DARTHREIDER a.k.a. Rei Wordup(ラッパー)
ヒップホップファンのみならず、一般にも近年大きなブームとなっている「日本語ラップ」。ヒップホップって?ラップって? そんな疑問にお答えすべく、現役ラッパーとして活躍されているDARTHREIDER(ダースレイダー)氏に、ヒップホップの歴史と現在の日本語ラップブームについてご寄稿いただきました。
THE BASSONSのヴォーカルとして活動するDARTHREIDER氏
フリースタイル・ラップとは
近年、フリースタイル・ラップがかつてない勢いでブームになっている。フリースタイル・ラップというのは即興で行うラップのことを指す。これは僕自身も手伝っている高校生ラップ選手権やフリースタイルダンジョンといったテレビ番組の現場からも確実に伝わるし、日本一を決めるMCバトル大会、KING OF KINGSのレベルの高さからも窺える。ラップは確実に浸透していると思う。
ここで、あえて「ラップ」と表現した。フリースタイル・ラップはそもそもは「ヒップホップ」というカルチャーから登場したアートフォームではあるのだが、近年のブームの背景には、良くも悪くもこの「ヒップホップ」と「ラップ」の暖簾分け、住み分けがある。また別の視点から、「日本語」の新しい使い方としての「ラップ」が確立していく経緯の中で、「ヒップホップ」からの「ラップ」の切り分けが可能になったとも言える。
ヒップホップの誕生と日本での受容
ヒップホップの誕生には諸説あるが、1973年の8月11日、DJクール・ハークが妹の誕生パーティーを開催した日とされている。DJが同じレコードのドラムが効いてる箇所(=客が一番盛り上がって踊る箇所)を交互にかけることで盛り上がりを持続する、というブレイクビーツの発見から始まり、そうしたブレイクビーツがかかる現場で踊るB・ボーイの出現、そしてそんな観客をDJの横でマイクで煽ってたMC、さらにそうした現場に刺激され接近していくストリート・アート、グラフィティー・アーティストたち。ニューヨークはブロンクスの黒人やラティーノ中心のアンダーグラウンドから派生したカルチャーが「形」として世に出るのはシュガーヒル・ギャングの『ラッパーズ・デライト』のヒットで、そこから映画『ワイルド・スタイル』や『ビート・ストリート』の公開、さらにラン・DMCの出現により世界中に広がっていくことになる。日本にも機会ごとに情報やアーティストの来日という形で伝えられてきたが、長らく「借り物」「物真似」という批判を受けてきた。ニューヨークから来たヒップホップ・カルチャーをいかに日本に定着させるか?この葛藤が続くことになる。
ヒップホップは現在進行形の若い文化で日々新しいスタイルが更新される。これを縦軸と考え、本場アメリカ、ニューヨークとの距離感を横軸と考える。日本のヒップホップの歴史はこの縦横の位置関係の模索が続いてきた歴史とも言える。音楽表現、ファッション、スラングに至るまでこの位置関係の中でどう日本にヒップホップを定着させるのか? ラップに限って言えば、本場の、英語のラップとの距離感。英語でやるのか?日本語でやるのか?英語のように聴こえる日本語を目指すのか?いや、そもそもマイノリティーが自分たちの出自を背景にそれを力に変えるのがヒップホップだ、という考えから、日本人は日本語でやるべきだ。そもそも言語構造が異なる英語と日本語において、韻を踏む手法はどうするのか?主語と述語の順番は?こうした議論や考察が意識、無意識を問わずに延々と繰り返されることになる。更には、これを「最新のヒップホップ」のスタイルにどう落とし込むのか?日本のヒップホップの悩みであると共に成長への刺激であり続けた。
SUMMER BOMB2014における鎖GROUPのライブ
「日本語ラップ」の新たな形
フリースタイルとは即興でヒップホップを表現する技術である。日本語ラップのフリースタイルが流行する中で、その即興性を受容する側もまた日本語を解する、という日本社会の特徴がある。駆け足での説明となったが、瞬時に選び出される日本語表現の凄さは、ヒップホップの文脈がなくても理解が出来る。つまり長年続けられてきた葛藤の歴史をポンと脇に置いても成立する形が出来つつある。これは、長年の日本におけるヒップホップの葛藤の歴史の末の到達地点とも言えるし、葛藤の歴史を要しない「別物」とも言える。この先、日本語によるフリースタイル・ラップがどういう形に進むのか?ひとつの岐路を僕たちはいま体験出来ているのかもしれない。