ワシントンDCを魅了した宗達の波

ジェームス・ユーラック
(国立スミソニアン協会 フリーア美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリー
日本美術担当主席学芸員)



国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、国立スミソニアン協会フリーア美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリー(以下、フリーア|サックラー)(米国、ワシントンDC)と共催し、2015年10月24日から2016年1月31日まで、江戸時代初期に活躍した俵屋宗達の作品を中心とする展覧会「宗達:創造の波」を開催しています。本展の共同キュレーターであるジェームス・ユーラック氏に、現地での反響と展覧会の見どころについて寄稿していただきました。

tawaraya_sotatsu01.jpg
「宗達:創造の波(Sōtatsu: Making Waves)」展示会場入口:《松島図屏風》(1620年代後半制作、堺市祥雲寺旧蔵)では、宗達の描く波が与えた衝撃を間近に感じることができます。

過去数十年に渡り、米国内の主要美術館が、特別展等を通して注目してきた日本人芸術家は増加の一途を辿ってきましたが、2015年10月24日には、これまであまり馴染みのなかった宗達という名前が新たに加わることになりました。

「宗達:創造の波」(会場:アーサーM.サックラー・ギャラリー)開幕から七週目を迎えた今(2015年12月中旬)、この「初めて耳にする重要な絵師」は熱心な観衆の心をつかみ、新聞評論記事、広告、ウェブキャスト、看板によって、その名がワシントンと言う一地方に留まらず、全国各地ひいては国外へと広まったことは間違いありません。既に5万人以上がこの展覧会を訪れていますが、2016年1月末までにその数はさらに膨れ上がるでしょう。図録の売上や講演会・討論会への参加者数からは、より深く背景を知りたいという強い意欲がうかがえます。米国で新たに得た宗達のファンは、作品の美を堪能するだけでなく、背後にある様々な情報も得たいと思っていることは明らかです。波のイメージと宗達という名が、クリスマスシーズンを控えた首都ワシントンの文化的土壌と完全に結びつき、根付いたのです。

この展覧会のタイトルは、宗達の最高傑作とされる《松島図屏風》に由来します。この一双屛風には、劇的で見事に模様化された波間に、松が生え岩肌の露出した島が描かれています。米国の実業家で美術蒐集家でもあったチャールズ・ラング・フリーア(1854~1919)が1906年に購入したこの作品には、程なく《Waves at Matsushima》という英語の作品名がつけられました(しかし現在の研究では、実在する松島を描いた作品ではないとされています)。この屏風は、港町として栄えた大阪・堺にある臨済宗祥雲寺へ寄進するため1620年代後半に制作され、20世紀初頭に画商の小林文七(1861~1923)が寺から買い取り、フリーアに売却したものです。フリーアは1905年、雲間で体を躍らせる龍を水墨で描いた、宗達の手による屏風をもう一双購入しました。フリーアは、1600年から1620年に、宗達が師と仰ぎ共に作品を制作した能書家であり陶芸家であった本阿弥光悦(1558~1637)の作品に関心を抱いていたことから、宗達の作品へも情熱を注ぐようになりました。実際、フリーアが所蔵するこの二双の傑作を中心に、展覧会を通じて、波と生命のみなぎる水の力という主題が繰り返されています。

tawaraya_sotatsu02.jpg
俵屋宗達(1600~40年頃活躍)《松島図屏風》1627年頃、6曲1双、フリーア美術館 F1906.231-232

国立スミソニアン協会フリーア|サックラーは、5年ほど前に、国際交流基金から琳派に属する作品を扱った展覧会を共催したいとの申し出を受けました。フリーアが蒐集した琳派作品は逸品揃いであること、フリーアは米国連邦政府への寄贈条件(注1)として作品の貸出や外部からの作品借用を禁じていることをフリーア|サックラーの日本美術の専門家は理解していました。フリーア美術館に隣接し共同運営されているアーサー・M・サックラー・ギャラリーが、1987年に開館したことによって、この厳しい条件も多少緩和され、歴史的意義のある折には、その特別展示室に於いて、フリーア美術館の所蔵品を館外の作品と併せて展示することが可能になりました。このように琳派展開催の準備は整いましたが、検討を重ねていくうちに、フリーア所蔵の二作品を中心に据えることで、琳派の創始者とする後世の見方にとらわれず、宗達を新たな観点から見直す機会となるとの点で、関係者の意見がまとまりました。

この展覧会では俵屋宗達を、絵師、優れた絵画や文書の修復士、見事な書作品に巧みな装飾を施す工芸士、そして1600年前後に京都五条通にあった扇屋の経営者として紹介しています。

本展覧会では、冒頭に《松島図屏風》を展示した後、師の本阿弥光悦(1558~1637)の共同制作者であり、中国・朝鮮絵画の技法を巧みに作品へ取り入れた好奇心旺盛な絵師が、政局が未だ不安定な京都にあって朝廷への出入りが許され庇護を受けるに至る、変遷していく宗達の様を次々と紹介していきます。

第二展示室以降では、光悦の書へ宗達が大胆に或いは繊細に反復する下絵を描いた作品、平安・鎌倉時代には絵巻に描かれた古典の断片や断章を扇面や料紙へ描く宗達特有の嗜好を示す作品を陳列しています。これらは、既成の固有概念や直接的な表現ではなく、文字にもよらず視覚的な暗示によって古典を認知するという、江戸時代初期に見られた現象を引き起こす一因ともなりました。伝統的な仏教的主題、宮廷文化や日常の風物を水墨で描いた作品もあり、水気の乾ききらないうちに墨を新たに含ませてできる滲みによる偶発的効果を狙った「たらしこみ」と呼ばれる技法を取り上げています。

tawaraya_sotatsu03.jpg
展示室「いにしえの物語(Classics)」:宗達が率いる工房は、伊勢物語や源氏物語などの古典作品から生き生きとした新たなイメージを生みだしました。扇面がイメージを伝える重要な手段になっています。

宗達の生没年は不詳ですが、1640年頃には引退し、彼の工房「俵屋」は宗雪が引き継いだとされます。この頃から俵屋を示す「伊年」印が広く使われ、花や植物を描いたおびただしい数の作品は俵屋の代名詞ともなり、その後50年以上に渡り制作され続けました。多くの外来種を描いた華やかな作品からは、百科事典のように精緻な表現を目指す新たな傾向が見てとれます。これにより宗達を継承する画家たちは、隠喩的な表現から客観的・科学的な捉え方へと、日本人の自然観が変化したことを明らかにしています。

江戸期を締めくくる展示室では、尾形光琳(1658~1716)、酒井抱一(1761~1828)、鈴木其一(1796~1858)、その他無名の画家たちに連綿と引き継がれた波のイメージを、幾多の好例を挙げて紹介しています。後に評価が低下した時期があったものの、宗達が描く力強い波のイメージは影響を及ぼし続け、20世紀初めに再び脚光を浴びました。1913年に東京で展覧会(日本美術協会主催「俵屋宗達記念会」)が開催されると、宗達は古い伝統の中に現代的な表現を見出そうとする新世代の日本画家たちから注目を集めました。最後の展示室では、1913年に開催された宗達展によって想像力を刺激されたと明言する20世紀の日本画家たちが描いた代表作を展示しています。

tawaraya_sotatsu04.jpg
(左)展示室「受け継がれた波(Legacy of Waves)」:宗達の死後、彼が《松島図屏風》で描いた波をヒントにした作品が生まれました。尾形光琳作とされているものは、この系譜の最も重要な例です。
(右)展示室「見直された宗達(Rediscovery)」:多くの日本人画家が、1913年に東京で開かれた宗達展に触発されて、宗達はじめ琳派の特徴である主題、様式、技巧などのアプローチを取り入れました。


tawaraya_sotatsu05.jpg
宗達派、1600年代半ば《雑木林図屏風》、6曲1双、フリーア美術館 F1962.30-31.

日本、欧州、米国の28の所蔵者から借り受けた作品70点以上を紹介するこの展覧会は、日米の学術的な協力関係に新たな基準を打ち立てるものであり、これは全て国際交流基金の働きかけがあって実現したものです。

編集部注記:注1 フリーア美術館は、チャールズ・ラング・フリーアが米国連邦政府に対して所有していた数々の美術品を寄贈するとともに、資金を出資したことを受けて設立された。その際フリーアが付けた条件として、作品の外部貸出や借用をしないというものがあった。

展示会場風景は全て、フリーア|サックラーより提供





tawaraya_sotatsu06.jpg ジェームス・T・ユーラック
国立スミソニアン協会フリーア美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリーの日本美術担当主席学芸員。1995年よりフリーア美術館、アーサー・M・サックラー・ギャラリーに勤務。現職以前はクリーブランド美術館、エール大学美術館、シカゴ美術館で研究員・学芸員を務めた。日本美術に関する幅広いテーマの著作を発表し、多くの展覧会を手がける。古田亮氏(東京藝術大学大学美術館准教授)とともに「宗達:創造の波」の共同キュレーターを担当。2010年、日米の文化交流推進への貢献を称えて旭日小綬章を授与された。




Page top▲