佐渡島 庸平、永井 幸治、岡本 ナミ
少年時代に、宇宙へ行こうと誓い合った兄弟を描く小山宙哉氏のマンガ『宇宙兄弟』。マンガは累計発行部数1,185万部を超え、2012年4月からはTVアニメもスタート、2012年5月には実写版の映画も公開されるなど大ヒット作品となりました。
国際交流基金では、この大きな成功を収めた作品について、作品の魅力のみならず、ビジネスや流通の側面にも着目し、海外での日本文化紹介の一環として、マンガ『宇宙兄弟』の編集者である佐渡島庸平さん(株式会社コルク代表取締役社長)、アニメの企画・プロデューサーである永井幸治さん(読売テレビ放送株式会社)、声優として同作に出演する岡本ナミさん(株式会社アクロスエンタテインメント)によるレクチャー・ワークショップを、2013年2月にインドネシアのジャカルタ、メダン、スラバヤの3都市で実施しました。
今回のトップストーリーでは、日本のアニメ・マンガを取り巻く問題、インドネシアにおけるコンテンツ需要、電子化されるコンテンツの未来など、さまざまな課題について、インドネシアでの講演やワークショップの経験を踏まえて、ご報告いただきます。
(2013年4月22日 国際交流基金 JFICホール「さくら」での報告会を収録)
日本のマンガを世界に
佐渡島庸平(マンガ『宇宙兄弟』編集者/株式会社コルク)
コルクは「日本のマンガを海外に紹介する」ことを目的の1つとした会社です。海外で日本のマンガが紹介される際には、まず国外からオファーがあり、そこから出版に向けて仕事を進めていくというのが基本的な流れですが、日本語のコンテンツを海外で読んでもらうためのハードルは非常に高い。そこで、英語版をまず自分たちでローカライズ(翻訳)して、それをどんどん海外に持っていこう、というのがコルクの目標です。
ちなみにコルクは、ワインのコルク栓にかけた名前です。上質なワインを世界に輸出し、鮮度を保ったまま後世に残すにはコルクが必要になるように、よいマンガを後世に残していきたい。そういう想いを込めて名づけました。
国や人種を超える作品をつくりたい
僕は1990年代前半の南アフリカ共和国で、中学生時代を過ごしました。この国では、日本人は基本的に最上位の社会階級に属していて、英語を使う白人層と社交しています。ですが、国内にはアフリカーンス語を使うオランダ系白人や、もともと南アフリカで暮らしていた何十もの部族出身者もいます。さらに他国から不法入国してきた人たちもいたりして、非常に複雑な環境に、さまざまな立場の人々が暮らしています。
当時南アフリカでは、反アパルトヘイト運動を指導していたネルソン・マンデラが釈放されて、最初の全人種参加選挙が行われようとしていました。政治的にも社会的にも緊張感のある時期で、テロ事件などが起こるだろうと噂されていましたが、実際には無事に選挙は終わり、マンデラは大統領に就任しました。
無事に選挙が終わった理由はいろいろあると思いますが、僕には、当時南アフリカで流行した歌が印象に残っています。大勢の歌手が参加して「私たちみんなが南アフリカ人だ」と訴えるその歌がきっかけになり、国全体が1つにまとまるエネルギーが生まれました。知的環境やバックグラウンドとなる文化が異なっていても、好きなもの、興味を持つものは共通している。音楽、映画、マンガなど、クリエイティブな創作物によって、国や人種を超えてつながることができることを肌で感じた。そんなエネルギーを生み出す作品をつくりたいというのが、僕の仕事の原点なんです。
だからインドネシアで『宇宙兄弟』を紹介・上映する機会というのは、僕が子どものときから感じていた確信を確かめる大きなチャンスでした。つい最近、日本でもファンの人たちを集めてアニメ『宇宙兄弟』のライブビューイングをやったんですが、それと比較して、インドネシアでの上映では、インドネシアの人たちは、日本人よりもっと大きな反応を返してくれました。何度も爆笑が起きて、上映後に「僕たちは日本の文化が大好きだけど、日本で最近放映されているようなオタク向けのアニメは苦手なんだ。でも『宇宙兄弟』は面白かった。こんなアニメを見たかった!」と、熱っぽく語ってくれる人もいたほどです。そこで、改めて『宇宙兄弟』は海外に持っていけると確信できたわけです。
映像のメリット、マンガのデメリット
しかし、出版をめぐるインドネシアの状況は楽観できるものではありません。「日本のマンガが海外で売れないのは、出版社が攻めの姿勢に出ないから」という仮説を持って僕はコルクという企業を設立しました。ですが、インドネシアの出版関係者と話して分かったのは、インドネシアが経済的に発展していったとしても、マンガを売っていくのはなかなか難しいだろうということです。
理由は2つあります。1つ目はスマートフォンの普及。インドネシアでは教育現場での利用も含めて、タブレット端末から情報を得ていくようになるでしょう。ということは、今後さまざまなコンテンツへの需要が増えていったとしても、それを販売するチャンネルとして、書店の数が圧倒的に増えることはないと感じました。
2つ目は国語の問題。インドネシアはたくさんの群島から成る国家で、全国で通用する公用語としてインドネシア語が使用されていますが、学校の教科として重視されているのは、数学や科学や英語などで、国語としての体系立った言語教育としては弱い。そのような状況ですから、現代のインドネシアにおいて国を代表する作家という存在がほとんど現れていなくて、出版社の人たちも「インドネシアには言葉を使うクリエイターはいない」と断言していました。
そう考えると、コンテンツをインドネシアに持っていく場合、マンガという形態を最初に選ぶのはハードルがかなり高いと感じました。そこで思いついたのが、タブレットで手軽に見られて、言語の問題もない映像、アニメを輸出するというアイデアです。ですから今回、『宇宙兄弟』を紹介するにあたって、まずアニメを紹介して、そこから作品自体に興味を持ってもらうというのは非常に有効な方法だと思います。これまでの出版社の戦略は、最初に紙の本を出版して、それが上手くいったら他の作品形態でも展開する。あるいは海外でアニメが放映された後、原作マンガを出版するといった順番でした。ですが、そこからもう一歩踏み込むかたちで、例えば無料の動画コミックのようなものをYouTubeなどでプロモーションし、話題になった後に、紙の出版を出すというような戦略を海外では立てるべきではないかと思っています。
クールジャパンに求められるものは?
実は、コルクのようなエージェント会社とテレビ局というのは環境が非常に似ています。コルクでは現在、7名の作家と契約していますが、彼らの作品を売ることが会社にとっての至上命題です。一方で、大手の出版社では多数取り扱っているコンテンツを取捨選択して、ある作品に集中的に資金や力を注ぐということを、対作家の関係もあり、公言しづらい状況があります。
『宇宙兄弟』のテレビアニメを手がける読売テレビは、『宇宙兄弟』という作品に対してかなり大きな投資をしてくださっています。投資をする以上、世界中に売り出す必要がある。そういうわけで、『宇宙兄弟』のための世界戦略というのをとても緻密に練っています。これは僕らが理想とするスピード感・目標とほぼ一緒ですから、パートナーとして手を結びやすい。
講談社に勤務していた頃は、担当する作品の取材以外で海外に行く機会がほとんどありませんでした。ですが、コルクを設立して、世界戦略を考えていく過程で、台湾、ロサンゼルス、ニューヨーク、そして今回のインドネシアとコンテンツを取り巻く各国の状況を見ることができました。
現在、国を挙げて「クールジャパン」を盛り上げようとしていますよね。日本のコンテンツを持っていけば絶対に成功する、という雰囲気もなんとなく漂っていますが、それは甘い考えだと言わざるをえません。当たり前のことですが、日本だけでなく全ての国の人たちが自分の国のコンテンツを輸出したいと思っています。ですから、日本が漠然とマンガやアニメを持っていったところで、受け手側の国では、テレビ局なり出版社なり、無数にあるウェイティングリストの一番下のところに僕らの作品は置かれてしまうわけです。
ですから、まずは自信のあるコンテンツのプロモーションに力を注ぎ、海外の人たちの心に深くつき刺さり、印象に残る仕組みを考えて実行する。例えば、ある家電製品の広告サイトのキャンペーンの一環として、アニメやマンガを3か月間無料で見ることができるようにする。そこに視聴者が集まることで、家電製品という商品も紹介できて、アニメやマンガというコンテンツの認知も進むかもしれない。一定期間無料でコンテンツを流す権利を家電製品メーカーに買ってもらい、そこでのアクセス数をもとにして、今度は作品単体を電子書籍などで流通させる。そういう風に、新しいアイデアをかたちにしていくことが重要だと思います。
ローカライズ専門の特別チーム
永井幸治(アニメ『宇宙兄弟』プロデューサー/読売テレビ放送株式会社)
今回、インドネシアの会場に来てくださった皆さんの反応はすごく良かったんですが、だからといってすぐ放送につながる、マンガが売れる、というのはまた別の問題です。
海外の放送局は、「アニメ=子供向け」という杓子定規な先入観が強いために、大人向けの『宇宙兄弟』は放送しても受けないだろう、という見方をされることが多い。さらに、放送局に番組を紹介する立場の海外のエージェント自体も同じような考えのところが多いので、いかに『宇宙兄弟』が日本で人気があっても、海外の視聴者に届くまでに至らない可能性がかなり多い。それはインドネシアでも痛感しました。
さきほど「クールジャパンだからといって、受け入れられるわけではない」という話が出ましたが、実際に海外でいまだに人気があるのは『ドラえもん』や『NARUTO』なんです。最近のコンテンツは本当に知られてない。日本のアニメが海外で売れているっていうのは迷信です。ですから、ちょっと考え方を変えていかなければということで、読売テレビでは海外向けのローカライズ作業を社内でやるようにしました。
これまでは採算の問題もあって、海外での放送が決まってからローカライズ(翻訳)していました。ですが、これだと実際にビジネスが軌道に乗るまでに多くの時間がかかってしまいます。また、原作の魅力を失わずに劇中のセリフをいかに訳すか、というのも大きな問題です。作品に愛情を持っている人とそうでない人では、翻訳のクオリティーが違いますからね。
そんなわけで、読売テレビでは、専門的な知識を持った人材で特別なチームを編成して、ローカライズの作業を行っています。これによって、今までエージェントに任せていた作業工程部分を、自社で担当する体制に移行しています。やはり、作品の魅力を熟知した人間が、情熱をもって海外に直接アプローチするというのは成功への期待がかなり大きいと言えます。さきほど佐渡島さんがおっしゃっていたように、漠然とエージェントに依頼したところで、「販売リスト」の1つに入るだけですからね。
『宇宙兄弟』に秘められた可能性
現在、国内のアニメ環境も大きく変化しています。特に存在感を増しているのが深夜に放送されるいわゆる「オタク」向け、マニア向けのアニメです。それにともなって、原作となるマンガも特定層のみに需要があるような「ニッチな」内容にシフトしていると感じます。
僕はずっと日本全国に放映される全国ネットのテレビアニメを担当していて、オタク向けアニメを熟知しているわけではありませんが、視聴者層が固定化してしまって、子どもが遠ざかっていることは確かです。また、幅広い層に受け入れられるようなコンテンツを見つけるのも難しくなっています。
アニメから離れていった子どもが大人になったとき、あらためて今のようなオタク向けアニメを見てくれるでしょうか。それは、かなり難しいと思います。そうすると、アニメ界自体がどんどん縮小し、先細りしていって、10年後、20年後にアニメ自体が残っているのだろうかと、すごく心配になります。
ですから、『宇宙兄弟』のような幅広い層に親しまれるような作品を積極的にアニメ化していかなければいけないですし、そのためには誰もが親しむことのできるマンガをつくっていかなければならない。民放という観点から、経済的な要因も大きいですが、アニメが夕方〜夜の放送枠から外されて、深夜帯での放送が主流になった現状を、もう一度変えていきたいと思っています。そうしなければ、次の『ワンピース』『NARUTO』『名探偵コナン』は生まれてこないでしょう。
2013年4月から『宇宙兄弟』の放送時間を、毎週日曜日の朝から土曜日の夕方に移動し、『名探偵コナン』とあわせてアニメ番組で1時間枠とすることに成功しました。これは明るい出来事です。『宇宙兄弟』のような作品をつくっていけば、たくさんの人が応援してくれる。胸を張って、大勢の人に見せることができる作品を増やしていくことで、アニメを取り巻く環境もポジティブに変わっていくと思います。
岡本ナミさんがインドネシアで実施した声優ワークショップを、日本での帰国報告会でも公開アフレコとして再現。
永井 幸治
(アニメ『宇宙兄弟』企画・プロデューサー/読売テレビ放送株式会社)
音楽番組、バラエティ番組、情報番組のディレクターを経て、アニメ・プロデューサーに。『結界師』、『ヤッターマン』、『夢色パティシエール』、『ベルゼバブ』、そして『宇宙兄弟』と、ゴールデンタイム、全日帯の全国ネットのアニメを多数手掛ける。
佐渡島 庸平
(マンガ『宇宙兄弟』編集者/株式会社コルク)
講談社勤務を経て、現在は株式会社コルク代表取締役社長。
講談社に所属していた折には『バガボンド』、『ドラゴン桜』、『働きマン』など、『宇宙兄弟』の他にも数々のヒット作の編集を担当。作家と編集者、出版社の関係や在り方を問うて講談社を退社。作家のエージェント会社コルクを設立。
岡本 ナミ
(アニメ『宇宙兄弟』出演声優/株式会社アクロスエンタテインメント)
『結界師』や『犬夜叉』、『アンパンマン』や『名探偵コナン』など、多数のアニメに声優として出演。声優だけではなく、舞台役者やMCなど活動の幅は広く、これまでに専門学校東京ネットウエイブの「声優コース」の講師を務めた経験も持つ。