2021.11.9
国際交流基金ニューデリー日本文化センターがインドの劇場と国際共同制作したダンスプロジェクト『-scape』。コロナ下の2021年3月にインターネット配信された本作を日印のアーティストらはどのように作り上げたのか、日本側のプロジェクト・メンターを務めた舞踊評論家の乗越たかおさんに寄稿いただきました。
日印コンテンポラリー・ダンス共同制作プロジェクト『- scape 』レポート
乗越 たかお
【プロジェクト始動】
本プロジェクト『-scape』は、国際交流基金ニューデリー日本文化センター(以下、国際交流基金)と、ベンガルールのアタカラリ・センター・フォー・ムーヴメント・アーツ(アタカラリ・センター)との国際共同制作である。
本プロジェクト進行中にコロナ禍が起こった。「100年に一度の厄災」によって大幅な変更を迫られつつも、逆に新しい表現を切り開いていったダンスプロジェクトの記録として、経緯と変遷を記しておきたい。
プロジェクトの発端は、アタカラリ・センターの芸術監督Jayachandran Palazhy(ジャヤチャンドラン・パラジー/以下、ジャヤ)が、2018年の11月にムンバイで開催された「EARS ON MUMBAI」(インド版TPAM*¹ のようなイベント)で国際交流基金の担当者に「海外アーティストと協働する経験が少ない若手が多い。日本とインドの振付家、ダンサー、スタッフがインドのアタカラリ・センターに滞在して、ダンス作品を共同制作したい。アタカラリ・センターで開催されるフェスティバルでの上演を前提としているが、インドだけでなく、日本や世界のダンスフェスティバルでも上演できるようなレベルの高い作品を作りたいので、国際交流基金に協力してほしい」と依頼したことに始まる。
インドは伝統舞踊が強い国だが、ここ10年ほどイギリスなどでコンテンポラリー・ダンスを学びキャリアを積んだ若いダンサーがインドに帰ってきており、新しいダンスの波が起こってきている。乗越は2015年にニューデリーの国際ダンスフェスティバル「IGNITE!」に招聘され、インドのコンテンポラリー・ダンスの盛り上がりを肌で感じていた。アタカラリ・センターはその中心的な存在で、世界に広く認知されていることは乗越も熟知しており、ジャヤとも海外のフェスティバルで何度か面識はあった。
2020年1月、乗越は国際交流基金から本プロジェクトの日本側アドバイザーをメールで依頼された(最終的に乗越はジャヤとともに「プロジェクト・メンター」という肩書きになる)。
ちょうどジャヤは2月11日~16日まで横浜に滞在し、「横浜ダンスコレクション」や「HOT POT」*² 、TPAMを見る予定だったため、乗越とジャヤは直接ミーティングを重ねた。
このときのプロジェクト概要は、
〈当初のプロジェクト概要〉
・日印の若手(振付家やダンサー、技術スタッフ等)を選出し、10~12人のカンパニーを組織する
・2020年の8~9月に3週間ほどアタカラリ・センターで滞在制作を行う
・2021年2月に再度アタカラリ・センターに集まって作品を完成させ、アタカラリ主催のフェスティバル等をはじめ複数都市で公演を行う
・日本や世界のダンスフェスティバルで上演することを目指す
・インド側のメンバーは、ジャヤがオーディション等を行い選出する
・日本側は乗越が振付家を推薦する。日本滞在中にジャヤが見た日本人のダンサーや振付家も参考にする。日本人のダンサーのオーディションは、国際交流基金とアタカラリ・センター、乗越で行う
というものだった。
基金の担当者は、ジャヤの帰国後3月頭にベンガルールに飛んで、さらに詳しくミーティングをし、劇場の下見も行った。
乗越により、日本側のアーティストは鈴木竜が推薦・選出された。
鈴木はダンサーとしても振付家としても数々の受賞歴があり、実力はたしかなものだった。さらに国際経験が豊富なため、英語でのコミュニケーションが可能な点も考慮された。
ジャヤによって選出されたインド側のアーティストがHemabharathy Palani(へマバーラティ・パラーニ/以下、ヘマ)。なんと前年に乗越がシンガポールのフェスでパフォーマンスを見て、自分が公式アドバイザーをしている韓国のフェスティバルへ招聘することを決めたアーティストだった。
しかし3月以降、環境は激変する。新型コロナの猛威が世界中を覆っていった。ただ3月の時点ではコロナ禍がこれほど長引くとは思わず、数カ月後には移動も可能ではという希望的観測もあり、以下のようなスケジュールを立てた。
・5〜6月には日本およびインドの座組を決定
・8月の下旬頃に日本のダンサーたちが渡航し、3週間ほどバンガロールで滞在制作を行う
・2021年1月に再渡航して「アタカラリ・インディア・ビエンナーレ」で初演、その後インド国内で2〜3都市を巡回して公演を行う
インドの各都市のフェスティバルやビエンナーレに参加する話も同時に進めていたが、コロナ禍は激しさを増すばかりとなり、全てが不可能になってしまった。
それでもプロジェクト実現の可能性を探ってスタッフはZoom会議を重ね、リモートでの制作に方向転換することになった。
すでに様々なフェスティバルやアーティストがリモートでの制作・配信を行っていたが、特徴のある物は多くはなかった。ありきたりではないコンセプトを打ち出す必要があった。
一つには、コロナ禍という「100年の一度の厄災」に直面したアーティストが現実をどう捉え、挑んだのか、100年後の人々に伝えられるような作品であるべき。リモート制作が「代替品」になるのではなく、「コロナ禍ならではの表現を生み出すプラスの機会」となるよう模索した。
「インド側で数人のダンサーを使い、鈴木がリモートで振付」という選択肢は早々に除外された。鈴木竜が別の仕事でリモート振付をした経験から、クオリティーを高めるのが難しいという判断である。
クリエーションと出演は鈴木とヘマのみで進めることとなった。
鈴木とヘマが出した答えは、「鈴木竜というアーティストを分解し、インドに送り、再構築してヘマと踊る」というものだった。
本来はダンサー鈴木竜の身体をインドへ運んでヘマとともに創るべきところ、コロナ禍のためそれがかなわない。そこでそれぞれが自分を構成している記憶や経験や景色、そして喜びや恐れ、変化、喪失といった断片を分析して描き出す。「自分という存在を分解して、要素として相手に送る」というコンセプトだ。
面白い着眼点である。
具体的には、日本側で鈴木竜をそのコンセプトに基づいて「分解」し、音楽や短い映像を作ってヘマに送ることになった。ヘマとインド側はそれらを素材として自由に編集し使用してよい、ということで合意し、作業を進めた。
まずは日本側の映像の制作である。
そのためには映像の力が重要になってくる。そこで吉開菜央に依頼した。
吉開は自らもダンサー・振付家であり(大ヒットした米津玄師『Lemon』のPV(プロモーションビデオ)で踊っている女性が吉開)、特集上映が組まれるほどダンス映像作品も多く、『Grand Bouquet』は「第72回カンヌ国際映画祭」の監督週間に正式招待されている。
吉開は鈴木とミーティングを重ね、2020年12月に行われた撮影中も常に対話を進めていった。撮影には作曲家のタツキアマノ、乗越も加わった。
自宅での一日のルーティンワークや、自らのダンスのメソッドなど鈴木の「日常」を様々な映像で切り取っていく。
特徴的なのが、鈴木が愛玩する数々のぬいぐるみである。それぞれに名前と歴史がある。とくに古いドラえもんのぬいぐるみには特別な思い入れがあるという。30センチほどの大きさで、かつてはついていた目も取れている。
人間の身体は新陳代謝により物質的には数カ月で完全に入れ替わってしまうが、ぬいぐるみは20年たっても基本的に同じ物質のままだ。つまり鈴木の自我にとって「古いぬいぐるみ」は、「現在の自分の身体」よりも「物質的に長く親しみのある存在」なのだ......と鈴木は言う。
このアイデアは『テセウスの船のパラドックス』に似ている。
ギリシャ神話の英雄テセウスが冒険で乗った船が、損傷部分の補修交換を繰り返していき、ついに全ての部品が入れ替わってしまったとき、それは今もテセウスの船だといえるのだろうか、という同一性のパラドックスだ。
吉開はこうした鈴木の言葉を引き出しながら、最も好きなもの、恐ろしいものなど、内面を掘り下げていく。鈴木は自ら、「日本のコンペティションで受賞し招聘されたスペインのダンスフェスティバルで、他の日本人ダンサーに人気をかっさらわれた苦い体験」や、「もう自分にダンサーとしての需要はないのではないかという不安感」などを赤裸々に語る。
撮影は鈴木がアソシエイト・コレオグラファーとして選出されたダンスハウス「Dance Base Yokohama」でも行われ、全裸の鈴木とぬいぐるみたちの撮影が行われた。吉開のカメラは時に超接写で、鈴木の皮膚や皺が思いも寄らぬ生物のように見える様子を捉えた。
こうしてできた吉開の映像作品は、30分弱のまとまった「鈴木竜のドキュメント」というべきものになった(他にも、鈴木が構築中だという動きのメソッド映像などの資料映像も送っている)。
冒頭から吉開自身の声で会ったことのないヘマに、鈴木について情報を語りかける。
吉開は映像の中で、「ドラえもんのぬいぐるみがそんなに大切なら、鈴木の身体の代わりにインドに送ってはどうか」と提案し、鈴木の頑強な抵抗にあったりする。
他にも鈴木が恐怖を感じるという水の映像、ネットで拾った過去の鈴木が踊る映像や、膝の動きをダンスにも活用しているというけん玉の演技等を撮影した。
音に関しては、鈴木と協働経験もあるアマノが手腕を見せた。まず撮影時の鈴木と吉開の会話や、鈴木がけん玉で遊ぶ音、自然音を収録し、その音を鈴木が住んだところのある土地の緯度に近い数値でシミュレートするなどの手法で出力したり、そしてもちろん作曲もノイジーなものから情緒的なものまで行ったり、幅広く映像の要求に応えて素晴らしい融合を見せた。
当初は「鈴木を分解した吉開の映像を好きに使って、ヘマのライブ・パフォーマンスを作る」という予定だった。2021年2月にはヘマからも、作品中で使う動きのシークエンスの映像が送られてきた。
吉開の映像を見て、アマノの音を聞いたヘマは、いくつかの方針を決めてコメントを返してきた。
〈ヘマのコンセプト〉
・鈴木の映像にはオブジェクトが多く使われているので、自分のパートでは極力使わないようにする。ちなみに「ドラえもん」はインドでもよく知られているので問題ない
・昨年急逝した父親への思いや彼との思い出を入れたい
・鈴木が恐怖を感じるという「水」だが、ヘマは泳ぐのも潜るのも大好き。同じ物に対して真反対のアプローチが面白い
・映像の中で鈴木が「自分が死んだら、ドラえもんのぬいぐるみを一緒に棺桶に入れてほしい」と言っていたのが印象に残った。ぬいぐるみは生きていないが、鈴木よりも早く年を取っている=成長しているように感じた
・いくつかある今作の重要なキーワードの一つ「旅(Journey)」。アマノは曲で、鈴木がダンサーになる過程を描いている。旅(人生)は、予期せぬ出来事を積み重ねながら続いていく
・同じく「風景(Landscape)」では、「古い建物は壊され、新しい建物が建つ」という移り変わりに自分を重ねる
・「記憶、夢(Memory/Dreams)」はけん玉で遊んでいる音が空間全体を増幅させている。子どもの頃に遊んでいたけん玉が、今の鈴木のダンスに影響を与えていることが伝わってきた。
ヘマは自分の舞台上でのパフォーマンスで使う映像と音楽も吉開とアマノに依頼した。
その後もアーティスト同士、そして要所要所で全員でミーティングを重ねて方針を共有し、意見を出し合った。
しかし、鈴木とヘマが一つの舞台の上で共演することを諦めていたわけではない。
我々は、このプロジェクトを3段階に考えるようになった。
・第1段階 日本のダンサーを「分解」してインドへ送り、インドでライブ・パフォーマンス(今回)
・第2段階 インドのダンサーを「分解」して日本へ送り、日本でライブ・パフォーマンス
・第3段階 これまでの互いの映像も使い、日本とインドのダンサーがライブで共演する
というもの。
公演日は2021年3月16日、午後7時30分(IST)。会場はバンガロールの有名劇場であるRanga Shankaraとなった。タイトルは『-scape』に決定。風景(Landscape)や街の風景(Townscape)、心象風景(Mindscape)と、人生を様々な「景色」として捉える作品である。
舞台美術は、下手に幅広の紗幕が垂れ下がり、上手には円筒形の布が3本、柱のように天井からのびている。上手の壁に投影された映像は布の柱越しにだがクリアなもの。対する下手の紗幕に投影された映像はかすれて見えるが、映像を強すぎずほどよく伝えることができる。
「前半にヘマのパフォーマンスがあり、数分の休憩を取り、後半に吉開が撮影・編集した鈴木のドキュメント映像だけを流す」という構成がインド側から提示された。
〈インド側の構成案〉
・吉開の映像は一つのまとまりとなっているので、一気に見せた方がいい
・ヘマのパフォーマンス中にドラえもんの映像や鈴木の声が出てくる。鈴木の存在を最初から全部見せるのではなく、「この男性は誰だ?」と観客の興味を引いてから、後半で映像が始まった方が効果的
・観客はダンス公演を見に来ているので、最初はダンスから始まった方がいい
〈日本側の構成案〉
・ヘマのダンスが先だと、「ダンス作品と映像作品」というように前後で分離して見えてしまい、一つの作品としてのまとまりに欠けるのでは。ダンスだけ見て帰る人が出る恐れはないか
・鈴木竜をよく知らないほとんどのインドの観客にとって、ヘマのパフォーマンス中にドラえもんや男の声があったことなど記憶から流れていってしまうだろう。二部構成にするなら、先に鈴木の映像を見せるべき
・鈴木の映像は最後に吉開から「ヘマさんは、大切なものを送ることができますか?」という「問いかけ」で終わる。これに答える形でヘマのパフォーマンスが始まったほうが、「パパ......」という呼びかけで終わる最終シーンが、「ヘマの最も大切なもの(父親への思い)を鈴木に送る」という形で鈴木映像への返信のようで、一つの作品としてまとまりが出る
双方とも一長一短があった。
そこでジャヤから当日の観客には、「これはヘマと日本人の鈴木とのコラボレーション作品であること」などの企画趣旨を書いたパンフレットを観客に配布し、公演前にもステージで説明して、コンセプトが正確に観客に伝わるよう配慮する等の提案があり、インド案での合意をみた。
当日は、ジャヤと国際交流基金の担当・石丸葵がともに舞台に立ち、コメントを語った。石丸は配信で見ている日本人観客向けに日本語で本プロジェクトについて説明した。
冒頭では水の映像。水について語る鈴木の声と、水底を思わせるアマノの音とともにロングドレスで踊るヘマ。いつしか映像は赤く炎のように見えたり、泡が立ち上ったりと続く。
映像ではドラえもんのぬいぐるみが大量の花とともに箱(棺桶)に納められ、水に流されていき、仏教の流転や輪廻を感じさせる。
続いて雲の映像から「旅」のシークエンス。上空から着陸する飛行機の窓からの映像を背景にヘマは舞台上を彷徨う。河を渡る鉄橋、橋はやがて鈴木のランニング映像へとつながる。ゆっくりと歩くがほとんど進めない仕草のヘマ。移動が禁じられた我々のようだ。電車の車窓で羽を伸ばす死んだ蛾の映像がそれに重なる。
映像がなくなり、ヘマただ一人のなか、インド人歌手M.D. Pallavi (エム・ディ・パラヴィ)のヴォイスが響く。フロアを使い、ヘマならではのダンスが静かに情感豊かに踊られる。
今度はヘマ自身が語りながら踊る。子ども時代の話、父親の話、そして「全ての旅が止まった」......。
箱詰めのドラえもん、詰められた花が水に流れ出す。速い水滴のようなリズムの音、亡くなった父に呼びかけるように「......パパ」と声が響く。
心臓の鼓動のなか、遠くに響く音楽、床に寝たヘマはゆっくりと身を起こす。立ち上がり、両手を天に伸ばして、最後の一言「......パパ」で暗転していく。
5分間の休憩の後、鈴木の映像が流された。
照明や機材に関しては直前まで日本とインドのスタッフが繰り返しチェックを重ねた。上演の一部始終は、ジャヤと石丸のコメントも含めてネットで配信された。また会場は、ほぼ満席だったという。
終わってみると、ドラえもんのぬいぐるみ、鈴木の音声、映像のオーバーラップなどがよく効いていて、映像とライブパフォーマンスが乖離して見えることはなかった。
ヘマのダンスは広い舞台に圧倒的な存在感を示した。伝統とコンテンポラリー・ダンスが融合した独特なダンススタイルで、伸びやかで情緒にも溢れていた。映像や音との親和性も高い。
ヘマと鈴木の二人がともに同じ舞台に立つ日が、一日も早く来ることを願わないではいられなかった。
ただこの公演から1カ月半ほどで、インドでは新型コロナの変異株が爆発的に流行してしまった。もう少し日程がずれていたら、『-scape』の上演自体が不可能だったかもしれない。
コロナ禍の今日、舞台芸術の困難さを改めて実感した。
『-scape』は、コロナ禍のなかでアーティストたちが表現することを諦めず、またそれを支えようという人々が国を超えて連携しうることを示した。
「会うことができない」という困難を、「だからこその表現」に変えていた。
社会が窒息しそうなとき、風穴を開け、人々と社会に新しい空気を送り込むことこそ、アートに課せられた使命なのではないか。『-scape』はその使命を果たし得たものと信じている。
やがてコロナ禍を乗り越えたとき、『-scape』は本当の終幕を迎えることになるだろう。その日を心待ちにしている。
本公演の映像を担当した映像作家、吉開菜央さんとインド側のメンター、ジャヤチャンドラン・パラジーさんのインタビューを国際交流基金Performing Arts Network Japan(PANJ)で公開しています。
「言葉になる前の情動を踊り、映像にする」吉開菜央(振付家・ダンサー、映画作家)
https://performingarts.jp/J/art_interview/2108/1.html
「インドのコンテンポラリーダンスの拠点アタカラリ・センターが目指すもの」ジャヤチャンドラン・パラジー
https://performingarts.jp/J/pre_interview/2108/1.html
レジデンス協力:Dance Base Yokohama