藤間 勘十郎(舞踊家)
日・ASEAN友好協力40周年を記念し、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール及び日本の5カ国の伝統舞踊家が参加する公演『MAU(舞う):J-ASEAN DANCE COLLABORATION』が、2013年11月、日本を除く4カ国で開催された。ASEAN地域及び日本の伝統舞踊を日本の伝統的な歌舞伎の演出技法によって繋ぎ、新たな舞踊の形を提示した公演は、各国で大きな反響を呼んだ。この公演の演出・舞台構成を担当したのが藤間勘十郎氏だ。日本舞踊<宗家藤間流>の宗家であり、歌舞伎の振付師である藤間勘十郎氏が、歌舞伎とASEAN諸国の伝統舞踊をどう融合させ、コラボレーション舞台を作り上げたのか――。プロジェクトを振り返ってもらった。
5カ国の伝統舞踊のコラボレーション
言葉の壁を乗り越えて
――アジア5カ国の舞踊家・演奏家が参加する舞踊公演の演出をするに当たり、どのような舞台を目指したのでしょうか。
まず、日本を除く4カ国で公演することが決まっていたので、どの国の方が見てもわかりやすい公演にすることを第一に考えました。その上で、自国の舞踊を最大限に表現してもらえる舞台を心がけたつもりです。また、舞台というのは緩急が大事。激しい場面ばかりが続くと観客は疲れますし、あまりゆったり作っても飽きてしまう。プロデューサーである伊藤寿さんの提案もあり、ストーリーはありつつも、さまざまな要素が組み合わさり、観客の目先が変わっていく"レビュー"を目指すことにしました。
――ストーリーも、"敵を退治する"というわかりやすいものでした。
言葉がわからない舞台で、観客が面白いと感じるとすれば、男女が出てくる恋愛ものや、敵を退治するような物語だと思ったのです。人間が妖怪や精霊といった"非人間"と闘うストーリーには、誰もが惹きつけられる。とはいえ4カ国で公演しますから、国同士が闘っているように見られるのは本意ではない。そこで、敵役には歌舞伎役者を配し、日本のほかの踊り手にも、他国の踊り手とともに敵と闘ってもらうことにした。そうすれば、国対国でなく、ひとつのエンターテイメントとして楽しんでいただけると思いました。
――能の古典的演目である「土蜘蛛」を題材にされました。
「土蜘蛛」は、妖怪(土蜘蛛)に苦しめられた源頼光の武者たちが、糸を吹きかけて抵抗する土蜘蛛を退治する物語です。わかりやすさもさることながら、エンターテイメント性にも長けている。「土蜘蛛」は私自身、能舞台で父(編集部注:能楽師の梅若六郎氏)と一緒に演じることがあるのですが、蜘蛛の糸を投げる様や、蜘蛛の糸が引っかかったままの状態で舞う姿は、視覚的に大変面白い。動きとしては、巻きつけた紙を放り投げるだけのことなのですが、実に華やかなのです。古典のなかでもエンターテイメントとして確立されていて、現代にも海外にも通じる非常に魅力的な演目だと思います。
――2部の幕開きも非常に印象的でした。舞台には5つのボックスが設置されていて、中には各国の踊り手が待機している。そして歌舞伎の道化が登場した後、それぞれがボックスのなかで1つの音楽に合わせて舞い始めるという演出です。
舞台では2幕目の開きはとても重要です。どんな舞台でも、1幕目である程度成功すると、観客は大きな期待感を持って休憩時間を迎えます。そのまま2幕目が上がるので、そこでつまずくと大変なことになる。今回はこの場面を過ぎると、蜘蛛の妖怪が出てくるまで盛り上がりがありませんから、余計に重要でした。
――フラメンコ調の曲がずっと流れていましたね。
お客様にのっていただくために、昔作ったフラメンコの曲を使ったのです。本来、歌舞伎では、言葉と振りは連鎖していますから、歌(歌詞)は歌舞伎の重要な要素となります。しかし、海外では日本語は通じませんし、かといって訳すのも難しい。訳したところで面白さは伝わらない。だから潔く歌を排除しました。このフラメンコの曲は、過去にほかのお芝居のために作った曲なのですが、古典の手法を基本としながら、カスタネットを用いて洋楽的に拍子を取っている。この曲が"つかみ"になるのではと思いました。今回の舞台では、「視覚的、音楽的なつかみを大きく取る」ことを意識しましたね。
――5カ国合同での稽古は1週間ほどだったと伺いました。何が一番大変でしたか?
言葉ですね。フィリピン以外は英語圏ではありませんから、共通語がないわけです。各国の踊り手同士も言語が違うので、コミュニケーションが図りにくい。こちらが指示を出しても反応がよくわらず、きちんと伝わっているのかが心配でした。もっとも一番大変だったのは、通訳の方だったと思いますが。
ただ、歌舞伎の舞台を作るときも、期間は長くて1週間程度。役者さんたちは、一人ひとりが"総合芸術"で、経験値もあり、確固たる意思を持っている。今回は舞踊家・演奏家の集まりでしたが、みなさんプロですから、根っこの部分では大きな違いはありませんでした。
ジャカルタ劇場(インドネシア)
(左)フィリピン文化センター、(右)マレーシア国立劇場
役者の個性を生かしながら舞台を一つに
――それにしても、まったく異なる舞踊とのコラボレーションです。難しさはあったと思います。
私は能楽師の父と、たびたび能と日本舞踊のコラボレーションをするのですが、"歩み寄り過ぎない"ことを心がけています。そうしないと、親子ですから余計に相手の踊りに近づいてしまう。それではやりたいことが伝わらない。そこで「いかん、いかん」と我に返る。コラボレーションの場合は、能なら能、日本舞踊なら日本舞踊と、各々が自分たちの踊りをするべきだと私は思うのです。
2008年に、ロシアのバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤと父と私の3人で舞踊公演を行ったのですが、プリセツカヤは毎回即興で踊りを変えてきました。その都度違うため、私も父も打ち合わせ通りに舞うことができない。仕方なく3人とも互いのことはあまり考えず、絡めるところは絡み、あとは自分の引き出しで舞えばいいと考えたわけです。結果、コラボレーションは成功した。そのとき、自分ができることをしっかりやりながら、ときに振り返り、その場の感情で絡むということが大事だと悟りました。
――無理に合わせずともコラボレーションは成立するということですね。
そうですね。文化も言葉も違う者同士が同じ舞台に立つということは、舞踊をやっている者たちの"感情"で会話を交わすということでもある。そういうものがぶつかり合えば、面白いものができるのではないかと思います。
――なるほど。先ほど伺った2部の幕開きは、まさに舞踊家同士が対話をしているような演出でした。ボックスごとに灯りがつき、順繰りに踊り手が自国の踊りを披露していく仕掛けもあって、各国の踊りを存分に楽しめように思います。
踊り手には、「灯りがついたら自由に踊り、消えたら止まってください」とお願いしていただけなのですが......(笑)。
――あ、それだけですか(笑)。
はい。灯りがつく順番だけは決めておき、ついたら30~40秒間、好きなように踊ってください、と。この演出が成功したのは、フラメンコというひとつの曲があり、自分たちの踊りをしっかりやろうという意思の疎通ができていたからでしょう。
――日頃から、異なる流派の歌舞伎役者さんをまとめ、ひとつの舞台を作り上げている勘十郎さんだからこそ、各々の役割をきちんとこなせばまとまるという視点で舞台を作れたのかもしれません。
私がすべきことは、役者の個性を生かしながら舞台を作ることだと思っています。もちろん全員がひとつにならなければいけないこともあるのですが、個性が引き立つことは非常に大事なことなのです。
2部の幕開きもそうですが、土蜘蛛の妖怪と各国の舞踊家が闘う最後のシーンでもそのことは意識しましたね。みなさん、私が考えた振り付けで舞ってくれましたが、日本舞踊をお願いしたわけではなく、自分の振り付けを見せて、「この踊りを、自国の舞踊でアレンジしてほしい」とお願いしただけのこと。その結果、15人の踊り手全員が互いの踊りを殺し合うことなく、各々の個性をもって舞ってくれました。
各国の舞踊家たち
インドネシア
(左)フィリピン、(中)マレーシア、(右)シンガポール
日本
演者と観客のキャッチボールが舞台の完成度を高める
――どの国でも公演の反響は大きかったようです。
残念ながら私自身は全ての公演地には行けなかったのですが、各国、それぞれに反響があったようです。例えばジャカルタは観客が敏感で、小さなアクションでも笑いが起こり、とても盛り上がったようですし、マニラでは終演時にスタンディングオベイションが起こったと聞いています。
舞台というのは、演者と観客との間でキャッチボールが行われると、一体感が生まれます。観客がこちらの狙い通りにウケてくれれば、演じる側ものれますし、初日にカーテンコールが起これば気分は一層盛り上がり、翌日も機嫌よく楽屋入りができる。そういうことを繰り返すうちに、舞台の完成度も高まっていくと思うのです。
――最後に、このプロジェクトを終えてのご感想をお聞かせください。
これまで外国の方と仕事をさせていただくことはありましたが、一度に数カ国の方と仕事をするのは初めてのことでした。共通言語はなく、食文化も生活習慣も違う。だから戸惑いもしました。本当に大丈夫かな、分かり合えるかな、と。ですが、一旦、舞台に立つと、誰もが同じプレーヤーなのですね。一つのことを伝えれば、100のことがわかってもらえる。それが"プロフェッショナル"なのでしょう。そしてプロが集まる舞台では、隔たりを取り払え、一つになれるのです。
そういう意味では、歌舞伎も同じです。歌舞伎役者たちには、家があって、流派がある。歌舞伎に留まらず、テレビもラジオもこなす。先ほども言ったように一人ひとりが完成された"総合芸術"ですが、そういう人たちが集まってひとつのものを作るというのが舞台芸術の面白いところ。これを改めて実感できる大変いい機会になりました。
(聞き手・編集:辻啓子/藤間氏インタビュー写真撮影:田中敦子)
藤間 勘十郎(ふじま・かんじゅうろう)
300年以上の伝統を持つ日本舞踊「宗家藤間流」八世宗家。幼少時より舞踊家となるべく研鑚を重ねる。現在は、母・七世藤間勘十郎と共に歌舞伎舞踊の振付を担当すると共に、若手俳優の舞踊の指導・育成に努めている。2003年「芸術選奨文部科学大臣賞新人賞」受賞。2012年「創造する伝統賞(日本文化藝術財団)」受賞。
http://www.soke-fujima.com/
<Performing Arts Network Japan インタビュー>
http://www.performingarts.jp/J/art_interview/0603/1.html