中谷礼仁(早稲田大学理工学術院建築学科教授、建築史家)
石山友美(映画監督)
日本館コミッショナー・プロジェクトチームの皆さん
ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2014 が好評のうちに幕をおろさんとしていた2014年11月、本展のために制作され、日本館ピロティで上映されていた石山友美監督のドキュメンタリー映画「Inside Architecture - A Challenge to Japanese Society」の上映と、報告トークが行われました。
総合ディレクターのレム・コールハース氏により、各国パビリオン統一テーマ「Absorbing Modernity : 1914-2014(近代化の吸収:1914-2014)」が示された、2014年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展。日本館では、コミッショナーに建築キュレーターの太田佳代子氏を迎え、「In the Real World:現実のはなし~日本建築の倉から~」というテーマのもと、1970年代を中核とした建築資料の資料館のようなスタイルで展示を行っています。この建築の「倉」が、日本館の2階に出現する一方、道行く人に向けてより公に開かれた、1階ピロティで展示期間中に上映されたのが、石山友美監督の映画でした。磯崎新氏やチャールズ・ジェンクス氏ら名だたる建築家7名ほか多くの関係者に、合計18時間にも及ぶインタビュー撮影を敢行し、50分を超える長編ドキュメンタリーを制作した意図は何だったのでしょうか。日本館展覧会プロジェクトチーム・ディレクターで、映画においてもプロデューサーを務めた中谷礼仁氏と石山友美監督のお二人に、制作時のエピソードを交えてこのドキュメンタリー映画について語っていただきました。
(2014年11月19日 国際交流基金2階JFICホール「さくら」での映画特別上映と報告トークより)
なお、本稿で語られている「Inside Architecture -A Challenge to Japanese Society」は再編集され、2015年5月下旬に劇場公開予定です。
1970年代以降のあらゆる建築資料が詰まった「倉」
中谷:はるか遠いヴェネチアで展覧会をやっているものですから、日本の皆さんにもその一端をお見せしたいと思っていたところ、この映画上映をさせていただけることとなり、たいへん光栄です。
展覧会は日本館自体を1970年代以降の建築資料の収蔵物が収容されている「倉」と考え、そのままそこに入ることができるというコンセプトで成立しています。多くの人が1時間近くも滞在してじっくり見てくださり、モノそのものの迫力に、研究者から子どもまで楽しんでいただける展覧会になったと思います。
レム・コールハースが提示した全体のテーマは「近代化の吸収」であり、1914年から2014年の100年間の各国の建築状況を展示せよということでした。日本館では特に、日本近代建築の現代へつながる特色の萌芽が現れた、日本近代建築の70年代以降にフォーカスしています。と同時にそのメイン展示に客観性を与える100年的な展示も行っています。例えば日本近代建築の名作50点の建築図面の原画を青焼きにしてバインドして手に取れるように展示しました。原画をそのまま持って行くことは無理ですので、では、青焼きというものがあるではないかと、廃棄寸前だった青焼き機を見つけて購入し、会場でも刷りました。青焼きも実物的な感触を持っているため好評で、みなさん丹念に眺めたり、写真を撮っていらっしゃいました。
また、現在の日本の建築の豊かさの要因には、建築メディアの豊富さがあげられると思います。廃刊になってしまったものも含め、大媒体から、社報、ガリ版刷りのミニコミ、日本で活躍していたのですが早逝したイギリス出身の建築評論家クリス・フォセット(Chris Fawcett)による未発表の草稿まで、日本の建築メディアの層の厚さを、会場でそのまま手に取れるようにして展示しました。また、1972年に4号だけ発行して廃刊になった『TAU(タウ)』という商店建築社の雑誌はその全容を壁一面に並べて展示しました。ひとつの雑誌にこれだけのレイアウトが詰まっているんだというメディアの豊穣さを表しました。みなさん、言葉はわからなくとも、エディトリアルやレイアウトの力強さに感銘を受けていました。
実物も少数ですが持って行きました。これは象設計集団が埼玉県宮代町につくった進修館で使われている議員用の椅子ですね。建築設計と同時に、建築と同じ構想方法でデザインされた椅子です。これは進修館からそのまま会場に輸送して展示しました。まるで酋長の椅子のようで、みなさん座っていました。
今日はメイン展示以外の部分を特に紹介させていただきましたが、とにかくいろいろなものがありました。
磯崎新
©Tomomi ISHIYAMA
映画は「建築が世界を変えている」と実感できていた頃の記録
中谷:日本の建築は現在、世界から高い評価を獲得しておりますが、映画では70年代からのバブルを経て現在まで、その評価がどのような形で、誰によって醸成され、展開されていったかをドキュメントしています。また、同時に日本国内独自の事象を、どのように整流させて海外の文脈にのせていったか、その国際的な文脈を追っています。出演者は磯崎新さんを中心として中村敏男、伊東豊雄、安藤忠雄、ピーター・アイゼンマン、チャールズ・ジェンクス、レム・コールハースです。
(左)チャールズ・ジェンクス、(右)ピーター・アイゼンマン
©Tomomi ISHIYAMA
レム・コールハース
©Tomomi ISHIYAMA
石山:映画の企画は、中谷さんが「この人達の言葉を記録として残したい」という方を選んで決まっている段階で私に声がかかりました。中谷さんは、やはり歴史家として建築家に話を聞きますので、淡々としたインタビューがずっと続く訳ですが、私はそれを映像にしなければならいというところで、制作途中ではかなりの葛藤があり、中谷さんとはだいぶ意見を交わしました。中谷さんが歴史家としてスター建築家の話を「聞く」というものを撮りたいというよりは、人間と人間がぶつかり合う現場に立ち会いたいと思っていたからです。だから中谷さんをせかして「ちゃんと闘って欲しい、怒られるようなことも聞いて欲しい」と言っていたのですが、そう簡単にはいきませんでした。正直、インタビューをしている段階では私の中に映画をつくる上で「これだ」という核というようなものが出てこず、確証が得られていない状態で全ての撮影日程が終わってしまったのです。しかし、私自身映画を作っていく時には、編集の作業を何より信じています。現場で思ったようにいかなくても、編集の作業のなかで、どれだけ自分が思っていたものに引き寄せることができるかが、この映像を作っていく時に一番のポイントになったと思っています。
映像の編集作業をする中で一番に考えていたのは、皆さんの言葉がいったい誰に向けた言葉であるのかということです。皆さん別々の場所で個々に質問をしているのですが、言葉のキャッチボールがあるような、映像の中で議論したり互いに主張し合うような演出がみられたらいいのではと考えてまとめました。テンポが良いものが好きで、どなたの場面もあまり余韻を残すということをあえてやらなかったので、見ていると忙しいと思います。あまり理解できていないうちに次の場面に移ってしまうこともあるかと思いますが、機会があればぜひ何度か見て欲しいなと思います。私は編集作業の中で何百回とインタビュー映像を見ましたが、彼らが作ってきた建築の素晴らしさや歴史的な意味を知って話を聞くと、一つひとつの言葉がすごく重いなという気がどんどんしてきました。年齢層の高い方が元気よく話している映画なのですが、若い人にぜひ見てもらいたいなと思っています。
中谷:今日、大学で学生達にこの同じ映画を見せてきました。すると、彼らは見終わった後にぽかんとしちゃうんですよね。現在の学生はバブル経済を実感的に知りません。当然70年代も知らない。建築が社会を加速させるほどの力を持ち、その加速が目に見えていた状況がわかってもらえない。これはちょっと困った事だね、我々の喧嘩とか苦労とかはどうしたものかねと、石山さんと話しながらここに来ました(笑)
石山:学生さんはポストモダンとかでも、つまずいてしまう感じなんですね。なかなか自分のこととして受け入れることができない。しかし、この映画の中には単にスター建築家が浮き世とは離れた異次元の世界で話しているということではなく、私たち一人ひとりの問題として観られるようなヒントが随所に隠れています。例えば、現代社会の中で建築をつくっていくことを、映画の中で伊東豊雄さんが「だましだましやらなくちゃいけないこともある」とおっしゃっているのですが、その言葉が本当にそうなのだろうか? だましだましでなくてはできないのか? というようなことを、私はこれから自分達が考えていかなくてはいけないと思っています。どんな見方をするかは人それぞれ自由ですが、そんな風に、特に若い世代の方には自分のこととして見てもらえたらいいなとは思っています。
中谷:今後、日本近代建築の70年代以降から現在までをどう伝えていけばいいのかというのは、非常に重要な問題になってくると思います。我々がやってきた展示内容について、今日ここにいらっしゃる多くの先達たちに、あの時期を知っている方々に率直にお伺いしたいとも思っています。70年代からバブル、そしてその崩壊過程に至るまで特に磯崎新さんの手腕によるものだと思いますが、現実が建築によって動いているイメージがあったように思っていました。ただ、学生の反応をみていると、「建築というのは世界を動かすものなの?」という感じの反応で、学生がその考え方にすぐシンパシーを持って応答していたかというと、そうではありませんでした。むしろ展示内容を試行錯誤したというようなエピソードにリアリティを感じるような人達もいて、そういう意味で、現在の建築界がどのような位置づけにあるのか、好対照だなと感じました。
石山:以前、この映画をある大学で建築家の方に見ていただいたことがあり、「すごく暗い気分になってしまった」と言われたんです。果たして本当にそうだろうかというのを考えていただきたいなと思います。伊東豊雄さんや安藤忠雄さんがキャリアをスタートさせた70年代はすごく厳しい時代で、オイルショック、不況、ゼネコンの台頭で、アトリエ系の建築家達にはほとんどプロジェクトがなかったというときに、彼らは本当に苦労して作品をつくりあげていたんだと思います。それは私にとってとても希望が持てることで、どうやって彼らが社会と対峙していき、現在も活躍を続ける大建築家に成長していったのだろうか。そういう視点で考えれば、決して暗い映画ではないと思っています。
建築の70年代を考えた時、際立つ磯崎新の別格性
中谷:私にとっては、この映画は磯崎新さんについての映画です。ある建築雑誌でヴェネチア・ビエンナーレ特集をやってくださいまして、その特集の座談会の中で、「70年代以降をやるのに、磯崎さん不在ではないか」という指摘があったんですが、この映画があります。といいますか、「映像の中に封印し、他のものと混濁しないようにしないとこの展示のコンセプトは崩れる」と思う程に、磯崎さんの存在のあり方が他の方々と全く違うのではないかと思っていたのです。そういう意味では、日本館の「倉」とピロティという二層構造を上手く利用させていただいたと、自分は解釈しております。
映画につけられていた最初の題名は「ザ・コミッショナーズ」でした。ここでのコミッショナーとは、特に70年代から90年代の建築界を世界的文脈の中で動かしたネットワーク、そして具体的な人物たちです。彼らへのインタビューが最終的には石山さんの手によって、題名と全体の比重が変更されていきました。これは監督の仕事の部分ですので、いっさい口を挟みませんでした。
石山:「ザ・コミッショナーズ」という題名はすごく気に入っていたんです。ですが「ではコミッショナーとは実際のところ誰なのか?」と、今回の日本館コミッショナーの太田さん、中谷さんと話をしている中であまりにも磯崎さん中心になりすぎるのではないかと感じていました。私としては本意ではなかったのですが、中谷さんは磯崎さんの映画だと捉えていて、ご覧になってそう感じる方も多いのではないかとは思うのですが、私は磯崎さんだけが主人公の映画にはしたくなかった。この映画を観て下さった方々の反応はとても多様で、ジェンクスが強烈に印象に残った人もいたし、伊東豊雄さんのことが印象的だったり、わりとどういうふうにも捉えられるものにできたのではないかと私は考えています。
中谷:たとえば、確かにジェンクスさんには初めてお会いしましたが、実に魅力的な方でした。また伊東豊雄さんも、もちろんレム・コールハースもピーター・アイゼンマンもコミッショナーと言えるのですが、磯崎さんの別格性というのは、やはりあると思います。他の登場者は磯崎さんとの距離の中で自分を語ることが多かったことはその表れです。そして、コミッショナーは通常、その企画に対しての明らかな目的を立て、それを様々なメディアを用いて一般に啓蒙していきます。ですが磯崎さんの場合、その企図の行き着くところが深く、ふと私には見えなくなる時がありました。それに関して僕はかなり注意深く聞いていました。その場面は、石山監督のいう「余韻」にあたる部分なので登場しませんが、それを登場させなかったのは監督の見識だなと思いました。石山友美さんに監督を依頼した甲斐があったと思っています。
今日、石山さんに私は磯崎さんに対して「ファザコン」なのではないかと言われました(笑)。特に私の世代が磯崎さんに対してファーザーコンプレックスに陥っていることは、ありうるかもしれません。それを大いに認めた上で、かつ石山さんがそうではない立場で再解釈してくれたことが、より多様な意味を持つ映画になった可能性が高いと考えています。
(編集:友川綾子)
中谷礼仁(なかたに・のりひと)
早稲田大学理工学術院建築学科教授、建築史家。近世大工書研究から始まり、土地形質の継続性と現在への影響の研究(先行形態論)、今和次郎が訪れた民家を再訪し、その変容を記録する活動の主宰をへて、最近では千年続いた村研究(千年村研究)等を行っている。著書に『今和次郎「日本の民家」再訪』(瀝青会名義 平凡社 2012)、『セヴェラルネス+ 事物連鎖と都市・建築・人間』(鹿島出版会 2011)、『国学・明治・建築家』(一季出版 1993)など。2013年日本生活学会今和次郎賞(瀝青会)、日本建築学会著作賞。
石山友美(いしやま・ともみ)
映画監督。東京都出身。日本女子大学家政学部住居学科修了。フルブライト奨学生。ニューヨーク市立大学都市デザイン学科修士課程修了。在米中に映画制作に興味を持つようになり、帰国後は沖島勲監督に師事。沖島監督「怒る西行」(2009)に出演。長編映画第1作目である 「少女と夏の終わり」は第25回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」に出品され話題となった。