「近くへの遠回り―日本・キューバ現代美術展」ハバナで開催

2018年6月号

住吉智恵(美術ジャーナリスト)

 初めて訪れたキューバは20世紀半ばで時が止まったかのように長閑な穏やかさに満ちていた。欧米からの旅行客であふれる首都ハバナの観光エリアである旧市街では、対米関係が緊張化する前の1950年代に輸入され、修理しながら乗っているというクラシックなアメ車が、ピンクやグリーンに塗り直されたコロニアル様式の街並に映える。そこら中に音楽があり、角ごとにカフェやレストランから古いソンやルンバを奏でる音色が響く。

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1950年代にアメリカから輸入されたクラシックな車はハバナ旧市街で今も現役。

 新市街の路地を一本入れば、親切でひと懐っこい人々と野良犬や野良猫たちが営む日常の一端を覗くことができた。キューバ国民は医療・教育がほぼ無料で受けられ、配給により、誰もが最低限の生活を保障されるため、経済的・物質的には乏しくても極度の「貧困」がないと聞く。まだそれほど経済格差がないからか、ハバナ市内は治安が良く、犯罪を警戒するストレスなく街を歩ける。ネット環境も制限されているのでメールやSNSに追いかけられることもない。素朴でのんきな時間の流れ方はどこか昭和の東京を思い出させた。

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新市街の路地を一本入れば、親切でひと懐っこい人々が営む日常がそこにある。

 2018年は日本人のキューバ移住120周年を記念する年である。国際交流基金は、ウィフレド・ラム現代美術センターと在キューバ日本国大使館の共同主催により、3月から4月にかけて、キューバと日本の現代に生きるアーティストたちを紹介する現代美術展「近くへの遠回り―日本・キューバ現代美術展」を開催した。

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ウィフレド・ラム現代美術センターの展示室はパティオを中心に四方に配置されている。

 ハバナ市のウィフレド・ラム現代美術センターを会場としたこの展覧会のテーマは「距離」。キューバと日本の文化的・社会的な相似点・相違点とそこから生じる距離感をベースに、さまざまな物事や事象にまつわる近さ・遠さとは何かを問う。ウィフレド・ラム現代美術センターはスペイン風の美しいコロニアル建築で、パティオを中心に回廊でつながる四方に展示室が配置され、モザイクタイルの床やアーチ型の開口部などが作品の背景として絶妙の効果を上げていた。

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三瀬夏之介《日本の絵~小盆地 宇宙~》(2013-2014)※

 三瀬夏之介の《日本の絵~小盆地 宇宙~》(2013-2014)は、和紙のパーツを紙縒りで結び合わせ、日本の風景とキューバの旗を墨と胡粉ごふんで描いた絵画で、国旗のように天井から吊られている。ところどころに星や月などの断片的なモチーフが隠れ、結び目の隙間を光が透過する光景は、まるで古布をはぎ合わせて帆を張ったボートを彷彿させ、ともに小さな島国であるキューバと日本の「欧米中心世界の辺境」に浮かぶ立ち位置を連想させた。

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毛利悠子《polar-oid(o)(白くまと感光紙)》(2018)※

 毛利悠子の《polar-oid(o)(白くまと感光紙)》(2018)は、現地で収集した既製品と日本から持参した精密機器を構成し、環境に遍在する微弱な磁力や重力など目に見えない力で各々のムーヴメントを同期させたライヴ・インスタレーションだ。繊細なディテールが物質それ自体の持つスケールを超えたダイナミズムを生成し、慢性的な物資不足のため古い品々を大切に使い回してきたキューバの生活文化にあらたなコンテクストを投げかけた。

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岩崎貴宏《テクトニック・モデル(寓話のよう)》(2018)※

 岩崎貴宏は《テクトニック・モデル(寓話のよう)》(2018)ほか数点の作品群を島のように床に点在させるインスタレーションを発表。本の栞、衣服やタオルの糸を引き出してタワーやクレーンを構築する精緻な岩崎の作品は、設置場所を問わず、観るものが意識をフォーカスすれば成立し、そこに強く存在する。キューバでも同様に、彼の作品は焦点距離を揺さぶり、周囲の風景をぼやけさせ、現実と歴史の「凝視」と「俯瞰」に翻弄される人間の限界を問うてもいた。

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グレンダ・レオン《Air from Tokyo》(2017)※

 グレンダ・レオンの《Air from Tokyo》(2017)は岩崎と同じ展示室内に設置されていた。小型の扇風機が弱々しく風を送り、小さなモニターが東京の風力計を映し出す。突風が吹けば壊れてしまいそうなフラジャイルでストイックな岩崎の作品を見て、「東京には風が吹かないのかしら?」と未知の土地への好奇心を抱いたことから、「距離」を風力でイメージすることを着想したという。詩的なコンセプチュアルアートで知られるグレンダはキューバを代表する作家の1人。新市街の住宅地にある彼女のスタジオに招かれ、カセットテープやつけまつ毛など身近な素材をもとにミニマルな手法で端正に仕上げられた作品の数々を見せてもらうことができた。いずれも社会に潜む矛盾や人間性の微細な側面を抽出し、アイロニカルな囁きを繰り返し伝えていた。

 レニエール・レイバ・ノボの《Untitled (military and civilians)》(2018)は、世界各地で見られる古着や古布の端切れで編み上げられたラグマットだ。よく見るとカオティックな素材は、カラフルな服や生活用品の布とミリタリーカラーの布とがミックスされ、全体ではカーキ色の勢力が勝っている印象を受ける。キューバの歴史に向き合い、徹底的な調査を行うノボは、歴史上の忘れ去られた出来事や日常のなかの近すぎて見えにくい状況を想像させる作品を制作してきた。

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ホセ・マヌエル・メシアス《From the series Verses and Theorems》 (2009)※※

 ホセ・マヌエル・メシアスの《From the series Verses and Theorems》(2009)もまた身の回りに転がっている小さな物や打ち捨てられた生き物の死骸などのファウンド・オブジェクトを素材としている。ロブスターと刷毛、馬の鐙と鳥の骨、小枝とシガーなどを併置し、現代キューバ的アナロギアとも呼べるような、形状や質感の類似性に注意深い眼差しを注ぐ。さらに各々のオブジェクトに宿る「soul」のあいだにさまざまな距離を見いだすことによって、洗練と進歩の意味を人類学的に考察しようと試みる。
 ホセをはじめとするキューバの作家たちが既製品や廃品を扱うその手つきには、欧米中心の現代美術史でマルセル・デュシャンの系譜に連なる「レディメイド」の概念とは明らかに違う態度がある。それは革命後のキューバ国民にとっての「物(オブジェクト)」は、西側社会のそれのもつ消費社会の象徴とは対極にあるからだ。物資不足が当たり前の日常で、リサイクルが美談でなく生存の手段であるキューバ社会では、「物」それじたいが近過去から近未来に向かう歴史を語り、きわめて繊細な意味を担う「キューバの現実」である。それは、数少ない社会主義国であるキューバに足を踏み入れ、アーティストや芸術関係者のみならず、通訳者や日系人の方など現地の人々との対話から実感したことの1つだった。

 ミヤギフトシは近年の代表作《ロマン派の音楽》(2015)を出展した。沖縄県の離島にルーツを持ち、ニューヨークでの活動を経て、現在東京を拠点とするミヤギは、米軍基地のアメリカ兵と沖縄人ピアニストの双方の視点による、虚実の交錯するいくつかのシークエンスを織り上げた。キューバ出身でNYへ渡り、AIDSで逝去した現代美術作家フェリックス・ゴンザレス=トレスに影響を受けたという彼は、常に「隔たり」を絶望的な「断絶」でなく「可能性」と捉える。ゲイ・コミュニティがもともと積極的に享受してきた"水面下のグローバリズム"ともいえる文化の共有に社会全体の可能性をも見いだすことのできる珠玉の映像インスタレーションだ。

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レアンドロ・フェアル《Life already changed》(2017)※

 レアンドロ・フェアルの《Life already changed》(2017)では、ミヤギの綴る恋物語の50年前、キューバ革命10周年を記念して日本とキューバ唯一の合作で製作された映画『キューバの恋人』(1969年 監督:黒木和雄、主演:津川雅彦)が、ノスタルジックな旧式のブラウン管テレビで流されていた。壁面には、キューバの若者たちの日常を撮影したスナップ風の写真が、革命以前から現代に至るまで、撮影された時代を明記されずに混在している。日本人や欧米人が抱くステレオタイプなキューバのイメージが、社会主義革命から規制緩和政策にともない変動する背景と重なり合い、やがて過去・現在・未来は1つの青春群像となって観るものの記憶を更新していく。

 レアンドロと対面で、田代一倫の《第三の接触―東京》(2018)が展示されている。2011年の東日本大震災後、東北地方に通い続けて1200人以上の人々を撮影したシリーズに連なる、東京で出会った人々を撮影した作品だ。ありふれた住宅地や商店街の路上、人物たちはなぜか照れも笑いもせず、強い目つきでカメラを見据える。見知らぬ他人にカメラを向けること。見知らぬ他人からカメラを向けられること。スマホによってリテラシーを問わず万人がその両側に立つ現代、両者の視線は東京という都市の殺伐としたストレスを押し殺しながら、静かに拮抗していた。(慣れ親しんだこの緊張感はハバナ滞在中に一度も感じなかったものだ)

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高嶺格《歓迎されざる者》(2018)※

 高嶺格の《歓迎されざる者》(2018)では、ブルーシートの海原に円いシーリングライトの月が浮かぶ空間に、たよりなげに小舟が漂う映像がくっきりと映しだされる。高嶺は現地キュレーターとの対話を通して、革命前後キューバからアメリカへ手製の簡素な船で渡ろうとして亡くなった数十万人もの人々がいることを知った。ちょうど昨年、日本海側の浜辺で北朝鮮から漂着した木造船が発見された事件から創作した同名作とキューバ固有の歴史とのあいだに「難破船」という共通項を見いだした彼は、本作をキューバと日本という2つの島国と大陸、そして大国アメリカとの「距離」をめぐる作品に再構成した。最後に置かれた本の表紙は会場の外からも中からも(手鏡ごしに)見ることができ、観客がそのタイトルと著者名を見たとき明らかに顔色が変わるのがわかったという。それは表紙に使った本が発禁になったVirgilio Pinera(ビルヒリオ・ピニェーラ)の伝説の詩集『La isla en peso』(注) だったからである。

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持田敦子《Further you go, you may fall or you may learn》(2018)※

 唯一の屋外作品が、持田敦子の《Further you go, you may fall or you may learn》(2018)だ。持田は、既存の建物のプライベートとパブリックの境界に、壁面や階段など仮設の構造物を設置し、その異物感によって空間の持つ意味や質に揺さぶりをかけてきた。会場の裏庭に金属パイプを組んだ螺旋階段が唐突に挿入された光景は、半ば忘れられた空き地をちょっぴりナンセンスでスペクタクルな異空間へと変質させ、不安定なバランスをつくりだした。

「日本側のキュレーターチームが現地でのリサーチを経て提示した〈距離〉というコンセプトを受けて、キューバ側のキュレーターとアーティストが個々に異なる考え方や立場を表明できたことは画期的です。キューバの社会や文化に対する既存のイメージを打ち破ることを目指しました」とインディペンデントキュレーターのアべルは語る。一方でウィフレド・ラム現代美術センターのキュレーター、ブランカはこう語った。「両国ともに若いメンバーが集まり、芸術的・社会的な違いを互いに理解しあえたからこそ、多様な素材を工夫して手に入れ、作品をつくりあげることができたんです。交流展というと簡単に聞こえますが、本展のプロセスはときに難儀なものでした」
 彼女の言う具体的なプロセスとは主に「素材集め」と「連絡」に関わることだ。キューバではネット環境は政府機関にコントロールされており、通信環境は、日本でいうと1990年代頃の状況に近い。公共のWi-Fiはホテルのロビー、公園、一部の施設にしかないので、Wi-Fiカードを一時間単位で購入するほかなく(ルーターは国内持込禁制品)、検閲も考慮しなければならない。特に画像など大容量データの送受信には困難を極めたという。「でも今はまだまし。美術館にWi-Fiが導入される前は深夜の公園で仕事することもあったんです」と笑うが、さすがにフラストレーションを隠せない様子だった。
 日本のアートファンにとってなじみ深い日本人作家の異文化へのアプローチ、そしてキューバの最もイキのいい作家たちの歴史観や問題意識に触れた本展。想像以上に素材選びが困難な状況で、多様性に富む洗練されたクリエイションを実現した両国の作家たちとキュレーターチームの機智とセンスに驚かされた。同時になぜいまキューバが世界の注目を集めるのか、その理由も納得できる。芸術はもちろん、わずかだが垣間みたキューバの社会と生活文化は、戦後の西側世界の明暗を見てきたからこその"大人の"カルチャーショックをもたらした。それはキューバと日本の体制の違いと「距離」に密接に関わるテーマであり、帰国後いまも考え続けている、人間にとって不可欠な「平穏」の本質である。

(注)
ビルヒリオ・ピニェーラ(1912-1979)は現代キューバを代表する作家(詩人)のひとり。キューバ革命政権下で、彼の言動は反革命的とみなされ、同性愛者でもあることから逮捕され、『La isla en peso』(初版1943年発行)も発禁となった。

作品撮影:※ Luis Joa / ※※ Maité Fernández Barroso

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撮影:片山真理 Mari Katayama

住吉 智恵 Chie Sumiyoshi
アートプロデューサー、ライター。慶応義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代より美術ジャーナリストとして活動。2003〜2015年オルタナティブスペースTRAUMARIS主宰。現在各所で現代美術展とパフォーミングアーツを企画。2018年カルチャーレビューサイトRealTokyoを復刊、ディレクターを務める。

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