何しろ台湾系ニホン
喋るのも聞くのも読むのも書くのも、ニホン語でするのがいちばん楽です。
そんな私に、こんなふうに言うひとがいます。
「台湾人なら、中国語もできるんですね」
「ところがどっこい、そうでもないんですよ」
もちろん私は中国語が、全くできない、というのではない。
そうかといって、よくできる、というほどでもない。
要するに、ちんぷんかんぷん以上ぺらぺら以下、とでもいった感じでしょうか。
――台湾人なのに、どうしてそんなに中国語がへたなの?
そう言われるたび、気が塞いだのも今は昔のこと。
私にはニホン語がある。私の中国語(そして台湾語も)は、私のニホン語の中にしっかり生きている。
このような台湾人もいる。
このようなニホン語もある。
ところが先日、ある詩と出会い、日本語と中国語のどちらも自分のものと思いきれず、そのために心身が常に不安定だった頃の気持ちがよみがえりました。
「中国語が苦手な台湾人」の胸に響いたチカーナ(メキシコ系アメリカ人の女性)の詩。
その詩の一部を紹介します。
白人は励ましてもらえる
ほめてもらえる
中途半端に外国語を使っても。
「ひょっとしたら わたしたちみたいに
茶色になりたがっているのかもね」
とかなんとか いいことを言われてさ
わたしが真剣にスペイン語に取り組んでも
ただわたしの
頭が悪いようにみえるだけ
「きっと白人みたいになりたいんだわ」
とかなんとか ひどいことを言われてさ。
絵つき単語カードをこっそり隠して
練習用のカセットテープには
タイトルのラベルを貼らない
なぜって 恥ずかしいから。
「そんなこともわからないの」と
皆が言う
「スペイン語はあなたの血の中に入っているのに」
(出典:『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』/越川芳明著・思潮社刊)
この詩のタイトルは「ミ・プロブレマ」。
作者の名まえは、ミシェル・セロス。「ミ・プロブレマ/mi problema」とは、スペイン語で「わたしの問題」を意味するそうです。
『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』(思潮社)という本をとおして、私はこの詩と出会いました。この本の著者である越川芳明さんは、ミシェル・セロスとかのじょの詩を紹介する章に「スペイン語の苦手なチカーナ」と題します。
チカーノ詩の代表的なものを網羅する『ギターを抱いた渡り鳥 チカーノ詩礼賛』(思潮社)。前作(右)『トウガラシのちいさな旅 ボーダー文化論』(白水社)も興味深い1冊。
私は想像せずにいられません。
カリフォルニア州ロサンゼルスに近いオックスナードに、ひとりの女の子がいる。
かのじょは、チカーナ。メキシコ系アメリカ人だ。
あるとき、この詩がうまれるもととなる「経験」――どちらかといえば不名誉で、屈辱的な――を、かのじょはする(被る、と表現してもいい)。
狂おしい悔しさに駆られながら、かのじょは詩を書く。
かのじょにとって最も自在に操れる英語の中に、かのじょの「血の中にある」はずの「Hable más despacio por favor」や「mi problema」といったスペイン語を織り交ぜて、詩を書く。
やがて、ニホン語ということばに翻訳されたかのじょの詩を読んだ、東アジアの、トーキョーという町で育った、「中国語の苦手な台湾人」が、「自分もそうだった」とおもわず涙ぐむ。
私が日本人なら、まちがいなく褒められる程度の中国語を話しているのに、私が台湾人だから、その程度かと呆れられる。逆に、日本語はこんなにできるのに「あなたは日本人のようなものですね」と言われることはあっても、ほんとうの日本人としては認めてもらえない。
「ミ・プロブレマ」は、私の問題でもありました。
――台湾人なのに、どうしてそんなに中国語がへたなの?
私にとってそう言われることは、
――日本人ではないのに、日本語がおじょうずですね。
と言われることと同じぐらい、たまらなくさみしいことでした。
とはいえ私は、一篇の詩に呼び覚まされたこのさみしさを、決して疎んじてはいません。なぜなら、このさみしさこそ、私が、私のニホン語を求めようとした原点であり、そして書き続けたいと切に願う動機にほかならないと知っているからです。
もっといえば、ミシェル・セロスの詩と出会うことができて、私はあらためてこの思いを強くしています。
いつか、どこかに流れついた私のニホン語を、だれかが偶然読んで、「自分もこうだ」と思うかもしれない。書き続けていれば、あるいはひょっとして。
そう想像するだけで、さみしさは希望に変わるのです。
温又柔 Twitter https://twitter.com/wenyuju