完全収録 束芋:ヴェネチア・ビエンナーレ報告会 [前編]







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2年に1度、イタリアで開催されるヴェネチア・ビエンナーレは、世界最古の歴史と最大の企画規模を誇る「アート界のオリンピック」です。今年はイタリア統合150周年というメモリアル・イヤーにあたり、過去最大の89か国が参加し、かつてない賑わいを見せています。日本館のアーティストは束芋氏。展示会場全体を1つの作品に見立てた大規模な映像インスタレーションで挑みました。
 「をちこちMagazine」9月号のトップストーリーでは、8月9日に行われた帰国報告会を完全収録。前編(9月5日公開)では、束芋さんと、日本館コミッショナーを務めた植松由佳さん(国立国際美術館主任研究員)によるビエンナーレ報告を、後編(9月15日公開予定)では、「ヨロヨロン 束芋」展を担当した青野和子さん(原美術館主任学芸員)をお迎えし、作品にかける束芋さんと植松さんの想いや現地の様子を語っていただきました。




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列強各国のパビリオンが立ち並ぶジャルディーニ公園で

日本館は大海に投げ出された蛙のようだった




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植松:私は現在イタリアで開催されている第54回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館でコミッショナーを務めております。今回は、すでに現地で作品をご覧になった方、日本国内での報道を通じて興味を持たれている方、これからヴェネチアに行く予定の方など、さまざまな方にヴェネチア・ビエンナーレについて、そして特に日本館での展示を担当された束芋さんのお話をお伝えする絶好の機会と考えております。



 昨年7月にヴェネチア・ビエンナーレに向けた記者発表を国際交流基金で行った当初発表した展覧会タイトルは「超ガラパゴス・シンドローム」でした。それがいかにして今回の作品の名称である「てれこスープ」に辿りついたか、というところからお話したいと思います。

 「てれこスープ」は館内と建物下のピロティ部分、つまり日本館全体を使うかたちで構成されています。日本館は1956年に設計・建築されたもので、50年以上の歴史がある建物ですから、傷んでいる部分もありますし、特徴的な構造のため、作品を展示するにはかなり手強い空間になっています。



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 日本館内の天井と床には、大きな穴が開いています。建築家・吉阪隆正氏は、自然と芸術が共生する空間というコンセプトで日本館を設計しました。上下を貫く穴を自然の風が吹き抜け、時には雨が降り注ぐという状態を吉阪氏は想定したのですが、これはとてもユニークな設計思想である反面、展示を行うにはやはり難しい部分が多くあります。ですから、2010年にコミッショナー候補に指名された当初から、束芋さんに日本館の図面と何枚かの写真資料をお渡しして、どんな展示にするかということを、綿密に相談してまいりました。

 その中で、束芋さんから提案されたコンセプトが「井の中の蛙が生きている世界は本当に狭いのか」というものです。荘子の言葉に「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があります。けれども、井戸の中は狭いように見えて、実はとても広い世界が続いているかもしれないという、「されど空の高さを知る」(この後半部分は、後年日本で付け加えられたとされる)の考え方を採ったわけです。そこで、床の穴を空へと繋がる井戸、そして日本館内を井戸の中に見立てることにしました。つまり、穴と展示空間が上下逆転した、あべこべの世界を構築するというコンセプトです。

 同時に束芋さんとは、日本館があるジャルディーニ公園についての議論も重ねました。ヴェネチア・ビエンナーレのメイン会場のひとつであるジャルディーニ公園は、日本館の他にもイギリス、ドイツ、韓国、フランス、アメリカ各国のパビリオンが並んでいます。それは、ちょうどこの場所が各国に与えられた1910〜30年代の列強国家間の力関係を象徴する、世界の縮図のような空間です。ある意味、ここでの日本は世界という大海に投げ出された蛙のようなものかもしれません。



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 またここ数年、技術はどんどん向上していくにも関わらず、国際的にはほとんど普及することのない携帯電話を代表に挙げて、日本の状態を「ガラパゴス・シンドローム」と表現する傾向があります。けれども、例えばアニメーションや浮世絵という日本的な文化を生成し爛熟させていくことで、この状況を超えていけるのではないか、「井の中の蛙」と思われている日本や日本人像を改めてとらえ直すことができるのではないかと考えたわけです。この発想が最初の記者会見で発表した「超ガラパゴス・シンドローム」というタイトルにつながっていきます。





18台のプロジェクターを駆使し、万華鏡のような世界に



 皆さんご存じのように、束芋さんは数千枚のドローイングに浮世絵風の彩色を施したアニメーションをつくり、映像インスタレーションとして提示する作家です。束芋さんの作品を語る時、このインスタレーション要素は重要です。センセーショナルなデビュー作となった1999年の《にっぽんの台所》は、典型的な日本住宅を模した空間に3面の映像が流れるというものでしたし、2001年の「横浜トリエンナーレ2001」で発表された《にっぽんの通勤快速》も、通路を挟んで箱庭のように映像が投影されるという、空間性を生かした作品でした。さらに昨年は、横浜美術館(神奈川)と国立国際美術館(大阪)で過去最大規模の個展「断面の世代」展を開催しましたが、同じ作品でも会場毎に展示プランを大幅に変更し、どのように作品を見せるかという点に、束芋さんは細心の注意を払っていました。この空間へのこだわりは、ヴェネチアにも引き継がれています。



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 今回の展示で使用されたプロジェクターは館内12台、館外6台の合計18台。3面のメインスクリーンと、館内の4枚の壁を取り囲むように仮設壁を立て、その表面に鏡を貼り込んでいます。実際に日本館に入りますと、鏡にも映像が写し出されて、万華鏡のような世界に包まれるわけです。

 実際の映像では、花が咲くようなシーンや、その後ろの日本風住宅の様子など、これまでの束芋作品を知っている方には見覚えのあるものが多く登場します。本作では、これまでにつくられた映像が印象的に用いられるシーンが数多くあり、束芋さんの集大成的作品のように感じる方も多いようです。ただ、束芋さんの言葉を借りるなら、本作は集大成というだけに留まらず、これまで枝葉のように広がってきた作品世界の、その幹や根っこを見直す作業だったのではないかと思います。新しい世界が展開されながらも過去と結びついたのが、「てれこスープ」なのです。





ボルタンスキーが日本館をふらっと訪れた



 他国館の様子もいくつかご紹介したいと思います。金獅子賞国別部門を受賞したドイツ館では、昨年秋に急逝したクリストフ・シュリンゲンズィーフが遺した戯曲《A Church of Fear vs. the Alien Within(恐怖の教会 vs 心の内の怪物)》のステージを再現したインスタレーションが展開されていました。当初は、シュリンゲンズィーフが亡くなる直前まで構想していた遺作を展示する予定だったのですが、 ドイツ館コミッショナーのスザンネ・ガエンシェイマーは、 作家不在ではオリジナルプランを展開することは難しいと考え、彼を追悼する回顧展的な展示にすることを決断したようです。

 公式企画展で金獅子賞を受賞したクリスチャン・マークレーの《The Clock》は、現在開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2011」にも展示されていますので、ご覧いただく機会があるかと思います。本作はさまざまな映画に登場する「時計」や「時間」に関係するシーンを集め、映像による時計をつくるという作品です。全部で24時間ありますので、実際の映像の中で展開される時間と現実の時間が同期して進んでいきます。

 フランス館は、クリスチャン・ボルタンスキーの作品だったのですが、実は私たちが展示作業をほぼ終えようとしていた5月末に、ボルタンスキーがふらっと日本館を訪れました。彼は、日本館の展示を見て「作家によって素材も違うし、表現形態というものも違うんだけれども、ヴェネチア・ビエンナーレはインスタレーション性の高い作品が多いね」と言っていました。振り返って考えると、たしかにトーマス・ヒルシュホルンが出品していたスイス館や、アローラ&カルサディーヤのアメリカ館など、インスタレーション性の強い作品が目立ったのが今回のヴェネチア・ビエンナーレでした。その全体の傾向と、束芋さんの映像インスタレーションもどこかで結びついているように思います。



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ドイツ館
50歳の若さで急逝したクリストフ・シュリンゲンズイーフの演劇的インスタレーションが展示されたドイツ館。

http://www.schlingensief.com/index_eng.html




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Christian Marclay

The Clock

2010

Single channel video

Duration: 24 hours

(c) the artist Courtesy White Cube




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フランス館
クリスチャン・ボルタンスキーの《Chance》。何十人もの赤ん坊の顔が印刷された帯が輪転しつづける空間は、生と死のサイクルの隠喩か。

http://www.boltanski-chance.com/




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アメリカ館
アローラ&カルサディーラの《Track and Field》(写真左)と《Body in Flight(DELTA)》(写真右)。戦車のキャタピラをランニングマシーンに、旅客機のファーストクラスシートを平均台に見立て、展示初日には本物のオリンピック選手がパフォーマンスを行った。

http://www.imamuseum.org/venice/






最大の難関であった壁が、なくてはならない味方に転じた



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束芋:私が今回ヴェネチア・ビエンナーレの代表に選ばれて最初に考えたことは、日本館をどのような空間にするかということでした。

 日本館を訪ねたことのある方はご存じだと思いますが、動かすことのできない4枚の壁、そして中央に開いた穴をどのように扱うかが日本館で展示する上での大きな課題になります。まず、最初に決心したのは、この壁と穴をきちんと生かした展示にしようということです。これをクリアしなければ、私にとって本当にいい形の展示には絶対にならないだろうと思いました。最終的には、この壁と穴なしに成立することのない展示ができあがったので、じつは敵ではなく心強い味方だったわけですが(笑)。

 会場の模型を上から見るとわかるのですが、中央に向かって大きくせり出した壁を覆うように鏡を配置し、その壁と壁の間に長いスクリーンを設置しています。「断面の世代」展で発表した《BLOW》という作品では、スケートボード場で見かけるようなスロープ状の婉曲したスクリーンを通路の両側に立てて、さらに入口と出口の横には映像がずっと続いて見えるように、鏡を配置しています。今回はこの発展型なんですね。





 3つのスクリーンに投影された映像と、鏡に写って反復する鏡像。さらに、真ん中の穴を覗き込むと、筒状のスクリーンに投影された映像を見ることができます。さらに、ピロティの外側からも映像が見えるようになっていて、館の内側と外側、日本館全体を使ったインスタレーションになっています。 



 鏡によって反射した映像が奥に向かってつながったり、また別の鏡にも反射することで、空間のスケール感がまったく分からない状態になっています。実際に館内に立つと、どこにどんな映像が投影されているのか分からなくなる。これは私にとって重要な要素で、自分の立っている場所や、自分が見ているものを疑いたくなるような作品をつくりたいと、いつも考えています。1本の杭を打ち付けて中心になるものを提示する、でもすぐにその杭を抜いてしまって、また別の杭を打ち付けていく。そうすることで常に中心が移り変わっていくような展開を心がけています。



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束芋 / てれこスープ / 2011
第54回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館展示風景

(c) Tabaimo / Courtesy of Gallery Koyanagi and James Cohan Gallery

写真:Ufer!






鑑賞者と50パーセントずつ責任を担うことで

作品が完成に導かれる




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 「てれこスープ」というタイトルは、「テレスコープ(望遠鏡)」と、関西の方言で「あべこべ」という意味の「てれこ」にちなみました。私は入れ子状の世界にずっと興味を持っていまして、自分が中心になって、その周りにいくつもの世界が広がっていくという状況を想定しながら作品をつくっています。

 今回は日本館全体をひとつの巨大な作品ととらえ、館内に足を踏み入れた瞬間、鑑賞者も作品の一部になってしまうという仕掛けになっています。鏡によって無限に反復する映像と、さらにそこに映り込む鑑賞者自身の姿によって、このコンセプトはよりはっきりと認識してもらえるはずです。鑑賞する側が鑑賞される側にもなってしまうという点でも「てれこ(あべこべ)」なんですね。それからお皿にたまった「スープ」というイメージも、生命が発生する液体という意味を持っている。そうした、さまざまな要素が混ざり合って「てれこスープ」というタイトルは生まれたわけです。



 映像の中では、足元に雲が入り込んでくるようなイメージが展開するところがあります。脳味噌が太陽や月のように昇ってきて、その脳味噌から照らされた光で世界が展開していく。このような上下の動きが、本作の映像の基本になっていますが、一方で鏡は横方向への広がりを想起させます。映像と鏡の縦横の動きが交差することで、空間がどんどん展開していく。そして、鏡で反射されたエネルギーは、鑑賞者の想像力によって無限に広がっていきます。



 私の作品は、ある意味で鑑賞者にとても大きな責任を負っていただくものです。完璧なコンディションで作品を提示することをいつも心がけていますが、鑑賞者が空間に関わることではじめて完成するのです。私と鑑賞者が互いに50パーセントずつ責任を担い、作品を完成に導いていく。そういった関係性が作品の核になっていく。ですから、6か月間にわたるこの展示は、いつ見たとしても常に完璧でないといけない。



 最良のコンディションを維持するために現地でどのように対応するかについては、スタッフと繰り返し協議しました。常に100パーセントの状態で鑑賞してもらいたいと思っていますから、なにかトラブルが起こったとしても完璧に対応したい。この課題をクリアした上で、鑑賞者が中に入った時に作品の本質的なものをちゃんと見ていただけるかどうか。それを何より大切にしたいと思って制作に当たっていました。





報告会写真:相川健一

続きはこちら

完全収録:ヴェネチア・ビエンナーレ報告会 [後編]




ジャルディーニ公園の砂ぼこり、想像を超えるプロジェクタの消耗......海外の、しかも美術館ではない空間で、6か月間の長期展示を「完全な状態」で見せ続けることの難しさとは? 作品のクオリティを常に完璧に保ちたいという束芋さんの、信念の根底にある想いとは?原美術館の青野和子主任学芸員をゲストに迎えた後半は、9月中旬公開予定です。




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JFICライブラリーで過去のヴェネチア・ビエンナーレ展覧会カタログがご覧いただけます
JFICライブラリーでは、第54回ヴェネチア・ビエンナーレの開催を記念し、第37回(1976年)「篠山紀信」 ~ 第53回(2009年)「やなぎみわ」 まで、日本館展示に参加したアーティストの展示カタログ展示しております。お手にとってご覧いただけるほか、貸し出しも可能です。
JFICライブラリー ヴェネチア・ビエンナーレカタログ展示
日時:9月5日( 月)~16日(金)10:00 ~ 19:00
場所:国際交流基金JFICライブラリー(東京都四谷)


2010年7月に実施された、記者会見の様子はこちらから動画をご覧いただけます
国際交流基金Ustreamチャンネル ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示 美術展記者発表

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束芋(たばいも)
第54回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館 出品作家

1975 年兵庫県生まれ。現在長野県在住。1999 年京都造形芸術大学卒業。 1999 年、大学の卒業制作として制作した映像インスタレーション«にっぽんの台所»がキリン・コンテンポラリー・アワード1999最優秀作品賞受賞。主な個展に2003 年東京オペラシティ・アートギャラリー、2006 年原美術館(東京)、カルティエ現代美術館(パリ)、2010 年シンガポール・タイラー・プリント・インスティテュート、パラソル・ユニット(ロンドン)、「束芋:断面の世代」横浜美術館、国立国際美術館。2001年第1回横浜トリエンナーレ、2002年サンパウロ・ビエンナーレ、2006年シドニー・ビエンナーレ、2007年ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア館)など国際展やグループ展への参加多数。また随筆や本の装丁など、さまざまなジャンルでその才能を発揮している。新聞小説の挿絵をもとに構成した絵本「惡人(あくにん)」(朝日新聞出版、2010年7月)を出版。




植松 由佳 (うえまつ ゆか)
第54回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館 コミッショナー

香川県生まれ。1993年より丸亀市猪熊弦一郎現代美術館勤務を経て、2008年10月より国立国際美術館主任研究員。主な企画担当展に「束芋:断面の世代」(2010、横浜美術館との共同企画)、「ピピロッティ・リスト:ゆうゆう」(2008)、「エイヤ=リーサ・アハティラ展」(2008)、「マルレーネ・デュマス―ブロークン・ホワイト」展(2007、東京都現代美術館との共同企画)、「須田悦弘展」(2006)、「やなぎみわ 少女地獄極楽老女」展(2004)、「マリーナ・アブラモヴィッチ -The Star-」展(2004、熊本市現代美術館との共同企画)、「草間彌生展 Labyrinth-迷宮の彼方に」(2003)、「ヤン・ファーブル」展(2001)、「Isamu Noguchi & Issey Miyake ARIZONA」展(1997)など。第13回バングラデシュ・ビエンナーレ日本参加コミッショナー、京都造形芸術大学非常勤講師。







【放送情報】

10/12 21:00~

NHK「たけしアート☆ビート」

ヴェネチア・ビエンナーレの様子とともに、束芋さんが登場しました。


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