コロナ禍の世界を文化でつなぐ 第48回(2021年度)国際交流基金賞 <5>
ベルリン自由大学教授 イルメラ・日地谷=キルシュネライトさん
「国際交流基金賞受賞にあたって」

2022.6.1
【特集075】

特集「コロナ禍の世界を文化でつなぐ 第48回(2021年度)国際交流基金賞」(特集概要はこちら

国際交流基金(JF)では、新型コロナウイルスの感染拡大のため、ケルン日本文化会館での開催がかなわなかったイルメラ・日地谷=キルシュネライトさんの国際交流基金賞記念講演「『私の言語の限界が私の世界の果てである』―日本と「西洋」の間で起きるさまざまな理解のかたち」の原稿を、冊子に収録しました(日本語・ドイツ語併記)。冊子は JFライブラリー(東京) にて2022年6月13日(月)より貸出・閲覧が可能です。

冊子では、日地谷=キルシュネライトさんがこれまでに日本について研究される中で魅了されてきたさまざまなトピック、言語と文学が異文化へのアプローチにおいて果たす役割や私たちの思考に与える影響などについてたっぷりと語られています。
また、日地谷=キルシュネライトさんの旧友でもある三島憲一さん(大阪大学名誉教授)による受賞者のご紹介も収録されています。
「をちこち」では、その冊子のなかから、日地谷=キルシュネライトさんの謝辞をご紹介させていただきます。
ぜひ、ライブラリーにて本編をお楽しみください。

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2021年度国際交流基金賞受賞にあたっての謝辞

(2021年10月20日)

イルメラ・日地谷=キルシュネライト

 あさきゆめみし。

 私は夢を見ているのでしょうか? 私は、荘子が見た胡蝶の夢に登場する蝶なのか。あるいは、自分が荘子であるとの夢を見ている蝶なのか? 国際交流基金賞の報に接したとき、私は思わず、東アジア地域の多くの詩人たちがとりあげてきたこのトポスを思い浮かべ、しばしのあいだ呆然としておりました。

 ひとは誰しも自分の家族や文化、時代から最初の刷り込みを受けるものですが、それにひき続く体験の中で私の人生にとって最も決定的なできごとは、日本との出会いでありました。ヨーロッパの多くの人々がそうであるように、私も日本を早くから、対極にある憧れの地として見出しました。今、自分の人生を振り返ってみるとき、幼い頃から漠然と夢見ていた生き方を、大人になってから双方の文化や世界のなかで実現できたことは、なんと恵まれたことだったかと思います。日本の文化や文学を学んだことは、私の心を豊かにし、視野を広げてくれました。1970年7月7日。私が初めて日本の土を踏み、留学を開始したこの日は、私にとって毎年祝うべき大切な記念日となっています。この日を私は、つい三年前まで、今は亡き夫の周二とともに楽しく祝ってきました。私と結婚したせいでヨーロッパという異国の地に長年暮らすこととなった周二は、日本の文化や日常生活に潜む生活感覚を惜しみなく私に伝えてくれました。これらはおそらく、この機会を擱いて他では感じることができなかったであろうものばかりです。彼と私は四六時中日本語とドイツ語で会話していました。とても懐かしい思い出です。良い関係を築いた相手とはそういうものですが、そこには四季があり、晴天もあれば荒天もあり、調和に満ちたときもあれば摩擦が生じることもあるものです。私の研究対象である日本も同じで、常に視野を広げてきてくれましたし、繰り返し私に新鮮な驚きを与えてくれました。1970年代に私が「私小説」というジャンルの研究を始めた背景には複雑な動機がありました。この語りの形式がなぜ日本人にとって魅力的なのか、理解したいと考えていたからです。当時の私はまだ、21世紀の欧米文学でオートフィクションがこれほどのブームになろうとは夢にも思っていませんでした。日本料理も同じです。日本料理が今では世界でかくも高い評判を得るに至り、梅干しや納豆、もずくなど、まずは自分自身でそのおいしさが分かるようになるまで努力しなくてはならなかった食べ物が、その後世界中を席巻するに至るとは、当時は全く想像すらできませんでした。

 文学研究に加えて食とおもてなし文化の研究は、私の仕事の二本柱です。加えて、私が文学を通してその表現の可能性を学んだ日本の言語と文字は、国際対話にとって最も大切な基礎となるものです。その意味で、ドイツ語圏における日本研究最大プロジェクトである『和独大辞典』(全三巻)が今年完成できたことは、私にとって大きな喜びでした。

 数十年にわたり私は研究と教育に専心し、若手研究者を育成し、広報やメディアにおける活動を行なって参りました。そのすべての活動領域において私がいかに日本に大きな魅力を感じ、日本を高く評価し、日本に夢中になっているかを感じていただけるなら幸いです。この歳月に私が学んだことのすべては、日本の偉大な先生方や同僚、友人、仲間たちのおかげによるものです。私にとってとても大きな意味を持つ国際交流基金賞の受賞に対し、私は心より感謝申し上げます。ここで再び私の心には、ある和歌、正確に言えば今様の歌が思い浮かびます。それは、日本のいろは歌としてここ数十年間ずっと私に付き添い、私にとってあまりにも当たり前で、むしろ目立たない存在にも思えたものであるのですが、その深い意味が分かり始めたのは、ようやく最近になってのことなのです。

    いろはにほへと ちりぬるを
    わかよたれそ  つねならむ
    うゐのおくやま けふこえて
    あさきゆめみし ゑひもせす

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イルメラ・日地谷=キルシュネライト(いるめら ひじや きるしゅねらいと)1948年生まれ。一橋大学助教授、トリーア大学教授を経て、1991年よりベルリン自由大学日本学科教授。ドイツ日本研究所所長(1996-2004)、ベルリン自由大学フリードリヒ・シュレーゲル文学研究大学院長(2010-2015)を歴任。ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞(1992)、ドイツ連邦功労十字賞(1995)、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞(2001)、旭日中綬章(2011)ほか受賞多数。著作に『〈女流〉放談――昭和を生きた女性作家たち』(編、2018、岩波書店)、『私小説:自己暴露の儀式』(1992、平凡社)『和独大辞典』(Großes japanisch-deutsches Wörterbuch全3巻、共編、2009-2022)等。

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