2019.12.20
井上布留(アフリカ映画愛好家)
2019年2月、わたしはブルキナファソの大地を踏む。赤土が延々と続くワガドゥグの風景は、わたしがこの地に暮らしていた4年前と、なんら変わらないように思われた。このたびわたしがブルキナファソを訪れたのは、アフリカ最大の映画祭であるワガドゥグ全アフリカ映画祭(FESPACO)に参加するためである。
1969年に産声を上げたFESPACOは、2019年で26回目を数え、創設から半世紀を迎えた。世界最貧国のひとつに数えられるブルキナファソにおいて、50年にわたり映画祭が定期的に開催されつづけてきたという事実は、かつて白石顕二が述べたように、ほとんど奇跡といっていいのかもしれない。とりわけここ数年のブルキナファソでは政治的に不安定な状況が続いており、しばしばテロリストの標的とされたこともあり、かような大きな催しに際しての安全の確保には多くの者が神経を尖らせていた。
2019年のFESPACOには、アフリカ大陸の全土――さらにはアフリカに出自をもつディアスポラの作家たち――から寄せられた、およそ160もの作品が集まっていた。開催地が西アフリカの仏語圏に位置するため、もとより仏語圏の映画の存在感は大きいのだが、花形である長篇コンペティション部門の2019年の選出作品を鑑みると、例年以上に地域的なバランスに配慮している印象を受ける。英語圏アフリカから9作品、仏語圏アフリカから5作品(うち3作品は開催国のブルキナファソから)、アラビア語圏の北アフリカから5作品、ポルトガル語圏のモザンビークから1作品――以上の20作品が最高賞に当たるエタロン・ドール・ドゥ・イェネンガを競うこととなる。
8日間の会期ですべての作品を網羅することはむろん不可能である。長篇コンペティション部門の20作品だけでも、スケジュールの都合上断念しなければいけない作品もある。さらにいえば、周到に計画を立てたところで、上映は予定どおりに進行してくれない。運営の不手際もあり、時間はどんどん押していく。無事に上映がはじまったところで、機材トラブルで上映が中断することもしばしばで、作品の音をかき消すかのように上映中に作品紹介のアナウンスが入ったこともあった。いくらなんでもこれは作品に対し失礼だろうとわたしは憤慨しかけるが、ひとたび上映が再開されると客席からは拍手喝采の大歓声が上がる。この映画祭に参加するうえでの心得は、なによりも鷹揚に構えることである。いちいち神経を擦り減らしたところでしようがないのだ。
いくつか印象的な瞬間を記しておきたい。ケニアの都市で暮らすレズビアンの恋模様を鮮やかな色彩で描いたワヌリ・カヒウ監督の『Rafiki(友だち)』*(2018年)を観ていたときのこと。会場は大入りの満員で、その半分近くは地元の観衆のようだった。ところが、女たちのセックスシーンがはじまった瞬間、彼らの多くが悪態をつきながら席を立ったのである。わたしの隣に座っていた中年の男性も「これはアフリカじゃない」と首を振りながら会場をあとにしていった。次々と去っていく観客たちを尻目に、わたしは苦い顔で銀幕を眺めつづける。本作はケニアで上映禁止の憂き目に遭ったと聞いていたが、映画祭でさえもこうなのか、と。同性愛をめぐる当地の状況がいかに厳しいか改めて痛感することとなった。
一方で、『Rafiki』と対照的に肯定的な反応を得た作品として、たとえばマリの二人の若い監督の手による『Barkomo(洞窟)』(2019年)が挙げられる。本作は全篇がドゴン語で撮られた世界初の長篇作品で、17世紀末のドゴン族の村を舞台に、夫の子どもを身籠もることができなかった女と、はぐれ者として暮らす男とが愛し合うに至るまでを描く。ラストシーンは、共同体からの逃避行を余儀なくされた二人が、果てしなくつづくサバンナの地平線へとあてどなく歩き出す姿を収めていた。とはいえ彼らは排斥の失意に肩を落とすのでなく、「二人で新たな村をつくろう」と未来への希望を静かにささやきあい幕切れとなる。その瞬間、客席からは割れんばかりの拍手と歓声が響き渡った。わたしは彼らの熱狂を前に、ただただ圧倒されるほかなかった。
こうしたFESPACOで経験する数々のエピソードを、わたしは会期中に毎日のごとく通っていた飲み屋に集うブルキナファソの友人たちに語ってみせていた。だが、どうやら彼らのうちのほとんどは、FESPACOのあいだ特別に設えてある屋台で酒盛りこそすれ、映画館へは一度も足を運んでいないようだった。一緒に映画を観ないかと誘っても、なにかと理由をつけて断りを入れてくる。チケット代が高すぎるんだ――その実、チケット代はビール瓶1本の代金とさして変わらない。わたしは彼らの生活に映画というものがほとんど存在しないことを見てとった。
ブルキナファソの国民にとって、FESPACOの存在がある種の矜持となっているということは確かなようである。めぼしい産業の少ないこの国にとって、文化的な催しに力を入れ国際的な存在感を誇示するという政策は、ある程度の成功を収めてきたといえるだろう。だが今日のFESPACOにおいて、映画館へと集うのは映画関係者か文化に関心の高い一定以上の富裕層に限られており、多くの国民はFESPACOをただの大規模な祭りとしてしか認識していないようであった。
当然のことながら、こうした傾向はこの地だけで見られるものではないであろう。とはいえ、アフリカの映画を観るべくワガドゥグまで赴いたわたしは、ブルキナファソ人の映画祭への関心の低さを目の当たりにするたびに、複雑な気持ちに陥るのだった。異邦人でしかないわたしよりも、おそらくはアフリカの大地で生きる彼らこそが、あの映画祭で上映されている作品を目撃すべきではないのだろうか。たとえば同性愛なんて言語道断だと鼻息を荒くする彼らこそ、あのケニアの同性愛の物語に触れるべきではないのか。ドゴン族の神話のはじまりの風景に手を叩くべきではないのか。
そのような感傷は異邦人の傲慢でしかないのかもしれない。わたしはぬるいビールを喉に流し入れながら、次なる50年へと新たに歩みをはじめたFESPACOの、ひいてはアフリカ映画の未来についての考えを巡らせる。アフリカでは各地で映画館が減っているという。地域に根ざした小さな映画館が、シネマコンプレックスに吸収されているというわけではない。ただただ消えていっているのだ。ジャン・ルーシュが『弓矢でのライオン狩り』(1966年)に吹き込んだメッセージを思い出す。
「子どもたちよ、聞いてください。あなたの父たち、祖父たちが、ライオンを弓矢で狩っていたころの物語を聞くのです。これはきみたちがいつか語り継ぐであろう物語です。しかしきみたちが同じ経験をすることはおそらくないでしょう。なぜなら、きみたちが大きくなっているころには、もはや彼らのようにライオンを弓矢で狩る者はいなくなっているでしょうから」
この映画が撮られてから、すでに半世紀余りが経った。あの土地には、もう彼らのように鏃に猛毒を塗りつけた弓でライオンを狩る者はいないのかもしれない。さて、映画はどうなのだろうか。このまま映画は20世紀の産物として役目を終えていくのか。あるいは近年のナイジェリア映画産業の勃興が示すように、やがて「アフリカ映画の世紀」が訪れるのか。アフリカ映画をめぐる景色は刻一刻と変化している。アフリカによるアフリカのための映画祭を標榜してきたFESPACOは、これからの時代もその景色の移ろいを雄弁に語り継いでいくにちがいない。
編集:中村大吾
*映画『Rafiki』は、日本でも『ラフィキ:ふたりの夢』として2019年11月に一般公開されました。https://senlis.co.jp/rafiki/
本稿は、シンポジウム「越境するアフリカ映画――新たな連携をめざして」(2019年8月29日)の来場者に配布されたサイドブック『アフリカ映画の世紀』(国際交流基金発行)の収録記事を転載したものです。