2018年6月号
2018年春、日本人キューバ移住120周年を記念して、ハバナで現代美術とダンスの協働プロジェクトが行われた。ダンスでは、日本を代表する世界的振付家・ダンサーの勅使川原三郎、佐東利穂子がハバナに滞在し、現地のダンスカンパニー、アコスタ・ダンサのダンサーと約3週間のクリエイションを行い、新作『One thousand years after』を制作。4月6日にグラン・テアトロ・デ・ラ・ハバナ(通称:アリシア・アロンソ劇場)にて世界初演を成功させた。3公演を終えて帰国した勅使川原氏に、独自のメソッドに基盤をおいたアコスタ・ダンサでのクリエイションの過程、成果について聞いた。
アコスタ・ダンサ 新作『One thousand years after』より
Photo: Yuris Nórido
―今回のプロジェクトを引き受けた経緯を教えてください。
キューバには以前から興味がありました。豊かな音楽文化、そしてダンスではアリシア・アロンソ。2012年に佐東利穂子がイタリアのレオニード・マシーン賞コンテンポラリー部門を受賞したとき、アロンソ女史もライフタイム・アチーヴメント賞を受賞されていました。すでに盲目になられていたので支えられて舞台に登場されました。佐東利穂子は尊敬する最高峰のダンサーと同じ舞台に立つという機会に恵まれました。
キューバで仕事をしたことはありませんでしたし、キューバで仕事をすることなど想像もしませんでした。国際交流基金の担当者、二子登さんが何度もアパラタス(東京・荻窪)に来てプロジェクトの説明をしてくださいました。基金の方々の熱意があれば大丈夫だと引き受けることにしました。実際に、制作に関してキューバの状況はわからず、ヨーロッパ・アメリカとは異なるところがあり、準備や連絡、確認、契約など、自分たちだけでは難しかったと思います。
―今回コラボレーションしたアコスタ・ダンサは、どのようなカンパニーですか。
ダンサーは20人ほど、20代前半が多く年長でも30歳くらいの若いカンパニーです。大半がキューバ国立バレエ学校で教育を受けた人たちですが、地方でバレエ以外のエンターテイメント系ダンスを学んだ人もいました。設立3年とカンパニー自体も若く、キューバ出身で、英国ロイヤル・バレエで長年プリンシパルとして活躍したダンサー、カルロス・アコスタが立ち上げ、芸術監督を務めています。まだレパートリーも公演数も少なく、知名度も高くありませんが、イギリス・ツアーの経験があるそうです。まだ制作基盤など整っていない部分もあり、今回の公演は基金の力がなければ実現しなかったでしょう。日本とキューバの記念事業に留まらず、このカンパニーにとっても非常に重要なクリエイションでした。
新作『One thousand years after』より
Photos: Yuris Nórido
―アコスタ・ダンサのダンサーとの新作『One thousand years after』のクリエイションについて教えてください。
まず昨年12月に、現地で出演ダンサーの選考を行いました。その後、3月中旬に再度ハバナに渡り、作品の準備に入りました。出演は異なる個性をもつ8人で、ハビエル・ロハスという非常に才能あるダンサーが全体の流れを作るように踊りました。稽古期間の3/4はワークショップによって基礎的な理解を深め、最後に集中して全体を制作しました。それまで意図的に形にならないように進めました。形式へ急ぎすぎると有効か無効かの判断に向かいがちですが、それを避けました。僕にとっては、新しい価値観を探り求めることが大事で、その先にある美を求めているのです。最終的には、作品の構成、動きのタイミングもすべて決めていますが、ディテールの大半はダンサーに託されています。流れを止めない、湧き上がる流れを生み続けることが基本コンセプトです。すれ違う、走って移動する、揺れ動くなど、曲線的で流動的な動きを全面的に使いました。
ハビエル・ロハスのソロが『One thousand years after』の最初と最後を飾った。
Photo: Yuris Nórido
―ダンサーは勅使川原さん独自の舞踊メソッドを短期間で学び、初演に臨んだわけですが、容易ではなかったと思います。どのように進めていったのですか?
最初は、踊り以前に身体を実感することから始めます。まるで体育の授業のように、力を抜く、体を振る、歩く、走ることから始める。これはパリ・オペラ座バレエ団での創作でもアマチュア向けのワークショップでも同じで、まず即物的、物理的に、身体がどのようにして動くのかを認識するのです。するとそこで生まれるオートマティズム(動きが自動的に生まれ連なること)が見つかる。たとえば、手を上げるにはまず振り下ろすなど、身体の連関が有機的なムーヴメントを生んでいるのです。それを各自が実感し利用できるように導いていきます。
通常、振付や技術を習得するには、動きを繰り返し、記憶します。でも僕のメソッドは、記憶するのではなく、何度でも動きを新鮮に感じるために意識や身体を開く方法です。ヨーロッパ的な考え方では、得るべき結果に向けて直線的に具体的な行為を行いますが、身体は忘却することで受け入れられるのだし、記憶の保存より受け取ることの方が大事だと僕は考えるのです。もちろん記憶は基本的に保存しうるものではありませんが。単に記憶を再生する機能ではなく、音楽でも、呼吸でも、ステップでも、身のこなしでも、新鮮にもう一度行ってみる。ひとつ正確に始まれば、川や水の流れのように、身体の動きも自ずと導かれるはずなのです。血流や呼吸の循環のように、計算せずとも必要として行われる必然性があるのです。ダンサーたちをある種の言葉遣いで仕向けていくと、これが実感されるようになるのです。必然性を随時作り続ける技術というわけです。
―具体的には、どのように指導するのですか?
ずっと喋り続けます。言葉を投げかけ続け、手本は見せません。「ゆるめる」とか、言葉の意味するものを共有し、言語や音階や符丁のように、ダンスも言葉で伝えることで内容が純粋に表されるのです。目で覚えたことは形として再現しようとするので、ズレが生まれます。でも言語化すれば、コピーではなく本質を形にする必要が生じます。言語によって身体が動くことを、言語が身体を動かす力となることを、最初の段階から比喩も用いてたくさん言います。たとえば、飛ぶには沈み込む、前に走るには後ろに蹴り出すなど、動きには力の作用と反作用がありますが、力を入れる前には緩める必要がある。すると緩めることで、直線とは異なる曲線や遠心性の運動が生まれ、動くことと空間の構成や配置、移動がつながっていく。バレエのメソッドは、その場で作った動きを移動させるという発想です。将棋なら、ある潜在能力を持つコマが盤上を移動する。僕のダンスではすべてに動きが伴ってあるのです。静止したものが動くのではなく、静止したものは動きつつあるものであり、空間にある存在はすでに動いているのです。
バレエ・ミストレスのクロチルド・ペオン(中央)は勅使川原三郎の思想を的確にダンサーに伝えた。
Photo: Buby
―言葉の壁はありませんでしたか?
英語を話すダンサーは数名でしたが、バレエ・ミストレスのクロチルド・ペオンさんが英語をスペイン語に訳してくれました。僕がとにかく喋り続けるので、相当大変だったと思います。もっと英語力の高いダンサーもいましたが、彼女がすごかったのは、途中から僕の思想や話の背景を理解し、非常に的確に伝えてくれた。彼女はアロンソのバレエ団で長く踊ったキャリアを持つ素晴らしい教育者で、僕の話が精神的ではなく具体的であり、言葉が身体にとって大事であることを理解した。こうした相互理解は、僕がこのプロジェクトで重要と考えていたことでした。文化や芸術の国際交流は、与えた・受け取ったではなく、どれだけ理解し合ったかが大事です。理解すればセオリーとして、思想として記憶に残り、技術として残る。僕の仕事は新作の創作ですが、それで終わらず、僕の提案から、ダンサーが独自の思考や欲求を引き金にして自分の潜在的な力をより良く使いこなし、ダンスをもっと面白くして欲しいのです。
―本番終了後のダンサーたちはどんな様子でしたか?
最高の笑顔でした。与えられた機会を引き受け、答えを出した充実感がありました。誰一人として途中で脱落せず、みな同じように幸福になれた。公演の1作品目が僕と佐東利穂子の新作デュエット『Lost in dance』、2作品目がスウェーデンの振付家ポンタス・リドバーグの作品、3作品目が『One thousand years after』だったので、3日間通して見ましたが、毎回それぞれ特徴があり面白かった。回数や角度を限定した振付と異なり、動きを構成や流れとして作っているので、作品自体は同じでもディテールが変化するのです。
―若いダンサーたちは、ダンスやキャリアに対してどんな希望を持っているのでしょうか。
そういう話はしないのでわかりませんし、クリエイションの仕事では、どうしてダンスをやりたいのか、何のために踊るのか、尋ねることはしません。彼らがやりたいこと、必要としていることはダンスだと思っているので。彼らの問題は、技術とそれを具体化する精神でした。時間が限られた創作では、急進的に、解決すべきことを追求する必要がある。何を夢見ているかではなく、何がいちばん嫌なのか。それをこちらから提示するのです。ある意味、彼らは断崖絶壁に追い詰められる。そしてそこで、何を言いたいのかを追求する。平安なところで自分が必要なものを問うよりむしろ、最も際どいところでの決断力、決意こそがダンスには重要なのです。それは毎秒毎秒をどのように生きるのか、という問題にもつながります。作品など創らなくても何の影響もないかもしれない。でもなぜ、敢えてやるのか?自分の中で意思が働かなければできないのです。
ダンスには、ダンサーの意思や欲望が現れていなければならないのです。僕はよく、舞台ではダンサーが一番で、振付家は二次的な存在だと言います。振付家の振付を披露するのではなく、ダンサーから生まれたことに価値が生まれなければつまらない。モーリス・ベジャールは、20世紀は振付家の時代だと言いましたが、現代はダンサー自体が変容し、価値を生み出す必要がある。大きな市場の論理に従うのではなく、もっと細かく、個別で、不確かなもの、有名ではないが面白い、という価値観があっていいと思います。アコスタ・ダンサのダンサーとは、きっとそれぞれがこれから花を咲かせるだろうという気持ちで仕事をしました。そういう意味で、未確定な部分を含むカンパニーとの仕事はとても面白かったし、とても大切な人たちに出会うことができました。
―これまで仕事された場所とは異なる、キューバならではの気質は感じましたか?
音楽や踊りが血の中に流れている印象を持ちました。でも面白いのは、街では激しいのですが、稽古場では彼らは意外とおとなしい。質問をしても、自分の意見をあまり言わないのです。徐々に答えてくれるようになりましたが、どんどん意見を言ってくる欧米のダンサーたちとは異なっていた。でもそれは消極的なのではなく、おそらくは社会のあり方の違いによる、白黒つけない奥ゆかしさ、謙虚さとも映りました。悪いことではないし、彼らの文化、彼らが培っている思考の方法があることを感じたのです。彼らはすごく強い人たちで、金銭面や物質面での新しさ豊かさを求めるのとは違う価値観を持っている。でもそれは、社会主義体制に基づくというより、現在の社会を実現した人々の、先人の苦労を知っているからではないかと感じました。全体主義で抑圧されているのではなく、彼らには大切にしているもの、奥ゆかしく、文化として見るべきものがある気がしたのです。
―現地の生活を通して感じられたことはありますか?また、今回のコラボレーションを通して、刺激を受けたことはありましたか?
僕はその時代を生きてはいないけれど、ハバナは日本の戦後の風景に似ているのではないかと思いました。街並みは破壊されたままで古びているけれど、治安は良く、警官もあまり見かけません。夜も昼も街を人々は好きに歩いていて、それが目的に向かう歩き方でもなく、歩いているうちに一人が数人になって、群が自然にできる感じ。僕らの知らないルールがあるのかもしれないですね。古い型の車がたくさん走っていて、皆、合図をして乗り合いをしています。人々もたくましく、数年前に個人の商業活動が許可されたそうで、家の前に机を出してお茶を売ったり、道を歩きながら中古品を売ったり、アパートの前では掃除道具をフル装備した人が大声で掃除サービスの宣伝をしていたり。面白いところで、僕の性分にも合うと思いました。
ある意味でダンスは、日常生活や社会の中にあるべきものだと思いますが、現実から遊離した別の次元、別の価値を生み出すことを望むのも人間の欲や夢ではないでしょうか。その価値は約束も保証もされていないけど、そこにその人の意志や思想が感じられることが美しいのです。それゆえ、社会体制、政治体制、民族の違いに関係なく、ダンスは重要なのだと思いました。現代はいろいろなものを批判し、単純に良い/悪いを言いますが、人間の営みには簡単に判断を下せないものがある。人間のなす行為に良い/悪いの判断を下すのではなく、そこにどんな価値があるかに目を向ける必要があるのです。
これからキューバ社会で、欧米文化とみなされているダンスがどんな展開を遂げていくのか、興味深いところです。僕は彼らの文化を大事にしてもらいたいと思っています。
アコスタ・ダンサの芸術監督、カルロス・アコスタ(右端)とともに本番終了後のステージで笑顔をみせるダンサーと勅使川原三郎、佐東利穂子。
Photo: Kike
インタビュー・構成:岡見さえ