国際交流基金は2017年より日中国交正常化45周年を記念して、東京国際映画祭事務局のユニジャパン、上海国際映画祭事務局の上海国際影視節中心と共同で、映画を通じた日中交流事業を展開。2017年5月に広州にて「第1回日本映画広州上映ウイーク」を開催したほか、12月に上海、深セン、昆明にて「日本映画新作展」を実施し各都市で9本の新作を上映しました。
さらに日本でも、3月8日より東京を皮切りに、大阪、名古屋で中国映画の最新作10本(大阪、名古屋は9本)を上映する中国映画祭「電影2018」を開催。会場には中国から監督、俳優が駆けつけ、舞台挨拶やトークを行い、約3000人の来場者にとって作品に込めた製作者の思いや製作現場の生の話が聞ける絶好の機会となりました。同交流事業は、日中友好条約締結40周年にあたる2018年も、さらなる交流を目指して続けられます。
「電影2018」で来日した5名の中国人ゲストのうち、『無言の激昂』を監督し、前作の長編デビュー作『心迷宮』が世界で高く評価されているシン・ユークン監督、『シティ・オブ・ロック』で主演・監督、『奇門遁甲(きもんとんこう)』で主演を務め、俳優やお笑い芸人、テレビ番組司会者としても多才な活躍をみせるダーポン監督のお二人に、自作についてはもちろん、日本映画への思い、日中間の映画交流について伺いました。
「電影2018」東京オープニングセレモニーにて
左から、『シティ・オブ・ロック』ダーポン監督、『無言の激昂』シン・ユークン監督、オン・スーチュンプロデューサー
強烈なインパクトを残した新鋭
シン・ユークン監督
―2014年に中国で公開された『心迷宮』は河南省の小さな村で、一つの死体をめぐり住民の思惑が交差するクライム・サスペンスですが、過去に遡りそれぞれの物語が進行するパズルのような構成が見事でした。これが監督デビュー作とは、中国映画界の層の厚さを感じます。
「私の場合、映画監督になりたい夢は小さい頃からあったんですが挫折ばかりで(笑)。監督になるのは難しいから、もう一つの選択肢として撮影や編集で映画の世界に入りたいと思ったんですが、それさえも難しい状況でした。その後、テレビ関係の仕事に携わりながらも夢を捨てきれず、北京電影学院を受けるも2年連続で落ちてしまう始末。なんとか研修という形で1年間ほど撮影科に入り、技術や理論を学ぶことができました。その時に知り合ったカメラマンが『心迷宮』の撮影監督で、彼にとっても本作がデビュー作。20代後半の私にとってはそろそろ生活も安定させなければというプレッシャーもあり、夢を実現する最後のチャンスだと思って取り組んで書いた作品でした。絶対やれるという思いはずっと持ち続けていましたが、本当に諦めないでよかった。今思えば、カメラマンに採用されなかったことはありがたかったです(笑)」
―今回上映された第2作『無言の激昂』は監督ご自身が育った中国北部、内モンゴル自治区を舞台に、ある事故で喋ることができなくなった鉱山労働者のチャン・バオミンが行方不明になった息子を捜し回るうち、違法採掘などさまざまな社会問題が見えてくる物語ですが、そこにサスペンス・スリラー要素が入ってくるのは前作にも共通するところですね。そのテーマ選びへのこだわりは?
「デビュー作から自分のスタイルとして、社会問題、特に人間の複雑性を描きたいと思っています。そこを描いてこそ、見る人の共感を得られるのではと。これまで自分が映画を観てきて、どんな物語だったから、あるいはどういう語り口だったから感動したのかを考えると、映画館から出てもなお自分の中に残り続けるものがテーマだと思います。テーマこそが、映画とは無関係な人生のいろんな場面で生きてくると考えました。それは私が大好きな黒澤明監督作品を見ればよくわかることで、人間は極端な悪人も善人もいないと思うんです。黒白はっきりしないグレーゾーンにいる人間像をどう描くか。映画を見た後、観客が何かしらの答えや可能性を考えるようになり、見る前に気付かなかったことを気付かせる作品にしていきたいですね」
―黒澤監督に影響を受けられたのですね。
「黒澤作品はほとんど見ていますが、強烈な印象がある初期の作品から晩年まで豊かな創造力で撮られていることに驚きます。それは衝撃を受けるくらいの作り方。古典的なスタイルですが、深みがある。その創作に対する思いとパワーに物凄く影響を受けました。『無言の激昂』も構図やストーリー展開、さまざまなディテールに、影響を受けたものが出ていると思います」
社会問題、特に人間の複雑性を描くことを自身のスタイルとしていると語るシン監督。
―この映画祭で中国では日本映画、日本では中国映画と、それぞれの新作を上映しています。このように映画を通じてお互いの国や文化を理解し交流を深めることについて、映画ならではの効果はあると思いますか。
「とても素晴らしいことだと思います。近年の中国は変化が大きく、どんどん新しいものが出てきています。映画界も例外ではなく、新鋭監督が今までの中国映画とはスタイルも内容も大きく違った作品を意欲的に発表している。そんな作品を見ていただくことは、これまでとは違う"今"の中国の姿を見ていただくことにもなる。映画はその国に生きている人々の生活を生き生きと映し出し、違う国の人の心にもストレートに入っていくことができる媒体だと捉えているので、この映画祭で新作を10本ずつ集中して上映するのは非常にいい機会だと思います。映画を通して感動を受け、それによって日中両国の人々の理解が進んでいくといいですね」
―監督はこの映画祭で初来日されましたが、どんなことを期待していますか。
「日本の観客がどんなふうに映画を見てくれるかが楽しみですし、トークの反応にも期待しています。これが今回の映画祭に参加させていただいた理由の一つ。もう一つは日本の映画界の方々とぜひ交流したい。理論面や技術面などいろんなことをお互いに話しができるとうれしいです。時間があれば日本映画の撮影現場にも行ってみたい。今一番興味があるのはスタジオジブリの制作現場です。宮崎駿監督を追ったドキュメンタリーも拝見しましたが、中国のアニメ製作者と全く雰囲気が違う。ひたすら籠って描き続けている姿が本当に素晴らしいと思いました。中国映画の市場規模は拡大しましたが、さまざまな面で国外の映画界に学ぶ点が多いと思います。ぜひ日本の映画製作現場やオフィスに伺って、いろいろな勉強をしたいですね」
―日本の観客もシン監督のような新たな才能に驚き、喜んでくれたと思います。次回作についての構想が決まっていればお聞かせください。
「『無言の激昂』の編集作業が終わったあたりから次回作について考えていますが、具体的に考えているのはSFっぽい作品。ハイテクが進んでいくと同時に、人間の心は空虚になっていくのではないかというあたりを撮りたいですね。ストーリーはまだ固まっていませんが、創造力を十分発揮できる作品を作りたいと思います」
映画祭を通して日中両国の人々の理解が進むことを期待するシン監督。
マルチな才能を惜しみなく発揮するエンターテイナー
ダーポン監督
―テレビ番組司会者、お笑い芸人、歌手、俳優と幅広く活躍されていますが、そもそも映画監督になられたきっかけは何でしょう?
「私は昔から映画が大好きで。ただ、好きだからと言って映画監督になれるわけではありません。監督になるのは私にとって、とても神聖なことでした。きっかけは役者として2012年にインターネットドラマに出演したことから。当時、急速にインターネットが普及し始めた中国で、この作品は大きな反響を呼び大ヒット。あまりに影響力が大きかったので製作会社が映画化することにしたのです。そのドラマも実は私が監督でしたので、映画も私がそのまま監督を務めるのが一番適当じゃないかと。どちらかというと受け身で、正直、あこがれの映画監督になる準備は何もできていませんでした」
―それが2015年に中国で公開された『煎餅侠』ですね。監督デビュー作にしてこれほどの大ヒットは凄いと思います。
「中国には"理由があって結果がある"という言葉がありますが、この映画がヒットしたのは決して自分の監督としての能力が評価されたわけではなく、元になったドラマが良かったからなんです。個人的にはまだまだ未熟で、もっと進歩しなければと思っていました。その後、私はフォン・シャオガン、ツイ・ハーク、ウォン・カーウァイといった国際的にも有名な監督の作品に出演し一緒に仕事をすることで、映画の手法とか監督としての映画に対するスタンスを学びました。そしてようやく2017年『シティ・オブ・ロック』を撮ることになったのです」
―同作はロックが盛んな町、集安(ジーアン)のランドマークが取り壊される事態を阻止すべく、一人の青年がロックバンドを作って街を盛り上げようと奮闘する、歌ありアクションありドラマありの見どころ満載のコメディー。この題材で映画を撮ろうと思った理由は何ですか。
「この題材を選んだ時は正直、プロデューサーを含め関係者はリスクが高いと言っていました。なぜならこれまで音楽をテーマにして成功した作品がなかったから。ただ監督として、観客の皆さんが私に何を期待しているのか、あるいは市場の好みや製作の枠組みなどパターンが決まっているものを一生懸命考えてもしょうがないと、むしろ自分自身が何を表現したいかを考えた。生まれも育ちも受けた教育も違う監督がいて、いろんな映画が作られるからこそ百花繚乱となり、映画が楽しくなるのではないかと。舞台となった街は私が生まれ育った故郷。物語はもちろんフィクションですが、彼らの気持ち、感情はまさしく私が撮りたかったものです。自分自身の経験を映画を通して表現したかった。しかも映画になると残る。皆で映像と音楽が楽しめるものを作りたかったのです」
―まさにダーポン監督にしか撮れない作品ですね。
「同じテーマで違う監督が、違う角度から違う成長の経験を語ることもできると思います。だから決して私しかできない作品とは言いませんが、我々クリエーターが自分の撮りたい映画を探し出し、撮る方法はとても大事だと思います。今の時点で私はこの作品の出来栄えにとても満足しています。将来的にはもっと勉強し、もっと良い作品を撮りたいですね」
『シティ・オブ・ロック』では映画を通して自分自身の経験を表現したかったと語るダーポン監督。
―映画作りで一番重点を置かれているのは何でしょう?
「やっぱり観客の皆さんが映画を見た後何を考え、何を感じたか。つまり監督は観客とのインタラクティブな対話が凄く重要だと思います。だから今回の『電影2018』では、日本の観客の皆さんからどういうフィードバックがあるか、直接話を聞きたい。それは自分をより良くするための精神的な糧、自信が持てる力になるものだと思います。と同時に、ここはもっと直すべきところ、進歩しなければならないところを見つける絶好のチャンス。今回のように、新鋭監督作品を日本で上映してくれることは映画人にとっても観客にとってもうれしいことだと思います。私自身そこに関わっていることが誇りです。こういった文化交流から互いの違うところ、特徴などを知ることができ、お互いのレベルを高められる。ファンにとっても映画人にとっても素晴らしいことだと思います」
―今回、初来日だとお聞きしました。
「たった36時間の短い滞在で凄く残念ですが、私は地理的にも中国と日本は近いし、似ているところも多いと思っていました。特に小さい時から日本の漫画やアニメが大好きで、その中で描かれる世界観、物語に物凄く引き付けられ、親しみを感じています。昨日も『電影2018』会場近くの森美術館に『週刊少年ジャンプ展』のポスターが貼ってあり、思わず見入ってしまいました。その登場人物、物語すべてを知っています。この展覧会期間中、仕事の合間を見てもう一度日本に来たいと思います(笑)」
ダーポン監督は、映画祭で日本の観客から直接フィードバックを聞けることを楽しみにしている。
―特に影響を受けた作品はありますか。
「たくさんありますが、今でいえば『SLAM DUNK』ですね。この漫画を読んでバスケットボールをやるようになりました。いつか、スポーツと関係のあるテーマを取り上げ映画にしたいなと考えています。あと『ドラゴンボール』『シティーハンター』もよく見ましたね。
これまでの私の出演作、監督作はいずれも楽しく、皆を笑わせたり温かい気持ちにさせるコメディーなので意外に思われるかも知れませんが、日本映画では『バトル・ロワイアル』に影響を受けました。主演のビートたけしさんは役者もやるけど、映画監督としても世界的に有名な方。司会もやるし、コメディアンでもある。私もそうです。大先輩としてとにかく憧れていて、彼の出演作と監督作は全部見ています。彼を見ると、いろんなことを勉強しなければいけないなと思います。
次の機会にはぜひ一般の方々と触れ合いたい。自分がクリエーターとして取り組んでいる作品の多くの登場人物はみな庶民、目立たたない人物です。でも今の世の中を作っているのは彼らであり、その力は物凄いと思うんです。時間があれば街角に行き、大道芸人や、まだ成長過程にあるクリエーターやアーティストがやっていることを見たいし知りたい。この監督がいるからこういう作品が生まれたというわけではないんですね。目立たたない庶民がいるから映画が生まれる。もちろん、いろんな監督、映画関係者の皆さんにお会いしたいし、協力もしたい。たとえば一緒に映画も撮りたい。その作品が日中両国の皆さんに受け入れてもらえれば、これ以上にうれしいことはないですね」
インタビュー・構成:岡﨑優子、インタビュー撮影:桧原勇太
シン・ユークン(忻鈺坤)
1984年生まれ。2014年に『心迷宮』で長編監督デビュー。同作により第71回ヴェネツィア国際映画祭イタリア批評家賞最優秀新人監督賞ほか、第30回ポーランドワルシャワ国際映画祭コンペティション部門最優秀作品賞など海外で高評価を受ける。
ダーポン(大鵬)
1982年生まれ。テレビ番組司会者、お笑い芸人、歌手、俳優など幅広く活躍。長編監督デビュー作となった『煎餅侠』(2015年公開)は興行収入10億元(170億円)を記録。第18回上海国際映画祭映画チャンネル部門最優秀新人監督賞、最優秀新人男優賞を受賞。