2年に1度、イタリアで開催されるヴェネチア・ビエンナーレは、世界最古の歴史と最大の企画規模を誇る「アート界のオリンピック」です。今年はイタリア統合150周年というメモリアル・イヤーにあたり、過去最大の89か国が参加し、かつてない賑わいを見せています。日本館のアーティストは束芋氏。展示会場全体を1つの作品に見立てた大規模な映像インスタレーションで挑みました。
「をちこちMagazine」9月号のトップストーリーでは、8月9日に行われた帰国報告会を完全収録。前編では、束芋さんと、日本館コミッショナーを務めた植松由佳さん(国立国際美術館主任研究員)によるビエンナーレ報告を、後編では、「ヨロヨロン 束芋」展を担当した青野和子さん(原美術館主任学芸員)をお迎えし、作品にかける束芋さんと植松さんの想いや現地の様子を語っていただきました。
前編はこちら
いくつもの課題を
乗り越えて実現した《真夜中の海》
青野:原美術館が束芋さんをお招きしたのは、2003年のハラミュージアムアーク(群馬)の個展「束芋 -- 夢違え」が最初です。その後、06年には原美術館で個展「ヨロヨロン 束芋」が開催され、私が担当させていただきました。
前半で鏡に関する説明が束芋さんからありましたが、束芋さんが鏡を全面的に使用した最初の作品は、後者の個展で発表した《真夜中の海》のハラミュージアムアークにおける再展示の折だったと記憶しています。同作は、原美術館内の吹き抜け部分を使い、2階のバルコニーから階下をのぞき込んでいただくような作品でした。空間の特性を生かした展示内容ですので、所蔵の際も、同じ展示を再現するのはなかなか難しいとお話した上で購入させていただきました。その後、08年にハラミュージアムアークのリニューアルオープンに併せ、《真夜中の海》の再展示をすることになり、改めて束芋さんに展示のご相談をいたしました。
その際に、束芋さんから提案していただいたのが、鏡を使った案でしたね?
束芋:そうですね。鏡を用いたのはハラミュージアムアークでの展示が初めてです。与えられた空間によって私の作品は変化していきますので、空間に対して良いかたちで回答を見つけ出すことができて、本当に作品は生きてきます。ハラミュージアムアークの展示はその最たるものですね。
この時は、鏡のサイズや制作期間など、実現できる可能性がかなり問題になっていたはずです。鏡を正確に垂直に立てられるか。映像をきちんと鏡に投影できるか。特に、この2つは実際に展示してみないと分からない部分です。加えて、そもそも鏡は割れやすくて危険なものですから、展示中も気を抜くことができない。いくつもの課題を乗り越えて実現したのが《真夜中の海》なんです。青野さんと美術館の皆さんには本当に感謝しています。
青野:こちらこそ素敵な作品をありがとうございます。《真夜中の海》は、現在でもハラミュージアムアークでご覧いただけますので、皆さんもぜひおいでください。
そして、鏡を使った作品は、横浜美術館と国立国際美術館を巡回した「断面の世代」展の《BlOW》や《ちぎれちぎれ》、今回のヴェネチア・ビエンナーレへと引き継がれてゆくわけですね。
《真夜中の海》(2006)
所蔵 原美術館/(c) Tabaimo
「ヨロヨロン 束芋」展 ポスター(左)、フライヤー(右)
画像提供 原美術館/デザイン 仲條正義
1ミリ以下の調整ができないと
メンテナンスは不可能
青野:では、今度はヴェネチア・ビエンナーレについて植松さんにお伺いしたいと思います。束芋さんが日本館全体を1つの作品だけでインスタレーションしたいと提案された時、どのように思われましたか?
植松:最初の印象は、「あっ、こう来たか!」ですね。私自身、これまでの日本館の展示を見てきて、あの空間を扱うことの難しさは理解していましたから、束芋さんの提案に大きな手応えを感じました。
その頃は、国立国際美術館での「断面の世代」展の準備に取りかかっていた時期で、素晴らしい空間デザインができあがっていくのを目の当たりにしていました。ですから、次のヴェネチアの展示がどんなかたちになるかを、とても楽しみにしていました。こうした感覚は学芸員の醍醐味のひとつですね。
束芋さんは07年のヴェネチア・ビエンナーレのイタリア館でも展示をされてますので、その時のようにスクリーン1面でのシンプルな展示も可能性としてはありえたと思います。ですが、真っ向から日本館の空間の難しさに挑戦するプランを挙げられてきた。テーマである「井の中の蛙が生きている世界は本当に狭いのか」にもワクワクさせられました。いったいどんな世界が現れるのだろうかと、強い興奮を覚えました。
青野:私も日本館をよくあそこまで練り上げられたなと、本当にため息が出る思いだったんですが、お2人のご苦労は想像するに余りあります。展示は今年の11月27日まで続きますね。クオリティーを維持することが本当に大変な作品だと思いますが、それについてはいかがでしょう?
束芋:どんな空間にするか以前に、プロジェクターを使うことは決まっていましたし、外も使いたいと思っていましたから、メンテナンスについては、相応の苦労を覚悟していました。美術館やギャラリーは屋内での展示が基本ですので、ちょっと次元の違う困難さですよね。
そもそも海外での展示は、クオリティー管理にかかる苦労が非常に大きい。このレベルを維持してほしいという気持ちが、本当に理解されることはほとんどありません。だから、そこはキュレーターがしっかりとクオリティーの重要さを理解してくださって、テクニカルスタッフにちゃんと伝えていただかないといけない。スタッフ間の完璧な連携がとれている必要があります。その意味で、原美術館でやった時は完璧でした。ですから、今回もそのクオリティーを目指そうと思ったんです。
青野:今回は、非常に優秀なテクニカルスタッフに出会えたそうですね。今も、現地で作品の維持管理をされてらっしゃるとか。
束芋:はい。その人は、私以上に作品のベストな状態を理解してくれています。設営の最初からしっかり関わってもらっているので、トラブルがあったとしても完璧に対応できるようになっています。
ただ、最初の予定では、大規模メンテナンスは2か月に1回ぐらいの頻度で大丈夫だろうと予想していたんです。けれど、ジャルディーニ公園の砂ぼこりが予想以上にすごかった。1〜2人が往来するだけでも砂ぼこりが立つんです。外に設置しているプロジェクターはもちろん、中のプロジェクターもかなりダメージを受けているという状態で、今は1週間に1回メンテナンスをしてもらっています。まさかこんな大仕事をお願いしなくちゃいけないとは想像していなかったので、私の予想もまだ甘かったなと思っています。これまでにもプロジェクターを使った作品は発表してきましたが、今回はびっくりするぐらい環境が違いました。プロジェクターは内部にゴミがつまると簡単に壊れてしまうんですが、美術館だときちんと管理してくださいます。展示期間が長いと、各プロジェクターの明るさに誤差が出るのでランプ交換が必要になりますけど、そのあたりも安心してお任せできます。
でも、6か月という長期展示は体験したことがなかったんですね。6か月と聞いた時点で、最低でも3か月目にはプロジェクターは総替えしなくてはと思いましたし、その途中で予想外のトラブルが起こることも分かっていました。ただ、その予想以上にプロジェクターの劣化が早かったんです。
青野:プロジェクターを18台も使っていますし、DVDプレーヤーやスピーカーも心配ですね。
束芋:プレーヤーやスピーカーはなんとかなるんです。とにかくプロジェクターのメンテナンスが大変です。1ミリ以下の位置調整が必要で、それだけで映像のクオリティーが大きく左右されます。ですから、設営を完全に把握している人でないと、メンテナンスは不可能なんです。
流れからはみだすような作品が、
新しい文脈を作る
青野:今回、ビエンナーレ全体の総合ディレクターを務めたのはビーチェ・クーリガーというスイス人女性です。彼女が提示したテーマは「ILLUMInations」。これは「照明、啓蒙」を意味するイルミネーションと、「照らされた国家」のダブルミーニングになっていて、「国」という要素を強調するタイトルですね。日本館では、日本が直面しているガラパゴス現象をキーワードに据えたのが非常に面白いと思いました。
植松:ビエンナーレの全体テーマが発表されるよりも、日本館の展示内容の発表は2か月ほど早かったので、これは不思議な偶然ですね。クーリガーが企画した展示では、ヴェネチア派を代表するティントレットをイタリア館の中心に据えたり、光のアーティストとして知られるジェームズ・タレルの作品を展示するなど、歴史や現象としての光を意識的に取り込んでいました。
ただ「超ガラパゴス」は、私がコンセプトを練り始めていた時の言葉なんです。プレスインタビューでも、束芋さんに「超ガラパゴス」の意味を聞く質問が多かったのですが、やはり「てれこスープ」というタイトルこそが明確にテーマと作品を象徴しています。2人の間でキャッチボールをしながら展開して生まれた言葉です。
青野:「てれこスープ」は言葉遊びの要素があって、いろいろな読み取り方ができる言葉ですね。でも、そういった日本語独特の表現というのは欧米の人に伝わりづらかったのではないでしょうか?
束芋:「てれこスープ」が「テレスコープ」の響きと近いので、そのつながりを感じてもらえるはず、と思っていました。
「てれこ」がローカルな言葉であることが重要と先ほど言ったんですけど、私はどうしても、西洋の文脈を理解して、それに乗っ取って作品をつくるという気持ちにはなれないんですよね。現代美術にとって、西洋の文脈が重要であることは理解しています。でも、それを自分の中に取り込もうという気持ちにはならない。そんな心境も「てれこ」という言葉に反映されている。ローカルな方向に向かうことで、逆に広がるような世界を表現したかったんです。
実際、作品が認められることと、西洋の文脈は関係がないんだとヴェネチアで強く感じました。現代美術が西洋の文脈と共に歩んできたのは間違いない。評論家も、そうした作品を引っ張ってくることで文脈をつくってきた。でも、その流れからはみ出すような作品が増えていくことで新しい文脈も作り得るのではないでしょうか。井の中の蛙は大海に出ることを常に欲しているだけではなくて、自分の足元をどんどん掘り進めていって、自分の世界を広げていったり、普遍的な思考に辿り着く可能性だってあるはずなんです。
青野:植松さんはいかがですか?
植松:実際、イギリス人の友人と話をした時に「てれこスープはテレスコープから来ているんだね」と指摘されました。作品を体験することで「あべこべ」「入れ子」というコンセプトも伝わっているようです。実際に作品に触れて、納得できるだけの強さがあるのも、束芋さんの作品の特徴だと思います。
青野:束芋さんは7月末に再度ヴェネチアにいらっしゃったそうですが、オープニングの喧噪から時間を置いて、改めてどのような感想をお持ちになりましたか?
束芋:ヴェネチア・ビエンナーレはそういうものだ、と言う方もいらっしゃるんですが、ヴェルニサージュ(ビエンナーレのオープニング期間。世界中から取材や美術関係者が集まる)をピークにして作品のコンディションが悪くなるのが当たり前になっていることに驚きました。
すごく良いな、と思っていたスイス館なんて、これじゃあ作家の意図は絶対に伝わらないだろうという状態になっていました。全体の3分の1しか公開できていなくて、全体のキーになるような映像も公開できていない。こんな状態でオープンすることを作家が了承したのなら、とても悲しいことだと思います。50パーセントの責任という話を前半でしましたが、私にとって鑑賞者は大切な共同制作者なんです。だからこそ、作品に触れてもらう時には、皆さんが作品と親密な関係を持ちたいと思えるレベルにしなければならない。この考え方は、結局私個人のローカルルールでしかありません。けれど、現代美術自体がクオリティーの向上を放棄するのだとしたら、現代美術は都合よく引っ張りだされる素材でしかなくなってしまう。
もちろんヴェルニサージュのクオリティーをきちんと保って、完璧な展示を続けている館もありました。でも、たった1か月でそこまで差が出てしまうのは何故でしょうか。現代美術の意義や在り方について、しっかりと考えてみないといけないと思います。
幹の中心部分には
濃縮された毒がギュッと通っている
青野:それでは最後に、会場からの質問を受けて......今回の展示への反響で、特に心に残ったものがあれば教えていただけますか?
植松:束芋さんの作品をご存知の方は過去の作品と比較しての感想が多かったですね。逆に、はじめて見た海外の方からは「束芋って作家の名前なの? 何だろう?」という反応がありました。
青野:名前からは、女性か男性かもわからないですものね(笑)。
植松:でも、みなさん共通しているのは、中に入って最初の反応ですね。「あっ!」っと声を上げて、みなさん驚かれます。不思議な空間に戸惑われる方もいるんですが、立ち位置によって作品の味わい方がまったく異なるので、ひととおり映像を見終わっても、皆さんなかなか立ち去りがたいようでした。特に今回の作品は、しばらく考えてみないと仕組みが分からなくなっているので、考え込んだりしながら、自分なりの楽しみ方を見つけてらっしゃいましたね。
青野:束芋さんはいかがですか。
束芋:私の作品をよく知ってくださっている方からは「今回は毒がないね」という声が多かったです。今までの作品って、木に例えると枝葉の部分をつくってきて、葉っぱに相当するディテールの要素をあちこちに置いて、枝を伸ばしてきたという感じがします。そういう部分に毒が含まれていると思うんですが、今回は、作品の幹の部分を描こうという気持ちだったので、毒の詳しい説明とか、どんな毒が盛られているかということは、分からないだろうなと思います。
でも、幹の中心部分には濃縮された毒がギュッと通っているんです。それは見えないというだけで、絶対にあるんです。
植松:そういう意味でいうと、《にっぽんの台所》や《にっぽんの通勤快速》はシークエンスがはっきりしていて、毒の内容も分かりやすいですね。
今回はさまざまな暗喩として散りばめられているので、それが何を意味しているのかが一見しただけでは分かりづらいかもしれない。逆に言うと、鑑賞者ごとに、まったく違ったストーリーを読み取れると思います。
束芋:これまで「このモチーフはどういう意味があるの?」と聞かれることが多かった。でも、私がやりたいのは謎解きじゃなくて、作品と自分がどんな風に関係しているのかを感じてほしいということなんです。今回はモチーフの意味を聞いてくる人はずっと少なかった。作品と自分自身をつなぎあわせて、まっすぐに作品を体感してくださっているなという感じを受けました。
青野:それは、作品に対して鑑賞者が50パーセントの責任を持つというお話にもつながりますね。
束芋:映像と鏡の反復を通して、鑑賞者が映像の中へと入っていき、そして作品の一部や全体になる。その広がりは、永遠に続いていくんです。この感覚を実感として感じてくださった方が多くいらっしゃったんだと思います。
今後もし現地に行かれる方がいらっしゃいましたら、私が考える100パーセントの状態で作品を見ていただけるはずです。現地に残っているスタッフとも連携して、日々コンディション維持に努めていますので、ぜひ楽しんでいただければ嬉しいです。
報告会写真:相川健一
JFICライブラリーで過去のヴェネチア・ビエンナーレ展覧会カタログがご覧いただけます
JFICライブラリーでは、第54回ヴェネチア・ビエンナーレの開催を記念し、第37回(1976年)「篠山紀信」 ~ 第53回(2009年)「やなぎみわ」 まで、日本館展示に参加したアーティストの展示カタログ展示しております。お手にとってご覧いただけるほか、貸し出しも可能です。
JFICライブラリー ヴェネチア・ビエンナーレカタログ展示
日時:9月5日( 月)~16日(金)10:00 ~ 19:00
場所:国際交流基金JFICライブラリー(東京都四谷)
2010年7月に実施された、記者会見の様子はこちらから動画をご覧いただけます
国際交流基金Ustreamチャンネル ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示 美術展記者発表
【放送情報】10/12 21:00~
NHK「たけしアート☆ビート」
ヴェネチア・ビエンナーレの様子とともに、束芋さんが登場しました。