レアード・ハント(小説家)
柴田元幸(翻訳家)
古川日出男(小説家)
旺盛な活躍を続ける小説家の古川日出男さんと、2冊目の邦訳となる『優しい鬼』の刊行を記念してアメリカから日本を訪れたレアード・ハントさん、翻訳作を通じて数多くの英語圏の作家を紹介してきた柴田元幸さん。文学の世界にずしりと腰を据え、絶え間なく"声"を発し続けるお三方に、12月2日、「文学にできること」をテーマに語り合っていただきました。そのつい数日前に3人共に講師として出席した、古川さんによる文学の学校「ただようまなびや」のこと、朗読の果たす役割・・・。1時間半に及んだ3人のトークはどんどんと深まっていきました。
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JFICイベント2015『をちこちMagazine』鼎談「文学にできること」
レアード・ハント(小説家)× 柴田元幸(翻訳家)× 古川日出男(小説家)
(2015年12月2日 国際交流基金 JFICホール「さくら」にて)
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3人の言葉と物語が重なり合う『優しい鬼』『女たち三百人の裏切りの書』の朗読
三人の出会いと「ただようまなびや」
古川日出男 まずはアメリカ人小説家であるレアード・ハントさんが、今日ここにいらっしゃることになった経緯について、柴田さんからお話しいただきましょうか。
柴田元幸 僕が彼の『インディアナ・インディアナ』という小説に出会って翻訳したことが始まりですね。僕は『MONKEY BUSINESS』というアメリカで刊行される英語文芸誌の編集人をやっており、年に一度、刊行記念のイベントをニューヨークで開いています。その2014年のイベントで、古川さんとレアードさんの対談をお願いしたのですが、このトークが何しろ素晴らしかった。お二人は全然違うことを書いているのに、共通したことをたくさん持っている作家だと感じました。
古川 それで、僕が学校長を務めている「ただようまなびや」に今年は誰か海外から講師を招こうという話になったとき、レアード以外にはいないと思って柴田さんにご相談したんですよね。
柴田 僕は「ただようまなびや」では、運営スタッフでもないのに、なぜか教頭先生のような役割なんです(笑)
レアード・ハント 『MONKEY BUSINESS』でのトークは本当に楽しかった。もちろん作家同士で話す機会はしばしばあるのですが、あれほどまで意気投合し、盛り上がったのは初めてです。だから「ただようまなびや」の講師の依頼をいただいた時も・・・
柴田 一時間足らずで「イエス!!!!!!」っていう返事が来た(笑)。
今回の来日の経緯を語るレアード氏
古川 僕はレアードの最初の邦訳『インディアナ、インディアナ』を読んだとき、自分の小説とは全く違うのだけど、物語の中の、時間と空間の響き合い方がとても似ているのではないかという気がしたんです。読者の層は重ならないだろうけれど、作家としては近しいのかもしれないと。
柴田 僕は、お二人が場所というものに対して持っている感覚に近いものを感じます。たとえば作家が"東京"を書くとき、誰の目にも見える東京とは違う場所に東京を見いだすというのはままあること。ところが古川さんは誰もが見る東京の内側に入っていき、そこに別の層を見いだしていく。レアードの小説も、たとえば『インディアナ、インディアナ』では20世紀半ばのインディアナを書いているのに、それより過去の層が感じられたり、逆に現代に立ち戻らせるようなところがあるんです。そういう風に一つの場所にはいろいろな層があるのだということを感覚的に感じさせる文章を書くところが共通しているのではないかな。
古川 柴田さんが僕のことを説明するとき"反(はん)・・"でも"脱(だつ)・・"でもなく"入(にゅう)・・"の作家だとおっしゃることがある。レアードもそうなんだと思います。さて、分校を含めると今回で4回目となる「ただようまなびや」が数日前に終わったばかりですが(編注:鼎談の3日前の週末、11月28日、29日にわたり開催)、いかがでしたか?
柴田 僕は毎回講師として出させてもらっていますが、今回がいちばん学校らしかったかな。講師全員が登壇してその日のことを話し合う"ホームルーム"の時間にそれを強く感じました。
レアード 実は僕は、初日のホームルームに出る前は、そんなにまとまった話にはならないだろうと思っていたんです。講師は小説家、翻訳家、文芸評論家、社会学者、書家・・・とばらばらだし、各クラスで行うこともかなり違う。ところが各自の話を聞いてみると、確かにバラバラなのだけど同じことを目指してやっているのだという感じがしました。それは村上春樹さんが登壇された2日目にも感じましたね。
古川 今年はシークレットゲストとして村上さんが来てくださり、福島の高校生たちとワークショップを行いました。その後、川上未映子さんと僕ら3名、村上さんの計5人でトークを行ったのですが、その時のことですね。
レアード ええ。僕にしたって「憧れの作家がこんなに近くに!!」というかつてない状況でしたが(笑)、村上さんも会話の中心というより、皆の一部だという認識で話していらした。
古川 村上さんに講師をご依頼するときにも説明しましたが、「ただようまなびや」は、カタストロフィーの前で言葉を失っている人々、あるいは思いを言葉にする術がない人々のための学校を作りたいと思って始めたものです。講師の皆さんが、そのことを理解し、直接的にそれを語るのではなく、実際に何をなしていくべきかという視点でクラスを開いてくださったのはとても嬉しかったです。
レアード 生徒さんたちもとても前向きに取り組んでいましたね。
柴田 東日本大震災の後、芸術や文学に関わる人々は、皆自分に何ができるかを必死に考えた。その結果社会的な行動に出た方々もいたけれど、多くは、いつも自分がやっていることを、より一生懸命にやろうという方向に固まっていったと思います。「ただようまなびや」の各授業もそういう精神でやっているように思います。
「ただようまなびや」でのワークショップの様子
大惨事(ディザスター)を前に文学は何をすべきか
「ただようまなびや」の学校長でもある古川氏
古川 「ただようまなびや」が東日本大震災という"ディザスター(大惨事)"を機会に始まったものだとお話ししました。日本ではほかにも、"震災後の文学"というようなジャンルが出てきましたけれど、アメリカ人であるレアードの目にはどう映るんだろう? たとえば"9.11後文学"というようなものはあるんでしょうか?
レアード 僕は9.11が起きたとき、ニューヨークのロウアーイーストサイドにいました。僕自身、あの日を境に大きく変わったと思いますし、多くの作家やアーティストが何かをやらなければいけないと感じたのも事実です。ただし、アメリカでは個々の動きが目立って、「ただようまなびや」のように作家同士が協力し合っていくというような動きはなかったように思います。もちろん、同じ"ディザスター"とはいえ、9.11というテロと、東日本大震災という自然による攻撃、そして福島で起きた天災と人災のミックスというように、それぞれに全く違うものですから、ひとくちに語るのは難しいとは思いますけれど。
柴田 レアードの"The Exquisite"という長篇小説は、9.11がなければ書かれなかった設定だと思います。ほかにも、たとえばケリー・リンクの最近の短編などを見ても、世界があらかじめ壊れてしまっているという想いがいわばデフォルトになってきている。僕は個人的には、9.11以降の文学であれ、震災後の文学であれ、確かに"世界が壊れている"感覚が強くなっているとは思うものの、今、それをマスの現象として語るときは用心が必要だと思います。個々人の差異を見失いかねないから。
レアード 9.11後に、こんな時に「複雑な文章を書いている場合じゃない」「詩を作ってる場合じゃない」というような声が大きくなってきて、それにものすごい違和感を感じたのは覚えています。こんな時だからこそ、分かりづらいものや小説が重要だろう、と。文学には、絆を作り上げる力がある。たとえば僕は、コロラド州にいて、古川さんの本を読み、距離を感じることなくそれを理解することができます。それは何かに気づいたり、あるいは周囲と会話を始めたりするきっかけにもなってくれるんです。だから、9.11後、文学の役割はより大きくなっていると感じます。
古川 本は、異なる背景を持った土地にいても、お互いを行き来させるツールになる。それはその通りだと僕も思うな。それぞれにとっての"惨事"はバラバラであり、出発点も立ち位置もバラバラであり、しかし同じ時代に生きている。その同時代の感覚こそがいちばん大切なものかもしれない。どうでしょう、ここまでで何か会場の方から質問はありますか?
レアード氏の作品について語る柴田氏
ーー レアードさんが9.11直後の文学を取り巻く空気感について話されていましたが、その頃の作品についてどう考えていますか。また、"文学なんか読んでいる場合じゃない"という空気は、3.11以降の日本にも蔓延している気がします。この空気はどうやって払拭していくべきなのでしょう。
レアード 9.11の直後、色々な作家たちがそれにまつわる作品を発表していたとき、僕はまだ時期尚早ではないかと感じていました。もっと消化に時間をかけて多角的に考えていくべきではないか・・・と。それは僕の創作スタイルからくる感覚でもあるでしょう。今も基本的にはそう思っていますが、一方で、あの直後に書かれたものたちには、そのときにしか書けなかった示唆があるとも感じます。
古川 僕はその点ではレアードとは違い、震災直後から書き始め、3ヶ月後に発表した『馬たちよ、それでも光は無垢で』という作品があります。僕、実は"3.11"という言い方が大嫌いなんです。その日だけに起きたことのように思える言葉だから。でも実際には、僕の故郷である福島では、現在進行形で非常事態が起き続けている。そうであるならば、たとえ小説と呼べるようなものにならなくとも、捨て身で書き続けるしかないだろうと思ったんです。文学に携わる自分が、絶句してしまうような事態なのだとしたら、「絶句している」という、文学者が言ってはならない言葉を口に出して言うだけ、それを認めるだけで、もう文学になるだろうと。ところがその本は、震災から5年後の来春(2016年3月)、コロンビア大学出版会から英訳版が出るんです。あの時の生の言葉が、ひょっとして何かの価値として固まるのかもしれないとも思いますね。
柴田 先ほどの後半の質問に対して個人的な思いを言わせてもらうと、"文学をやってる場合"だった時代なんて、実は今までに一度もなかったと思うんですよ。確かに「文学とはありがたいものだ」というような空気があった時代はずっと続いていたわけですが、それは教養主義ですし、教養主義はこの30年くらいで死んだ。それは惨事が起きる/起きないは関係なしにそのようになってきた。僕はそれ自体は健全な状態だと思います。"人間を向上させるために読む"のではなく"何がなんだか分からないけれど、ともかく読みたいから読む"のだから。もちろん、それは分かった上で、読みたいから読む人がもっともっと増えるといいのにとは思いますけれど。
古川 「ただようまなびや」で学校長をやっていたばかりなので、先生のようにまとめてしまうのですが(笑)、今日の僕らの話から何か持ち帰って、反芻してもらえるものがあるといいなと思います。たとえば東京をレアードの目で見てみる。そこにいて、自分が異質な存在だという視点です。現在は、過去も未来も含むものです。だからこそできることがあるのだ、と。
自身の作品を手に記念撮影
(編集:阿久根佐和子/鼎談の写真撮影:相川健一/動画撮影・編集:河合宏樹、森重太陽(http://poolsidenagaya.com/)/鼎談通訳:池田尽)
鼎談の模様は、ダイジェスト版でもご覧いただけます。
文学の学校「ただようまなびや」
レアード・ハント
小説家、デンヴァー大学英文科教授。シンガポール生まれ。米国コロラド州ボルダー在住。日本では、2006年に柴田元幸訳で『インディアナ、インディアナ』(朝日新聞出版)が出版され、2015年10月には待望の邦訳第2作『優しい鬼』(朝日新聞出版)が刊行となる。小説家になる以前、5年間、国連の報道官を務める。また、これまでに、日本、フランス、イギリス、オランダなどに住んだ経験を持つ。近著『Neverhome』(Little, Brown;日本未刊行)は映画化も決定し、フランスにおけるアメリカ文学賞「Grand prix de la Littérature Américaine」を受賞。
柴田 元幸(しばた もとゆき)
翻訳家、東京大学文学部特任教授。東京都生まれ。ポール・オースター、レベッカ・ブラウン、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、フィリップ・ロスなど、現代アメリカ文学を数多く翻訳。2010年、トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』(新潮社)で日本翻訳文化賞を受賞。文芸誌『MONKEY』(スイッチ・パブリッシング)の編集人でもある。最新の翻訳作品はスティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』(白水社)。
古川 日出男(ふるかわ ひでお)
小説家。福島県郡山市生まれ。2002年、『アラビアの夜の種族』(角川書店)で日本推理作家協会賞、日本SF大賞をダブル受賞。2006年には『LOVE』(新潮社)で三島由紀夫賞を受賞。2013年、確固不動とした校舎を持たない文学の学校「ただようまなびや」を開校し、学校長を務める。近著『女たち三百人の裏切りの書』(新潮社)で、第37回野間文芸新人賞、第67回読売文学賞小説賞を受賞。最新刊は『あるいは修羅の十億年』(集英社)。