2018年12月号
柿木伸之(広島市立大学国際学部教授)
言葉を生きるとは、どこまでも流れゆくことである。小説家にして詩人である多和田葉子が、2018年度国際交流基金賞の受賞挨拶のなかで語りかけていたのは、このことの静かな創造性であろう。彼女は、交流の「流」の字に目を留め、それに自身の、そして──彼女の近作の表題に因んで言えば──地球にちりばめられた他の作家たちの創作を重ねていた。凄まじい量と速度の情報の奔流が地球を覆うなかで、伏流のようにじわじわと、しかしあらゆる境界を越えて人々のなかへ浸潤し、いくつもの成分を含んだ沈殿物のように作品を生み出していく言葉の流れ、それを貫くのは気息である。
多和田が『雪の練習生』という小説のなかに描いたのは、ホッキョクグマの三世代にわたって吹き込まれた息が、書物に定着していくありさまだった。そして、『地球にちりばめられて』には、21世紀の初頭にベルリンの動物園の人気者になったホッキョクグマと同じ名を持つヒト、クヌートが、極東の列島から来た亡国の女性をはじめとする人々に遭遇し、これらの人々とともに移動を繰り返しながら、言語や民族、そして性別の境界を越える移行の息遣いを生きる様子が、そのなかから発せられる言葉の煌めきとともに描き出されている。
2018年度国際交流基金賞受賞記念イベント 多和田葉子×細川俊夫 対談とパフォーマンス「越境する魂の邂逅」(2018年10月18日)
多和田とともに2018年度国際交流基金賞を受賞した作曲家細川俊夫も、気息のダイナミズムに着目しながら音楽を創造してきた。その足跡を示す作品の一つが、授賞式の翌々日に二人の受賞を記念して開催された対談とパフォーマンスの夕べで、上野由恵によって見事に演奏されたバス・フルートのための《息の歌》("Atem-Lied", 1997)である。この作品では、かすれを含んだ線を強い筆圧で描いていくような運動が、周囲を巻き込む渦のような息の旋回のなかから繰り広げられる。そこからの歌を、彼岸と此岸の境を越えるかたちで響かせてきたのが、細川の音楽であろう。
受賞挨拶のなかで細川は、そのような自身の音楽を、能舞台の橋掛かりに喩えていた。能の上演では、この橋を通って死者の魂がこの世に到来し、生者の前でその苦悩を歌う。それによって懊悩に囚われた状態から解き放たれた魂は、再びあの世へ還っていく。細川は、彼岸と此岸を行き来することで一種の浄化に至る経験の媒体として、みずからの音楽を捉えているのだ。このように能の精神を今に生かすような音楽観は、世阿弥の能にもとづくオペラ《松風》の初演(2011年5月、ブリュッセルにて)を、東日本大震災の衝撃のなかで準備する過程で深められたと考えられる。
2018年2月に東京の新国立劇場でも上演された《松風》の後、細川は、劇作家で演出家の平田オリザと協働しながら、《海、静かな海》(2016年1月にハンブルクで初演)、《二人静》(2017年12月にパリで初演)と、言語を絶する災厄──前者では、津波が家族を呑み込んだ大地震であり、後者では、戦争と、それを逃れる過程での家族の死である──に遭った後に生きる人間の苦悩を掘り下げるオペラを書き継いできた。これらは、「隅田川」と「二人静」という能の演目を参照することによって、死者の魂を抱えて生きる人間を浮き彫りにしている。
これらのオペラに続いて細川が書いたのが、2018年7月にシュトゥットガルト州立歌劇場で初演され、大きな成功を収めた《地震・夢》である。ベートーヴェンと同時代に活動したドイツの作家ハインリヒ・フォン・クライストの小説『チリの地震』を基に、現代ドイツの作家マルセル・バイアーが書いた台本に作曲されたこのオペラでは、大地震とそれに続く惨事の後に独り生き残った子どもの夢のなかに、その虐殺された両親が遭遇した出来事が回帰する。自分がどこから来たかを子どもに告げるこの夢が、現代に生きる者の悪夢であり続けていることを、細川のオペラは伝えている。
2018年度国際交流基金賞受賞記念イベント「越境する魂の邂逅」(2018年10月18日、JTアートホールアフィニスにて)の前半に行なわれた多和田と細川の対談は、細川のオペラ《地震・夢》に関連したドキュメンタリー映像を手がかりに、この作品が今に問いかけるものを論じ合うことから始まった。それはとりもなおさず、2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所の過酷事故をはじめ、2018年にも西日本と北海道で相次いだ大きな災害の後に生きることを、音楽と文学の視点から見つめ直すことでもあった。
細川のオペラ《地震・夢》に関連したドキュメンタリー映像を見て、同作品が問いかけるものを論じ合う多和田と細川。
2016年にドイツの文学界において最も重要な賞の一つであるクライスト賞を受賞した多和田は、クライストという作家への深い関心を語りながらその小説『チリの地震』について、1647年にチリのサンティアゴを壊滅させた地震を描くこの小説が、1755年にリスボンを襲った大地震の衝撃──それは啓蒙思想家ヴォルテールにオプティミズムを棄てさせた──を背景としながら、巨大な災害による秩序の崩壊と、そこからの社会の再建を物語の軸としていることを指摘していた。そして、瓦礫のなかから社会が再び立ち上がるとき、それが自己の保守を強く志向することにも多和田は論及していた。
まさにこのことが、禁断の恋の末に子どもを得たカップルと、取り違えられた赤子とを、煽動された群衆が虐殺する場面に凝縮されているわけだが、それを含めた災厄を見届け、その犠牲となった死者たちの嘆きに耳を澄ますこと。《地震・夢》を、一つの通過儀礼の場をなす「トンネル」として書いたと細川が述べるときに示唆しているのは、このような、トラウマを潜り抜けることでもあるような想起の経験であろう。シュトゥットガルトでの初演に接したこのオペラの後半で、災厄のなかで非命の死を強いられた者たちへの哀悼の強い調べが、深淵から湧き上がっていたことが思い出される。
既存の社会秩序をも震撼させる災害、そしてそれとともに秩序を成り立たせてきた力が剝き出しになる出来事──それは歴史的に日本列島にも刻印されている──を、その犠牲になった者たちに思いを馳せながら見届けることによって、死者の魂とともに現在を生きることへの見通しが開けてくる。細川がみずからの音楽を、能舞台の橋掛かりや通過儀礼の場をなすトンネルに喩えるとき、広い意味での「うた」が、こうした経験を一種の霊媒のように媒介しうることに触れているにちがいない。
多和田もまた、そのような「うた」を創ってきた詩人の一人であることは、今回の受賞記念イベントの後半で朗読された『
実際、『飛魂』を読む者は、時にそれ自体肉感的な肌触りを帯びる文字を辿るなかで、無数の息遣いの気配が感じられる森のなかへ誘い込まれることになる。そのような小説が、不思議なことに音楽家の関心を呼び起こしてきたと多和田は語った。ジャズ・ピアニストの高瀬アキは、多和田の朗読と掛け合うセッションの際に『飛魂』の朗読を望んだという。細川もまた、多和田の文学のシャーマン的な特性──確かに、『飛魂』の主要な登場人物は、いずれも 巫女のようだ──が最もよく表われた作品としてこの小説を挙げ、後半のコラボレーションにおける朗読作品に相応しいと述べていた。
今回の受賞記念イベントの後半には、細川の音楽と多和田の文学が共鳴することによって、緊密かつ感興の豊かな時空間が会場を満たした。先に触れた細川のバス・フルートのための《息の歌》、ハープ独奏のための《ゲジーネ》("Gesine", 2009)、そしてフルート独奏のための《垂直の歌》("Vertical Song", 1995)の各曲のあいだに、多和田が『飛魂』の一部を朗読し、最後に細川がハープ独奏のための《回帰Ⅱ 》("Re-Turning", 2001/02)にバス・フルートのパートを加えるかたちで書いた音楽に乗って、『飛魂』の登場人物の一人が朗読の魅力に目覚める核心的な箇所が会場に響きわたった。
上野由恵とハープ奏者の吉野直子という細川の作品の望みうる最高の演奏者は、これらの作品において、深い沈黙のなかから、全身の息遣いとともに強い歌を響かせていた。その合間に多和田の朗読に耳を傾ける聴衆は、言葉の力が立ち上がる空間としての森のなかへ引き込まれていたにちがいない。そして、細川が『飛魂』の朗読のために新たに書いた音楽において、低いフルートとハープの音が小説のなかの池や林を思わせる場を開くなか、朗読とともに言葉の一つひとつが、その多層性において立ち上がってくるのを感じるとき、ここに来たるべき共作へ向けた邂逅があることを確信できた。
1998年にミュンヘン・ビエンナーレでの細川のオペラ《リアの物語》の初演などの機会に知り合い、その後交流を重ねてきた多和田と細川が、対談を含めて公の場でコラボレーションを繰り広げるのは、今回の催しが初めてだという。しかし、そこでのパフォーマンスにおいて、朗読の声が時に楽器の音と溶け合ったり、また時に協奏的に競り合ったりする様子は、すでにして舞台作品の一場面を予感させるものであった。朗読するなかで、文字と音声の緊張関係から新たなイメージが喚起されることに、創造性を感じたと多和田は語っていた。
ドイツ語と日本語のあいだを行き来しながら創作を続ける多和田の文学と、西洋の音楽芸術と日本の文化的伝統を往還しながら作曲を続ける細川の音楽とが共鳴した今回の国際交流基金賞受賞記念イベントは、二人の共作を予感させる「魂の邂逅」であった。ともに越境者の街ベルリンとも縁が深い二人──細川はベルリンで作曲を学んでおり、多和田は現在、この街に活動の拠点を置いている──が、死者の魂を含めたいくつもの魂が応え合いながら息づく場を開くかたちで、言葉がその力とともに立ち上がり、「うた」のかたちで響くような作品を、近い将来に届けてくれることを願ってやまない。
柿木 伸之
1970年鹿児島市生まれ。現在広島市立大学国際学部教授。専門は哲学と美学。20世紀ドイツ語圏の思想を中心に研究。著書に『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』(平凡社)、『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)など。訳書に『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』(アルテスパブリッシング)。最近の主要論文として「抑圧された者たちの伝統とは何か──ベンヤミンの歴史哲学における歴史の構成と伝統」(岩波書店『思想』2018年7月号)がある。音楽関係の著述もある。