2019年6月号
村田沙耶香(作家)
日本でベストセラーとして注目されている村田沙耶香さんの『コンビニ人間』は、2018年に米国で英訳版が刊行されると米紙等の書評でも取り上げられ、『The New Yorker』の「The Best Books of 2018」に選ばれました。国際交流基金事業で、英国、カナダ、米国をつないだ英語圏でのブックツアーを通し、各地で読者と交流し、英訳者の視点も交えて議論を深めるなど、目覚ましい活躍をされている村田さんに、英国での体験をご寄稿いただきました。
そういえば、自分は誰かに誘われて旅をしたことしかないと、飛行機の中で気が付いた。昨年、2018年の10月、私は大切な旅をした。今までと違うのは、私に旅をしないか、と声をかけてきたのは人間ではなく、自分自身の小説だということだった。私の小説は、私が旅をするより前に異国へ到着していた。私には読めない言葉に生まれ変わって、日本とは違うカバーに身を包んで書店に並んでいると教えてもらい、写真も見たが、なんだか夢の中の出来事のようだった。この目で確かめてみたくて、自分の小説を追いかける形で、旅をすることを決めたのだった。
10月6日の朝の飛行機で、私はイギリスへと旅立った。まずはチェルトナム文学祭に参加する予定だった。10月末にトロント作家祭への参加もすでに決めていた私は、自分の体力では無理なのではないかと悩んでいたが、国際交流基金の方からあたたかいメールを頂戴し、この旅を決めた。あまりに旅慣れていない私を心配して、英語が堪能な編集者さんがついてきてくださった。いろいろな方に甘えてしまい申し訳なかったが、飛行機が日本の地面から浮かび上がると、自分の決断は間違っていなかった、という気持ちになった。
私はほとんど英語を喋ることができず、方向感覚もない。そのため、私の旅はいつもテレポートだ。何か凄い乗り物に乗って、何時間かその中でじっと我慢する。そうすると、いつの間にか自分が「遠く」に移動している。自分が暮らしている街とどれくらい離れている場所なのか、正確に理解できないまま、外に出て「遠く」を動き回る。地球儀をいくら眺めても、その感覚はぬぐえなかった。
12時間以上かけて、「遠く」のヒースロー空港につくと、日本とは違った匂いがした。「雨ですね」編集者さんが呟いた。日本とは違う空気が、体の中に入ってくる。
私たちは、空港から車でチェルトナムへと向かった。チェルトナム文学祭は、英国で最も古い文学祭で、街をあげてのお祭りだそうだ。どんな人たちがどんな物語について語り合っているのだろうかと、車の中で妄想が膨らんだ。
チェルトナムに着き、『コンビニ人間』を英訳してくださった竹森ジニーさんと合流した。ジニーさんがいなければ、文学祭に集まった人たちは私の書いた物語を読むこともできず、「日本語」という不思議な言語を、図形として眺めることしかできなかったのだ。そう思うと、ジニーさんが魔法使いのように思えた。こうして一緒にイギリスにいられることが、とてつもなく嬉しかった。
その夜はぐっすりと眠り、翌日は二時に目が覚めた。いよいよ自分が登壇する日だった。ホテルのすぐそばにあるチェルトナム文学祭の会場には、カラフルなテントやオブジェが並び、想像していたよりずっと色彩にあふれて賑やかだった。たくさんの人がフェスティバルを訪れており、小さな子供たちも嬉しそうに走り回っていた。
登壇者が集まるライターズルームのテントに入ると、その中にもたくさんの人がいた。イベントに参加する作家さんや翻訳家さん、通訳さんや司会を務める方々、いろいろな人たちが集まって、何か話をしている。笑っている人もいれば、真剣な表情の人もいる。当然飛び交うのは英語で、私にはほとんど意味がわからなかった。
普段、日本に閉じこもっている私は、その場所にいるだけで内側がかき混ぜられた。何らかの形で小説に関わっている人が集まっている。そんな中で、自分が自由にしゃべることができない言葉が飛び交っている。刺激的で、たまらなくもどかしかった。彼らがどんな物語に関わっている人で、体の中にどんな言葉が眠っているのか、知りたくてしょうがないのに、言葉が出ない。
私の作品を読んでくれた人に声をかけられ、英語で私に感想をくれた。意味はわからないが、表情やジェスチャーからそのことが読み取れる。そばにいた通訳の女性が、目の前の人物がどんな言葉を私に伝えていたのか、日本語に訳して教えてくれる。私は感謝を日本語で述べる。二種類の音が行き交う。同じ生き物なのに、違う音で鳴いている。同じ意味の文章が、異なる言語で再生され、繰り返される。海外にいるのだから当たり前のことなのに、そのことに異常に揺さぶられた。言葉が変わっても確かに交換される、形のない「意味」そのものが、不思議なほど純度を増して、目に見えない美しい魂になった。その純粋な魂は、ずっしりと私の体の中に入ってきた。
チェルトナム文学祭では、二つのイベントに登壇した。一つ目のイベントでは日本の文学について、ジニーさんとポリーさん、二人の翻訳家の女性と共に話した。二つ目のイベントでは、ジニーさんと一緒に、『コンビニ人間』を中心に、自分の小説や創作について語った。
お客さんはあたたかい人ばかりで、トークの後の質問からも文学に対する愛情が伝わってきた。特に最初のイベントでは、翻訳家を目指している人からの質問がいくつかあり、印象的だった。生まれて初めて、英訳された自分の本にサインもした。アルファベットにするべきか悩んだが、結局、日本でするのと同じように、日本語で「村田沙耶香」と書き、落款を押した。「そのスタンプはなに?」とたくさんの人に聞かれ、自分でもよく意味がわからず押していたと気が付いた。しどろもどろになりながらなんとか説明したが、後で調べたら全部間違っていた。
自分の出番が終わったあとは、フェスティバルを見て回った。本屋さんの入ったテントにはぎっしり本が並び、日本と違って帯がなく、佇まいも違って見えて、見て回るだけで楽しかった。日本人の本もあったが、ほとんどが、日本語ではまだ読めない、日本語訳がまだ出版されていない本だった(と思う)。一冊、何か買いたいと思い、どうやら日本の辞世の句を集めたらしい、『Japanese death poems』という本を買ってみた。これなら読めるかもしれないと思ったからだが、ホテルに帰ってページを捲ると思ったより難しかった。けれど、トランクに一冊、この場所で買った本を入れることができたことが嬉しかった。
翌日はロンドンへ移動し、本屋さんの「foyles」でイベントをした。イギリス版を出版してくれた、grantaの編集者さんたちも来てくださり、初めて直接会うことができた。ずっと会いたいと思っていたので、とても幸福だった。
ジニーさんと一緒に、朗読を少しと、作品や創作、翻訳について話をした。ここでもお客さんはとてもあたたかく、そして熱心だった。文学祭でさんざん緊張したせいか、少しリラックスして話すことができた。トークイベントはセッションだと思っている。雰囲気や相手、話の流れによって、思いがけない言葉がどんどん飛び出す。このイベントでも、おそらくここでしか出ない言葉が、自分の中から転がり出た。
お客さんの多くが『コンビニ人間』を読んできてくれていて、そのことにとても感激した。チェルトナムからずっと思っていたが、海外のイベントではみな、登壇者は脚を組んでリラックスした雰囲気で語り合っている、気がする。そのほうが親密な空気になり、深い話ができるような気がして、私も真似をして脚を組んでみようかと思ったが、うまくできず、結局、膝をそろえて背筋を伸ばし、日本にいるときと同じ姿勢でしゃべっていた。
皆が、古倉恵子という主人公を、まるで友達のように、ケイコ、ケイコ、と呼んでくれた。ケイコはどうしてこう感じたの? ケイコはこのときどう思ったの? 日本では彼女を、「主人公」とか、「古倉さん」と呼ぶ人が多いので新鮮だった。私もだんだん、ケイコが自分の友達のような気持ちになっていた。自分がしゃべった言葉が、素晴らしい通訳の女性の力で、きらきらと輝いて飛んでいくような気がした。自分が発したときよりも純度を増して、何倍もきれいに光っている感じがした。
後日、通訳の女性と再会したときに彼女は覚えていなかったので、正確ではないかもしれないが、私はこの時、彼女が私の言葉を、「Keiko is everyone」と通訳してくれたと記憶している。すべての人の中にケイコはいる、私はどこかでこう思っていたし、この言葉に出会いたかったのだと、はっとさせられた。
トークのあとはまたサインをした。自分ではハローとサンキューしか言えなかったが、通訳の女性がずっと横について会話を手伝ってくれた。日本に興味があるお客さんが多く、日本語はわからないけれどひらがなでサインをしてほしい、という人や、大学で日本語を勉強していて、これからあなたの本にトライします、という人もいた。トークの中で、以前私が書いた、三人で恋愛をする世界が舞台の「トリプル」という短編の話をしたのだが、「私はあなたが書いたお話のように、三人で恋をしています」とほほ笑んでくれた方もいた。
小説家として旅をするのは初めてだったので、何もかも大切で、忘れることができない。小説家としての体験を終えたあと、編集さんとロンドンを楽しんだが、寝る前になると、「小説家」として海外で出会ったたくさんの体験がよみがえってきた。子供のころ、初めて小説を書いたときの気持ちの高ぶりを思い出した。あの日と、この日が、繋がっているのだと思うと、恥ずかしいことだが子供時代の気持ちに戻ってしまい、こっそり泣いていた。時差ぼけは最後まで治らず、二時に目が覚め、外をぼんやり眺めていた。
私は全身で、新しく出会った世界を食べていた。これまで何度も旅をしたが、そんなふうに感じたのは生まれて初めてのことだった。38年間「日本」という世界を食べ続けていた私に、変化が始まっていた。新しい言葉が、体験が、どんどん体の中に入ってきて、違う生き物に変容していく。そのことに戸惑ってもいたが、とてつもなく心地よく、感動的だった。
旅を終えたあとも、全身で食べたあのときの「世界」は、体の中に今も残っている。私はこのあとすぐにカナダとアメリカに飛び、忘れられない宝物のような経験をした。今年に入って再びイギリスへ行き、大切な言葉をたくさん交わした。そして、これを書き終えたあとも二つの旅を控えている。私はこれからも出会った世界を食べ続ける。その始まりになったこの旅を、私は一生忘れることはないのだと思う。この旅の中で自分の体の中に発生した言葉が、今も私の中で蠢いている。これからの旅で自分が更にどんな風に変容していくのか、今からとても楽しみにしている。