被災地発 感謝の調べ-仙台フィルロシア公演

河北新報社 菅野 俊太郎





  2011年3月に起きた東日本大震災で、被災地には世界各国から物心両面で多くの支援が寄せられた。そのサポートに謝意を伝える目的で仙台フィルハーモニー管弦楽団が3月27日から31日まで、ロシアのサンクトペテルブルクとモスクワの2都市で計3回行った公演(主催・独立行政法人国際交流基金)に同行した。4月1日には、モスクワ郊外の学校を訪れ、子どもたちに感謝の調べを届け、交流を深めた。
 ロシア公演までの仙台フィルの道のりは平たんではなかった。震災直後、被災地のホールのほとんどが使えなくなった。仙台フィルはオーケストラとしての活動を一時停止せざるを得なかった。
 それでも2週間後の3月26日、片岡良和副理事長が住職を務める宮城野区の見瑞寺で演奏会を開いた。約30人の楽団員で公演し、市民約100人が集まった。
 「私たちは東北の地域と市民に支えられてきた。お世話になった市民のために何かしたかった」。楽団員はこう口をそろえる。
 これが復興支援の演奏会の始まりだった。在仙の音楽家らとともに「音楽の力による復興センター」を設立。ボランティアへの呼び掛けや資金協力の依頼の窓口となり、被災地や避難所、仙台市内の商店街などで積極的に演奏した。これまでの開催回数は280回に上っている。
 楽団員らによる温かい音楽が被災者の心を慰め、励まし、勇気づけた。被災者の一人は「演奏を聴いて初めて涙を流すことができた」と話した。言葉とは違う「音楽の力」の一つと言えそうだ。
 諸外国との国際文化交流活動などを行っている国際交流基金がこの点を高く評価。ロシア公演の実現につながった。公演の地がロシアとなったのは、震災直後にロシアの救助チーム約160人が石巻市周辺に入って活動したことや、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団が仙台フィルに義援金を送ったことから選ばれた。
 公演前、サンクトペテルブルクとモスクワで行われた記者会見には、ロシアの複数の新聞・テレビ・雑誌の記者が集まった。被災地のオーケストラの動向に関心が高いことをうかがわせ、好意的な内容で伝えた。

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記者会見の様子

 公演は27日、サンクトペテルブルクで幕を開けた。テミルカーノフ氏が音楽監督を務めるサンクトペテルブルク・フィルの本拠地、フィルハーモニー大ホールは開場と同時に1500席全てが埋まり、通路で立ったまま聴く人もいるほどだった。

sendai_philharmonic03.jpg  最初の曲は武満徹「弦楽のためのレクイエム」。被災者に黙とうをささげる鎮魂歌を選んだ。次の曲は、2007年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝した神尾真由子さんをソリストに迎えたチャイコフスキー「バイオリン協奏曲」だ。
 神尾さんは艶やかに、そして凛とした音色を奏で、オーケストラが応えていく。特に第3楽章で、独奏バイオリンと、オーケストラの弦管楽器が競い合うように演奏するところが印象的だった。

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(左)神尾真由子、(右)常任指揮者のパスカル・ヴェロ氏

 後半は、ドビュッシー「夜想曲」「海―管弦楽のための3つの交響的素描」。夜想曲は仙台フィルに同行した宮城三女OG合唱団が第3曲の「シレーヌ」で参加。美しい歌声を披露した。アンコールの唱歌「故郷(ふるさと)」でも合唱団が美しい歌声を聴かせた。
 公演後、聴衆は総立ちで熱演をたたえた。ロシアの支援に感謝を伝える横断幕を楽団員が掲げると、拍手は一層大きくなった。舞台上では、目頭を押さえる楽団員の姿も見られ、感動的なフィナーレだった。私は仙台フィルに限らず、クラシックの演奏会にずいぶん足を運んできた。その中で涙腺が緩んだのは今回が初めてだ。
 演奏を聴いたロシア人からは「仙台フィルの特別な思いが演奏から感じられ、素晴らしかった」との声が聞かれた。仙台フィルのファンクラブ、仙台フィルハーモニークラブの長島栄一会長は「『海』が特に良かった。音の強弱だけでなく濃淡も感じられ、スケール感もあった」と語った。

sendai_philharmonic05.jpg sendai_philharmonic06.jpg  30日は会場をモスクワに移した。二つ用意したプログラムのもう一つが演奏された。最初はエルガー「エニグマ変奏曲」より第9変奏「ニムロッド」。ゆったりとした叙情的な変奏で、鎮魂や慰め、祈りが込められた演奏だった。
 ビゼー「歌劇『カルメン』より」を挟み、日本のおなじみの民謡が次々に登場する外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」では、打楽器陣が活躍。今度は復興にかける被災地の姿を大迫力で伝えた。
 後半は、ドボルザーク「交響曲第9番『新世界より』」。故郷を愛する思いは全世界共通だ。タクトを振った常任指揮者のパスカル・ヴェロ氏は、そうした気持ちからこの曲を選んだ。津波や福島第1原発事故のため、生まれ育った古里を離れざるを得なかった人も多い。そうした苦労を重ねている人が大勢いることも伝えたかったのだろう。郷愁の旋律が胸に響いた。

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(下左)タクトを振る常任指揮者のパスカル・ヴェロ氏

 31日のモスクワ2日目は公演最終日。サンクトペテルブルクと同じプログラムで公演し、この日も息の合った力演で、聴衆から大きな拍手が送られた。公演前には会場に招いた児童養護施設の子どもたちのために、弦楽四重奏が演奏を披露した。いずれの公演でもロビーなどに、被災地の様子が分かる写真や新聞記事のパネルを設けた。ロシア語の訳を付け、多くの市民が熱心に見ていた。

sendai_philharmonic10.jpg  4月1日にも、楽団員の一部がモスクワの小中高に当たる第1959番学校を訪問。震災直後に千羽鶴を折り日本の復興を祈った児童生徒たちに、弦楽四重奏や木管五重奏、パーカッションの演奏を届けた。
 今回の3公演について、ヴェロ氏は「ホール、お客さまなど全てが違う環境にありながら、名だたる演奏家が名演を繰り広げた伝統あるホールでいい演奏ができた」と話した。
 その理由を「『集中力』と『いつも通りの自由』の二つのバランスが良かったからだ」と説明する。「両方を満たした演奏だからこそ、ロシアのお客さまに仙台フィルの音楽が伝わったのだ。現地ホールでの演奏経験と、私たちの演奏への大きな拍手は、オーケストラにとって将来にわたりかけがえのない宝物になる」と強調した。
 オーケストラとともに、存在感を示したのが宮城三女OG合唱団だ。宮城三女高(現仙台三桜高)音楽部は全国的に見ても合唱のレベルが高い。
 公演のリーダー役を務めた千葉美和さんは「合唱団同士の交流で2度ロシアを訪れ、今回が3度目。それでもとても緊張した。受け入れてもらえるかどうかが心配だった。最後に大きな拍手を頂けて良かった」と喜んだ。

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美しい歌声を披露した宮城三女OG合唱団

 仙台フィルは市民オーケストラとして1973年に誕生し、ことし40周年を迎えた。創設に奔走して以来、ずっとかかわってきた片岡副理事長は「響きのいいホールや温かい市民のおかげで、楽団員たちが力まず、普段の力を発揮できた。被災地を代表して、支援のお礼の気持ちをロシアへ十分に伝えられたと思う。地方オーケストラが海外で公演する機会は乏しく、音楽的にも大変貴重な経験になった」と振り返った。





sendai_philharmonic01.jpg 菅野 俊太郎(かんの しゅんたろう)
 河北新報社編集局生活文化部記者。
1967年仙台市生まれ。1992年河北新報社(本社仙台市)入社。97年から2年間学芸部で音楽を担当。宮古支局、報道部、夕刊編集部、会津若松支局勤務を経て、2012年から現職。再び音楽を担当し、仙台フィルの活動を取材している。




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