてわざわざ演劇という一番壁の高いジャンルを選んで、しかもなるべくいろいろな所で活動したいと思ったのかななんて、(「演劇が国境を超える」とは)どういうことかということの答えにはなっていませんけどね。
宮城嶋: 高校生の頃に観客として初めて『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』を観たとき、話の筋はあまりよくわからなかったのですが、最後に音楽がグワーッと盛り上がっていくにつれて、よくわからない幸福感みたいな、なんだかわからないけどお腹の底がグッと持ち上がってくるような、言葉にはできない幸福感みたいなものを感じました。
出演者として『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』や『アンティゴネ』の海外公演に参加させていただいたときには、似たような高揚感をもしかしたらお客さんも感じているのかもしれないと、演技をしながらも、パフォーマーがお客様に何かを届けるというよりは、言葉も宗教も異なるはずなのにお客様と一体となってその場に共にいる、という感覚になりました。
そういった幸福感みたいなものを、観客としても出演者としても味わっていたなと。それこそが私が宮城聰の作品がとても好きな理由ではないかなと、お話を伺いながら思いました。

私自身『アンティゴネ』『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』には楽器の演奏隊として出演させていただいているのですが、SPACで宮城さんが作品や劇団の中で採られている方法論、俳優が舞台上で演奏するということであったり、代表的な「二人一役」*²という手法であったり、そういう宮城さんが捉える世界と、「もしかしたら演劇によって共感できるかもしれない」という希望みたいなものが、どんな風に結びついて今に至っているのか、ということについて教えていただけたら嬉しいなと思います。

  • *² 宮城氏が主宰していた劇団「ク・ナウカ」で作り出した演出方法。一つの役を「ムーバー(動き手)」と「スピーカー(話し手)」に分け、二人で一役を演じるスタイル。

miyagi_03.jpg 初めて宮城作品を鑑賞したとき言葉にできない幸福感を感じたという宮城嶋氏

宮城: いきなり核心ですね。
世界で演劇を上演しようと思ったとき、最初はこういう素朴なことを考えていたんです。「二人一役」を思い付いた理由なのですが、アメリカで上演するときには、セリフを言う俳優はアメリカの俳優を起用して、動く俳優は日本から行くという風にすれば、言葉の壁を越えられる。すごく単純ですが、最初はそんなことを考えていました。
日本で演劇をやっているときは、基本的に日本語を理解できる人、日本語話者だけが観客ですよね。そうすると、演じる側も 1億人ちょっとの観客以外の環境が想定できないのですが、もう一つ重要なのは、俳優が日本語話者ではない俳優と競い合うことができないということです。つまり日本語が話せる俳優というのは、それだけでいわゆる非関税障壁みたいなものによって守られてしまっているわけです、日本語というマーケットにおいて。だから例えば、ロシアにどれだけ素晴らしい俳優がいても、日本語が喋れないから日本演劇界には参入できないですよね、お相撲さんと違って。だから国際化しないわけです。閉ざされたマーケットの中だけで活動しているから、それが俳優の一種の孤立というか、自分は今世界にたくさんいる演劇人の一人として活動しているんだ、みたいな感覚をなかなか持てないんですよね。いわば道路の中にある安全地帯みたいな感じになってしまっている。
そのことを取っ払うことと、僕らの作品を海外に出せるということは、ほぼ同じだと思ったんです、最初はね。だからなるべく俳優同士が母語と関係なく競い合ったり共演したりできる、そういう土俵みたいなのを作ってみようと思って「二人一役」を思い付いたんです。これだと今度は、アメリカの俳優が日本に来て動きをやる俳優として演じることができる。そうすると、動きをやる俳優としてみれば、日本の俳優もアメリカの俳優も同じ土俵で競い合えるわけですよね。最初はそういうことを考えていたので、「二人一役」をやり始めた当初は、実際に海外でそういうやり方をしていました。

miyagi_04.jpg 『王女メデイア』より ©内田琢麻
でもそのうちに、日本の演劇人として海外で公演するなら、日本語をしゃべっている身体を見せなければ意味がないと思うようになりました。ここに至るには少し時間がかかったのですが、海外の劇団と交流するようになって、例えば僕らがインドへ行く。インドの演劇大学でワークショップをして、インドの俳優がセリフを言い、日本の俳優が動きをやり、みたいなことをやっていく。今度はインドネシアの俳優に日本に来てもらって演じてもらうという機会ができたのですが、例えばバリ島の俳優が日本の俳優と一緒に舞台に出てきて椅子に座るとします。僕は客席で日本の俳優よりもインドネシアの俳優の方が面白いと感じたんです。これはどうしてかなと。ただ歩いてただ椅子に座るだけなのに、なぜインドネシアの俳優の方が面白いと感じるのだろう。いろいろ見ているうちに、本当にちょっとなのだけれど、日本語話者だったらそういう風には動かないという、ものすごくわずかなディテールの違いがあることに気づいたんですね。僕は演出家だから何度も何度も見る機会があったのでだんだんわかったのだけど、おそらくほとんどのお客さんは、どう違うかというところまではわからないと思います。ただなんとなくインドネシアの俳優を見てしまったな、ということになると思うんですね。

このミステリーというか、なぜか見てしまうという謎。これがどうして生まれるのか。この本当に微細な違いがなぜ生まれるかといえば、先ほどちらっと申し上げたように、それを使って思考している言語の違いなのだと思います。つまり、僕ら日本語話者の場合は日本語で考えていますよね。日本語で考えて行動している。もちろん「アチッ」のように瞬間的に言葉になる以前の行動というものもあるけれど、「あ、水が飲みたいな」と思って手を伸ばすみたいなときに、頭の中で「水が飲みたい」って言葉が動いたりするわけですね。「水が飲みたい」という言葉が頭を走って行動が生まれる人と、例えば"I wanna drink"とか"I wanna drink a cup of water"と思ってから水に手を伸ばす人の行動って、本当に少しですが、たぶん違いますよね。
「水が飲みたい」という文の、主語は何でしょう。日本語の文法で主語は何かということを考えるとき、よく"「象は鼻が長い」構文"というものを参照しますが、例えば「水が飲みたい」という文の場合、主語は何だと思いますか。面白いでしょう、「水が」飲みたいって。「水を」飲みたい、じゃないのって。英語を一旦勉強すると、水を飲みたい、だと思ってしまいますよね。でも日本語では、水が飲みたい、というわけです。「私が」という主語が飛んで無くなってしまったでしょう。

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こんな風に言語によって何らかの制約というか、行動に何らかの癖みたいなものが生まれてくるんですよね。それは例えば、バリ島の言葉を使う人の思考と動きの関係と、日本語で思考している人の動きとの間にわずかな違いを生んでいて、その謎な部分をなぜか見てしまうという。この謎な部分こそ、日本の演劇人が海外で見せるべきところなのではないか。そんな風に思うようになってからは、先ほど申し上げた、アメリカでは英語話者をしゃべる俳優に起用して、ということはしなくなりました。むしろ日本語を喋っている身体って英語を喋っている身体と何か少し違うよね、というのを見てもらう方が本質だと思うようになったのです。
宮城嶋: 「私」が、 "I"があるかないか、というところがすごく興味深いなと思いました。宮城作品ではないのですが、私もフランスのカンパニーの中で一人日本人として仕事をする機会が去年ありまして、やはり外国語を喋りながらクリエイションしているときの自分の身体というか、「私」が出てくるときと、日本語で物事を考えているときと、身体も思考回路も変わってくるなっていう。言語が変わることで自分の身体も性格も"I"の性格になっていくみたいな、そんな感覚はすごく味わうな、なんて思いました。でもよく日本人は"I"がない、なんて言いますよね。「私」は、日本語にはない。

いきなりすごく込み入った質問になってしまうかもしれないのですが、宮城作品を分析する上で、「私はこう思って、 私はこう考えていて、私は自分の思い通りに自分の身体を動かせて、私は何でもできるのだ」みたいな「近代的主体」という概念を、自分の論文の中では用いました。宮城さんが演出作品の中で採用されるさまざまな方法、「二人一役」であったり、セリフをちょっと棒読みで言う「弱い演劇」「詩の身体」であったり、また劇中音楽の手法などを捉えていくと、あらゆる宮城作品の中で 「私」というものが解体されていっているのではないか、「私は自分の思った通りに身体を動かすことができる」とか「私の感情の通りにその言葉が発される」とか「私は自分の思った通りに最初から最後まで美しいメロディーを奏でられる」みたいな、そういう私自身が考えていることがそのまま表現になるという事が、ある種禁じられているというか解体されているというか、そういった視点で宮城作品を捉えてみると面白いのではないか、みたいなことを、私自身の研究の中では考えました。

miyagi_06.jpg 宮城嶋氏は東京大学大学院で「宮城聰の演劇実践」について研究した
先ほど、日本語には主語がないというところで宮城さんが仰っていたのですが、もしかしたら「私」という主語がない日本語だからこそ生まれる表現みたいなものが、 「二人一役」であったり、私というものが解体されるいろいろな方法論であったり、あまりまとまらなくなってしまったのですが、宮城さんの作品について考えていく上で、「私」という存在をどう捉えるかというところが個人的には今熱いテーマになっているのですが、この点についてはいかがでしょうか。すみません、ぼんやりとした問いかけなんですけれども。
宮城: それはすごく僕が意識していたことです。つまり西洋演劇といわれるものがどこまでいっても近代的自我のくびきから逃れられないというか、その呪いの下にある、と言ったらネガティブすぎますけどね。結局、自分は自分である、私は私であるという、いわゆるアイデンティティというものに閉じ込められていると、僕自身は演劇というジャンルの目的というか目標地点が、すごく地上的というか、何て言ったらいいんだろう、ものすごく現実的なものになる。

どういう意味かというと、最も正しい近代市民社会の市民、近代社会の市民の模範形みたいなものを作ることが演劇のゴールになってしまう気がして、僕にとってそれはあまりワクワクしないことなんです。言い方を変えれば、近代市民社会の模範的市民、人前に立って自分の意見を分かりやすく力強く語ることができる、そして常に自分の考えを持っているみたいな、こういう近代市民社会の模範的な市民が俳優というものなのだという考え方がある世界では、演劇の地位も高いということは言えます。でも僕が演劇に求めるのは、そういうひどく現実的なことではなかったんです。つまり先ほど申し上げた、どんな人間でも共感し合えるみたいな、あまりに壮大というかほとんど夢のようなことが僕にとってのゴールなので、そのためには地上的な存在である人間というものの、地面に人間を繋ぎとめている接着剤というか鎖みたいなものをちょん切るようなパワーがなければいけないし、それこそが元々演劇が持っていた力ではないかとも思うんです。

少し説明しますと、最初から現実と少し離れている人間が、最初から現実と少し離れているとはどういう意味かというと、例えば夢という言葉がありますよね。それが私の夢です、とかいうときの夢。あれは元々寝ているときに見るものですよね。元は寝ているときに見ているイメージが、いつのまにか理想みたいな意味に変わった。これはドリームという言葉で英語でも同じです。どうしてだと思いますか。寝ているときに見えているあのイメージが、なぜいつのまにか理想のような意味合いに変わったのか。
僕が思うには、寝ているときに自分の中で沸き起こっているあのイメージには、肉体の制約がない。つまり自分の肉体という錨みたいなものがないのです。寝ているときの頭は肉体という、あるいは重力というくびきから解き放たれているんですよね。だからその状態が人間にとって素敵な状態だと思える。
つまり人間は、現実には地上に縛られているわけです。鎖によって地上に縛られている。アートの、芸術の多くは、この人間を地上に縛っている要素、そのファクター自体をあえて切り離している。例えば、ダンスはなるべく言葉を使わないということをしている。小説は集団から離れられる。言葉がなくてもいいとか、集団がなくてもいいとか、あるいは先ほど申し上げた夢のように肉体がなくてもいい。こういう人間を地上に繋ぎ止める三つの鎖のどれかを切ったものが、多くの場合芸術として人々を楽しませている。映像には肉体がないとかね。何かそういうことによって、僕らが普段感じている抑圧から少し離れることができているわけです。だから芸術を見るといい気持ちがするのは、僕らが引き受けざるを得ないその抑圧の一部がないからです。

miyagi_07.jpg 『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜』より ©Masami Hioki
ところが演劇には全部あるんです、その抑圧が。抑圧というか鎖が。言葉もある肉体もある集団もある。さらに言えばローカリティというか、気候風土というか、その土地で上演されていて、仮想空間では上演できないんですね。暑い国なら暑い空気の中でしか上演できないという風に、地面にがんじがらめに縛られている芸術、その舞台俳優がしかし何らかの方法で離陸する。そこにいわゆるカタルシス、演劇ならではの浄化能力、浄化効能がある。浄化というのはこの場合スッとするということですが、これだけ縛られてしまっているんだぞ、となっている上で、でもそれからふっと離陸する瞬間を見せる。先ほど申し上げたように、いろいろな現実に縛られている地球上の多様な人たちが、その演劇の力によって、現実からふわっと浮いて共感しているのではないかと僕は思っているんです。
例えばサウジアラビアで僕たちが芝居を上演していて、空気が一瞬一体化したかのように感じたというときに、そのサウジアラビアの人たちが普段縛られている鎖と、日本の俳優たちが普段縛られている鎖が、なぜか一瞬切れてふっと離陸して、「あ、今みんな同じことを願っているぞ」みたいな瞬間が現れるのではないかなと。
そう考えると、アイデンティティというものに前提を置いてしまうと、それが難しいと僕は思うんですね。近代主義社会の模範的な市民になるということがゴールでは、なかなかそうはいかないような気がする。むしろ先ほど申し上げたように、演劇は古来、現実から離陸するためにあったし、その離陸のためにすごくいろいろな知恵を蓄積してきているのではないか。しかし近代になってその沢山の知恵をみんなあまり振り返らなくなっているのではないか、と思ったわけです。だから僕が「二人一役」を始めた理由は、先ほど申し上げたように非常に素朴なことでした。

「二人一役」を始めたもう一つの理由は、僕自身が自分の中で言葉と身体、あるいはロゴスとパトスというか、言葉と身体が乖離しているという感覚を持っていたからです。
これは俳優をやったことのある人の多くが実感していると思うのですが、「二人一役」でなくても、舞台俳優が舞台で何らかの動きをしているときに、例えば「いやー暑いね」でこういう動きをしたとしますよね。そうするとお客さんは、この人の体内で暑いという身体的な事件が起こり、それで「いやー暑いね」という言葉がその身体的事件から自然と生まれてきて、そしてまたこういう動きに自然と繋がるという風に思いがちですよね。いや思いがちというよりも、それを自然に繋がっていると見せるのが上手な演技だと。その反対はぎこちないとか、わざとらしいとかですが、わざとらしいと思われる演技は下手くそで、自然に見える演技が上手だということになっていますよね。そうすると身体の中で起こった事件、これは感情と言ってもいいし、パトスと言ってもいいけれども、身体の中で起こった事件から言葉が当然まっすぐ繋がって「いやー暑いね」と言葉が出ていて、それが自然とこういう行動に繋がっている。俳優はこの身体と言葉が、オーガニックにというか、自然と繋がっているように見えるように演じています。
しかし実際演じているときには、「いやー暑いね」という言葉を言う脳みそと、このときに手をどれぐらい上げるべきかとか、ここまで行くとスポットライトが当たって顔に影が出るからここまでとか、そういうことを考えている脳みそは、別なんですね。今理屈っぽいことを言いましたけど、言葉を言うときに、自ずと行動が出るわけではないということです。言葉を言うから自然とそれに伴った行動が出るわけではないんですよ。言葉を言う、それはそれなんです。そのときにどういう行動をするかというのは、それはそれで、二つの別の車輪なんです。
これを同時に動いているかのように見せるのが、上手な演技だということにされているわけですね。すごい欺瞞だと思ったんですよ。だって自分の中で解離しているのに、俳優の中で解離しているのに、それが一緒に動いているかのように見えて、お客さんから「あの人は言葉と身体が一体化している、素敵だな」なんて思われたりしている。そんなの人を騙しているだけじゃないかと思ったわけです。乖離しているのであれば、乖離しているという事をそのまま見せる方がはるかに正直な表現、真実の表現じゃないかと。それで言葉を言う人は言葉を言う、動きをやる人は動きをやる、ということを考えました。この二つの理由で「二人一役」を考えついたのです。

miyagi_08.jpg 『アンティゴネ』より ©Stephanie Berger
これをやると、ほぼ自動的に近代的自我を放棄せざるを得ません。僕がそれを思いついた頃、つまり1990年頃ですが、社会が非常に高度に複雑になったから、言葉と身体が人間の中で分離してしまったのではないか、ものすごくシンプルな社会だったらこんなに別れていなかった、一体だったのではないか、と考えていました。
その頃僕は「だって万葉集は?」とよく思っていたんです。万葉集は文字で書かれたものではなく、元々口で言われたものですよね。それを記録した万葉集の、少なくとも詠み人知らずみたいなものは、その歌の言葉を読むだけで詠んだ人の身体がそのまま思い浮かぶような気がしたんです。例えば 「よみがえれ」という言葉が出ると、死骸を前にした、それを詠んでいる人の肉体が見えてくるような気がして。
だからシンプルな社会では、言葉と身体はもっと一体だったのではないか、なんて思っていました。なぜかというと、万葉集の後、例えば平安時代の和歌になると、もう言葉を読んでも詠んでいる人の肉体なんか全然浮かばないですからね。だから複雑になっていくとこうなのかなと。平安朝は一つの都市なので、いわゆる都市化したからだと思っていたのですが、そのうちどうもそうではないなと思うようになって。人間が言葉を獲得した時点から既にこの乖離は起こっている、と考えるようになりました。

言葉を知らない赤ちゃんは、自分の状態、例えば自分が危機的な状態であるという事を表現しようとして泣いたり、あるいは今一番いい状態だということを表現するために笑ったりしますよね。そのときに周りにいる人は、発散されている言葉ではないたくさんの情報というか、身体から出ている音だけではないいろいろな情報を、一生懸命読み込んでいるわけです。親だけでなく、赤ちゃんがいたら赤の他人でもこうやって見てしまいますよね。何が欲しいんだろうとか、今どうしたいんだろうとか、赤ちゃんというのは、もう誰も彼もが覗き込んでくれるんですよ。そのわずかな情報から、お腹が空いているのかな、おしっこがしたいのかな、どこか痛いのかなと、一生懸命読み取ってくれる。
でも言葉ができるようになったらどうでしょう。お腹が空いたと言ったら、もうそれ以上誰も覗き込んでくれません。見てよ見てよと思っても、もう言ってしまったらおしまいなんです。そうするとどうなると思いますか。人間嘘を言うようになる。嘘というものを覚えるわけです。言葉を覚えた途端に、痛くもないのに痛いと言ってみたりとか、怖くもないのに怖そうに泣いたりすることができるようになってしまうわけです。なぜなら、言葉を知る前は世界中が覗き込んでくれていたのに、意味のある言葉を発するようになった途端に、誰も、親すらも覗き込んでくれなくなるからです。

こういう経験、世界から一旦捨てられるという経験を、ほぼ全ての人間がしているわけですよね。そして、それと全く同時に言葉を獲得するわけですから、これはアダムとイブがリンゴを食べたということですよね。最も幸せな状態から追放されて、でもそこから知恵というものが生まれる。その知恵の中には嘘も含まれているのですが。
この時点ですでに、自分の身体の中で起こっている実際の出来事と言葉は乖離しています。だから言葉というものを人間が手に入れてしまったその時点から、ロゴスとパトスの乖離というのは起こっているのだと思うようになりました。

それは後でわかるようになったのですが、ともあれそのようなことを表現できるのが「二人一役」で、これをやるためにはいわゆる近代的自我みたいなものに拘泥していることができない。何しろ言葉は外から入ってきますから。動いている俳優にとってみれば、自分はただの瓶みたいになるんです。瓶みたいなものになって、言葉が入ってくるんですね。ところが面白いことに、ただの瓶になると言葉が入った途端にものすごい出来事が身体の中で起こるんです。
宮城嶋: 「ジャムの瓶にスプーンを突っ込むんだ」ということがずっと私はわからなかったのですが、初めて「ムーバー(動き手)」をやらせていただいたときに、「ジャムの瓶にね、スプーンを突っ込むような感じなんだよ」と言われて「はあ~」と思ったことを今思い出しました。
実際に演技として近代的自我を捨ててみるというのをやってみるのですが、これがなかなか難しくて。よく稽古場で宮城さんは私に「宮城嶋さんはね、感情が身体に出てしまうのが癖なんだよ」と仰います。感情が出てしまうと覗き込んでもらえなくなってしまうと、今語られたように言ってくださるのですが、近代的自我を捨てるというのは、俳優のテクニックとしてはやはりすごく難しいなと思います。

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一方で、私は1990年代生まれなのですが、中学・高校・大学・就活という過程の中で、「あなたは何を考えているの?」とか「あなたは結局何がしたいの?」みたいな、自己主張を求められる場ですとか、「あなた自身がしっかりしなきゃダメなんだよ」みたいな言葉に常に晒されてきた世代だと思っていて。あなた自身が、ってあんなに言われていたのに、現実社会を生きてみると、結局私が思い通りにできることなんて何もない、みたいな、そんな事実を普段生きている中で突き付けられているなと感じています。
この先私が、すごいパワーで何かをコントロールすることができるという幻想がないときに、じゃあどうやって生きていったらいいんだろうっていう風に考えると、宮城さんが20年30年培ってきた、近代的自我を放棄する、そして地上的存在である人間の鎖を切るパワーを持つ、という演劇の力は、私たちの世代、これからの世代にこそ新しい示唆を与えてくれているのではないかと思います。人間は外側からいろいろな影響を受けざるを得ないとても弱い存在だけれども、それでもいいし、だからこそ出来る何かがあるのではないか、みたいな、これからの世代にこそ宮城さんがこれまで培ってきた方法論や考え方は、すごく役に立つ、というか、活きてくるんじゃないかなと私自身は思っていて、だからこそ宮城聰の演劇が面白いと思っています。

「演劇が国境を超えるとはどういうことか」(後編)に続きます。


対談の模様は、国際交流基金公式YouTubeチャンネルでもお楽しみいただけます。

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宮城 聰(みやぎ さとし) 1959年、東京生まれ。大学で演劇論を学び、1990 年に劇団「ク・ナウカ」を旗揚げ。「語る」俳優と「動く」俳優に分かれ二人一役で演じる独自の演出手法で注目を浴びる。2007年、SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を招へいするなど、「世界を見る窓」としての劇場づくりにも力を注ぐ。2014年のアヴィニョン演劇祭(フランス)でのインド叙事詩『マハーバーラタ』、2017年同演劇祭でのギリシャ悲劇『アンティゴネ』では、日本人の死生観を反映した同時代的テキスト解釈と、アジア演劇の身体技法や様式美を融合させた演出が高い評価を受けた。2018年芸術選奨文部科学大臣賞(演劇部門)受賞、2019 年フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受章。

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