保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、日本・スイス国交樹立150周年を記念し、両国キュレーターによる共同企画「ロジカル・エモーション」展を開催しました。2014年10月にハウス・コンストルクティヴ美術館(スイス、チューリッヒ)で開幕し、その後ポーランド、ドイツへと巡回した本展の共同キュレーターの一人である保坂健二朗氏に展覧会を振り返っていただき、展覧会のコンセプト、巡回展ゆえの難しさ、各地でのプレスの反応についてご寄稿いただきました。
ハウス・コンストルクティヴ美術館(チューリッヒ)での展示風景
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
どのようにしてコンセプトをつくったか
本展のきっかけは、「日本・スイス国交樹立150周年」となる2014年に、スイスで日本の現代美術展を開催しようというものであった。いくつかの美術館を検討した上で、最終的にチューリッヒにあるハウス・コンストルクティヴ美術館に決定した。同館を選んだ理由はいくつかあるが、中でも大事だったのは、日本サイドとの共同キュレーションに興味を持っていること、展示作品の監視体制がしっかりとしていること、教育プログラムが充実していることなどである。
ハウス・コンストルクティヴはちょっと独特な美術館である。運営している組織は、Foundation for Constructivist, Concrete and Conceptual Art。日本語に訳しにくいが、要するに、構築主義的なアートと「コンクリート・アート」とコンセプチュアル・アートをプロモートするための財団であり、そのプロモートをミッションとする美術館として、ハウス・コンストルクティヴは創設されたわけである。
ここで言う「コンクリート・アート」の「コンクリート」は、素材のコンクリートを意味しない。抽象に対する具象を意味するのでもない。あえて訳すならば、「具体化した」「形をもった」というあたりになるだろう。その言葉の誕生は1930年のこと、オランダのアーティストのテオ・ファン・ドゥースブルフ(Theo van Doesburg)が発表した「コンクリート・アート宣言」においてである。そこで述べられていたのは、線と色と平面こそがもっとも具体的(concrete)でありもっともリアルだということ。そしてコンクリート・アートは、観測される現実世界にはいかなる基礎ももたず、どんな象徴的な意味も持たない完璧な抽象を目指したのであった。
そして、その精神を引き継いだのが、マックス・ビル(Max Bill)を筆頭に、リヒャルト・パウル・ローゼ(Richard Paul Lohse)やカミーユ・グレイザー(Camille Graeser)などのスイスのアーティストたちだった。日本の戦後のアートを語る際に「具体」や「もの派」が欠かせないように、「コンクリート・アート」は、20世紀以降のスイスのアートを語ろうとするときに、まずあがってくる概念であり動向なのである。
ハウス・コンストルクティヴの独自性をここまで長々と述べてきたのは、それが本展のコンセプト作成にあたっての「条件」となったからだ。つまり、ハウス・コンストルクティヴのミッションに鑑みて、今回の展覧会で紹介する作品も、徹底的に抽象的であり、構築主義的であり、コンセプチュアルであることが求められたのである。
その条件を聞いた時、これは困ったと思った。「コンクリート・アート」と呼びうる作品だけで日本の現代美術展を企画することは可能だし、ある程度の意義を持つだろうが、そうした展覧会をもって日本のアート・シーンの現在を伝えるということにはやはりならないからだ。
でも、と同時に、これは面白いとも思った。そもそも「日本の現代美術展」を企画するというのは漠然とした行為である。可能性は無限にある。その中からなにを選ぶかと考える際に、この美術館のミッションは十分な手がかりとなるからだ。それにこの条件により、多くの人が「日本」と聞いた時に期待するであろうポップな表現は、最初の段階で排除することができる。特殊性よりも普遍性を重視した企画ができる。
そうして同館館長のサビーネ・シャシュル(Sabine Schaschl)とともに導き出したのが、「ロジカル・エモーション」というコンセプトであった。それは大まかに言えば次のように説明できるだろう。・・・・・・非・言語的なエモーション(情動)は、芸術に限らず、人間の表現行為一般の根源に位置している。そもそも人間は、エモーションを、ひとつの、あるいはいくつかの要素に抽象化し、そこに概念(concept)を与えて、その上で、構築しようとしていく生きものである。この概念や構築方法を検証する作業が深く反省的であり、またきちんと他者の視点を想定してなされている場合に、それを芸術と呼ぶことができる。そうした作業を、そのプロセスの実態に鑑みて「ロジカル・エモーション」と呼ぼう。エモーションがロジカルであるというのはおかしな話ではあるが、それは、芸術的な創作活動の発端にある「情動を抽象化する」という行為が矛盾に満ちていることに対する自覚の現れにほかならない・・・・・・
ロジカル・エモーションというのは、別に、日本の現代美術だけに見られる特性ではない。ただ、私見の限りでは、欧米のアート・シーンにおいては(特に戦後の一時期においては)、ロジカルであることか(コンセプチュアル・アート)、エモーショナルであること(新表現主義)のどちらかの極に軸足を定めた作品が多かったように思う。あるいはそうした作品が高く評価されてきたように思う。それに対して、日本の場合は、榎倉康二に代表されるようにコンセプチュアルになりきらない作品が多かった。あるいは、(こちらは今回の展覧会には含まれなかったが)横尾忠則に代表されるように、新表現主義との同時代性を感じさせつつも、エモーショナルに徹底することはしない作品が多かった。言ってみれば、日本の場合は、エモーショナルな状態からロジカルが生まれ、そこから漏れ落ちるものとして再びエモーショナルなるものが顕在化してくるという往還性を自覚し、その中にたゆたおうとする作品が多いのではないかという認識が、私の中にはあった。それゆえに、ともすれば、明解性を重んじる文化圏にとっては理解しづらいのかもしれず、ならばこの機会に、そのような在り方を命名してみようとも思った。
そうした「ロジカル・エモーション」という在り方が、今、日本以外の文化圏におけるアート作品にも見ることができるのは言うまでもない。たとえばフィッシュリ&ヴァイス。あるいはオラファー・エリアッソン。その意味では、日本の現代美術を紹介しようとする枠組みとしては大きすぎるかもしれず、それゆえにインパクトは薄くなるかもしれないが、しかし同時に、無理にインパクトを求めるあまりにエキゾティシズムに陥るのは避けたかった。むしろ、日本の特性を語るようでいて、その実、(コンクリート・アートのアーティストたちがそれを夢見ていたように)アートの根源的な在り方を語っているような展覧会をつくりたいと考えた。そうしてロジカル・エモーション展は生まれた。
ハウス・コンストルクティヴ美術館(チューリッヒ)の外観
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
「ロジカル・エモーション」展、ハウス・コンストルクティヴ美術館(チューリッヒ)のポスター
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
巡回ゆえの困難
こうやってチューリッヒで生まれた「ロジカル・エモーション」展は、その後クラクフ、そしてハレ(ザーレ)へと巡回することになった。と、さらっと書いたが、すでにコンセプトが確立している展覧会の巡回先を、企画サイドの望む時期で探す作業というのは極めて困難な作業にほかならない。今回、無駄のないスケジュールで巡回させることができたのはほとんど奇跡的であるが、その奇跡を実現させた国際交流基金の担当者達の調整能力に、この場を借りて心からの敬意を表したい。
さて、巡回が決まった三都市は、実に対照的であった。チューリッヒは、言わずと知れた国際的な金融都市だ。クラクフは、ポーランドを代表する古都で、アウシュビッツ(オシフィエンチム)に近いことでも知られる。日本の文化とのつながりも深い。そして旧東独の都市であるハレは、ザクセン・アンハルト州では最大となる人口約23万人を擁する都市で、音楽ファンにはヘンデルの生れ故郷としても知られている。ただ、ベルリンからICEで一時間ほど、ライプツィヒからは鈍行で30分ほどなのに、「一般」にはほとんど知られていない。ちなみにテニスのゲリー・ウェバー・オープンが開催されるハレはノルトライン・ヴェストファーレン州に属する同名の都市のことで、それとの混同を避けるためにザクセン・アンハルト州の方は、近くに流れるザーレ川の名前をとってハレ(ザーレ)と表記することがある。
巡回展の難しさは、作品の配置(インスタレーション)の際に生じる。今回の場合、作家のセレクトや作品の内容や量の決定は、チューリッヒの空間で見せることを前提に行っていた。出品作家のひとりである杉戸洋とは、彼のアトリエのプロポーションが予定している展示室とほぼ同じだったということもあって、実際にアトリエで展示のスタディをしながら出品内容を配置とともに決定していったほどだ。しかし巡回先の空間は、当然のことながら、床面積も、天井の高さも、部屋のデザインのテイストも、全く異なる。だから作品の配置の検討は、相当困難な作業になった。
アトリエでも展示スタディをした、杉戸洋作品のハウス・コンストルクティヴ美術館(チューリッヒ)での展示風景
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Stefan Altenburger
たとえば、榎倉康二は、唯一の故人作家である事実が示すように、本展のコンセプトを象徴する存在として展覧会の導入部に展示することを考えており、実際にチューリッヒではそのようにした。しかしクラクフでは、空間の特性により、また同地のキュレーターの強い希望により、中盤に(ある意味では中核に)展示することとなった。またチューリッヒでは、最後の部屋(であると同時に動線上の折り返し点となる部屋)に展示されていた金氏徹平は、クラクフでは最初の部屋にもってくることになった。
(左)展覧会の導入部に展示された榎倉康二作品(ハウス・コンストルクティヴ美術館、チューリッヒ)
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
(右)展覧会の中盤に展示された <左> 服部一成の作品と <右> 榎倉康二の作品(クラクフ現代美術館)
Courtesy of Museum of Contemporary Art in Krakow MOCAK
Photo © R. Sosin
(左)金氏徹平作品の展示風景(ハウス・コンストルクティヴ美術館、チューリッヒ)
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Stefan Altenburger
(右)金氏徹平作品の展示風景(クラクフ現代美術館)
Courtesy of Museum of Contemporary Art in Krakow MOCAK
Photo © R. Sosin
展覧会とは、たとえそう望まなかったとしても、空間の流れによってひとつのストーリーを生成する。今回のように、元々が明確な章立てを持たない巡回展の場合には、ともすれば、毎回まったく違ったストーリーを生成することになりかねない。が、最終的には、現地のキュレーターとのディスカッションの結果(そしてもちろん個々の作品が素晴らしいこともあって)、それぞれにおいて非常に有効な「語り」を形成できたと自負している。
各地プレスの反応
最後に、本展に対する各地の反応を、プレスに代表させる形でご紹介しよう。
まずはチューリッヒから。ウェブ新聞「Neue Zürcher Zeitung」の2014年10月8日付の記事「頭と心―ロジックとエモーションの間の日本現代美術」において、フィリップ・マイヤーは次のように指摘している。
「特筆すべきことは、日本の現代美術に対する多種多様な理解力である。展示は、いわゆる美術作家によるものだけでなく、建築家、グラフィックデザイナー、漫画家、さらには陶芸家による作品も含まれている。日出づる国における芸術は、西洋におけるそれとは違い、昔から綿密にジャンル同士が区別されるものではなかったのだ。」
企画者サイドとしては、「ロジカル・エモーション」というスタンスが、少なくとも日本ではジャンルを超えて見られることの証明として、建築やグラフィック・デザインや漫画なども含むことにしたのであった。しかし批評側は、その多様性を、「ロジカル・エモーション」の浸透力の証左としてではなくて、日本における「アート」という概念におけるフレームの問題として受け取ったわけだ。これはささやかなようでいて実は根本的な「誤読」であり、今後このような展覧会を企画する際の参考になるのではないか(むろん私はここで「誤読」を批判しているのではなくて、むしろ愉しんでいる)。
青木野枝作品の展示風景(ハウス・コンストルクティヴ美術館、チューリッヒ)
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
草間彌生作品の展示風景(ハウス・コンストルクティヴ美術館、チューリッヒ)
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
もちろん、意図が伝わったと感じられる場合もある。たとえば、クラクフ会場において、Karolina Przybylińskaが『rynek i sztuka』 (アート・アンド・マーケット)というオンライン・マガジンに2015年2月16日付で載せた記事「感情は論理的になりうるか?」には次のように書かれている。
「[今回の展覧会は]西洋の観賞者らの典型的な意識のなかで根づいた伝統美術やポップアートにより主座を奪われた日本現代美術への理解を促す、重要な貢献であると言えるだろう。本展のおかげで、ポーランドの鑑賞者は文化的に離れている日本に近づき、異なった側面から日本を知り、類似点を見つける機会が与えられたのかもしれない。」
企画サイドの意図、つまり相違点よりも類似点を見つける機会を与えること、が受けとめられたと知るのは、やはり嬉しい。
ハレでは、カイ・アグテ氏による中部ドイツ新聞(Mitteldeutsche Zeitung)の2015年6月13日付の記事、「マルチメディアなワンダーランド」に次のような指摘があったのが興味深かった。
「ただ、一つだけ欠けているのは、政治的な観点である。(中略)それ故、フクシマについても、他のグローバルなテーマについてのステートメントもない。それに比べて、中国人作家の艾未未は、数百の古い椅子を積み重ねるインスタレーションで、非常に政治的な主張を行っている。」
服部一成作品の展示風景(ハウス・コンストルクティヴ美術館、チューリッヒ)
Courtesy of Museum Haus Konstruktiv
Photo © Ilja Tschanen
今なお日本の現代美術の展覧会を国外で企画するならば、このような観点からの批評がなされる可能性が高いということの好例であろう。この展覧会の第一会場であるハウス・コンストルクティヴが時事的な問題をテーマとする作品を基本的に対象外としていたために、この展覧会でも含まなかったというのが第一の理由であるのだが、批評サイドはそうした「背景」などほとんど気にしない。そうした条件がほとんど見えなくなる巡回先なら尚更である。艾未未(アイ・ウェイウェイ)が引き合いに出されているが、すべての中国人のアーティストが(あるいはすべてのアジアのアーティストが)、彼のように明確に政治的な観点から制作をしているはずもない。もしそのように見えるとしたら、それは、そう見る人の中に、中国の(あるいはアジアの)アーティストにはそうしたスタンスを期待しているまなざしが前提としてあることを意味する可能性が高い。
個人的には、ロジカルであることとエモーショナルであることの間の往還の可能性を保持し続けることは、十分に「グローバル」なテーマであると考えている。『存在の耐えられない軽さ』に代表されるミラン・クンデラの小説がテーマにしているように、だ(とあえて「ヨーロッパ」の人にわかりやすい事例を挙げておこう)。
忘れられがちなのは、本展がパブリックな美術館で開催されたという点だ。ビエンナーレやトリエンナーレのようなテンポラリーな祭典の形式をとる展覧会であれば、その機会に、政治的な観点を強調したり、今重要となっている「グローバル」な問題をピックアップしたりすることも大事だろうし、実際に相当の有効性を持つだろう。しかし、それと美術館における展覧会とはやはり異なるのである。ハウス・コンストルクティヴはやや極端な例にはなるが、パブリックな美術館はそれぞれ独自のミッションを持っている。そしてそのミッションは、短期的なスパンでは考えられておらず、基本的に持続性を持っている。冗長性(リダンダンシー)があると言い換えてもよい。それゆえ美術館で企画運営される展覧会は、ともすれば文学的とも言えるテーマの方が似つかわしいということになる。
もし、「それではだめなのだ。美術館における展覧会もビエンナーレがそうであるように・・・・・・」と言われてしまうのであれば、それはまさに美術館(における展覧会)の必要性の認識がなされていない(ビエンナーレのような国際展の隆盛の陰になってしまっている)ことを意味しており、それならそれで今回のような展覧会が今まで以上に必要であると、個人的には改めて感じた次第である。
(文中敬称略)
保坂 健二朗(ほさか けんじろう)
1976年茨城県生れ。2000年慶應義塾大学修士課程修了(美学美術史学)。同年より東京国立近代美術館に学芸員として勤務、現在同館主任研究員。同館で企画した近年の主な展覧会に「フランシス・ベーコン展」(2013年)、「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより」(2014年)、高松次郎ミステリーズ(2014年)など。また「Double Vision: Contemporary Art from Japan」(2012年、モスクワ近代美術館他)、「Logical Emotion: Contemporary Art from Japan」(2014年、ハウス・コンストルクティヴ美術館他)など国外での企画も行う。
『すばる』(集英社)、『朝日新聞』、『疾駆』で連載を持ち、2013年には『新建築』の月評(隔月)を務めた。主な著作に『JUN AOKI COMPLETE WORKS 1 1991-2006』(共著、INAX出版、2006年)、『キュレーターになりたい! アートを世に出す表現者』(編著、フィルムアート社、2009年)、『福祉×美術×表現×魂』(監修、3331 Arts Chiyoda、2013年)、『アール・ブリュット アート 日本』(監修、平凡社、2013年)など。弘前大学、東京藝術大学、金沢美術工芸大学、九州大学で非常勤講師も務める。
プロフィール写真撮影:木奥恵三