ある日の、ある場所で、ある出来事を ----『中国の一日 2014』から見る交流の方法

高橋宏幸(演劇批評家)



 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2014年5月23日から7月31日にわたり、中国・北京で開催された第5回南鑼鼓巷演劇祭(なんらここうえんげきさい)へ日本の舞台芸術関係者を派遣しました。南鑼鼓巷演劇祭は、2010年より毎年北京で開催されている北京最大規模の舞台芸術の国際フェスティバルで、その注目度は年々増しています。
 第5回目となる2014年、国際交流基金は7つのプログラム実施に協力しました。その一つ、佐藤信さんの演劇ワークショップと公演に同行し、蓬蒿(ポンハオ)劇場でレクチャーやアフタートークをされた演劇批評家の高橋宏幸さんに、南鑼鼓巷演劇祭を通しての日中演劇人交流を振り返っていただきました。






 1936年、中国の近代リアリズム作家を代表する茅盾(マオ・ドゥン)は、中国各地のある一日に起こった出来事を収集して、『中国の一日』という本を出版した。それは、ありのままの、ある一日の民衆の光景を写しとるべく、幅広くさまざまな地域や階層の人々に、実際にその日に起こった出来事を書いてもらうという企画だった。だから、指定したその日、1936年5月21日が、特別であったわけではない。とりたててなにもない、代わり映えのしない日。しかし、だからこそ、ありふれた人々の、ありふれた生活を写すことができる、と考えられた。
 北京、蓬蒿(ポンハオ)劇場が毎年開催し、今回で第5回目を数える「南鑼鼓巷演劇祭」に招へいされたプログラムの一つ、佐藤信が演出した『中国の一日 2014』という作品のコンセプトは、それがベースであった。
 この作品は、2週間のワークショップで、単に参加者の成果発表ではなく、一般の観客にも見せる、フェスティバル・プログラムの一つとして作られた。参加者は20人ほど。プロとして活動する演出家、俳優、ダンサーもいるが、学生や一般人など、はじめてワークショップに参加した人もいる。北京が主だが、天津や重慶などから来ている人もいる。さまざまな人が参加するという、コンセプトに合致する状況は作られていたが、参加する者も、作る側も、スケジュールを含めて、条件はかなりハードだった。



蓬蒿(ポンハオ)劇場
chaina_2014_01.jpg chaina_2014_02.jpg chaina_2014_03.jpg  もちろん、そもそも、そのような試みを可能としたのには、いくつもの外在的な要素がある。
 たとえば、この劇場とフェスティバルを取りまく状況。この劇場は、中国ではめずらしく民間で運営されている。基本的に、劇場は政府や政府関係、または団体によって運営されており、民間の劇場はまだまだ稀だ。とくに北京では、今までも民間劇場は運営されたが、できてはつぶれてを繰り返し、なかなか長続きしていない。ただし、そのぶん民間劇場、とくにこの蓬蒿劇場は、自分たちの手で新しいものを生み出そうとする熱意がある。
 実際のところ、運営は大変だ。フェスティバルは、区からのサポートなども受けているが、オーナーである王翔氏は歯科医院を経営するかたわら、多分に私財も投じている。今年は、助成金額が突如減額されたが、規模をそのままに続行した。彼は同時に、劇場のマネージメントを、プロデューサーの梁丹丹氏と頼慧慧氏の二人と行っている(詳しくは「Performing Arts Network Japan「北京の実験劇場 蓬蒿劇場の挑戦」」)。そのような状況のなかで、国際フェスティバルを継続的に開催しているのだ。
 彼へのインタビューは、フェスティバルについて話を聞いていても、ときに「人間の存在とはなにか」など、哲学的な議論になるが、決してユーモアを忘れない。(具体的な話として批判などはしづらいというのもあるかもしれない。実際、パンフレットの王氏のコメントは、書き直しをして刷り直す必要があった。)ただ、いざとなれば家を売ってでもこのフェスティバルを続けて、3年耐えれば風向きも変わるだろうと快活に笑うところなど、楽天的であると同時に、この劇場から新しい未来や価値観を切り開こうとする使命を感じている。だから、劇場規模に比べたら、多彩なプログラムと規模で、フェスティバルを続行しているのだろう。
 もちろん、その背景には各国のサポートもある。フェスティバルは、ヨーロッパ諸国のプログラムも多いが、アジアからでは、特に今年は圧倒的に日本のプログラムが占めていた。作品やワークショップを含めて、佐藤信以外にも平田オリザ長谷川孝治山田うん、飯名尚人、などなど。
 フェスティバルの特徴としては、ワークショップの多さがあるが、それは作品を観ることはもちろんだが、自分たちの知らない新しいことを知りたい、そして自らの手で新しい中国の演劇シーンを作りたい人たちの集う場として、この劇場が機能していることも示している。
 実際、この劇場のカフェで日本の現代演劇についてレクチャーをしたが、数日前の告知にも関わらず、30~40人ほどが詰めかけて立ち見も出た盛況さだった。他の国ではどのような演劇の歴史や作品があって、どのように上演されているのか、貪欲に吸収しようとする姿が聴衆にはあった。
 また、実験演劇のシーンで世界的に活躍している「生活舞蹈工作室」文慧(ウェン・ホイ)と「紙老虎」を主宰するTian Gebingにインタビューをしたが、2人とも、このフェスティバルには足繁く通っていた。2つの劇団は、中国はもちろん、ヨーロッパを含めて国際的な活動をしており、日本のフェスティバルに招へいされたこともある。
 (余談だが、このインタビューからは、彼らの活動が主に中国とヨーロッパが中心であることが窺われた。日本に彼らの活動の詳細が伝わってきたのも、ヨーロッパ経由の側面は強い。ウェン・ホイの活動は、直截日本と繋がるようになってきているが、地理的には近いはずの日本でありながらも、ヨーロッパなど別の国を経由して彼らを知るということに、溝を感じずにはいられなかった。また、彼らは自分たちのアトリエでもある劇場で、フェスティバルを開催している。日本から参加しているものもいるが、日本の舞台芸術の状況を全体的に知った上で、プログラムを組むまでには至っていない。たまたま知っている知人を通じて招へいしたなど、お互いに情報の共有が、まだできあがっていないことを痛感させられた)
 「紙老虎」の演出家のTin氏は、このフェスティバルに参加している若手の演出家の作品を、ドイツの劇場とともに共同制作している。彼が作ったヨーロッパの劇場ネットワークを、若い世代の演出の場、もしくは学ぶために提供しているのだ。
 だから、この劇場は、若い世代を中心にしているといっても、新しい演劇シーンを作るために、世代を超えた交流がある。今回の日本のプラグラムは、そのような若い人たちだけでなく、全体的に新しい動向そのものが生まれるような場所と交流することができた意義がある。


佐藤信ワークショップ・公演の様子 (撮影 孫志誠) chaina_2014_04.jpg chaina_2014_05.jpg chaina_2014_06.jpg
佐藤信 ワークショップ・公演アフタートーク(撮影 孫志誠)
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佐藤信 ワークショップに参加した皆さん(撮影 孫志誠)
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佐藤信ワークショップ公演中の蓬蒿劇場客席(撮影 孫志誠)



 その象徴的なプログラムの一つが、この『中国の一日 2014』であったといっていい。いわば、単に上演するだけではない、ワークショップを体験するだけではない、二つを兼ねている。ワークショップでは、まず時間をこえた同じ日、2014年5月21日に見たことや感じたことを参加者たちは持ち寄った。そこからワークショップは始まった、と書いてしまうと、すでに完成されたイメージを演出家がもっていて、それに向かって作品が作られたように見えるが、実際はまったく違った。
 むしろ、演出家の佐藤信が与えた指示を、参加者が単にこなして作品ができあがらないように、直截関係なさそうなことをやらせたり、あえて試行錯誤の時間を与えて、参加者同士のコミュニケーションと創造性をうながした。
 また、この作品は、演出家としてワークショップに参加した若手の2人、孫暁星と何雨繁も作品の一部を演出している。佐藤信は全体のフレームを作り、細かいそれぞれの部分は、中国の若手演出家の2人、さらに細かいシーンは、参加者たちの手によって作られた。だから、上演の2、3日前まで、作品としての完成した姿はまったく見えてこなかった。参加者は、それぞれ自分の出演するパートのエチュードや演技をこなすことに手一杯で、全体の構図を考える余裕は、もはやなかった。それぐらい慌ただしかったが、おそらく、それはほかのことに目がむかないように設(しつら)えられた演出家の狙いでもあった。
 むろん、それでも問題なくスムーズにワークショップが進んだというほど、共同作業は簡単なものでもない。それぞれの考えの違いはあり、国や地域の特色なのかはわからないが、日本のワークショップと比較すると、少なくとも直截はっきりと意見を言う参加者が多かった。だから、一つの作品としてまとめなくてはいけない演出家とのあいだには、すれ違いはどうしても出てきてしまう。
 その際、佐藤信の解決方法は、とにかく話し合った。稽古時間は毎日オーバーしていたが、さらに全体で話し合うこともあれば、各個人にインタビューをしたり、昼食をともにしたり、稽古場での休憩時間、蓬蒿劇場のカフェなど、参加者たちがたむろする空間を見つけては、他愛ない話であっても、とにかく話をした。映像として参加した飯名尚人も、通訳の延江アキコも同様だ。日本側のスタッフと中国の多くの参加者が、とにかく共有する時間を互いに持とうとしていた。  中国のSNSである「微信」(We Chat)に、ワークショップメンバーのグループが作られて、他愛もない話ではあるが、舞台作品の情報やオーディションの情報など、メッセージ交換するのもそのひとつだ。FacebookやLine、Googleなどが使えなかったりする中国では、このWe Chatが最も安定した情報交換のツールになる。(上演が終わった後も、日本のスタッフを含めて、みなのやりとりは継続している)
 そこから導き出された作品は、大きなストーリーはないが、ある一日の雑多な喧噪の街角の出来事を描くシーンが集まって作られていた。朗読が行われるシーンもあれば、歌を歌うシーンもある。マイムやダンスのようなシーンもある。それは、街のなかの雑踏を行き交う人々のように、1936年から2014年まで空間が流れて、はかない幻想的な時間があらわれていた。それは、普通の人々の姿は、時間や空間をこえて、どこにいても変わらないということを示していた。いわば、政治や社会は変わり、そこに翻弄されたとしても、変わらないものとして、民衆はいるということだ。
 その作品の出来については、批評的に述べるよりも、アフタートークの盛況さを伝えたい。日本の演劇作品が終わった後に催されるアフタートークとは違って、この劇場の観客は、率直に自分たちの感想や、作品について分からないことを質問した。少なくとも分かりやすいストーリーのある作品でない分、このような作品のタイプを区分けしたかったのだろうし、実際に舞台に参加した人たちの意見も聞きたかったのだろう。参加者の体験から、演出家の思惑、批評家はどのように見るか、質問が途切れないアフタートークがあった。そして、そのような盛況なアフタートークが、毎日の公演後にあった。それが、この作品の成果を物語っているのではないか。


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山田うん ワークショップと公演
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山田うん 観客と一緒にダンス
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平田オリザ ワークショップ



【関連事業】
2014年9月5日(金曜日)に開催します。
「中国現代演劇報告会 ‐日中舞台芸術交流の現在・これから‐」




chaina_2014_12.jpg 高橋宏幸(たかはし・ひろゆき)
1978年生まれ。演劇批評家。『テアトロ』、『図書新聞』などで演劇批評を連載。評論に「プレ・アンダーグラウンド演劇と60年安保」(批評研究)、「マイノリティの歪な位置―つかこうへい」(文藝別冊)、「原爆演劇と原発演劇」、「 00年代の演劇空間」(述)など多数。日本女子大学、桐朋学園芸術短期大学などで非常勤講師。2013年度は、Asian Cultural Council フェローを得て、ニューヨーク大学客員研究員。『シアターアーツ』35-42号の編集代表を務めた。




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