フィン・ヴィン・ソン
アニメーション作家
国際交流基金は、2010年の3月下旬から4月上旬にかけて、ベトナムの若手文化人グループを招へいしました。グループの一員であった、ベトナムの著名なアニメ監督フィン・ヴィン・ソンさんは、その際にマッドハウスの今敏監督を訪ね、アニメ制作について意見を交換しました。
今敏監督は2010年8月24日に逝去されました。フィン・ヴィン・ソンさんはその訃報に接し、ベトナムのアニメーションの現状と、今監督に捧げる短編脚本作品「虹の光を受けて舞う花びら」を寄稿してくださいました。
ベトナムのアニメについて
終わりのない冬眠、これが現在のベトナムアニメの姿だと言えよう。この停滞は、創作者に機会と原動力を与えるための能動的な体制に欠ける北部の国営プロダクションのみならず、活気ある南部においてでさえ同じようだ。
厳しい環境や条件をものともしない創造精神で戦火をくぐり抜けた先輩世代の勇ましい過去は、然るべく相応に継承されていない。残念なことに、非常に優れたその土台を平時のアニメーターが継承し、さらに発展させていく原動力が作り出されることはなかった。新しい観客世代の要求に適応できず、文化的な生活の中で、ベトナムのアニメは日ましにつまらないものになっていった。
2000年以降、国の経済社会面での進歩とともに、ベトナムアニメにも、管理当局の関心を得て、積極的な努力が見られた。この努力は新鮮な新しい局面を作り出すには至っていないが、ベトナムのアニメファンに、より多くの希望をもたらした。
国内アニメの旗振り役であるベトナム国営アニメプロダクションと並んで、2000年代の初めにベトナムテレビ傘下のアニメ制作センターが誕生したことは新しい喜びをもたらした。制作されたアニメの時間数は年間400分未満と多くはないが、アニメ制作量を維持しているところはまさにこの2社のみである。国内で初めて、自社で制作し、すぐに全国放送できる拠点ができたのだ。この新しさ、そして外国から輸入された最新の設備導入が、長きにわたって無味乾燥な土地のようだったベトナムのアニメ界に清涼な風を吹き込むこととなった。
アニメ制作センターの誕生が、ベトナムアニメを強く発展させる梃子になると思われたものの、体制的に(特に北部において)他の娯楽産業技術の目覚ましい早い発展についていけないことで、ベトナムアニメは行き詰まった。国営プロダクションに勤務する創作者の顔にやる気のなさが窺えるなら、活気のある環境にあり、発展している南部の方に期待を寄せるのが妥当だろう。しかし、拠点を持たず、また、北部の国営プロダクションのように定期的に国等から投資・発注が受けられないため、南部で制作されるベトナム人向けのアニメは極めて少ない。外国からの投資を受けた有力な会社もあり、プロフェッショナルな管理モデルに従って正規に育成されたアニメーターチームを備えているが、国内市場における作品の受け皿がないため、ほとんどが外国から、作品の部分、あるいは全体の加工を請けおっている状態である。
作品の質が水準をクリアし、大勢のアニメーターを抱えたからといって、ベトナム南部のアニメ産業の安定性が得られるわけではない。相次ぐ世界経済の恐慌と困難は、加工専門会社の経営に直接的な影響を与えた。ホーチミン市の大手サムGとスパークスの閉鎖はこのことを最も明確に物語っている。鳴り続ける悲しげなメロディーは、不安げに期待を寄せるアニメファンの心に植えつけられることになった。
この閉塞感は今後も長引くのだろうか。筆者はそう思わない。なぜなら、今はアニメ界において新たな人材やスキルを備えたモデルが出現する過渡期だと思うからだ。体制が変わればアニメも変わり、当然、ゲームや広告に流れていた有能な人材が大勢参画してくるだろう。現在、外から見ると国営プロダクションの作品が多いように見えるが、実質的には民間プロダクションの方が、実際のニーズに応えるために、より目覚ましい変身を遂げている。ほとんどの会社が経営コストの問題を抱えつつも、大きな一歩を踏み出そうとしている。
ベトナム国内の若手の努力や、国外に住んで働いている人たちがその経験をベトナムに持ち帰ってチャンスを求める動きが、ベトナムアニメ発展のための大きな原動力となっている。大事なことは、芸術家たちが安定的にかつ安心し
今監督との思い出
日本から今監督逝去の知らせを受けたのはハノイにいたときだった。若すぎる死に私はとても悲しみ茫然とした。その時点で、監督はあと2か月待てば47歳を迎えるところだった。
思えば、2010年4月初旬にマッドハウスで会った時間は彼の最期の日々だった。その頃の彼はまだ非常に元気そうに見えたので、身体のことを気遣うことをしなかった自分の無頓着ぶりを悔やんだ。4月初旬の午後に行われた東京での面談は2時間足らずだったが、彼が打ち解けてのアドバイスをくれたことは私に大きな影響を与えた。私の進んでいる道、私が手掛ける作品について。
後日、森絵里咲さんが訳してくれたメッセージを読んで、初めて今監督自身さえも病気のことを知らなかったことを知った。監督は5月になって初めて病気のことを知り、そのときはすでに手遅れの状態にあったそうだ。余命を生きる三か月、病気と闘う三か月。そのときに書かれた彼のメッセージを読んで、彼という人間をいっそう理解できたような気がした。尊敬すべき精神、高潔な心の持ち主であると。
別れ際の握手で、「自分の道を信じてベトナムアニメの発展に貢献してほしい」という励ましの言葉をくれ、非常に感動したことが思い出される。男だって、涙をどうしても抑えられないことが時としてあるのだ。
2010年4月、今敏監督と記念撮影するフィン・ヴィン・ソン氏
虹の光を受けて舞う花びら
フィン・ヴィン・ソン、ミー・リン
――喪失感の後にどう生き続けるか。
人生は常に順調というわけではない。しかし頭の中では、誰もが幸福でありたい、良い事が起こることを望んでいる。そのために、人は不幸が襲ってきたとき、その苦しみを乗り越えることができない。しかし、生きるためには、人は不幸と損失を受け入れることを学ぶしかない。それが生き続けるための唯一の道だ。――
1.ある一軒の家に幸せな家族が住んでおり、中からは笑い声がまるで不思議な音のように聞こえてくる。中ではお父さん、お母さん、女の子と彼女の弟が朝食をとっていた。テーブルの真ん中には花瓶の花が誇らしげに咲いている。子犬が女の子の足の上に鼻先を乗せて横たわっている。女の子は食べ終わると立ち上がり、かばんを持って学校に出かけた。家族はいってらっしゃいと言い、花瓶の花は輝いている。彼女は明るい気分で家の外に出て、花の香りがまだ空中に残っているかのように息を吸った。足どりも軽やかだった。笑い声が家の周りを包んでいた。女の子は晴れやかな顔でわが家を振り返った。子犬はいってらっしゃいと言わんばかりに尻尾をしきりにふった。
2.音楽が響く中、その家は穏やかな美しさを保っていた。突然、痛ましい事故が起きた。大型トラックとバスが衝突し、ハンドルをとられたトラックが、音楽と笑い声で満ちた家に突っ込んだ。笑い声が消え、音楽が途絶えた。まもなく家が崩れた。子犬の鳴き声は悲鳴のようだった。花びらがあらゆるところに散った。少し前までの幸せそうな家族の平和は後形もなくなった。痛ましい瓦礫の山だけが残された。
3.天地がひっくり返るほどの衝撃だった。女の子は家に走って帰ろうとしたが、足は一歩一歩引きずるように重かった。道ながら教科書やノートを落とし、結ってあった髪も乱れ、その黒髪は悲しみを表すかのように長くしだれていた。足がもつれ、何度も転んだ。彼女の眼は恐怖で大きく見開かれた。崩れ落ちた家の目の前に立ちつくした。親しい人のために誰かがあげた線香の匂いがする。粉々になった花びらを手にとった。
救急車の音、わめき声で騒然としていた。目の前のあらゆることが悪夢のようだった。起きている出来事に彼女は耐えられなくなり、その場で失神した。目の前が真っ暗だ。子犬が震えて自分のとなりにいることにも気づかなかった。もう周りのことはどうでもよくなっていた。
4.学校。休み時間の楽しい笑い声が聞こえてくる。生徒たちは無邪気におしゃべりして楽しんでいる。女の子だけは誰にも見られたくないかのように隅に座っていた。黒髪がさびしく垂れている。両肩は震えている。静かに落ちる小さな涙の粒を、地面が受けた。太鼓が鳴ってみんなが教室に戻った。彼女はまだ静かに座って涙を流していた。涙は止まることを知らないかのように流れていた。彼女の前にある花は家族みんなで囲んだ朝の花と同じだ。視界のあらゆるものが霞み、儚く見える。流れて止まぬ涙の中で、花も霞んでいった。
5.女の子は高速道路でスピードを出して走る車の流れの中に立っている。隣にいるのは疲れきった老いぼれ犬。車が冷たく無表情に通りすぎていく。こういった車が彼女の幸せな家族を破壊したのだ。悲しい話を語るかのように長い黒髪が風の中になびく。彼女の眼は道を行く車の無表情なタイヤに釘づけだ。彼女はこの車の流れの中に飛び込んで家族と同じ運命をたどりたいと思った。両足が少し前に・・・。とそのとき、そばにいる犬がスカートの裾を噛んでウーウーと唸り、力いっぱい引きもどそうとした。彼女は驚きと怒りのこもった眼で犬を見た。
6.年月が経ち、女の子は女子大生になった。髪の毛はしなやかに長く伸びていた。騒がしい友達の中で彼女はいつも静かだ。ある男の子が彼女の存在を気にしていた。彼女もそのことを気付いていた。目が合うと彼女の頬が赤くなる。そして口元もわずかにほほ笑んだ。学校が終わると二人は肩を並べて街中に出かけた。とてもお似合いの二人に見えた。悲しみはどこか遠いところに去っていったかのようだ。男の子はある花屋で立ち止まって彼女に小さな花束を買ってあげた。彼女は花束を手にする、最後の瞬間に家族のそばにあったあの花を。彼女は花束を落とし、彼が唖然としている間に来た道を走って戻っていった。急ぎ足で家に帰った。家は建て直されたが昔の様子はなく、幸せな笑い声が飛び交うこともない。彼女は家の前で崩れた。あの日の子犬は今や老いぼれ犬となり、彼女に近寄った。人間と動物が抱き合い、孤独を分かち合った。
7.彼女は犬と散歩に出かけた。黒髪は依然悲しそうに長くしだれていた。足取りは感情を顕わさないかのように平然としていた。犬が突然立ち止まった。リードを引いても一か所に座ったままだ。その方向を見ると、目の前に昔のわが家とそっくりの家があって幸せそうな笑い声が聞こえてきた。扉が開き、中から車椅子の青年が自ら操作しながら家の外に出てきた。下側の空っぽのズボンと反対に、彼の顔は輝いていた。彼女はリードを放して犬に走らせ、好奇心に駆られるように青年の後ろを付いて行った。雨が降ってきて、通行人は雨宿りできる場所に駆け込んでいたが、青年は車椅子のスピードを変えずに、小声で歌を歌っていた。青年は雨宿りしようと彼女のわきに止まった。あいかわらず恋の歌を歌ったままで、手を伸ばし、雨の滴をすくいあげた。彼女は歌声と雨音に耳を傾けていた。彼女もおずおずと手を出した。その臆病な手は雨の滴を受けた。そして雨の中に走り出た。悲しい記憶がよみがえってきたが、最後に浮かんだのは、たった一人でも勇気を出して次の一歩を踏み出すようにと励ますかのような家族の笑顔だった。雨の中で彼女の顔は不思議と穏やかになった。日差しが出てきた。雨の中から、虹が揺れながら姿を現した。
翻訳:森絵里咲
アニメーション作家
ベトナムでは数少ないアニメ監督の第一人者。これまでに、数々の賞を受賞。「ウサギとカメ」でベトナム初の3Dアニメ映画を成功させる。ベトナムのアニメ制作の向上に意欲的に取り組んでいる。
Photo : Kenichi Aikawa