2019年度国際交流基金賞受賞者の一人、エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ教授は、ポーランドを代表する日本史研究者であり、ワルシャワ大学教授として数々の研究業績をあげるとともに多くの弟子を育ててきた。同氏とともに長年にわたってワルシャワ大学と東京大学の学術交流を担当してきた私としては、我がことのようにうれしい。この先は敬愛の念を込めてエヴァさんと呼ばせていただきたい。
日本史研究者としてのエヴァさんの業績は、大別すると近代日本史における天皇の研究と、ポーランド=日本関係史の2つの方向に分かれる。前者については、陸軍皇道派の真崎甚三郎を取り上げた博士論文を出発点にして探求の幅を近代全体に広げていき、『明治天皇――日本の近代化における天皇のイメージ』(ワルシャワ、2012年)という浩瀚な書著に結実した。さらに最近は昭和時代に重点を移し、2016年にはワルシャワ大学で「戦争と平和――昭和天皇の日本」というテーマの国際学会を主催している。
それに対して、ポーランド・日本関係史というもう一つの研究方向は、いまやエヴァさんの研究の主軸と言ってもいい。単行本としては、まずアンジェイ・T・ロメルと共著の形で『ポーランド・日本関係史 1904-1945』を1996年に出版した(2009年増補改訂第2版、2019年第3版)。これは膨大な資料を日本・ポーランド両国で調査、発掘し、日露戦争期から第二次世界大戦終結までの時期の全体を包括的に扱った労作であり、類書のまったくない、世界で初めての画期的な両国関係史である。2009年には柴理子さん(城西国際大学准教授)による邦訳が彩流社より刊行されており、この分野に関心を持つ日本の研究者がまず参照すべき基本図書となっているが、大幅に増補されている2019年の改訂第3版に基づく新たな翻訳が待ち望まれる。
エヴァさんはそれに続き、ハビリタツィヤ(教授資格取得)のための研究(第2博士論文)『日本の対ポーランド外交政策 1918-1941』を完成させ、1998年に出版した。その後もたゆまぬ研究と調査を精力的に続け、ついに、2019年10月に『ポーランド・日本関係史 第2巻 1945-2019』を出版した。これはなんと700ページ近い巨大な本で、2019年の最新の出来事までカバーし、政治史・国際関係に重点が置かれた前著(第1巻)とは違って、こちらでは文化・学術交流にも多くの紙面を割いている。
エヴァさんの国際交流基金賞受賞記念講演は、2019年11月8日に東京大学本郷キャンパスで行われた。彼女は1983年に東京大学に初めて留学し、その後、客員教授と客員研究員として何度もここを拠点にして研究を行ってきた。礼儀正しく気配りの精神に満ちたエヴァさんは、その東大でこの記念講演を行えることに感激していると言ってくださった。優しい気配りがうれしい。
記念講演のタイトルは「ポーランドと日本――友好関係の100年」というもので、これまでの長年の研究のエッセンスをわずか40分程度に凝縮して見事な日本語でお話しいただいた。「100年」というのは、ポーランドと日本の国交が正式に樹立されたのが1919年のことだからで、2019年はちょうど国交樹立100周年にあたるため様々な記念行事が行われている。エヴァさんがこの記念すべき年に国際交流基金賞を受けたのも、大変時宜にかなった慶賀すべきことである。
ちなみに2019年10月末にはワルシャワ大学でも日本研究の100周年を祝って、「日本とその世界文明への貢献」というテーマで盛大に国際学会が開催された。私も参加して「佳人たちの奇遇――日本文学とポーランド文学の相互への関心と影響」という講演を英語で行った。この少し奇妙なタイトルは、明治初期の東海散士による『佳人之奇遇』をもじったものである。エヴァさんも講演で触れていたが、この小説は、明治時代の日本人がポーランドの「亡国」の運命に関心を寄せた最初の例として知られる作品である。
記念講演でエヴァさんは、ポーランドと日本両国の間には、緊迫した国際関係と戦争の時代にあっても予想以上に緊密な政治・外交上の関係があり、しかもその関係が両国の間の友好的態度と親近感に支えられていたということを強調した。講演の結びの言葉を引用させていただこう。「100年以上前から、ポーランド人も日本人もお互いに親近感を覚えていました。この親近感は戦争と冷戦期間を超えて両国の社会の中で綿々と受け継がれてきました(中略)私たちは、両国を隔てる距離と文化的差異にもかかわらず、身近な国民なのです」
講演会には、エヴァさんと縁が深く、彼女の研究の親しい協力者となってきた3人の方々にもコメントをしていただいた。3人というのは、『日本におけるポーランド人墓碑の探索』(2010年)のための調査旅行でエヴァさんと日本全国を一緒に歩き回った稲葉千晴さん(名城大学教授)、ポーランド史の専門家で、エヴァさんの著書『日本・ポーランド関係史』の訳者でもある柴理子さん(城西国際大学准教授)、そして政治学者で近現代の皇室研究に関してエヴァさんの助言者となった原武史さん(放送大学教授)である。みな多忙なスケジュールの中、エヴァさんの受賞を祝うために駆け付けてくださった。この3人のコメントを通じて、エヴァさんの学問的関心の広がりと日本で築いてきた学術ネットワークを示し、彼女の学者としてのプロフィールをくっきりと浮かび上がらせることができたと思う。
エヴァ氏とのエピソードを語る(左から)原武史氏、柴理子氏、稲葉千晴氏
最後にこの記念すべきイベントの司会を務めさせていただいた立場から、ささやかな感想を付け加えておきたい。エヴァさんが強調されるように、ポーランドと日本の間の友好関係には確かに特別なものがあり、ポーランド人は一般的に親日的ではあるけれども、エヴァさんの研究は実証的な歴史研究であって、最近一部で流行っている「世界は日本がこんなに好き!」とか、「日本スゴイ!」といった素朴な日本賛美とはまったく違う次元のことである。ポーランド人が日本に親近感を持つとすれば(それぞれの国民性には水と油のように違う面もあるのに)、そこには具体的な歴史的経緯や国際情勢の背景があり、戦争のさなかにも軍事・外交面や諜報活動において協力関係が保たれるという例外的な事態を可能にしたのは何だったのか、エヴァさんは史料を博捜し、緻密な調査と分析を経て、きちんと歴史学の立場から論証を行っている。国境を越えた国際的な関係は、双方向的なものであり、決して真空の中で一方的に生ずるわけではない。それは歴史的に築かれるものであり、そのプロセスを解き明かすのがエヴァさんのような歴史学者の仕事なのである。
互いの友好関係を語れる国同士の関係があるのはもちろん誇らしいことではあるが、その反面、現代の世界は、特定の国や民族に対する憎悪が広がる危険な兆候も示している。エヴァさんの研究が貴重なのは、国と国の関係というものは一時的な情動や政治的な宣伝に惑わされることなく、客観的に研究されなければならないと教えてくれるからである。ポーランドと日本がこんなに互いに違う遠い国同士なのに、このような親愛の情を互いに抱いてこられたことは素晴らしいが、その一方で、そのような友好関係を築けない近くの国があるとすればそれはどうしてなのか。こういったことを考える糧になるという意味で、エヴァさんの研究は決してポーランド関係者だけに必要な狭く専門的なものではなく、大きな現代的意義を持っている。