2020.12.18
【特集073】
特集「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」(特集概要はこちら)インタビュー・寄稿シリーズ最終回の第9回は、従来の演劇の在り方を拡張し、現代社会を鋭く批評する作品が国内外で高く評価されている演劇作家の岡田利規さんです。コロナの状況下における演劇制作や、移動や交流、演劇を拡張していくことへの思い、そして、これからの演劇の形とは?
チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム畑』at ロームシアター京都
――コロナ以降、どのように活動をされていましたか?
予定されていたクリエーション、公演、ツアーはことごとく延期、ということになりました。それで、それまではずっと移動に次ぐ移動、みたいな感じだったわけですけど、それが2020年の3月末からはぴたっと止まって、以来熊本の自宅でのんびりしてました。毎日料理していました。いくつかのプロジェクトについて、延期になったとはいえ、オンラインでクリエーションをしてました。このような状況になる以前は考えていなかったことをやったりもしました。
ぼくの主宰するカンパニーである「チェルフィッチュ」は、2020年は春と秋に『消しゴム山』という2019年京都で初演した演目のヨーロッパツアーを予定してましたが、それは2021年に持ち越しとなりました。2月の終わりのニューヨーク公演は、ぎりぎりやれたんですけどね。そのときもコロナの影響で船に積んでいた舞台美術として用いるさまざまなモノたち一式のニューヨーク到着が公演日に間に合わないということになって、そのトラブルへの対応ですごくバタバタしたんですが、上演自体は実施できました。ニューヨークはその直後に感染拡大が急に深刻になりましたから、今から思えばラッキーでしたね。
『消しゴム山』の予定がなくなり、時間を持てあましたのと、こんな状況であっても/だからこそ、なにか新しいことを試してみたいという気持ちになったりしたのとで、そのメンバーで『消しゴム畑』*¹ という、当初まったくそんなことは考えていなかった取り組みを始めました。どういう取り組みかというと、実際見てもらえたらうれしいんですが、まあ簡単に言えば、『消しゴム山』というのは、人間を中心に置くという現状のとても支配的な世界の認識の仕方とは別の何かを探るために、人間と同じくらい、というかそれ以上にと言えるかな、モノの存在をフィーチャーするような世界観で演劇をつくる取り組みだったんですね。
そして、ぼくらは同じコンセプトで『消しゴム森』というパフォーマンス要素の多めな展覧会も、金沢21世紀美術館でやったんですね。だからそのノリで、Zoomの形式を用いて、今度は劇場や美術館といった非日常的な場所ではなく、日常そのものである場所、つまり各自の出演者の家の中でこの〈消しゴム〉的コンセプトを実践するということをやることにしたんです、それが『消しゴム畑』です。これは不定期に、ユルい部活動みたいな感じでこれからも続けようと思っています。
チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム森』 撮影:木奥惠三
(写真提供:金沢21世紀美術館)
このカンパニーでの活動のほかには、たとえば、6月にKAAT神奈川芸術劇場で初演することになっていた『未練の幽霊と怪物』という演目がありますが、これも延期を念頭に置いた公演中止が決まりました。けれどもせっかく時間があるんだし、今のうちじっくりと、たとえオンラインであってもクリエーションを重ねていったほうがいいと思ったので、4月から6月にかけて、週に2、3回のペースで、はじめはワークショップ、それから台本を使って作品のクリエーション、というプロセスをオンラインでですが、持たせてもらいました。そしてその創作途中までの過程の、ワークインプログレス(進行中)的な成果発表を、期間限定の映像配信として行いました。
あとは、バレエダンサーの酒井はなさん、チェリストの四家卯大さんと一緒にダンス作品をつくるというプロジェクトも、公演は延期になりましたが、クリエーションは週に一度、やはりオンラインでこつこつやりました。おかげで、作品はもちろんまだ完成していませんけれども、こういうコンセプトでこういう感じでいく、というのはすでにばっちり見えています。
あとは小説を執筆したりもしていました。とにかく時間の余裕が近年になくある時期だったので、本を読んだり、この先に予定されているプロジェクトのコンセプトをぼんやり考えたりなど、のんびりとした生活ペースの中でできました。ぼくはそれをサバティカル(長期休暇)みたいにとらえることがきました。ありがたいことに。
7月は、これはほんとに急に決まった話だったんですが、ドイツのミュンヘンに行きました。ミュンヘン・カンマーシュピーレという公共劇場があって、2016年からぼくに継続的にその劇場のレパートリーとなる演目を委嘱してくれていた芸術監督のマティアス・リリエンタールさんの任期の終わりということで、特別なプログラムを準備していたんですけれども、それがコロナの状況のせいで実現が無理になって、じゃあその代わりのなにかをやろうということで、ミュンヘンのオリンピック・スタジアムを会場にしたパフォーマンスをやることになり、それの作・演出を頼まれたんです。5日間のリハーサルで、本番はワンステージのみでしたけど、特別な環境でおもしろいものが作れたと思ってます。
――緊急事態宣言下で、『消しゴム畑』、「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」の配信をいち早く行われたのも、もともと映像のプロジェクションを用いた作品の展示を、演劇の上演として行うという「映像演劇」に取り組んでいたことが奏功したかと思いますが、そのあたりはいかがでしたか?
数年前からぼくたちがやっているその「映像演劇」なるものは何かと言えば、俳優の演技を撮影した映像を展示空間に投影し、その場所にフィクションを現象として生じさせようとするという、言ってみれば映像インスタレーションなんですが、それをぼくらは「映像演劇」と称して、つまり演劇としているんです。そして、その経験は確かにこの状況下で生かされていると思います。特に「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」は特にそれが顕著じゃないですかね。事前に「映像演劇」の試行錯誤をしていたのでなかったら、あれはきっとできなかったでしょう。
――今まで演劇の見せ方を拡張されてきたことが、非常時でもすぐに届けることにつながったという印象を受けます。
見せ方の拡張というよりは、あくまで自分にとっての、ですが、演劇の定義を拡張してきたこと。それは確かに、今回わりと素早く反応できたことにつながっていますね。つまり、劇場なりといった物理的な場所で上演が行われ、そこに観客が立ち会う、そのことを演劇と、普通の意味では呼ぶわけですが、今のぼくにとっては、そうしたものを作る経験を通して獲得したり発展させたりできるようになったものの見方だとか、捉え方だとか、あるいはそうしたものを作る際に適用している判断基準としての尺度、といったものそれ自体も、演劇、なんですよ。そしてそれらを用いて何かをつくった場合、その作られた何かは、何であろうと、演劇であると言っちゃっていい。つまり、演劇じゃない演劇っていうのが、可能なんですよ。配信についても、そんな感じの考え方を適用させて、演劇としてつくりました。
「ダイアローグの革命」チェルフィッチュの〈映像演劇〉「風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事」2020 札幌文化芸術交流センター SCARTS photo:Kenzo Kosuge
――これまでリモート制作されたご経験は?
なかったです。ぼくがクリエーションをするとき、特に、一緒にやるのが初めてのキャストとの場合、まずは、ぼくがパフォーマンスをつくるときに大事だと思っているのは何かとか、そういうことをいろいろ共有する必要があります。それを知ってもらい、理解してもらい、そして体現してもらう。そのためにワークショップをやり、その際は役者には実際に体を動かしてもらったりもするんですけれども、そのプロセスをたどることは、リモート環境下でも、問題なくできます。
ただし、それを劇場で行う上演の、本番仕様へと仕立て上げるときの精度とか、ディテールを扱うことがオンラインでどれだけできるかというのは、自信がありません。それは、オンラインだから無理、という話ではなくて、たとえば、もしかしたら回線の程度が十分ではないから、といった技術的な問題にすぎないかもしれない。だとしたらそれは、いずれ解消される可能性がありますからね。
――いわゆる「普通の演劇」という場合に、同じ時空間を共有することや、没入感等、リモートで代替できない部分はやっぱりある気がしますね。
パフォーマンスと観客とが物理的な場を共有することの重要性を本気で検討する。リアルな場への過剰な神格化というのには陥らないようにして。今回の状況が、そういう問題意識へと演劇の作り手の思考を促す契機になったらいいんじゃないかなとぼくは思っています。
――ある意味、コロナで新しいものを発見したという部分もありますか?
これまでガチに取り組む必要なんてないと思っていたことに対して真に受けて取り組むことができるようになったわけだから、そしたら新しい発見というのは、自然と生まれるものだと思うんですよ。ぼくもそれをしているような気がするけど、ぼくだけじゃなくて、あちらこちらで、いろんな人たちが。
ぼくに起こったケースについて言えば、さっき言ったように表現形態としての演劇と、それを実現するためのものの考え方、捉え方、考える際に用いる尺度としての演劇というのがあって、この状況で実現がかなわなくなったのは一つ目の演劇です。二つ目の演劇は、むしろそれについて考えることが活性化されるようなことが、起こったと思います。
――コロナ下の社会については、どのように思われていましたか?
先が誰にも見えない状況の中でどういうナラティブ(物語)が有力になっていくかは事前には分かりようがない。やがて少しずつそれが判明してきて、それに人は従っていく。そのうねるような動きを目の当たりにした気持ちです。もちろんぼく自身もそこにもろに巻き込まれながら。「布マスクってほとんど意味ないらしい」っていう言説だって流れてた。でも今はみんなしてる。ぼくもしていますし。
――演劇作品『現在地』では、世の中のうわさに対し、自分の決めた付き合い方と違う付き合い方を選択した人と、どう向き合うのか? と問うシーンがあり、認識の違いで対立も生んでいるコロナの状況にも重なる感覚がありますが、このことについてはどう思われますか?
それに関しては、この状況の中でひときわ考えるようになったということは、ぼくには特に起こってないです。『現在地』をつくる直接のきっかけになった福島第一原発の事故があった2011年のときのほうが、よっぽど思ってました。
――今回のコロナの経験により、今後どんな変化がもたらされると思いますか?
ぼくにはもちろんそんなことは分かりません(笑)。ただし、心配なのは、異なる文脈同士の交流と、それを通じて互いの文脈が互いを良い意味で刺激しあうようなこととがこれから少なくなってしまうかもしれないということです。そうなってしまうとしたら、それはとても残念。
ある文脈、たとえば現代の日本社会という文脈の中で生まれた作品が、別の文脈の上に置かれたときに、その作品が、その文脈においてならではの仕方で機能することって、あるんですよね。それはすごくおもしろい、すごく価値のあることだとぼくは思っていますので。
そしてそういったことは、人が実際に自分の身体を自分が属する文脈の中からそれとは別の場所へと移動させるということを通さなければ実現しないんじゃないかと、ぼくは今は思ってるんですよ。けれども人が移動することが、パンデミック下において、のみならず地球環境への配慮という観点などからも、これからは推奨されなくなるのが世界のトレンドになっていくのかもしれない。
――やはり自分の体ごと行く、交流するということですね。
リアルでなしに、オンラインでも可能なのかもしれないですけどね。ただ、ぼくとしては、自分の経験を基にした限りでは、リアルな移動はマストじゃないかなと。
――その場で体感として、相手の背景や空気感を理解することにも影響してくるでしょうか?
ぼくにとってはそれは経験できてよかったことの最たるもののひとつです。自分が知らない文脈を持つ場所で自分の演目が上演されるのに立ち会うと、そこの観客がそれをどのようなものとして見ているかというのに、なんだか、自分も染まれるような気がするんですよ。
――そういった越境みたいなものは、割と自然というか、そんなに大きなことではないと感じられますか?
ぼくは自分が越境してるとは思ってないです。そんな大層なことは、ぼくはできてません。
――岡田さんは社会的なテーマに強く反応して作品をつくってこられていると思うのですが、なぜ社会的な演劇をつくられるのでしょうか?
社会的な演劇をつくる、そうじゃない演劇をつくる、という二つのオプションがあるというわけじゃないと思います。別の言い方をすると、自分の作品が社会的だとか、ことさらに思いません。「社会的な演劇をつくるぞ」とは特に思っていないという意味です。あるいは、社会的ではない演劇をつくる、という言葉の意味がよく分からない、と言ってもいいですけど。
もしかしたら、こういうことですかね? 自分が演劇の上演によって観客との間につくり出したい関係は、共感というよりは緊張です、という。
――『現在地』以降、「緊張感をつくり出すために、フィクションをあえてつくっていく」とおっしゃっていたと思うのですが、そのスタンスはずっと続いていますか?
確かに『現在地』のときはそう言ってました。それ以降それが持続しているのかな? よく分からないです。ただ、観客との関係の中でしか演劇という現象は生じない、ということだけは常に意識していると思います。その態度が、社会的ということなんですかね?
――そういう中で能とか狂言の形式を応用して、そこに発見されていることは、どう関わってきますか?
僕は、能の形式に政治的なものを扱うポテンシャルをすごく感じたんですよね。日本最古の古典芸能、みたいな感じで権威化されたものとして能がどうこう、とか、幽玄、みたいなことは、僕にはあんまりどうでもいいんです。ぼくにとっては、幽霊が自分の死について語るということ、それがめちゃくちゃポリティカルだと思ったということが、大きいんです。
――人の死には社会の有り様が絡んでいて、その死について能の幽霊が語ることを演劇にして「公共化」することで、政治的なものになりうるということですよね。
そうです、そうです。
――能を扱う作品は、今後もずっとやっていかれるのでしょうか?
チャンスがあればぜひ。公共化されるべき幽霊は、日本に限っただけでもまだまだたくさんいると思うので。
――『消しゴム』シリーズは、人とモノの関係性をフラットにすると掲げていますが、今、なぜ「モノ」と対峙されているのでしょうか?
直接のきっかけになったのは、岩手県陸前高田市の津波被害の復興工事の様子を見て、それに圧倒されたことです。ふたたびその一帯に人が住めるようにするために、地面を12メートルかさ上げするということが行われていました。かさ上げの土は、周辺の山の土です。つまり、山が消えていったわけです。ぼくにはそれだけの大きなスケールの事業が、人間中心的なパースペクティヴ(視点)からなされているさまを目の当たりにして、どう受け止めたらいいのかわからなくなったんです。
そのときの困惑から出発して、なにか作りたいと思ったんです。そのなにかが演劇であるというのは、おもしろいしチャレンジングだと思いました。というのは、演劇というのはとても人間中心主義的な形式だから。そんな演劇という形式で、人間中心的なものではない、その先のナラティブをどう実現するのか? もちろん、最初はまったく見当がつかなかったですけど、人間じゃないなにかがなければいけないのは間違いないですから、ということでモノたちが必要だということになり、それで美術家・彫刻家の金氏徹平さんと協働することが決まっていったんです。
チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』2019 ロームシアター京都 撮影:守屋友樹
(提供:KYOTO EXPERIMENT事務局)
――「人間中心的ではない演劇」、例えば人として観客が、モノも含めた対象へ向けた演劇を見る場合は、人が人のためにつくっている演劇を見るときとは違って、時に心地よく受け取れるようなものではない可能性もありますか?
その人次第です。人間が万物の中心ではないというナラティブを、人間に向けて最適化させるように届けることと、人間に最適化されていないものをつくって、それを人間に見せる、それによって、人間が万物の中心ではないことを思い知らせること。『消しゴム山』は、どっちだったんですかね? どっちと言い切ることはできない気もしつつ、どちらかというと後者だったかもしれない。だとしたら、そんなものを見なければいけない意味がわからない、となる人も、出てくるのはもっともだと思います。
――コロナ以降、演劇のつくり方はどのように変わっていくのでしょうか?
わかりませんが、この状況が促す問題意識と取り組んだ結果として新しい形式が出てくるということだったり、形式として新しいものでなくても、問題と四つに組んだ結果としての強さを備えた作品が出てくるということは、きっと起こるはず。そしてそうしたものたちがこの先の演劇の流れに素地を与えていくようなことになっていくはず。ぼくもその流れの中で自分なりのなにかができるよう、試行錯誤を続けていきたいです。
*¹ チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム畑』...2020年5月23日からYouTubeで不定期配信。
https://chelfitsch.net/activity/2020/05/eraser-fields.html
2020年10月 オンラインにてインタビュー
インタビュー・文:寺江瞳(国際交流基金コミュニケーションセンター)