5.台湾文学を読んでみる その① 黄春明「戦士、乾杯!」

 白状すると私は、台湾の小説をあまり積極的に読んできませんでした。台湾の文学を読もうとするときに、台湾人でありながら日本語に頼らなければならないのがもどかしく、少々くやしくもあったからです。しかし2年ほど前、日本語に翻訳されたある作品を読んで以来、くやしがっている場合ではない、と痛感しました。日本語を頼ってでも、読むべき文学が台湾にはいっぱいあるようだ! 私に強くそう予感させたのは、黄春明(こう・しゅんめい)による「戦士、乾杯!」と題された短篇です。

 作家自身と思わしき語り手は、「"シオン"という名前をもつ少数民族の青年、朴さん」と知り合い、シオンの家がある台湾南部の中央山脈に位置する「好茶」という村に連れていってもらいます。そこで語り手は、別々の額に入った三枚の人物写真を見ます。

 1枚目は、日本兵。
 2枚目は、共産兵。
 3枚目が、国民党の軍人。

 それぞれ、シオンの伯父――厳密には母親の前夫――、父親、兄にあたる人物だという。日本統治下の台湾で日本兵として太平洋戦争に参加し戦没した伯父。台湾が祖国復帰した直後に大陸に渡り共産兵になったまま消息不明の父親。そして蔣介石率いる国民党軍の兵士として中華民国のために死んだ兄。

 「写真があって、日本兵、共産兵、それに我が国民党兵が一緒に並んだら、ウーン、そりゃ、賑やかだな」シオンは事もなげに言った。
 「この人たちはみな、あなたの身内だって考えたことありますか?」私は真剣に訊いた。
 「ああ、山地の連中は、みなうちと同じさ」。彼のしゃべり方は、また淡々とした調子に戻った。
 「こんな運命に、悲憤を感じないの?」
 「悲憤って?」
 「悲しくて腹が立つといった・・・・・・ 」
 そう言うと、彼は考えこんだ。しばらくたって、私はさらに訊いた。「悲しくて腹が立ちませんか?」
 「誰に対して?」

(『バナナボート 台湾文学への招待』(JICC出版局)収録 黄春明「戦死、乾杯!」より)

 誰に対して? というシオンの科白は原文では「對誰?」なのかな?
 読みながら、つい想像してしまいます。しかし、中国語で執筆された小説に登場するシオンの「母語」は、小説の語り手と不備なく交わし合っている中国語ではなく、彼の部族の言葉であるルカイ語である、という事実もわきまえなくてはならない、とすぐに思いなおします。さらに言えば、台湾の「国語」である中国語を母語としないシオンは、「外国人」ではありません。シオンの祖先たちはむしろ、漢族である語り手の祖先たちなどよりもずっと早くから台湾で暮らしているのです。
 そんな「原住民」たちの頭上で、「国」と「国」の思惑が激しくぶつかり合い、その結果、「ひとつの家族、ひとつの共同体の中で、男たちが四世代にわたって」、別々の「国籍」を強要され、「部族を守るため」にも、その「国」の兵士として戦わざるを得ないという状況に見舞われる。

壁を見ようが見まいが同じだった。それぞれの時代の兵士の映像が、目の前に浮かびつづけていた。酒がまわり、その勢いでほとんど意識がなくなりそうになった時、それらの映像はいっそうくっきりと浮かびあがった。私はもう数滴しか残っていないコップを持ちあげると、写真がいっぱい並んだ壁に向かって心の中で叫んだ。
「戦士、乾杯!」

(『バナナボート 台湾文学への招待』(JICC出版局)収録 黄春明「戦死、乾杯!」より)

 下村作次郎さんの翻訳をとおしてはじめてこの小説を読んだとき、私は眩暈がする思いでした。
 台湾という多元的な社会が抱え込む複雑な亀裂を直視させられたと同時に、このような圧倒的な内容を「僅か400字詰原稿用紙32枚強」という短さの中に凝縮させた黄春明の技量に打ちのめされていたのです。

1945年日本の敗戦によって台湾は祖国に復帰するが、それを中国語で「光復」という。そこにこめられている熱い思いは、50年間にわたる日本の植民地支配の中で鬱憤した感情の反転なのだろう。こうして台湾は半世紀ぶりに大陸との繋がりを回復するが、復帰した祖国中国は、国民党と共産党が激しく対立する混乱した社会状況の真っ只中にあった。やがて1949年国民党は共産党との内戦に敗れて台湾に政府を移し、台湾は再び大陸と切り離されてしまう。1895年から今日までのおよそ百年間のうち、台湾と大陸の自由な往来が可能だったのはほんの数年間にすぎなかったことになる。悲しき熱帯の島台湾は、こうしてまた独自の戦後を歩み始める。

(『バナナボート 台湾文学への招待』(JICC出版局)の序文より)

 山口守さんによるこの文章は、「戦士、乾杯!」を収録する台湾現代文学アンソロジー集『バナナボート 台湾文学への招待』(JICC出版局)の序文から引用しました。

japanophone05_01.jpg

「発見と冒険の中国文学」シリーズ⑥『バナナボート 台湾文学への招待』(JICC出版局)では、副題どおり、選り抜きの台湾文学が紹介されている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4796601775

 台湾の作家たちの「苦渋に満ちた、また輝かしい道標を示している」作品群は、日本の読者に良質の台湾文学を紹介したいと願う翻訳者及び編者たちが選りすぐったものだけあって、一篇一篇が興味深く完成度の高いものばかりです。
 ・・・・・・ つまらない意地のためにずっと遠ざけてきたおかげで、おおいなる楽しみがたっぷりと残されている。
 今となっては、半ばひらきなおった心地で、日本語になった台湾文学をコツコツとあじわう台湾系ニホン語人なのです。

japanophone05_02.jpg

黄春明の代表作『さよなら・再見』(発行/めこん・発売/文遊社)。左は台北の書店で購入した原書。台湾ではベストセラー作品。

japanophone01.jpg 温 又柔(おん ゆうじゅう)
作家。1980年、台北市生まれ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。2011年『来福の家』(集英社)を刊行。2013年、ドキュメンタリー映画『異境の中の故郷-作家リービ英雄52年ぶりの台中再訪』(大川景子監督作品)に出演。2014年、音楽家の小島ケイタニーラブと「ponto」を結成し、朗読と演奏による活動「言葉と音の往復書簡」を開始。日本で育った一人の「台湾人」として綴った言葉をめぐる最新刊のエッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』(白水社)がこの6月に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

温又柔 Twitter https://twitter.com/wenyuju

Page top▲