フランス・リベラシオン紙の美術記者、ヨコハマトリエンナーレを見る

リベラシオン紙美術記者・批評家
ヴァンサン・ノス(Vincent Noce)

yokohama06.jpg  その日横浜は雨だった。屋根を打つ雨音がクリスチャン・マークレーの幻惑的な映像作品《The Clock》に新たな表情を与えていた。港や公園や海や博物館が昔の姿をとどめる(なんとラーメンの博物館まである)魅力あふれる美しい街。これもまた、横浜の魅惑のひとつである。パリからやって来た美術評論家は、8月半ばの横浜で何を見るのか?


 8月初め、現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2011」が開幕した。現在、世界中で数百のアートフェアやビエンナーレ、トリエンナーレが開催されている。そして、これから開催を求める自治体や団体は、おそらく500を超えるだろう。しかしその要望は必ずしも実現されない。むしろその逆である。
 アジアにも地域レベルのイベントはあるが、近年の経済的・社会的混乱と相まって、ヨーロッパの革新的な作品を紹介する場所はまだ十分ではない。だが、横浜は東日本大震災が発生した3月11日からわずかな時間で厳しい状況を打開し、希望のメッセージを鳴り響かせた。運営面の質の高さ、受入れ態勢の良さ、インフラの利便性、芸術の自由などを備えたヨコハマトリエンナーレは、ヨーロッパのアーティストや関係者に十分に門戸を開けば、アジアの一大イベントになりうることを証明した。
 正直に言って、上海のフェアでは、こうした条件はほとんど無かったといわざるを得ない。シンガポールでも、運営には問題が無かったものの、ヌード作品の展示や、薬物問題を題材にすることが禁止されると、乗り越えられない問題が生じた。魚が水を求めるように、芸術は自由を求める。


 リベラシオンのような新聞がわざわざ遠方からヨコハマトリエンナーレに言及することもまた、連帯の意思を表するためである。今回の開催が簡単でなかったのは、誰の目から見ても明らかで、中止されたとしても不思議はなかっただろう。開催にこぎつけたのは開催都市と関係機関の熱意の賜物である。横浜を訪れる観光客は減少したが、トリエンナーレの観客数に大きな影響はないと聞いて、私は安堵した。それでも展示作品の数は減らさざるを得なかったが、トリエンナーレのアーティスティック・ディレクター三木あき子の起用が功を奏し、招待参加を辞退するアーティストは一人も現れなかった。作品の選択も見事だった。
 大震災の影響で作品輸送や保険のロジスティクスが困難さを増すなかで、大規模なイベントを組織するのは、軍備を調達するに等しい大仕事である。著名なアーティストの作品が普段どこでどうしているのか観客は知らない。協賛者を集め、作品を借り出し、あるいはカタログに掲載するためには、弁護士や広報担当を通じてガゴシアンホワイトキューブに代表される大手画廊のテクノクラートと何日も交渉を重ねなければならない(市場システムにおいては何もかもが自由というわけではない)。


 24時間連続して観客を映像の世界に浸らせる《The Clock》は、ロンドン、ニューヨーク、モスクワ(パリでは未公開)でセンセーションを巻き起こし、ヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞した秀逸な作品である。日本贔屓であるクリスチャン・マークレーは、トリエンナーレ初日に来日までした。彼は、現代における時間の支配力を追及したこの作品に、日本の観客がどのような反応を示すのか大変興味を持っているのだろう。
また、シガリット・ランダウの塩ランプの作品を鑑賞できたことは大きな喜びであった。ランダウは、死海に塩の橋を架けてイスラエルとパレスチナを結ぶことを夢見ている空想的アーティストであり、ヴェネチア・ビエンナーレでは彼女のパビリオンが最も意欲的であった。トビアス・レーベルガーの光のアート《Anderer》は、連帯の絆が結ばれたり切断されたりする様子を連想させる。

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クリスチャン・マークレー
The Clock 2010
(c)The artist, Courtesy of White Cube


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シガリット・ランダウ
DeadSee 2005

(c)Sigalit Landau
Courtesy of the artist and kamel mennour, Paris


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トビアス・レーベルガー
Anderer 2002
Installation view: Geläut - bis ichs hör..., Museum für Neue Kunst, ZKM, Karlsruhe 2002
(c)tobias rehberger, 2002
Courtesy of neugerriemschneider, Berlin
Photo by Wolfgang Günzel



1997年に亡くなったジェイムス・リー・バイヤースの哀悼詩、ライアン・ガンダーの水晶球、ダニエル・デワールとグレゴリー・ジッケルの地上に乗り上げたカバ、ピーター・コフィンのユーモラスな果実が登場するビデオ作品を順々に見て回り、心が躍った。横浜には芸術の神が宿っているからなのか、幸運にもほとんど無名の作品や新たな才能に出会うこともできた。難解でいつもは私の心に届かない、マン・レイ、ルネ・マグリット、マックス・エルンストらシュルレアリスム作品にも、今回は微妙に心を動かされた。

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 ヨコハマトリエンナーレが、遠来の訪問者がほとんど知らない日本人作家の展示を強調したのも正しい判断である。私たちには時間がない。多くのコレクターや美術愛好家と同様に、美術評論家は数十点、数百点もの作品に数時間で出会う(まさに《The Clock》でクリスチャン・マークレーが指摘した時間の支配力が思い起こされる)。まして何の手掛かりもない異国でカルチャーショックを受けながら作品を発掘する作業はさらに難しい。私は、作品の背景や意図を知らないことを悔やむ。欧米人の観客が知っておくべき文化的背景や基準を知らないままアーティストたちと、その作品に出会ってしまったことを謝罪しなければならない。それでも私は多くの作品のクオリティの高さに心を打たれた。というのもヨーロッパでは若手クリエーターの多くが技術の熟達を断念したからである。ここで言っているのは池田学が精緻に描いた動物の造形や、佐藤允の緻密なコラージュや、田口和奈の星の神秘や、ハン・スンピルの空想の家など、その存在感に大いに心を動かされた作品群である。街や都会の風景だけでなく、道路や家にも希望のメッセージが無数に掲げられている。


 見たところ、大震災を直接とり上げたアーティストは少なかった。準備期間が足りなかったことも理由だろう。またおそらく、芸術は崇高であるほどに、何かを主張することに役立つものではないからだ。
 例外的に、オノ・ヨーコは、美術館の正面に「DREAM」と題した大きなポスターを貼り出した。この目をひく行為は確かに効果的であった。彼女は精神的な痛手の後遺症から脱した祖国を見せようとした。彼女は「あなたたちは被災者ではない」と発言した。その言葉は私が帰国後リベラシオン紙に寄稿した記事(2011年9月3日掲載「La réplique de Yoko Ono」)の冒頭を飾ることとなった。広島での個展「第8回ヒロシマ賞受賞記念 オノ・ヨーコ展 希望の路 YOKO ONO 2011」の延長として、彼女は電話を1台用意し、ランダムに観客に電話をかけて話し合った。彼女がモントリオールで同じことをするのを実際に見たことがある。西欧人は苦笑を漏らすが、この偶然の出会いは思いのほか心に届くのかもしれない。とりわけ日本では。

 トリエンナーレ連携プログラム「クシシュトフ・ヴォディチコ アートと戦争」で、ポーランド系アメリカ人のクシシュトフ・ヴォディチコは、アメリカ帰還兵(とその妻。彼女たちは、多くの場合最も苦しみを受ける、戦争の隠れた犠牲者である)の証言と、福島の救助隊員や住民の話を組み合わせたビデオ作品を野外で上映した。作品は砲撃で区切られ、証言の衝撃的な側面が表現されている。ビデオの中で「絶対にうまくいかない(It will never be OK)」と一人の退役軍人は証言していた。もうたくさんだ。

 津波の悲劇に真正面から向き合ったのはおそらくジュン・グエン=ハツシバである。日本とベトナムのハーフである彼には専用の展示スペースが与えられた。彼は、ボートピープルの悲惨な事件と東日本大震災被災者の集団移住を組み合わせて表現した。廃墟と化した光景を次々と映し出す映像が強く訴えかけ、その光景そのものが強烈なメッセージや証言を発信している。しかしこれらの作品でさえ、美的な探究としては、前述の日本人アーティストたちの創造性を超えるにはまだ遠いようだ。

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ジュン・グエン=ハツシバ
Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery
2011
Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery
Photo by Nguyen Tuan Dat / Nguyen Ton Hung Truong







ヴァンサン・ノス(Vincent Noce)
フランスの日刊紙リベラシオン紙の美術記者・批評家。
著書にダーウィン派のアーティストを研究した『Odilon Redon, dans l'oeil de Darwin (Redon as a Darwinian artist)』、クロード・モネの水への情熱と眼病に着目した『Claude Monet, l'oeil et l'eau (Claude Monet, the Eye and the Water)』(ともにフランス国立美術館連合発行)や、盗難された美術品コレクションをたどった『La collection égoïste(Egoistic Collection)』、オークションハウス・ドゥルオーの歴史を語った『Descente aux enchères(Descending auction)』(共にJean Claude Lattes発行)などがある。美術分野の執筆のほか、食やワインについての執筆も手がけ、日本でも出版されている。
フリーランスジャーナリストとしてキャリアをスタートし、主にル・モンド・ディプロマティーク紙へ寄稿。その後AFP通信へ13年勤め、1994年より現職。

今回の来日後、「La réplique de Yoko Ono」(オノ・ヨーコからの返信)という記事も発表している(フランス語)





ヨコハマトリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR -世界はどこまで知ることができるか?- 11月6日(日)まで開催中!
http://yokohamatriennale.jp/ yokohama01.jpg

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