日沼禎子(陸前高田AIRプログラムディレクター/女子美術大学准教授)
佐東範一(NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク代表)
ショーネッド・ヒューズ(陸前高田AIR参加アーティスト)
コーネリア・コンラッヅ(陸前高田AIR参加アーティスト)
タワチャイ・パッターナポルン(陸前高田AIR参加アーティスト)
東日本大震災の被害から、復興の道を歩む東北各地ではいま、アートによって復興を手助けすべく、文化・芸術を担う多くの団体が、自らに出来ることを模索しながらそれぞれの地域で活動を続けています。経済や地域の振興が計画され実行されていく中で、目には見えづらい被災者の抱える心の問題も見過ごすことのできないもののひとつです。そうした人々の内面にアプローチしていけるのがアートであり、その力が今後、より期待を集めていくのではないでしょうか。
アートが地域の人々の誇りや生きる力を呼び起こすのではないか。伝統芸能の宝庫といわれる東北各地の芸能を通じ、新たな世の中を創出することができるのではないか。今回はそうした意識のもとで活動を続けるジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク代表で、2014年夏から「ヒューマンセレブレーション 三陸国際芸術祭」をスタートさせた佐東範一氏と、陸前高田アーティスト・イン・レジデンスのプログラムディレクターで女子美術大学准教授の日沼禎子氏、また、陸前高田に滞在した3名のアーティストをお招きし、それぞれのプロジェクトを紹介いただくとともに、活動の今後のビジョンなどをお話しいただきました。文化や芸術を通じ、震災の被害から立ち上がり、より良い未来をつくりあげる取り組みが、小さくとも確実に歩み出しています。それぞれの立場からの活動の現在をお伺いしましょう。
(2014年12月11日 国際交流基金2階JFICホール「さくら」でのトークセッション「Tohokuの未来を創るアートの底力」より)
豊かな伝統芸能の土壌である東北に、世界中のダンサーが注目する日がくるかもしれない
日沼禎子:今日は12月11日。東日本大震災の月命日で、3年9ヶ月という節目です。毎月11日が来るたびに、みなさんいろいろな想いを東北に寄せられていることでしょう。私たちのように東北で活動をしている者にとっては、3年という時間の早さとともに、東北県外からの心理的距離のようなものができつつあることを実感しながら活動を続けています。
物理的な復興はまだまだ途上です。私たちの活動であるアートは人間が生きる尊厳の基盤といえます。そうした生きる喜び、生活、文化を被災地ではこれから新たに創造していくことが求められていると思います。まずは佐東さんに三陸での活動をご紹介いただきたいと思います。
佐東範一:ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークは京都に事務所を置き、日本全国、そして海外を舞台に活動しています。東日本大震災後しばらくは、ダンスのアーティストと被災地に出向き、身体をほぐすプログラムの提供をしていました。身体をほぐせば心もほぐれてくるということで、避難所や仮設住宅に行き、ダンスを踊るというよりは身体の専門家としてどういうふうに身体をリラックスさせるかということをやっていました。しばらくするうちに、被災地の外の人間が何かをしに行くこと以外に、被災地でいったい我々に何ができるだろうと考えるようになりました。そうしたところ、郷土芸能の方をたまたまご紹介いただきました。東北が郷土芸能の宝庫であることは知っていたのですが、それまでなかなか出会う機会がありませんでした。いろいろとお話しするうちに、遠い世界のように思っていた郷土芸能がごく身近なものなんだと、いまさらですが気がつきました。東北各地には豊かな郷土芸能があり、子どもから高齢の方まで、何らかの形で関わっています。これがひとつの地域を形成するにあたっての大きな力になっていることがわかりました。
ここで、私たちのアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「習いに行くぜ!東北へ!!」で、昨年度イギリス人アーティストを招いて大船渡市三陸町浦浜の「金津流獅子躍(かなつりゅうししおどり」」、大船渡市末崎町の保育園に「七福神」を習いに行った様子を映像でご紹介します。
大船渡市三陸町浦浜「金津流獅子躍(かなつりゅうししおどり」を習うイギリス人アーティストのセシリア氏とジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークのメンバー
(左)大船渡市末崎町の保育園で「七福神」を習う
(右)保育園児の歓迎を受けるセシリア氏
写真提供:ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク
このようにしてその土地に滞在し、人々との触れ合いを通して地元の郷土芸能を学ぶことによって、日本各地に伝わる芸能とは、ただ単になにかを見せるという以上に、世代間をつないだり、地域の目に見えないなにか大きなものを受け継いでいくひとつの装置として存在しているのではないかと思うようになりました。被災地の外から東北に入るにあたり、何かをしに行くというよりは、東北にそれまで脈々と受け継がれ、日本のアートシーンがなくしてしまったものを受け取りに行くということが、我々のようにダンスを専門としている人間としてできることなのではないかと考えるようになりました。
インドネシアのバリ島では、伝統舞踊のガムランなどを習いに世界中から人が集まってきて踊っています。そして日本でもバリのグループがあります。そういう風に世界中の人がこの東北のいろいろな芸能を習いに来ながら、そこからいろいろなことが生まれるようになるといいなという思いで、今、活動を続けています。
震災の記憶を作品に昇華し、世界に発信するプロジェクト
日沼:私たちの陸前高田アーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、2013年にスタートしました。私自身は1999年から、国際芸術センター青森でアーティスト・イン・レジデンスのプログラムをコーディネートしてきましたが、震災後にこうした経験を踏まえて自らなにができるかを問いかけられました。レジデンス・プログラムのあり方も自分自身も問い直すことで、きっとなにか新しい未来をつくっていけるのではないか? という願いを込めて始めたのが陸前高田アーティスト・イン・レジデンス・プログラムです。
陸前高田のレジデンスとは直接関係ないのですが、皆さんにご紹介させていただきたいものがあります。明治29年の6月15日、旧暦で5月5日の端午の節句におきた地震(明治三陸沖地震)と津波による被害を記録した雑誌、『臨時増刊風俗画法大海嘯被害録』に掲載されている図版です。当時はカメラがまだそれほど普及していませんでしたので、津波の被害があったとき、記者が現地にいち早く赴き、聞き書きした記事を東京に戻って画家に見せ、描かせたものです。津波に流される人々の真ん中に兜が見えます。端午の節句だということで、子どもの成長をお祝いしていた矢先にこうした津波があったことが記録されています。現在では映像メディアの力で生々しい事実を伝えているかもしれませんが、こうした画家が描く記録というのは、目に見えた事実以外のいろいろな記憶や記録を表しているものなのではないかと思います。
私自身、この大海嘯の図を震災前に知ることはありませんでした。昨年、気仙沼にある、三陸津波による震災の古くからの記録を収集・展示するリアス・アーク美術館を訪ね、この記録を目にしたのです。この図を見て、改めて私たちの活動はこれから非常に意味を持ってくるのではと実感しました。
三陸各地の沿岸部では現在、10メートルから18メートルの高さの大地をつくる「かさ上げ工事」が行われています。旧市街地には重機が行き来し、人影はありません。陸前高田は昔から動く七夕が名物で、街の中を練り歩く七夕を夏の風物詩として住民はとても楽しみにしていたのです。その七夕が2014年夏も行われました。かさ上げ工事が行われている地区は向こう3年から5年は住民が立ち入れなくなってしまいます。その前に住民達が七夕まつりをやらせてほしいと警察にかけあい、旧市街地での動く七夕が実現しました。動く七夕の後ろに巨大なベルトコンベアがあって、象徴的な風景でした。このあと数年は実現できないであろう、旧市街地の動く七夕をみんなで愛でました。こういった人の想いを、どうやって記述したり集めていったりすればいいのかというのが、我々のこれからの課題だと思っています。
陸前高田沿岸部のかさ上げ工事の様子
地元経営者らが発足した復興まちづくり会社を母体とするレジデンス・プログラム
日沼:陸前高田アーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、「なつかしい未来創造株式会社」という地元の会社が運営しており、私はそこのディレクターとして協力させていただいています。「なつかしい未来創造株式会社」とは、陸前高田の経営者を中心に、岩手県中小企業家同友会等の協力を受け、地域の将来的な可能性をひろげる「良い社会資本」をつくり、次世代の環境創造へとつなぐことを目的に復興まちづくり会社として2011年10月に設立されました。地域の社会資源を活かしながら今日の課題に答えていくことをミッションとし、将来的には500名の雇用創出と複数の事業展開を目指し、10年間で発展的解散を計画しています。
「なつかしい未来創造株式会社」の最も大きな事業のひとつである、「箱根山テラス」という宿泊施設が9月にオープンしました。広田湾を見渡す山の中腹にいると、目を覆いたくなるような震災後の爪痕、かさ上げ工事の風景とは別世界にいるような、美しい環境に囲まれた施設です。「木と人をいかす」をテーマにした箱根山テラスには、個人一般での宿泊のみならず、グループ研修での利用を含め、陸前高田に想いを寄せてくれる人々、またこれからの未来を考える人々が集まり、地域の方々と交流し、思い思いの時間を過ごして欲しいとの思いでつくられました。従業員は地元の方々で構成され、食事にも地元食材を使用しています。また、プレカットの段階でできた木材のチップを使用した暖房システム「ペレットボイラー」の普及にも力を入れ、未来のエネルギーのしくみづくりへの実践に取り組んでいます。
箱根山テラス
写真提供:箱根山テラス
陸前高田アーティスト・イン・レジデンス・プログラムは、こうした箱根山テラスとも連携しながら事業を進めていく予定にしています。レジデンス・プログラムの考え方は、なつかしい未来創造株式会社と同様に、地元の資源を活用し、新たな価値を創造することを目的にしています。陸前高田のみならず、東北を拠点とするさまざまな活動体の方々とのネットワークを通じて人々の往来をつくり出し、アーティストが失われつつある記憶を集め、記述し、表現することで、私たちの大切な記憶を呼び戻して未来へつなげる場所をつくるということです。ビジュアルアート、建築、デザインの3ジャンルを中心に展開していきたいと考えています。ビジュアルアートは新しい価値の創造、発見、発信。建築は景観、環境、まちづくり。デザインはライフデザイン、新しい機能。それぞれの目的を持って、アーティストやキュレーターをこれから招聘していく予定です。プログラムは3つあります。ひとつは海外のアーティストに1~2ヶ月、2名程度滞在していただく招聘プログラム。もうひとつはアーティストに東北各地を巡ってもらいながらさまざまな表現活動を行ってもらうネットワーク事業。そしてレジデンス・プログラムを運営する新しい人材を育成するための、箱根山テラスと協力しながら進めているワークショップ形式のプログラムです。
初年度にあたる2013年には3名のアーティストを招聘しました。ひとりはオランダの写真家、レオ・ファンダークレイ。彼は陸前高田の今を記述するため、日常風景を撮影し続けました。そして、仮設の商店街にコンテナギャラリーを設置し、日々変化していく写真展示を行いました。また、陸前高田で取りためた写真をオランダで英語・日本語・オランダ語の3ヶ国語のニュースペーパーとして発行し、情報発信をしています。そして、陸前高田のミュージシャンのPVを制作したフィリピンのメディア・アーティスト、ハイメ・ヘスース・C・パセナⅡ世。そして今年度も引き続き参加していただいている、ダンサー、コレオグラファーのショーネッド・ヒューズ。陸前高田の仮設のお母さん方と踊りを踊ったり、地元に残る芸能をリサーチする時間を持ちました。
トークセッションで陸前高田音頭を披露するショーネッド・ヒューズ氏
2014年の2月には、それまでの成果を国際舞台芸術ミーティング(TPAM)2014で作品発表という形でお見せする機会を持つことができました。そして10月には箱根山テラスで「陸前高田ミーティング」を開催し、リアス・アーク博物館の学芸員や南三陸でプログラムを運営されている方、宮城県の塩竈や東北の各地でアートプロジェクトを行っているディレクターの方々、そして若い学生や社会人の方々などと、現状の活動紹介と今後プログラムにどのように取り組んで行けばいいかというディスカッションを行いました。
いまはとても小さな一歩なのですが、アーティストも手探りで活動を行っているところです。今後も陸前高田、東北との関わりを続け、そして見つめ続けていきたいと思っています。
3名のレジデンス・アーティストが見た、現在の陸前高田
ショーネッド・ヒューズ:2014年初めて陸前高田を訪れる前は、果たしてこれほど大きな被害があった場所で、アートや文化にできることがあるのかと、とても不安でした。現在の心境は全く別です。陸前高田の人達は心優しく寛容で、かつての美しい地形は彼らの心の中に残り続け、ふるさとを心の中にとどめているのです。いまでは私は陸前高田を、陸前高田の人々を通じて見ているように感じます。個人の記憶が失われることよりも、社会の集団的な記憶が失われることを、誰もが心配して悲しんでいます。現在、陸前高田音頭という盆踊りを3つの仮設住宅で練習しています。私たちもこうした活動に関わりを持つことで、皆さんの心の中の風景を次代へつなげる手伝いができたのではないかと思っています。
陸前高田音頭を踊るショーネッド・ヒューズ氏と仮設住宅に住む人たち
コーネリア・コンラッヅ:陸前高田の風景には非常にショックを受けました。最初の津波による破壊、そして私にとって第2の津波のように感じられたのは、かさ上げ工事による風景の破壊です。その後、いろいろな人に会って話を聞く中で、私の考えも変わっていきました。1人のおばあさんが話してくれたことが印象に残っています。「ここに美しいものがもっとあればいい、そうすれば沢山の人が何度も訪れてくれるようになる」と。ずいぶん前に読んで、インスピレーションを受けた松尾芭蕉の俳句があります。
「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」
私は陸前高田で、「なずな」のような小さく美しい花にあたるものを探していかなければならないと視点を変えました。私は何日も歩き回り写真をとりました。いくつもの美しいものを地域で見つけ、その中で見つけた陶器のかけらを集め出しました。これを将来、モザイクのようにして作品にしたいと思っています。バラバラになってしまったものをつなぎ合わせる作品ということで、バラバラになってしまった人々の記憶をもう一度束ね合わせる力になればと思っています。
陸前高田で見つけた陶器のかけらで作ったモザイク © Cornelia Konrads
タワチャイ・パッターナポルン:被災地を実際に訪れると、タイでメディアの情報を見て感じていたのとはずいぶん違う印象を受けました。被災した地域が思っていたよりもずっと広く、被害の規模も想像より凄まじかった。現在の復興計画では、被災した地域に全く新しい街を作ろうとしています。しかし、人々の心の中の街は変化していません。大切なことは、人々が自分の居場所と自分自身に誇りを持てることです。
被害にあった方々の家にお邪魔すると、皆さん自分や家族の写真を大切に飾っていました。全てを失った時、写真は過去を思い出すきっかけになります。私は写真家として、こうした個人の記憶や歴史をとどめ、なんとか戻してあげたいと感じました。40年間アマチュアで写真を撮り続けていた村上さんという方に出会い、幸運にも被害を受けなかった陸前高田を写した村上さんの写真を見せていただく機会がありました。私は将来、陸前高田でこの写真の展示会のようなものをやりたいと考えています。また、陸前高田の街の移り変わりを写真で記録することもやっていきたいと考えています。
三陸沿岸部を撮影した写真のインスタレーション © Twatchai Pattanaporn
トークセッション後に出演者全員で記念撮影
今回の陸前高田での滞在は非常に有意義なものでした。滞在した3名それぞれの視点が常に異なっていることも刺激的でした。そこで感じたことは、芸術には国境がないということ。そして、陸前高田が遭遇した災害の被害状況を多くの人に伝えていかなくてはならないということです。皆さんも時間や状況がゆるすかぎり、どうか被災地に足を運んでみてください。
(編集:友川綾子/トークショー写真撮影:相川健一)
佐東範一(さとう・のりかず)
NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク代表。1960年北海道生まれ。80年舞踏グループ「白虎社」の創立に参加。以後94年の解散までの国内公演、海外ツアーにて舞踏手兼制作者として活動。96年アメリカ・ニューヨーク、ダンス・シアター・ワークショップにて1年間のアート・マネージメント研修。97年アメリカ・インドネシア・日本の3カ国による国際プロジェクト「トライアングル・アーツ・プログラム」にて参加。98年から3年間の準備期間を経て、2001年NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)を京都にて設立。全国のアーティスト・主催者・評論家・企業・財団などダンスに関わる個人・団体のネットワーク型NPOとして、「踊りに行くぜ!!」開催、「ダンスファイル」製作、インターネットによるダンス公演・ワークショップ予約システム「ダンスリザーブ」運営、ワークショップ・公演のコーディネートなど、日本全国にて社会とダンスをつなぐ様々な活動を行っている。2013年より東北各地(特に被災地)の郷土芸能を習いにいくというコンセプトで、海外と日本のダンサーたちと各地を訪れ交流を行っている。2014年岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町、宮城県気仙沼市にて「ヒューマンセレブレーション 三陸国際芸術祭2014」として、地元の郷土芸能、インドネシアのバリ舞踊・ガムラン、韓国農楽、コミュニティダンス、コンテンポラリーダンスを交えたフェスティバルを開催し、継続して行う計画を立てている。
日沼禎子(ひぬま・ていこ)
陸前高田AIRプログラムディレクター/女子美術大学准教授
女子美術大学芸術学部卒業後、ギャラリー運営企画会社、美術雑誌編集者等を経て、1999年から国際芸術センター青森設立準備室、2011年まで同学芸員を務め、AIRを中心としたアーティスト支援、プロジェクト、展覧会を多数企画、運営する。現在、市民アートサポート組織「ARTizan」(青森)プログラムディレクター、アートNPOリンク理事。2013年より陸前高田市AIRプログラムディレクターを務める。
ショーネッド・ヒューズ(Sioned Huws)
陸前高田AIR参加アーティスト
振付家、ダンサー。1965年ウェールズ生まれ。現在、ロンドンを拠点に活動。1988~90年マース・カニングハムスタジオ(NY)で学び、振付、ソロ活動を始める。2008年から始まった青森プロジェクトでは、石川義野氏(津軽手踊石川流師範)、長谷川三弦会(津軽三味線・民謡)に協力を得て、津軽の伝統芸能である「手踊り」を素材に、床に仰向けで寝た状態で踊るという振付を組み合わせた作品を完成。2011年よりgDA(ロンドン)、Chapter(カーディフ)で発表。2012年da:ns festival2012(シンガポール)、2013年E45 Napoli Fringe Festival(ナポリ)、Fabbrica Europa(フィレンツェ)等で公演、発展を続けている。
コーネリア・コンラッヅ(Cornelia Konrads)
陸前高田AIR参加アーティスト
ドイツ・ヴッパタール市生まれ。大学では哲学を学び、1998年よりフリーランスのアーティストとして活動。サイトスペシフィックなインスタレーションを制作することに興味を持っており、屋内外と場所を問わず、恒久的な作品と一過性の作品の双方を制作している。
情熱的な旅行者でもあり、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、米国各地で多岐にわたる展示、AIR、コミッションワークを行っている。その土地固有の環境、建築、地形、植生、歴史との対話を通じて作品を制作している。
タワチャイ・パッターナポルン(Twatchai Pattanaporn)
陸前高田AIR参加アーティスト
伝統的なモノクロ写真のスペシャリストであり、暗室を使っての現像やプリントにこだわっている写真家。同時にフィルム写真の保存、写真記事のライターとしても活躍。社会の多様性と複雑さを、写真を通して提示。作品は常にモノクロ写真で撮影され、写真作品のドキュメントとしての制限を超える力を持っている。2014年、バンコク市の中心地にスタジオを構え、あえて伝統的なアナログ写真にこだわって創作活動を行っている。