ジェラルド・カーティス氏による基調講演「不確かな未来に備える」
2016年11月15日、国際交流基金日米センター(以下、日米センター)は、日米センターおよび安倍フェローシップ・プログラムの設立25周年を記念し、「激動する世界と我々の未来」と題するシンポジウムを開催しました。このシンポジウムでは、日米が現在直面する課題や激動する世界で日米知的コミュニティが果たす役割、さらに本シンポジウムの一週間前の米大統領選でドナルド・トランプ氏が勝利したことにより新たな意味合いを帯びた日米パートナーシップというテーマについて、多様な分野の研究者・実務家が議論しました。岡本行夫、ジェラルド・カーティスの両氏による基調講演に続き、田中明彦氏、シーラ・スミス氏、添谷芳秀氏による特別対話が行われました。米大統領選の結果がもたらすであろう不透明さ、米国の内政環境が変化するなか、それに伴う日米とアジアへの影響などについて、登壇者が議論を交わしました。 以下にそれぞれのお話の内容を要約してご紹介します。
激動する世界で均衡を求めて
最初の講演者である岡本行夫氏(岡本アソシエイツ代表、マサチューセッツ工科大学フェロー)は、「新たな均衡を求めて」と題した講演の冒頭で、米大統領選の結果に触れました。この結果を招いた原因は、英国でEU離脱派が支持を集めた経緯と同様に、理想主義、進歩的な政策、グローバル化に対する国民の拒絶反応にあると指摘しました。トランプ氏を勝利に導いた流れは理解できるが、新政権に影を落とす先行きの不透明さから、今後数ヵ月、数年の動静を予測するのはほぼ不可能であるとし、トランプ氏が米国とメキシコの間に壁を作り、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)から離脱し、イスラム教徒の移民を制限するという公約を本当に果たすのか、米国民自身にも分からず、トランプ氏の考え方や孤立主義的な態度をどう解釈すべきか、日本や欧州等の同盟国もまた見当がつかずにいる、と続けました。
基調講演を行う岡本行夫氏(岡本アソシエイツ代表)
また、経済政策を見てみると、トランプ氏当選によりTPPが凍結されたが、この米国のTPP撤退の意向を受けて、日本がTPP推進を主導するべきであると岡本氏は言います。注視すべきもうひとつのポイントは、トランプ政権の誕生が、アジアのパワーバランスをどう変えるかです。 岡本氏はアジアの現状を、米国の関与が減少すれば中国のパワー拡大を招く「ゼロサム・ゲーム」と表現しました。東アジアの将来を憂える視点から、侵略に対する強力な抑止手段である日米安全保障条約に目を向け、日米間の親密な関係を積極的に維持する必要性があると強調しました。日米関係が悪化すれば、周辺国は米国による力の行使はないと考え、逆に日米同盟が強固であれば、地域の平和維持に資するのだと指摘しました。
講演の終盤、岡本氏は、アセアン諸国を含む東アジア諸国との緊密な連携のもと、日本が地域の平和と安定のための努力を進めるにあたって、真剣に考えなければならない課題について触れました。ひとつは、日本が国際社会で期待される責務を果たすために自らを改革できる国、変わることのできる国であることを周辺国に示すこと。もうひとつは、日本が歴史問題と正面から向き合うことで、和解は謝罪と許しの双方向の営為であるが、和解のために残された時間は少ないこと、また、問題の精神的な精算を通じてアジア諸国の日本に対する信頼が本物になるとの考えが示されました。最後に岡本氏は、これら課題は非常に困難ではあるが、日本が新たな時代に直面する今であるからこそ、アジア諸国との信頼関係をもって再出発するための新しいよすがとすべきであると結論付けました。
米国の構造的変化
続く基調講演では、ジェラルド・カーティス氏(コロンビア大学政治学部バージェス記念名誉教授)が、トランプ氏の政策やアジアへの影響をはじめとする「不確かな未来」の原因を探りました。カーティス氏は、トランプ氏が全米の支持を集めた理由として4つの主要な構造的変化をあげました。 第一の変化は経済格差の拡大です。米国国民の80%が何年も同じ生活水準から抜け出せずにいます。トランプ氏はこの層に訴え、政界のアウトサイダーなら固定化したパターンを打破できるのではとの期待をかき立てました。二つ目は、グローバル化への反発です。米国の製造業の海外への工場移転が続くなか、国民は今、自由貿易が生活に与える悪影響を目の当たりにしています。こうした反感を利用したトランプ氏の当選により、「TPPは終わった」のだとカーティス氏は言います。この政策転換を通じて日本主導で米国抜きのTPPを発効させる道が開け、もしかしたら最終的に米国を迎え入れられるかもしれません。三つ目の構造的変化は人口構成です。マイノリティ集団の人口増加が多様性の高まりを生んでいる、とカーティス氏は主張します。多様性は米国を強くすると同時に、「他者」―トランプ氏が選挙戦で巧みに利用したフレーズ―への不安をあおります。四つ目は、米国国民が自分たちを代表しているはずの政治エリートに対し感じている疎外感です。トランプ氏は明らかに、こうしたムードを自分に有利に働くよう利用しました。米国の世論調査では、回答者の4割が政治家に求める気質として「変化を起こす能力」を何より重視し、うち8割がトランプ氏を支持しました。
「アイデンティティ政治」への過信が民主党の目を曇らせた、と語るジェラルド・カーティス氏
トランプ氏就任を控え、民主党は党内の立て直しを進めていますが、選挙戦の結果につながった要因を十二分に直視できているかは疑問です。もしヒラリー・クリントン氏が当選していれば、民主党は自らの健闘を称え、国民の約半数が対立候補に票を投じた理由を深く考えもしなかっただろう、とカーティス氏は指摘します。トランプ氏の勝利に肯定的な要素を探すとすれば、リベラル派の目を覚まさせ、国民との結びつきを取り戻すには何が必要か考える機会を与えた可能性があることです。しかし、これはまだ何の効果もあげていません。民主党はただマスコミと国民に責任を転嫁しがちです。結局は、ミレニアル世代やマイノリティ集団の利益を代弁する「アイデンティティ政治」への過信が、彼らの目を曇らせたのです。カーティス氏によると、米国のリベラルエリートは、白人労働者階級に訴えかければマイノリティの有権者基盤を失うと思いこんでいます。これは大きな間違いで、白人の支持とマイノリティの支持が「トレードオフの関係にある」という発想は、人種差別をさらにあおるだけです。
カーティス氏も岡本氏と同じく、トランプ氏が如何にして政権の座についたかその理由を理解したところで、彼が大統領就任後にどのような行動をするのか予測できないと認めました。トランプ氏の政策スタンスが非常に攻撃的で予測困難なため、誰も何が起こるか分からないと言います。日本や中国への姿勢も不明確です。国際情勢の変化は日米パートナーシップの形も変えようとしています。当初の同盟関係は、第二次世界大戦の敗戦で日本が苦しみ、米国が世界の超大国だった時代に形成されました。しかし、次第に弱まる米国の国際的な指導力は、中国の経済力にとって代わられています。こうしたアジア情勢の変化に、今度はトランプ政権の不透明さが相まって、米国は介入抑制と孤立主義へ向かうように見えます。カーティス氏は、日米同盟の実効的な管理が今ほど困難な課題となった時代はない、と述べて講演を締めくくりました。
国際関係、メディア、学術コミュニティ
基調講演に続いて、田中明彦 (東京大学東洋文化研究所教授)、シーラ・スミス (外交問題評議会上級研究員)の各氏をパネリストに、添谷芳秀氏 (慶應義塾大学法学部政治学科教授) をモデレーターに迎え、日米関係の未来をめぐる特別対話が交わされました。
「特別対話」にのぞむ3人の登壇者。左から添谷芳秀氏、シーラ・スミス氏、田中明彦氏
特別対話では、はじめに、安倍フェローシップ・プログラムの25年の歩みを振り返り、ほぼ全ての安倍フェローが四半世紀にわたり日米政策研究の形成に関わってきたことに触れた後、米大統領選の結果およびトランプ氏が日本に与える影響に焦点が当てられました。田中、スミス両氏は日米同盟自体の未来には比較的楽観的で、米国は海外にパートナーを必要としており、経験豊富なアドバイザーがトランプ氏の政策に影響を及ぼす可能性が高いため、政権移行は円滑に進むだろうと主張しました。次に添谷氏が、「リベラルな国際主義の未来」というテーマに話題を転換したところ、田中氏は、米国のリベラルエリートと労働者階級の分断をめぐるカーティス氏の発言を糸口として、日本のメディアもトランプ氏の勝因は「ポピュリズム」にあると報じ、報道関係者は安易にこの言葉を使うが、国民感情の本質を過度に単純化するものだと指摘しました。田中氏によれば、リベラルエリートは自分たちこそ世界事象や「大局的」な世界観を把握しており、トランプ支持者や英国のEU離脱支持派は現実を十分理解していない輩と批判してきました。しかし、現実を理解できていないのは、むしろ自分たちリベラルエリートであることを見落としていた、と言います。続けて、田中氏は、トランプ氏の勝利と英国EU離脱は、民主主義が機能していることを示す実例だと述べました。現状とかけ離れた、エリートが支配する社会へと徐々に変化するのでなく、英国と米国の出来事は、民主主義に基づく多様な意見が変革力を持ちうることを示しました。健全な民主主義本来の力学が結果的に証明されたものの、やはり不確実性は否めません。田中氏も他のパネリストと同様、トランプ政権が現実的な政策をとるかどうか誰にも分からないと強調しました。
添谷氏が次に日米中の連携について話題を変えると、スミス氏は、トランプ氏の貿易をめぐる中国への態度に触れて、新大統領にとって最大の問題は対中抑止ではなく、経済的に公平な競争の場を作り米国人労働者に雇用を創出する点であり、中国の台頭は、必然的にトランプ新政権と日本の間のあらゆる議論の中心を占めるだろう、と指摘しました。さらに、トランプ氏の方針に明確なアジア戦略があるかは定かではないが、中国との経済摩擦は間違いなく米国とアジアの関係に重くのしかかると続けました。
その後、主題は「グローバル・パートナーシップ」に移りました。添谷氏はトランプ氏の大統領就任により「米国の世界からの離脱が加速する」可能性を指摘した上で、パネリスト2人に対し、「リージョナリズム(地域主義)」が勢いを増す中で日米センターと安倍フェローシップは今後どう進むべきかを問いかけました。田中氏は、日本は既にグローバル、リージョナル双方の環境に結びついているため、日本がどこか一つの地域にだけ閉じこもっているわけにはいかず、世界全体を考えねばならない点を強調しました。この現実が、日米センターと安倍フェローシップの役割を大きなものにしています。国際舞台で史上類を見ないほどの積極的な役割を果たしてきた安倍首相は、トランプ氏にグローバル連携の必要性を理解してもらう上で絶好の立場にいる、と田中氏は指摘します。日米センターが目ざすところでもある強固なグローバル・パートナーシップ形成が急務であるという点で、パネリストの意見は一致しました。
最後に添谷氏はスミス氏に、日本とアジア地域の安定における米国の役割についてたずねました。スミス氏は、質問に対し直接回答する代わりに、とかく研究者がかけ離れたものとしがちな「地域主義」と「グローバル化」という2つの概念の間の隔たりに触れ、もっと現実社会に生きる人に影響する問題に目を向けて研究を行う必要があると述べました。安倍フェローに対しても、特定の課題や学問領域だけに目を向けるのではなく、コミュニティに根差す現実的な課題にもっと注意を払うようスミス氏は求めました。
不確実な世界を変化の機に
基調講演と特別対話の主要なテーマとなった不確実性をめぐる懸念にもかかわらず、登壇者らは、トランプ時代がもたらす予測不可能性を、パニックの原因ではなく、むしろ各国が自らの視点や政策を見直す貴重な機会であるとみています。日本の場合、トランプ大統領就任はTPP交渉で一層大きな役割を担う機会になるとともに、東アジアでの米国のプレゼンスが突如縮小する可能性を受けて、日本は域内での自らの地位とレガシーにより強固な責任を負う必要があると岡本氏は説きました。カーティス氏が講演で語ったように、トランプ氏の勝利は、リベラリズムの弱点を踏まえ、米国社会全体の現実にもっと寄り添った政策をとるよう求められている民主党にとって、意志の力を試すものになるかもしれません。また田中氏が、世界の現実を軽視していると批判した日米のリベラルメディアも今、重要なチャンスを手にしています。スミス氏によれば研究対象が学術的テーマにやや偏っているという、日米の知的コミュニティにも同じことが言えます。このような機会を活かし、日本がアジア諸国の信頼を獲得し、米国の政治家が幅広い有権者と接点を取り戻し、メディアが編集方針を入念に検討し、学術界がコミュニティ志向の現実的な研究を行うことができれば、トランプ氏の勝利という言わば「冷や水」が結果的には有益な警鐘だったと後世に語り継がれるでしょう。
シンポジウム登壇者・主催者の集合写真
構成: トム・ケイン
写真: 高木あつ子
岡本 行夫
外交評論家。岡本アソシエイツ代表取締役。マサチューセッツ工科大学国際研究センターシニア・フェロー。1968年から1991年まで外交官として外務省北米第一課長等の要職で活躍。日本外交について多数の著作があり、立命館大学、東北大学で客員教授として教鞭をとる。1991年から2005年まで国際交流基金日米センター(CGP)参与を務めた。
ジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)
コロンビア大学政治学部バージェス記念名誉教授。東京財団名誉研究員。元コロンビア大学東アジア研究所長。『政治と秋刀魚ー日本と暮らして45年ー』、『代議士の誕生』、『日本型政治の本質』、『日本政治をどう見るか』、『永田町政治の興亡』等の著書多数。専門分野は日本政治、行政、外交と日米関係。
田中 明彦
東京大学東洋文化研究所教授。前国際協力機構(JICA)理事長。専門分野は国際関係論、東アジアにおける国際関係、日本外交など。主要著書に『新しい「中世」』(日本経済新聞社1996年、サントリー学芸賞受賞)、『ワード・ポリティクス』(筑摩書房2000年、読売・吉野作造賞受賞)、『ポスト・クライシスの世界』(日本経済新聞出版社2009年)がある。
シーラ・スミス(Sheila Smith)
外交問題評議会(CFR)上級研究員。ジョージタウン大学アジア研究部特任教授。専門は日本政治と外交政策。近著に『親密なライバル:日本の国内政治と中国の台頭』(2015年)、『日本政治の進路と日米同盟』(2014年)がある。現在の研究テーマは日本の戦略的選択におけるアジアの地政学的変化の影響。北東アジアの同盟管理についての研究プロジェクトを2014年秋より実施。
添谷 芳秀
慶應義塾大学法学部政治学科教授。専門分野はアジア太平洋・東アジアの国際関係、日本の対外関係と外交。単著に『日本外交と中国1945-1972』(慶應通信1995年)、『日本の「ミドルパワー」外交』(ちくま新書、2005年)、『米中の狭間を生きる』(慶應義塾大学出版会、2015年)、『安全保障を問いなおす』(NHKブックス、2016年)がある。