日本語で、ともに生きる <4>
相互理解のための日本語を目指して―JF日本語教育スタンダードを中心に

2022.7.25
【特集077】

篠崎 摂子
(国際交流基金日本語国際センター専任講師)

特集「日本語で、ともに生きる」(特集概要はこちら

1.国際交流基金の日本語事業とJF日本語教育スタンダード

国際交流基金(以下、JF)では1972年の設立以来、海外の日本語教育を支援する事業 を長らく行ってきました。当初は日本理解を促進するための日本研究者養成が中心でしたが、日本の国際的な影響力が高まるにつれ、先進技術の獲得や訪日希望者の増加、現地公教育での外国語科目としての導入、そしてポップカルチャー人気など、日本語学習の目的が多様化し、その時々の現地の要望に沿った事業が求められるようになりました。

このように海外の日本語教育が多様化し、日本語を学ぶ人も飛躍的に増えていく中、世界の言語教育の動向に目を向けながら、日本語の教え方、学び方、評価の仕方を考えるための枠組みとして、2010年にJF日本語教育スタンダード (以下、JFスタンダード)が公開されました。以来JFでは、JFスタンダードに基づく日本語事業を主に海外に向けて展開してきましたが、近年は、その蓄積を日本国内においても参照、活用していただける場面がこれまで以上に増えています。本稿では、JFスタンダードを中心とするJFの日本語事業の概要、国内で日本語教育に関心をもつ方々にお伝えしたい情報について、ご紹介します。

2.JF日本語教育スタンダード(JFスタンダード)とは

JFスタンダードは「相互理解」を理念とした日本語教育のための枠組みで、ヨーロッパ言語共通参照枠(以下CEFR 、Common European Framework of Reference for Languages:Learning, teaching, assessment)の考え方をいち早く取り入れました。JFスタンダードはCEFRと同様に、行動中心アプローチに基づく言語教育・学習を推奨して、課題遂行能力(言語を使って課題を達成する能力)と異文化理解能力(お互いの文化を理解し尊重する能力)の育成を重視しています。

jf-jigyou_01.jpg JF日本語教育スタンダードWebサイト

JFスタンダードに基づく日本語教育では、日本語を使って何をしたいか、何ができるようになりたいか、を出発点とします。例えば「日本人の友達と一緒に遊びに行きたい」という希望があったとします。その場合、日本語で友達をどこかに誘うことが目標(課題)になり、そのために必要な日本語の語彙や文法、表現を学びます。これは、料理を作るために必要な材料をそろえたり、登山をするために必要な道具をそろえたりするのと同じです。料理によっても材料が異なりますし、富士山と高尾山に登るのでは必要な道具が違います。日本語の学習でも、日本語で何をしたいのかを考えて、それを目標に学ぶことが大切です。一方、これまでの日本語教育では、とりあえず語彙や文法を順番に学んで、それから何ができるかを考えるという方法が主流でした。このような学び方では、日本語に関する知識は増えるかもしれませんが、実際の場面で日本語を使うことはなかなかできるようになりません。

また、JFスタンダードではCEFRと同様に、学習の目標を「日本語を使って何ができるか」というCan-doで考えます。そして、CEFRと同じ6つのレベル(A1~C2)に分けています。そのため、世界中のどこの国に行ってもCEFRの基準で自分の日本語能力を説明することができます。また、他の外国語のレベルと比較することも可能です。例えば「私の外国語能力は、日本語はA2で英語はB2です」のように伝えることができます。JFでは、JFスタンダードによって世界中の日本語教育機関や教師が同じ基準で話し合いや情報交換を行い、教師と学習者が目標を共有し、学習の継続がしやすくなることを目指しています。

3.JF日本語教育スタンダードに基づく日本語事業

JFがJFスタンダードの公開後にまず着手したのは、CEFRを参考にしたJFスタンダードの考え方を海外の日本語教育関係者に理解してもらうことでした。言語によるコミュニケーションの力を整理・例示した「JFスタンダードの木」を考案し、課題遂行能力の6つのレベル(A1~C2)とCan-do(「~できる」という文)について紹介しました。

jf-jigyou_02.jpg JFスタンダードの木

さらに、生涯学習を重視し、継続的な学習を支える方法として、学習を記録するポートフォリオの利用を提案しています。そして、JFスタンダードを活用することにより、目標から評価まで一貫性のあるコースデザインを行うことを提唱しました。これらの内容は、JFスタンダードのサイトやガイドブック にまとめて広く提供しています。また、Can-doを教育現場で実際に利用してもらうために、「みんなのCan-doサイト」を同時に公開しました。

jf-jigyou_03.jpg 「みんなのCan-doサイト」

次にJFが実施したのは、日本国内の附属機関である日本語国際センター(以下、NC)と関西国際センター(以下、KC)、およびJF海外拠点での教育実践と、JFスタンダード準拠の教材の開発です。NCは海外日本語教師研修事業と日本語教材開発事業を主に実施していますが、JFスタンダードの開発・普及の中心的存在であり、教師研修でもいち早くJFスタンダードを導入し、海外の日本語教師への浸透を図りました。KCは専門日本語研修等の日本語学習者への研修事業とeラーニング開発事業を主に実施しており、やはりJFスタンダードに基づいた事業を展開しています。また、JFの海外拠点等では一般成人を対象にした日本語講座(JF日本語講座) を実施しており、26カ国28カ所(2021年度現在)のJF日本語講座でJFスタンダードに基づく教育実践が行われています。

そして、JFスタンダードに基づく日本語教育を実現する教材として、2013年から『まるごと 日本のことばと文化』シリーズ(以下、『まるごと』)を開発・刊行しました。『まるごと』は、海外の成人学習者向けに開発された教材で、日本語を使ってコミュニケーションをすることと、異文化を理解し、尊重することを重視してデザインされています。また、『まるごと』をベースにしたeラーニング教材「まるごと+(プラス)」や「まるごと日本語オンラインコース」も開発・公開されています。

jf-jigyou_04.jpg 『まるごと 日本のことばと文化』シリーズ

jf-jigyou_05.jpg 「まるごと+(プラス)」

JFにほんごeラーニング みなと 」では、その他にもJFスタンダードに基づいた多様なコースが開講されています。

jf-jigyou_06.jpg 「JFにほんごeラーニング みなと」

また、日本語教師向けに授業用の素材やアイデア提供を行っている「みんなの教材サイト 」ではJFスタンダード準拠の新作教材や授業案を公開しています。さらに、JFスタンダードに基づいた会話テストとして「JFスタンダード準拠 ロールプレイテスト 」も開発・公開しました。これらの教材や資料も『まるごと』と合わせて、広く利用されています。

jf-jigyou_07.jpg 「みんなの教材サイト」

jf-jigyou_08.jpg 「JFスタンダード準拠 ロールプレイテスト」

4.JF日本語教育スタンダードに基づく日本語教育-生活・就労のための日本語

JFではJFスタンダードの公開後、海外の日本語教育における浸透と教授環境整備に取り組んできました。2019年度からは、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」に基づいて「特定技能」外国人材向け日本語事業 を実施することになりました。具体的には図の4つの事業になりますが、これらの事業の根底にはJFの海外での日本語事業とJFスタンダード普及の実績があります。

jf-jigyou_09.jpg 「特定技能」外国人材向けの日本語事業の4つの柱

国際交流基金日本語基礎テスト(JFT-Basic)」は、主に就労のために来日する外国人が遭遇する生活場面でのコミュニケーションに必要な日本語能力の測定を目的としたテストで、JFスタンダードを参照して開発されました。2022年3月までに、海外10カ国と国内で実施実績があります。

jf-jigyou_10.jpg 「国際交流基金日本語基礎テスト(JFT-Basic)」

JF生活日本語Can-do」は、日本語を母語としない外国人が、日本での生活や仕事の場面で求められる基礎的な日本語コミュニケーション力をCan-doの形で例示したリストで、JFスタンダードの理念や考え方に基づいて開発されています。そして、それに基づいて開発されたのが日本語コースブック『いろどり 生活の日本語』シリーズ(以下、『いろどり』)です。『いろどり』は、『まるごと』開発の経験を生かして制作され、日本での生活に密着したさまざまな場面やトピックを通じて、実践的な日本語が学べる教材です。ウェブサイト上ですべての素材を無料提供している点が画期的で、日本の生活がベースになっているため、来日前の準備はもちろん、来日後の利用も増えています。また、『いろどり』をベースにした「いろどり日本語オンラインコース」もやはり無料で提供されており、いつでもどこでも、日本語を独学で学べる環境が整えられています。

jf-jigyou_11.jpg 『いろどり 生活の日本語』シリーズ

jf-jigyou_12.jpg 「いろどり日本語オンラインコース」

さらに、2022年2月から、JFが株式会社NHKエデュケーショナルと共同で制作したTV番組『ひきだすにほんご Activate Your Japanese!』の海外放送と動画配信が始まりました。この番組は日本での生活や就労を目指す外国人や、日本の社会生活について学びたい日本語学習者を主な対象に、日本語及び日本の社会文化を紹介するもので、JFスタンダードのストラテジーに着目して制作されています。

JFではこの他にも、業務や研究のため日本語能力を必要とする海外の外交官・公務員や研究者のための専門日本語研修を長年実施しているほか、看護や介護に携わる人たちを支援する日本語学習サイト「日本語でケアナビ」を制作したり、日本への来日を希望するインドネシア・フィリピン人看護師・介護福祉士候補者を対象とするEPA(経済連携協定)日本語予備教育事業 にも携わってきました。こうした特定の目的に対応した日本語教育の蓄積も、近年の外国人材向け日本語事業に生かされています。

5.今後に向けて

以上述べてきたように、これまでJFが海外向けに実施してきた日本語事業、特にJFスタンダードの成果は国内でも利用されるようになってきています。その背景にはオンラインの普及によって海外と国内の垣根が低くなっていることもあります。そして、最近国内でさらに大きな動きがありました。それは、文化審議会国語分科会での審議を経て、2021年10月に文化庁が「日本語教育の参照枠(報告)」(以下、「参照枠」)を公開したことです。「参照枠」はJFスタンダードと同様にCEFRを参考にしているので、今後「参照枠」に基づく日本語教育を行う際にも、JFがこれまで培ってきたJFスタンダードの考え方や教材、教授法を活用することができます(「参照枠」とJFスタンダードの関係についてはこちら)。

JFがJFスタンダードを公開した2010年当時にも増して、国境を越えた人の移動や往来が盛んな今日、日本国内でも、さまざまな分野で働く外国人の数が年々増えています。今後は、いろいろな国籍や文化的背景をもつ人々が、同じコミュニティーで生活し、同じ職場で働く機会がますます多く身近になるでしょう。生活や仕事をする際に必要となる日本語のコミュニケーション力を身につけようとするとき、日本語を使って何をしたいか、何ができるようになりたいか、を出発点とする学び方、教え方は、目標が明確で受け入れられやすく、より効果を発揮すると思われます。JFが国際文化交流事業の一環として長年にわたり実施してきた日本語事業の蓄積を、海外のみならず日本国内で日本語を学習する方々、日本語教育に携わる方々にも活用、参照していただければ幸いです。


篠崎 摂子(しのざき せつこ) 国際交流基金日本語国際センター専任講師。
1992年9月より現職、同センターで主に教師研修事業を担当している。2021年1月より専任講師主任を務める。国際交流基金の北京(1999~2002年)、パリ(2013~2015年)、マドリード(2018~2020年)の海外拠点に日本語教育アドバイザー(上級専門家)として派遣されたほか、日本語試験センター研究員(2009~2012年)として日本語能力試験改定に携わった。

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