柳家さん喬(落語家)
落語家の柳家さん喬氏は、日本の伝統芸能である「落語」の実演や、小噺指導を日本語教育と結び付ける活動を長年にわたり継続し、国内外における日本文化の普及と日本語教育の発展に貢献してきた功績により、2014年度国際交流基金賞を受賞しました。落語家としては初めての受賞となります。受賞を記念して開催された「落語と日本語教育」と題する講演会の内容をご紹介します。
(2014年10月27日 国際交流基金 JFICホール「さくら」での講演・落語公演会より)
平成26(2014)年度国際交流基金賞 授賞式
平成26(2014)年度 国際交流基金賞 受賞記念講演会
笑いにつなげるために
14年ほど前、筑波大学の酒井たか子教授(当時は助教授)から「日本語教育に落語を取り入れたいのですが」と依頼されたのが、日本語教育に携わるようになったそもそものきっかけです。私は、本音を言いまして、外国の方に落語を理解してもらえるとは思っていませんでした。そんなことはする必要もないのではないかと思いました。日本語の教育のために落語を聞いてもらい落語を理解してもらうことは必要ないのかなと思いました。でも、それも一つの日本語の勉強のお手伝いになるかなと思い、落語を喋ることで皆さんに日本語を分かっていただこうと考えました。ですが、実際はそうではなかったんです。
落語はあくまで日本の古典芸能です。その中に何か日本の文化というものをわかっていただかなければならない。例えば、扇子と手拭は、日本人であれば何も言わずにお分かりになります。そして、例えば、しぐさで「タバコを一服したんだな」と分かります。そして、タバコを吸うことだけではなく、日本では、「心を休める」ということも「一服」という言葉の中にあるわけです。そんなことにふと気づき、「落語を喋るんではない、落語の中にあるいろいろな要素を日本語の勉強として使っていただくんだ」と思ったことが、そもそも日本語の勉強の手助けをできると思ったきっかけでした。
落語を学生さんたちに喋っていただこうというところまでたどり着いたのですが、どういう落語を喋っていただこうかと考えました。ご存知の通り、落語は、長いものは5、6時間、または10時間くらいの落語もありますが、15分くらいの噺を3、4分にまとめて、10分くらいのデモテープを作りました。学生さんたちに「これで覚えてみて」と言いました。ただ、それを覚えていただいて喋ってもらっても笑いにつながらないんですね。それはなぜかと言うと、面白い部分を笑いに変化させるということが残念ながらできないんですね。10分が無理ならどうしようか、そこで思いついたのが、「小噺」です。小噺自体はご存知の通り、笑いのエッセンスです。
「向こうからお坊さんが来たよ」「そうかい」
「ここを屋根にしようかと思うんだが」「やーね」
このように、言葉の遊びです。学生さんには言葉の遊びではなく、「小噺」としていろいろなことを覚えていただければいいかなと考えました。
先日の授賞式でも少し申し上げたのですが、泥棒の小噺というのがあります。30~40の小噺を書いたものを学生さんに渡し、その中から選んでやってみましょうと。酒井たか子先生と、いろいろな本から落語の枕(落語の本題に入る前にするお話)などを選びました。そのときに選ばれたのは、ほとんど古典落語の枕で使われている泥棒の小噺でした。
「おーい」と言いながら窓を開けるしぐさが、日本とヨーロッパでは違っているんですね。そこに文化の違いを感じました。そこで、「笑いを転換することができるんだ」と思いました。そのときは窓を開けるという行為だったのですが、外国の方々にも、小噺というものをご自分たちで捉えて変化させることができるんだなと気づいたんです。それから、「小噺をご自分の好きなようにやりなさい。こういう小噺があるけど、この通りにやらなくてもいいんですよ。ご自分の考えた日本語としての小噺をお作りになってけっこうです」と、いろいろな形で皆さんに覚えていただくようにしました。そして、同じ日本語を学んでいる学生さんや学習者の方々の前で発表していただくことにしました。それが通じるか、それが笑いとして変化していくかというようなことがだんだん広がっていくようになりました。
しぐさは文化
米国のミドルベリー大学で日本語学校の校長をなさっている畑佐一味先生(インディアナ州立パデュー大学言語文化学科教授。ミドルベリー大学夏期日本語学校校長)は、日本語のクラスで毎年多くの学生さんを集めています。その学生さんは日本のマンガに興味を持って日本語を覚えようという方が多かったようです。最近は、日本の文化に触れたいという方々が日本語を勉強なさる率がたいへん高くなってきたようです。
畑佐先生と一緒に日本語を勉強する手助けをしようということになりました。小噺を覚えていただくだけではありません。授業で落語を聞いてもらい、学生さんたちとのやりとりをするようになりました。授業の中で必ず一つやらせていただくことは、「しぐさ」です。「しぐさ」というのは日本文化なんですね。気がつきませんでした。たとえば、帳面に字を書くとき、日本人は縦に書くんです。筆に墨を含ませるだけでも日本の文化として、日本人どなたも分かっていて、どなたも一度は経験したことがありますね。しぐさの中にも日本の文化を分かっていただけるんだなと思いました。例えば、お蕎麦を食べるしぐさ。外国の文化では物を食べるときに音をたてることはよろしくない。ですが、日本人は物を食べるとき音をたてることもあるんだということも一つの日本の文化なんだなと思いました。
フランスの新聞記者の方に「今度、フランスの講演のときに『時そば』という噺をやろうと思うのですが、フランスの方は音をたてて物を食べるなんていやでしょうね。下品なことだと思うでしょうね。でも、『時そば』をやるには音を立てなくてはならない」と話すと、「それは日本の文化ですね。フランス人は外国の文化を否定しませんよ」とおっしゃいました。日本人は外国へ行って物を食べるときに音をたてるということは下品なことなんだ、良くないことなんだと思ってます。フランスの識者は、「物を食べて音を立てるのは日本の文化で、フランス人はそれは否定しません」と言われます。そういうことを話すことによってどんどんいろいろなことが広がっていくんですね。今まで、自分たちは落語家として狭い世界にいたのですが、外国の方に落語を聞いていただいたり落語を見ていただいたり一緒に小噺をやっていただくことがどんどん膨らんでいくと、自分が日本人としてとても小さな物の考え方しかしてなかったなと思うようになってきました。どんどん外国の方に日本語教育の手助けをさせていただくことによって、自分も物を教えていただいて、物を知ってきたということはありがたいなと思っております。
アメリカの学生たちが小噺を実践!
「ぞろぞろ」(あらすじは、本記事最後をご参照ください)という落語の続きを作りましょうということになりました。学生さんたちが4、5人のグループになって、「ぞろぞろ」という話を作るんですね。日本語で日本語のストーリーを日本語の笑いとしてお作りになるんです。自分たちの国の言葉では考えず、日本語でどうやって面白く表現するかを考えてくれるようになりました。そうなるまで時間もかかりましたが、ある日、噺を作ってくれました。お饅頭屋さんの話です。アメリカの学生さんが次のような噺を考えました。
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お饅頭屋さんが、お客さんが来なくなってしまい、何とかご利益をいただきたい、太郎稲荷に行って「お稲荷さん、どうぞうちの店にもお饅頭をたくさん買いに来るお客さんが来るようにお願いいたします」。家へ帰ると、今まで来なかったお客さんが列を作っていました。「ありがとうございます。今日はもう品切れなんでございます。また明日お願いいたします」。あくる日も一生懸命作りましたが、あっという間に売れてしまう。「太郎稲荷のご利益のおかげだ。毎日毎日こうやってお客さんが来てくれる。ありがとうございます」毎日毎日お客様が列を作っている。いくら作ってもお饅頭が追いつかないくらい大繁盛いたしました。三ヶ月、四ヶ月とそんな繁盛が続きましたが、ピタッとお客様が来なくなってしまいました。「どうしたんだろう。他に饅頭屋でもできたのかな」と、夫婦で街中を歩いていきますと、街中に糖尿病の患者がぞろぞろぞろぞろ。
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日本語を考えて日本語で笑って、さらにもう一つ考えてくれるようになるという素晴らしい発展、活動に広がってきたのはとても楽しく、まだまだそのような動きがとれるんだなと思いました。
日本語を通じた連帯感
今は、日本語を勉強する中で落語をどう扱ってもらえるか、落語をどういう教材として扱っていただけるだろうかと考えるようになりました。落語が主ではないのです。日本語の勉強の中で落語という資料、教材をどう皆で使えるだろうかと考えるようになりました。必ずその裏には、日本人の皆さん誰もが知っている、誰もが体験として持っている文化を皆さんと一緒に捉えてやっていけるようになり、広がりが出てきたなと思うようになりました。何より「連帯感」を持てるということを感じます。
あるとき、「芝浜」という落語を日本語のわかる学生さんの前で演じさせていただきました。「芝浜」は、日本人にしか理解できない日本人だけの感情だろうと思いながらも演じてみました。夫婦の情愛ですが、やはり、日本人と同じように涙を流して聞いてくれました。やはり人間の持っている感情というのはどこの国の方も同じです。笑うという感情、怒りという感情、慈しむという感情はどこの国の方にもあります。人間である以上、皆同じ感情を持っています。日本人として人情噺として聞いていただく落語も同じように捉えてくださります。「芝浜」をお聞きになったとき、1人の学生さんが傍に来て、「師匠、海が見えましたよ」と言ってくれたときには、言葉が詰まってしまうくらい感動いたしました。その人が見た海は決して「芝浜」の海ではないと思います。私も「芝浜」の海は見たことありません。皆様方が想像なさるのは、錦絵や時代劇で見る海だと思います。江戸時代に埋め立てられていない「芝浜」を実際に見ていらっしゃる方はここには1人もおいでにならないと思います。ですから、皆が心の中に持っている海が「芝浜」なんです。その学生さんは「芝浜」は自分の記憶の中にある海かもしれません。日本語を勉強されている中でちょっと見た日本の海岸の景色なのかもしれません。でも、その方には海が見えて、そこの海を臨んでいる勝五郎という男の姿をふっと思い浮かべてくださったのかなと思うと、「落語というものは、皆さんどなたも理解していただけるものなんだな。そして、その中で日本人が持っている感情、豊かな心というものも理解してくださる。それは、日本文化を理解してくださる大きな大きな力にもなるものだな」と思ったりもいたしました。
いろいろ回を重ね、皆さんに小噺を覚えていただき、発表の場があります。少ないときは7、8人、多いときは15人くらいが発表なさいます。一番最初に出てくる人はかわいそうだと思うんです。試されるんですから。「大丈夫だよ」と言ってもすごく緊張しています。背中をたたいてあげると、落ち着くんですね。「日本では背中をポンとたたくと気持ちが落ち着くんだよ」と言うと、いつの間にかそれが広がって、行く先々で「先生、背中!」と背中を向けてくるのです。
一番最初に小噺をすると、ウケるんですね。ウケると、舞台袖で控えている学生さんたちがガッツポーズするんですね。日本語を学んでいる彼らに、日本語を通しての連帯感が生まれているんですね。それを見るととても嬉しくて涙を流すことがあります。私ができることは、小さな小さなことです。それを支えてくださっている、日本語を海外で教えている先生方やボランティアの方々がいるおかげで、落語というものを通して日本語を勉強していただき、日本語の勉強の手伝いができているということが、14、5年やらせていただいた中でふと頭や心をよぎります。
噺家としてどのような日本語のお手伝いができるのだろうというのが、今の私でして、これからもいろいろな形でお手伝いさせていただければ名誉なことだと思っております。
「ぞろぞろ」のあらすじ
浅草田んぼの真ん中に有る太郎稲荷。その参道に、1軒だけ店を構えている、茶店兼荒物屋の主人がお詣りにいつも行っている。ここのところ客足さえないのに、雨が降ってくると、雨宿りをしている客が足元が悪いとワラジを買っていく客があった。3年も売れなかった物が売れたのだ。次の客もワラジを欲しがり、全て売り切れてしまい、品切れになった。
新たな客に今売れてしまったのでないと断るが、天井からワラジが下がっている。いぶかしながらそれを売ると、次のワラジがぞろぞろと天井から下がってくる。ワラジがどんどんと売れて大繁盛している。その評判で参拝客がつめかけ、稲荷も綺麗になった。
田町の床屋の主人がそれを聞いて、言われるままに太郎稲荷に行って、「この前の茶店同様の御利益をお願いします」と願掛けに行って来ると、願が叶って、店に帰ると、普段客など見ないぐらい暇なのに、入る所もないほど満員の客で埋まっていた。 客をかき分け店に入り、最初の客を椅子に座らせ、「おまちどおさま、どこをやりましょう」。
「髭(ひげ)をあたってくれ」、「ハイ、私に任せなさい」、自慢の剃刀で髭をツ~とやると、新しい髭が、ぞろぞろ!
(参照)落語「ぞろぞろ」の舞台を歩く
http://ginjo.fc2web.com/011zorozoro/zorozoro.htm
(講演会での写真 撮影:相川 健一)
柳家さん喬(やなぎや さんきょう)
落語家。1948年生まれ。1967年に五代目柳家小さんに入門し、1981年に真打昇進。古典の人情噺や滑稽噺を得意とする実力派。日本全国で寄席や独演会の高座に出演するなか、日本語学習者に落語を通じて日本語表現および日本文化の魅力を伝える活動を長年行ってきた。これまでに日本国内のみならず7カ国(米国、韓国、シンガポール、チェコ、ハンガリー、フランス、ポーランド)で、落語公演や小噺指導を通じて本物の落語に触れる機会を提供している。世界各地で落語による交流を行い、日本文化の浸透や日本語教育に貢献している。1986年文化庁芸術祭賞(若手花形)、1994年浅草演芸大賞新人賞、2013年文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。